第8話 ゆけむりとめぐるおもい①


 ──湯煙が私の視界を覆う。 


 目の前はうっすらと白く、その白い世界に僅かなシルエットがこそこそと動いていた。

 シルエット越しからも分かるスレンダーなボディ、そして慎ましやかな胸に綺麗な顔。


 そんな美しい身体の持ち主の女の子は、私にゆっくりと近付くと…その白い手を私の頬にそっと添えた。

 何か言いたげそうに揺れる瞳が、私をじっと見つめくる。

 頬は仄かにピンクに染まっていて、心臓がドキッと跳ねるくらい儚くて可愛かった。


 それから、少しだけ空白の時間が流れた。

 ぽちゃんと貸切状態の場で、水温だけが響き渡る…。

 そして、その子は意を決したように唇をきゅっと締めた。


 湯煙に囲まれながら、その女の子はゆっくりと私に顔を近付ける…。

 女の子の名前は…私の親友、天城麗奈。


 麗奈は無言のままそっと顔を近付けると、その柔らかくて小さな唇が…私の唇とまじわった。



 数日前、私は友達不足を危惧きぐして急遽きゅうきょ友達を作ろうとした。

 けど、それを見た麗奈が嫉妬し始めちゃって、その時にちょっとした騒動になちゃったんだよね。


『私がいるのにも関わらず…友達を作ろうとしたんですね結稀さんは』

『結稀さんにとって私はただ仲良くしたいだけの一人なんですか?』


 とまあ、こんな感じで私は麗奈に詰め寄られたんだけど…なんとか仲直りを果たした私達はそれから更に仲良くなっていった。


 あれを機に、前よりも距離感が近くなった気がするって言うか、少し大胆になったというか?まぁ、順調に仲良くなり始めてる一方で、私は迷惑を掛けた三人に呼び出されていた。


「突然呼び出してすみません柴辻さん」

「いやいや!全然大丈夫だよ!それで?えっと…前に迷惑かけちゃった件でなにか?」


 おずおずと呼び出された理由を聞いてみる。

 わざわざ空き教室を選択して私を呼んできた辺り、なにか人にバレたくないみたいな理由があるのだろうけど…心当たりは麗奈の一件以外しかなくて、私は内心震えていた。


 もしかして私、このままリンチされてシめられるのかな!?

 それはめっちゃいやなんだけど!?


 私、体付きはそれなりにいいけどハムスターレベルで弱い自負じふがあるからね。

 三人に囲まれたら秒で倒される自信があるよ!?


 けど、いつまで待ってもリンチされる気配はなく…三人の内の一人である、眼鏡をかけた女の子がそっと私に近付いてきた。


「あの、先日はすみませんでした…私達が柴辻さんと一緒にいたせいであんなことになるなんて……」

「えぇ?いや、あれは私のせいっていうか…そっちは何も悪くなくない!?」

「いえいえ!私達が悪いんです!」


 なぜか謝るその女の子は、私が否定すると同時にぐぐいっと距離を縮めて言った。


「まさか柴辻さんと天城さんが…あそこまで百合…げふんっ!あそこまで仲が良かったなんて知りもせずに!!」


 ん?いま変なこと言ってなかった?


「嫉妬に狂う天城さんも尊かったのですが…なにより二人の関係が私達のせいで崩れかけたので、せめてお詫びだけでもさせてはくれませんか!?」

「え、ええ?お、お詫び!?」


 どうしてそんなことになんの!?と疑問を浮かべていると、女の子の後ろにいた他の二人があがめるように私に跪た。


「まさか私達にあんな濃厚な百合を見せてくれるなんて…!」

「柴辻さんには感謝しかないんです!!」

「か、感謝?ゆ、百合!?」


 百合ってあれだよね?花だよね?いや違う、この子らが話してる百合って多分アレのことだ!女の子同士がいちゃいちゃしてるやつのことだ!


 あれ?これってもしかして誤解されてる?

 私と麗奈が付き合ってるんじゃないかって本気で思われてるのかな?

 それだと訂正した方がいいし、というか跪いて崇めるのやめて!


「い、いや…!私達別に付き合ってないからね!?ただの友達だよ?」

「いやいや柴辻さん…あの場であそこまで熱烈な告白をしてたんです!隠さなくても分かりますよ!」

「あれぇーーーー!?」


 笑って否定されて私は声を上げる。

 その後は、もう何を言っても無駄だった。


 興奮気味にあの時の事を語る三人は、初めて声を掛けた時そっくりで…なんというか、酒のさかなにされてる気分だった。


「なので感謝と謝罪を込めて、柴辻さんにお詫びをしたいんです!」


 そして、結果的に私は三人にお詫びを無理矢理押し付けられる形で貰った…。


「明日は休みなので、それを使ってお二人で楽しんでください!あ、あと…できればこれからも私達に供給をしてくださると嬉しいです!」

「あ、あはは…ありがとう、供給?はよく分からないけど頑張るね?」


 なんというか、すごい三人だったなぁ。

 三人に解放されたあと、私は疲れ気味に空き教室から出ると、貰ったものが気になって視線を移した。


「これって……」


 押し付けられる形で貰ったお詫びの品は、二枚のチケット。

 高級そうな手触りのそれに記載されていたのは、高級温泉旅館の一泊二日の宿泊券…。


 宿泊券……?高級旅館??ん???


 いや、そういえばさっき明日は休みの日だから麗奈とどうぞ!みたいなこと言ってたけど…。


「い、いや…お詫びで高級旅館のチケット渡してくるってそんな事ある!?」


 お金持ちか!!

 ってここいる人みんなお金持ちでしたね、そうでしたね!?

 いや、というかこんな大層たいそうなものを押し付けられて、果たしていいのかな!?


 私にはえんのないものを渡されて渦巻くのは、得も知れない恐怖だった。

 でも、あそこまで言われたんだから使う以外に道はなくて…私はふるふると震えたまま、スマホに指を滑らせた…。


「も、もしもし麗奈?…明日明後日って空いてる?」



 プルルルル…と机に置いていたスマホが揺れている。

 柳生さんでしょうか?と私はスマホを手に取ると、結稀さんと分かった瞬間すぐに電話に出ました。


「はい、もしもし!結稀さん?どうしたんですか?」

『あ、麗奈?ごめんね〜突然電話なんかしちゃって、迷惑だった?』

「め、迷惑なんてそんなことありません!ただその… 結稀さんが電話を掛けてくれたのが嬉しくて」

『そうなの?ならよかったあ〜!』


 電話の向こうから、ほっと安堵の息を吐く結稀さん。

 本当に迷惑だなんて思っていないのに…と少し寂しさを覚えながら、私は弾む心を抑えて会話を進めます。


「それでその、どうしたんですか?」

『あーそのさ、前に私が声掛けてた三人いるじゃない?』

「三人……ああ、あの人達ですか」


 思い浮かんだのは結稀さんが話しかけていた三人組。

 あの時、私は今の関係が崩れるんじゃないかと本当に焦りました…。

 結局、結稀さんにとって私はただの友達で…あれだけ私に好きって言ってた癖に、本当ではなかった…嘘をつかれたんだと私は思いました。


 別に、嘘をつかれたのならそれだけです。

 それだけの話なのに、私はあの時…奈落の底に落とされるようなそんな気分だったんです。

 ああ、私ではなくてあの人達を選ぶんだって思うと、なんて表現したらいいのか分からないのですが…荒々しい炎に巻かれるような、そんな感覚でした。

 

 結稀さんはその感情を『嫉妬』と言っていましたが…多分、違うと思います。

 だ、だって私は結稀さんが奪られそうになって…それであんな風になるなんて、絶対にありえません!!


 ありえない…はずなんです。

 

 そ、それはそれとしてですね…どうしてまたあの人達が話題に出るんですか?

 また、私がいない間にあの人達に会っていたという訳ですか…?なんで?


「どうして…また」

『ん?麗奈?』

「あっ、すみません!考え事をしていました!」


 一瞬、チリチリと心がくすぶったような気がしますが、結稀さんの声で私は我に返ります。

 考えすぎですよね…?結稀さんは私のことが好きなのですから他の人にうつつを抜かすなんてありえません。


 だって、あの場であんなことを言ったんです!そんな事をする筈ないですよね!


『私、麗奈のことが本気で好きだから』


 脳裏に浮かぶのは、あの日結稀さんが私に言ってくれた言葉…。

 ううぅ〜!!思い出すだけでも心臓が締め付けられるような気がします!


 恥ずかしさと嬉しさに締め付けられる思いをしながら、私は電話の方に意識を集中させます。

 私ってばいけませんね…何度も考え事に夢中になるなんて。


『それでさ、さっき三人からお詫びとして貰ったものがあるんだけどね?』

「はい、それは一体?」

『高級旅館の宿泊券…私と、麗奈の分で二枚』


 二枚?つまりその…あれですか?これはもしかして私。


『多分これ返そうとしても無理っぽいからさ、麗奈…明日一緒に行かない?』


 で、デートのお誘いをされてるのでは!?

 瞬間、私の頭上に稲妻が駆けた気がしました…!

 だ、だってデートですよねこれ?遠回しにデートのお誘いをされていますよね結稀さん!?


『無理そうならいいけどね、私自身…宿泊券渡されてもよくわかんなくてさ…』

「い、いえ!いきます!いきたいです!!」

『えっ!?いいの?麗奈ってあまり興味なさそうかなって思ってたんだけど』

「きょ、興味ならありますよ?私温泉大好きです!はい…大好きな……はず?」

『疑問系になってるよー!』


 そういえば、温泉だなんていつから行ってないんでしたっけ?

 もう何年も行っていない気がしますが、多分好きな筈です。


「なのでその、一緒に行きましょう!」

『おお…まさかそこまで乗り気とは、じゃあここは三人に甘えて、めいっぱい楽しんじゃおっか!』

「はい!」


 この時だけ、私はあの三人に感謝しました。

 それよりも、デート…デートですか。

 どうしましょう…なぜだかすごく緊張してきました!というより、嬉しくて爆発してしまいそうです!


 ああ、この心臓の音が結稀さんに聞こえていないでしょうか?

 それくらい大きな音が、私の内側に響いています…。

 ドキドキと…うるさいくらい。


『じゃあ私、今から寮に帰るから!明日の事は後で話そ!』

「はい、ではお気をつけて帰ってください」

『うん、じゃあ切るね!』


 そう言って、プツンと私達の繋がりは容易に切れてしまいました…。

 でも、いいんです…明日は結稀さんとデートですから。


「…デートに誘ってくれて嬉しいなんて、昔の私が見たら驚きでしょうね」


 きっと、信じられないと私をさげすむでしょう。

 容易に浮かぶ私の表情に、クスッと微笑むと…私は頬を緩ませながら、明日の為に柳生さんの元へと向かうのでした。

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