第24話 許嫁の証明①


 薬指にはめられた銀色の指輪を見て、私はベッドの上で悶えます。

 ふにゃふにゃと、頬がお湯にひたったように溶けて、だらしのない笑顔で指輪を見つめること数時間…。


 数日前、私は結稀さんから素敵なプレゼントを貰いました。

 その前に結稀さんが猫を可愛がっていて、その光景が面白くなかったこともありましたが…この指輪を貰ったら、もう全てを許しちゃいました。


「ふふっ♪えへへっ…♡」


 くるくると掌を回転させては、私は笑みをこぼして満足感と優越感に浸ります。

 この指輪は、結稀さんが私に贈ってくれた

 指輪は元々二つあり、もう片方は結稀さんが付けていて、私達の関係を表す…大切な指輪です。


 婚約指輪…将来を誓い合った私たちに相応しい指輪…!

 結稀さんに貰った時、私は嬉しくて嬉しくて飛び上がりそうな感覚でした。

 つま先から頭まで、全てが幸せで埋まるような感覚に襲われて…私はいてもたってもいられずにキスをしました。


 それほどまでに嬉しくて、幸せで…結稀さんの事がより一層好きになりました。

 ほんと、結稀さんはなんなんでしょうか?どれだけ私をドキドキさせれば気が済むのでしょう?

 あの太陽みたいな明るい笑顔も、立ち振る舞いも…結稀さんの全てが好きで仕方がありません。


「結稀さん…」


 仰向けになって、私は名前を呟きます。

 脳裏に浮かぶのは…結稀さんのあられもない姿。

 なにもまとわずに、絹のように白く滑らかな肌をさらけ出した…生まれたままの結稀さん。


 そんな姿を想像して、私は罪悪感をかかえながらも高揚こうようのままに想像します…。

 あのなめらかな肌にもう一度触れる。

 温泉旅行の時のように…優しく、味わうように何度も触れて…指をわせます。


 あの大きな胸を揉んでみたい…。

 結稀さんの唇をずっと奪っていたい…。

 自分自身の境界線すら分からなくなるくらい、結稀さんでいっぱいになりたい…。


 とくとくと胸の奥が痛くなって、じくじくとお腹の奥がうずき出しました。

 次第に息遣いが荒くなって…私はうわごとのように呟きます。


「結稀さん…すきです、すき、だいすき…」


 身体をぎゅっと締め付けるようにして、赤くなった頬のまま…どれだけ結稀さんを思い浮かべたでしょうか?

 数えるのも億劫おっくうになるほどに、結稀さんを想って…私は。


 その時でした。

 とんとんっと…ノック音が響いたのは。


「!?」


 びくりとベッドの上で飛び跳ねて、心臓がドキドキと警鐘を鳴らします。

 目を大きく見開いたまま扉を見ると、すぐに扉の向こうから柳生さんの声が響きました。


「お嬢様、起きていますか?」

「は、はい…」


 高鳴る心臓部をぎゅっと抑えながら、なるべくいつもの調子の声で返事を返します。

 だ、大丈夫ですよね?気付かれてませんよね??


 不安に駆られる私でしたが、次の瞬間…柳生さんの言葉に私は息を呑みました。


「旦那様がお帰りになられました」

「…お、お父様が?」



 その日、私は麗奈の屋敷へと呼ばれた。

 麗奈は何故か、すっごく不安そうな顔つきで、移動中ずっと私から離れようとしなかった。

 なにか、怖いことでもあったのかな?と思いながら屋敷に着くと…いつもより真剣な表情の柳生さんが屋敷の扉を開ける。


 そして、柳生さんはそっと私の耳に囁いた。


「くれぐれも粗相そそうのないようにお願いします」

「……?」


 急に…なんなんだろう?

 首を傾げてそう思っていると、柳生さんは静かに私達を案内する。

 隣に歩く麗奈も、真剣な顔付きで…なんだか居心地が悪い。

 そうして案内されたのは…私が入ったことのない部屋だった…。


「…ここは、お父様の部屋です」

「お父様?じゃあ麗奈のお父さんの部屋?」

「はい…」

「え?じゃあなんで私、ここに呼ばれたの?」


 そう聞くと、麗奈は口を開く。

 でも、答えを聞くよりも先に柳生さんが部屋の扉をノックして、平坦な声で言った。


「旦那様、お客様をお連れしました」

「ああ、入れ」


 扉の向こうで、くぐもった大人の男の声が響いた。

 すごく低い声で、思わずぶるりと身体を震わせていると、扉が開き始める…。


 私、なにかしたのかな!?と不安になっていると…部屋の奥には椅子に座る男が鎮座していた。

 オールバックの亜麻色の髪に、眉間に皺が寄っている鋭い視線が、ギロッと私を睨みつける…。


 所々のパーツは男らしいものの、血筋なのか…麗奈とどこか似ていた。

 唯一似ていないのは、ナイフのように鋭い圧倒的な威圧感が私を襲ってくることくらい。


「お父様…」


 私の横で、麗奈が苦しそうな表情でその人を見つめている。

 服のすそを掴んでいた手が、ぎゅっと強くなったのを…私は気付く。


 麗奈は、目の前のお父さんが…すごく怖いようだった。


 その姿を見て、私は麗奈の手をぎゅっと握る。

 すると、麗奈はハッと驚いたように私を見つめると、頬が少しだけ赤くなった。

 今、手を握って分かったのだけど、麗奈の手は…震えていた。


「突然呼び出してすまない」


 麗奈に意識を向けていると、麗奈のお父さんが鋭い視線のまま言った。


「あの、どうして私は呼ばれたんですか?」


 麗奈の手をぎゅっと握ったまま、私は表情を一切崩さずにハッキリとした口調で言う。

 すると、少しだけお父さんのナイフのような鋭い視線が更に強くなった。


見定みさだめ…かな」

「見定め…?」


 麗奈のお父さんが…私に?

 なんで?と言うよりも先に、お父さんは口を開く。


「君と娘がどのような関係なのか、昨日ゆっくり聞いたよ…そうしたら、面白いことを聞かせてもらってね」

「二人は許嫁…という関係なのだろう?」


 淡々とした口調で言い切って、私はドキッと肩が跳ねた。

 もしかして、私がここに呼ばれたのは…私達の関係がバレちゃったからなのか!


 元々勘違いから始まった関係なんだけど、否定する訳にもいかずに、私はこくりとうなずく。


「私自身…娘が誰とどのような関係をきずこうが、それは当人の勝手だと思っている。例え同性同士でも私が口や手を出す理由がない…」

「しかし…だ、今後の未来を左右するこの件だけは、傍観ぼうかんでいられずにはいられない」


 そう言って、お父さんは私をジッと見つめた…。

 あまりの威圧感に目をらしたくなるが、私はなんとか堪えながら相手をジッと見つめる。


 最初に言った"見定め"ってこういうことだったのか…!


「君、名前は?」

「柴辻結稀です」

「柴辻…?そうか、では私の自己紹介だが…天城あまじろ怜夜れいや、彼女の父親だ」


 ピクリと、何か引っかかったのか私の苗字を呟くと、なにも無かったように自己紹介をして麗奈のお父さん…怜夜さんは質問を続ける。


「では柴辻くん、君は天城グループを知っているかな?」

「…名前だけなら」


 正直に私は答えた。

 天城グループのことはあまり詳しくは知らない。

 ただ、とんでもない大きな企業…というイメージしかなくて、調べておけば良かったと本気で後悔する。


「じゃあ、娘が天城グループを継ぐ事は知っているかな?」

「それは、はい」


 麗奈や柳生さんから、そんな感じの会話は聞いている。

 私はこくりと頷くと、怜夜さんは睨むように私を見つめた…。


「そうだ、娘はやがて会社を継ぐ者。であれば、娘の隣には相応しい人間が必要だ」

「それで、私は相応しくないっていう…そういう話ですよね?」

「…物分かりが良くて助かるよ」


 怜夜さんの意図は…最初からなんとなくだけど分かっていた。

 だってそうでしょ、ポッと出の私が麗奈の許嫁です!なんて言ったら、親の立場である怜夜さんからすればこころよくは思わないだろう。


 つまりえと、こんなに怖い雰囲気なのは私の責任って……コト!?


 たらたらたら〜っと冷や汗が溢れてくる。

 どうしよどうしよどうしよ〜!!っと脳内で慌てまくっていると、隣にべったりとくっ付いていた麗奈が声を上げた。


「あの、お父様!どうか、私達の関係を認めてください!」


 その表情は本当に苦しそうな顔だった。

 声もいつにもなく感情的で、本当に許嫁の関係を壊されたくなくて必死のようだ…。


「私、結稀さんじゃないと…ダメなんです!結稀さんの隣にいたいんです!だから、だからっ……」


 お願いします…と、声をすり潰したような声が麗奈の喉から溢れでる…。

 私は呆然と、縮こまる麗奈を見つめていると…一部始終を見ていた柳生さんが割って入ってきた。


「私からも、どうか考えを改めて頂けませんか?」

「……驚いたな」


 柳生さんも反対して、怜夜さんは一瞬だけ目を開いて、言葉通り驚いていた。

 けど、すぐに鋭い表情に戻ると…怜夜さんは息を吐いて言った。


「随分と、したわれているようだな」

「あの人間嫌いの娘がこうも懇願こんがんし、命令に忠実な柳生が反対をするとはな…それを君一人がするとは」


 ぶつぶつと呟いてから、フッと笑みを浮かべる。

 そして、また無表情に戻ると…怜夜さんは「そうだな…」と少し考えてから、私にゆびして言う。


「では、君の価値を測ろう」

「え?私?」

「私が求めているのは、麗奈に相応しい人間だ。家柄や才能、当人の実力…様々な面を満たしていはければ私は揺るがない」


 ならば…と怜夜さんは続ける。


「ならば柴辻くん、娘の婚約者たるに相応しい者だと、君自身が私に証明しなさい」

「私の…証明」

「そうだ、私を納得させられたなら…私はもう何も言わないと約束しよう」


 鋭い視線のまま怜夜さんは言い切って、沈黙が場を支配する…。

 ぽつんと一人立ち尽くす私は、未だに理解ができない状況だった。


 自分の証明?婚約者、相応しい?

 話が大きくなりすぎて、よく分からない…理解が纏まらない。

 渦巻く思考の渦の中で、私はグルグルと考える。


 認められるか分かんないのに、私は踏み出していいのかな?

 これで、もし自分を証明できなかったら…もう麗奈と会えないのかな?

 これまでの事が全部なかったことになって、そうしたら私達…どうなるの?


 いつかの温泉旅行でも、似たような事を考えてた気がする…。

 麗奈との関係が断ち切られたらどうしようって何度も考えたことがある、考えれば考えるほど心臓が痛くなって…眠れなくなるイヤな想像だ。


 でも、これは…想像じゃなくて本当になるかもしれない…。

 そう思うと、足がすくんで動けなかった。


「わ、私は…」


 ドッドッドッと心臓が鳴り響く。

 嫌な汗がじっとりと滲み出てきて、喉が一気に狭くなって痛くなる…!

 うまく呂律が回らない…なんて喋ればいいのか、わかんなくなる。


 どれくらいかそうしていると、麗奈の声が響いた。


「そんな無茶…言わないでくださいお父様!」

「私に相応しい人間は…この世で結稀さんしかいません!他の人なんて、絶対にイヤです!だから!」

「認める…とでも?」

「くっ…!」


 認めて貰うために、麗奈は必死に怜夜さんに言葉を投げかける。

 けれど、相手は不動の要塞とでも言えるように、一切の言葉を受けつけない。

 例え、娘の麗奈であっても。


 ずっと、私の言葉を待っているようだった。

 怜夜さんの目線が、私にだけ向いているのがその証拠…。


 自分の価値の証明。

 それが、怜夜さんが出した試練…。


 認めて貰わない限り、私達の関係は終わってしまう…ついえてしまう。

 それが、どうしようもなく恐ろしくて…私は負けてしまいそうだ。


 でも、必死に怜夜さんに抗議こうぎする麗奈の姿を見て…私も、やんなくちゃって思った。

 

 麗奈、私があげたペアリング…大切にしてくれてるんだね。

 視線の先には、私がプレゼントしたシルバーのリングがキラリと輝いている。


 その輝きが、どうしようもなく眩しくて…。

 

「…やります!」

「結稀…さん?」


 失意しかけた心を取り戻して、私は怜夜さんの前へと歩き出す。

 鋭い眼差しにも負けずに、私は怜夜さんの目の前に立って…机をどんっと叩いた!


「やります、絶対に認めさせます!」


 まだ、私は自分の気持ちがわからない。

 でも…!


「私は麗奈の許嫁!絶対に解消なんて、させない!」


 私は…麗奈の許嫁なんだからッ!

 麗奈のためなら、私はなんだってやってみせる!!


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