第13話 ゆけむりとめぐるおもい⑥

 かぽーん…。


 豪勢ごうせいな夕食を食べ終えた後、私達はもう一度温泉に来ていました。

 相変わらず客は私達のみで、水音だけがひびく静かな温泉が目の前には広がっており、絶景が背景なっておきながらかなしさを感じるものがあります。

 そして、そこに一枚の絵画のように立っていたのは、黄金の髪をタオルで巻いた結稀さんでした。


 自然と、胸がじくじくとうずき始めます。

 そんな最中、何も隠していない豊満ほうまんな胸を揺らしながら、結稀さんはいつもの元気を振りまいてやって来ました。


「あーっ!麗奈ってばやっときた!いくら待っても入って来ないんだから焦ったよ〜」

「そ、それは…」


 結稀さんにそう言われて、私はおずおずと唇をゆるませて、そっぽを向きます。

 顔を真っ赤に染めて、明後日あさっての方向を向いているのは…やましさの罪悪感から来るものでした。


 それは、先程の着替えの最中のこと。

 隣で着替える結稀さんに気付いていた私は、盗み見るように着替えに魅入みいっていました。


 しゅるしゅると鼓膜こまくをくすぐる布のこすれる音。

 結稀さんの健康的で白い肌と、電気の光できらめく黄金の髪。

 そして何より…段々とあらわになっていく結稀さんのあられもない姿に、じくじくとした胸のうずきに耐えながら私はじっと見ていました。


 昼間に…あれだけの事をしておいて、私はなんでりずにまたこんな真似をしてるんですか…。と自分自身にあきれましたが、今の私に結稀さんの裸に耐えられる訳もなく、私は脱衣所にて溢れる感情を抑えていたのです。


 深呼吸をして、何度もドアノブに手を掛けては…ドクドクと揺れる心臓をおさえて、もう一度ドアノブに手を掛ける…。


 その行為を何度も繰り返しては、脳裏に浮かぶ結稀さんの裸にまどわされては失敗し、ようやく温泉へと入って来れたのですが……。


「ん?そんなにじろじろ見てどうしたの?」


 だめです、もう理性が蒸発じょうはつしそうです…!!

 メーデーメーデー!!誰か助けてください誰でもいいのでお願いします!私には結稀さんの裸は危険すぎます、劇物げきぶつすぎます!!


 あわわ…と視界に広がる幸福に白目をきかけて、石像のように固まっていると結稀さんは何かに気が付いたのか、ニヤリと挑発的な笑みを浮かべました。


「また、私の胸を見て興奮してるの?」

「あ、いや、違いますよ!?」

「麗奈ってば、えっちだね♡」


 くすくすと口元を手で隠して笑う結稀さん。

 なぜでしょう…無性むしょう苛立いらだって押し倒してしまいたい欲求に襲われたのですが…?一体このふつふつと湧き上がる感情はなんなんでしょうか?


 いえ、あまり知る理由のない感情なのでここはぐっと我慢するのですが…。結稀さんの言っていることは間違いではありませんでした。

 そうですよ、興奮してたんですよ…!

 だって私は結稀さんの事が大切で好きだから、そう思うのは仕方のないことじゃないですか!


 と、声に出したい感情をおさえ込んで、またまたふいっと他所よその方向を向きました。


「ち、ちがいます!」

「あれ?違うの?」

「はい、結稀さんを見て興奮なんてしませんよ!」


 言ってて胸が苦しい。

 というより、私が言う権利のない言葉なので、ぐさぐさと矢が刺さっている感覚がします。

 でも、ぐっとこらえて私は言うと、結稀さんは目をパチクリとしたあと…大袈裟おおげさに息を吐きました。


「そっかあ……じゃあ、キスのことも無しになるんだね?」

「……えっ!?」

「だって、興奮もしないし興味もないんでしょ?じゃあキスする理由はないよね?」

「きょ、興味がないとは言ってませんよね!?それに!私は結稀さんとキスがしたいです!」


 突然、キスはなしと言われて私は居ても立っても居られなくなって結稀さんの肩を掴みます。

 れた身体はあったかくて…じっとりとした感触が手に伝わってきます…。


 結稀さんは驚いた様子で、何度かまばたきをすると…頬が赤く染まって、意地悪に笑っていたその表情が、溶けるように崩れ始めました。


「あ、あははっ…ほんとに、ほんとに麗奈は私とキスしたいんだね?」

「は、はいっ…!」


 真っ赤に染まった頬のまま、照れるように笑ったあと結稀さんはうつむきます。

 耳まで真っ赤になっていて…それがすごく可愛いらしいと思いました…。


 それから、少しだけ空白が流れて…結稀さんは顔を上げます。

 その表情は…私の心を打ち壊すのに、十分な可愛さをめていました…!


 ふるふると震えて、とろんと溶けた表情を私だけに向けている。

 それだけでも、可愛さで悶え《もだえ》てしまいそうなのに、結稀さんはきゅっと目を閉じて唇を向けました…。


 それは、いわゆるキス待ちという表情。

 その可愛らしい表情に、きゅんっと胸がときめに…私は結稀さんに釘付けになります。


 ふるふると、緊張に震えるまつ毛…。

 燃える炎よりも赤い、紅に染まった頬…。

 ぷるりと揺れる薄い桜色の、小さな唇…。


 意識をすれば…このまま過呼吸で死んでしまいそうでした。

 それ程に結稀さんは可愛くて…綺麗で、尊くて…私をみだしてまないのです。


「キス…しても、いいんですか?」

「……うん」

「ほ、ほんとうに……いいんですか?」

「…うん、いいよ?」


 ドキドキドキドキ…。

 ドクンドクンドクン。

 ドッカンドッカン。


 跳ねて、飛び出て、爆発して…。

 様々な爆音をかなでる心臓、キスを待つ可愛い結稀さん。

 

 本当に…この唇が、私だけのものになると思うと、現実味がかなくて…ふわふわとした夢の中にいるのだと勘違いしてしまいそう…。

 でも、以前私の足はしっかりと床を踏みしてしめていて、ふわつく意識はここにある。


 キスして…いいんですね?

 早く、結稀さんとキスがしたい…。

 本当に…本当にいいんですね?


 はやる気持ちが、早鐘はやがねのように激しく急かす。

 覚悟を決めて…きゅっと唇をめてから、私は目を細めて結稀さんの唇へと……。



「んっ……」


 誰とも分からない小さな声が、ふさがれた唇の隙間からこぼれ出る。


 目をつむっていても分かる、柔らかい感触に、ドキドキと伝わる心臓の音と女の子の香り。


 ああ、私…女の子とキスをしたんだって、漠然ばくぜんとした意識の中で曖昧あいまいに理解していた。

 やわらかいキスだった…。

 私の知るキスは…むかし、友達が不幸げに言っていた男とのキスだった。

 

 ごつごつとしていて、生あたたかくて…少しくさい。

 自分の体験した不幸を、みんなにも知ってほしくて語る友達から聞いたのとは全然違う真逆のキス…、


 あったかくて…柔らかくて、ほのかに甘くて…。

 嫌悪感は一つも感じなかった。

 唇と唇を合わせるのってかなり不安だったけど、やってみれば案外…気持ちのいいものだった。


 そんな初めてのキスの相手が、私の出会った女の子の中でも誰よりも可愛い女の子。

 妖精みたいで、儚げなのに迫力があって…みんなから孤高だと恐れられているけど、私が知る誰よりも可愛く笑う…私の親友。


 そんな親友…天城麗奈と、初めてのキスを交わしてしまった。


「「………………」」


 唇を離して、少しだけ気まずい空気が私達を支配し始める。

 きょろきょろと、行くあてもない視線を彷徨さまよわせて、もじもじとくすぐったい両指を絡め合わせながら…私は声を上げた。


「わ、わたし…温泉入ってるね……」

「は、はい…では、私はシャワーを浴びてきます……」


 いそいそと、逃げるように私達は離れる。

 私はすみっこの方まで移動して、湯船に浸かった…。

 口元まで湯に浸かって…あまりの恥ずかしさに、私は内心感情のままに爆発していた。


 あ、ああああーーーーーー!!!

 キスしたキスしたキスしたキスしたぁっ!

 ふにって柔らかくてあったかくていい匂いがして!それで気持ちよかった!!なんなのあれ!?なんなのあれ!なんなのあれぇっ!!


 じたばたじたばたもがもがぶくぶく…。


 キスしようって言ったのは私だけどさ!私なんだけどさぁ!!

 あんなの聞いてないよぉっ!!なんであんなにっ!あんなに麗奈は可愛く見えるの!?

 というか心臓どきどきして仕方がないんだけど!!


 うがぁあああっ!と心の中で感情モンスターが街を破壊して回ってる。

 ずったんばったんと理性をぶちこわして、うがーーっと恥ずかしさビームを吐き出してる。


 心の中が…激しい炎に囲まれているみたいな気分だった。

 復帰不可能になるまでボコボコに打ち負かされて、ノックダウンしたみたいな気分でもあったし、台風が目の前で発生して吹き飛ばされてしまったみたいな感覚でもあった。


 それくらい…衝撃的で、私の心は荒れていた。


 なのに。


「キス………きもち、よかった」


 はじめてのキスは…きもちよかった。

 

 唇の感触は今も覚えてるし…あのぬくもりも、しっかりと残ってる。

 唇を離したあとに見た…真っ赤な顔の麗奈はとても扇情的せんじょうてきで…もう一度キスしてみたいって思ってしまう。


 というか…麗奈がもう一回やろうって言ったら、私はOKを出してしまいそうだ。


 それくらい…気持ちよかった。

 けど、それほどまでに恥ずかしかった。


 二つの感情がぐるぐるとざり合って、私の内で渦巻いてる…。

 なんとか抑えようと、隅っこで目を瞑って瞑想していると……ふと、ゆらゆらとゆらめく影が、私を覆っていることに気が付いた。


「……れ、麗奈」


 目を開けて、名前を呟く…。


 タオルを髪に巻いて、大事な部分を手で隠している麗奈は…とてもえっちに見えた。

 同性同士なのに…なぜか心がきゅんってなって、奥底が疼いた気がした…。


 麗奈は、真っ赤な頬のまま…じっと私を見つめている。

 ちゃぷんと、身体を下ろして湯船に浸かると…同じ目線になった私達は、無言のまま見つめ合った。


「結稀さん…」

「な、なに?麗奈…」


 麗奈の呟きに、私も言葉を返す。

 麗奈はもじもじと身体を揺らして、口元をごにょごにょとさせながら…。


「あの、まだ…したりないです」

「いえ…無理な話なのは分かっています。で、でも……私、私……」


 ふるふると首を振って、麗奈は切なそうな表情で私をじっと見つめる…。

 その表情に、思わずグラッと体が揺れた。


「いい、ですか?」


 そう言いながらも、麗奈の顔は近付いていた。

 鼻と鼻がこつんっと当たって…あと一歩踏み出してしまえば、キスが出来そうな残りわずかな距離感…。


 熱い吐息が、唇をそっと優しく撫でて煽る…。


 私は…わたしは……!


「…わ、わたしも」

「また、したいって…おもってた……」



 ──湯煙が二人を覆っている。

 目の前はうっすらと白く、その白い世界に僅かなシルエットがこそこそと動いていた。


 貸切状態の温泉に…水音だけがぴちょんぴちょんと響いている。

 二人の女の子は、そんな白と静寂にまみれた世界で、手を絡め合いながら……。


 唇を交わし合った。



◇補足◇

まだディープの方じゃない

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