第5話 お嬢様の悶々


「おかえりなさいませお嬢様、上着を預かりましょう」

「はい、ただいま帰りました柳生さん」


 屋敷に帰宅後、出迎えてくれたのはキッチリとスーツを着こなす身長180cmの男装の麗人でした。

 彼女の名前は柳生やないりんさんと言い。

 幼少の頃、両親が私の側付そばつきとして雇ったボディガードけん家政婦のようなお人です。


 切り揃えられた黒髪に長いまつ毛、中世的でキリッとした顔立ちは私以外の女性が見ると卒倒そっとうするほど整っています。

 常に姿勢を崩さず、凛としている姿は密かに私の憧れであり…。人と関わりを持たない私にとって、唯一例外の人間でもあります。


 そんな長い付き合いの柳生さんに上着を渡して、私は急ぐようにしてその横を通り過ぎました。

 しかし、そんなちょっとした違和感に柳生さんは気付かない訳もなく、指摘の声が私の背中に届きました。


「お嬢様……なにか、ありましたか?」


 男性のように低く、なのに女性のような綺麗な声が私の耳に入ります。

 私は特に反応をしめすことなく柳生さんの方へ向くと、微笑を浮かべながら首を横に振って言いました。


「いいえ、特になにもありませんよ?」


 貼り付けたような笑顔でそう言うと、柳生さんは「そうですか…」と言って、ぺこりと頭を下げて去っていきました。


「……嘘をついてごめんなさい」


 廊下の奥に消えていく柳生さんの姿を見て、私はぽつりと呟くと、早足で自室へと入ります…。


 本当は、なにもないなんて嘘なのです。

 今すぐにでも誰かに相談したい…そう思う程に、今の私は重症で仕方がありませんでした。


 私は自室のベッドに倒れるようにして仰向けになると、息を大きく吸ってから手足をバタバタと動かしてシーツを乱しながら暴れました。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!」


 柳生さんにも言えないこの症状は、なんと表現をしたらいいのか分からない"恥ずかしさ"。

 全身が燃え上がるくらい熱く、脳裏にフラッシュバックしては心臓が跳ねるように暴れ回る…。


 それはただの恥ずかしさから来るものではなく、たった一人の女の子から言われた言葉から来るものでした。


『私、麗奈のことがすき!』

『今日はほんっとーに麗奈と会えてよかった!大好き大好き!好き好き!友達になれてよかったよ!!』

『ずっと側にいるからね♪麗奈!』


 その女の子の名前は柴辻結稀さん。

 今朝けさ転校してきた人で、困っていた所を助けたら何故か告白をされてしまい、同時に結婚の申し出をしてきたとんでもないお人…。

 その申し出にどう断ったらいいのか分からなかった私は『お友達に始めましょう』と言って誤魔化ごまかしたのですが…。


 昼食の最中に強く抱きしめられながら堂々と告白をされ、今こうして恥ずかしさで暴れていた訳なのです…。


 いや、どうして何度も告白してくるんですか!?

 なんで何度も私に『好き』って言ってくるんですか!!?


 じたばたと両手両足をばたつかせて、枕に顔を埋めた状態でとにかく悶えます。

 結稀さんが考えていることが分からない、というより行動が突飛とっぴすぎて困惑することばかりです…!


 結局、どうして私が好きなのかけずじまいでしたし…昼食以降も何度も何度も『好き』って言われて大変でした。

 本当に…なんなんですかあの人は。


 今まで会ったことのない人…。

 言葉全部が本音で、隠し事も何もない…裏が存在しない太陽みたいな人。

 私が出会う人全てには、裏しかない人ばかりだったのに…どうして結稀さんはあんなにも真っ直ぐなんですか……!


 もう、なんていうか…調子が狂います。

 昔から欺瞞ぎまんや欲望が全ての世界に居たせいもあって、結稀さんの存在は私にとって別世界の住人のようなものでした。


 だから、こんなにも乱されるのでしょうか?

 いつもは冷めてる筈のこの感情も、表情も…こんなにも変わるのは結稀さんのせいなのでしょうか?

 

 いえ、これはもう結稀さんのせいに決まっています…!結稀さん以外ありえないのですから!!


「あーーもう!なんなんですか結稀さんは!」


 さっきから頭の中は結稀さんでいっぱいです。

 結稀さんのことばかり考えて、他の事が全くと言っていいほど集中できません!!


 それから、枕を抱きしめて悶えて数分ほど経った後でしょうか?

 感情のほとぼりが冷め、だらんとベッドで仰向けになった私はじーっと天井を見ながら、ぽそりと呟きました。


「もしも、結稀さんと結婚したら…どうなるのでしょう……」


 ええ、もしものお話です…。

 決して現実にならないであろうIFのお話。

 私が結稀さんと結ばれて、それでその…結婚したと仮定するならば、一体どんな未来になるのでしょうか?


 結稀さん、会った時からあんなに告白してきたのですから…きっと、毎日のように「好き」って言われるのかも…。

 も、もしかしたら結稀さんは…それ以上のことをしようと私に触れてくるかもしれません…。


 手を繋いだり…ほどけないように、指と指を絡め《から》合わせたりして…。

 そ、それで…昼食の時みたいにぎゅっと抱き寄せられてから…それから、そ、それから。


 想像するのは、迫りくる結稀さんのお顔。

 目を閉じて、小さな女の子の唇を…私に向けてくる姿…。

 

「………い、いやその、想像なので…なに顔を赤くしてるんですか私は……」


 唇と唇が重ね合わさりそうになった瞬間、私はハッと我に返って目を開きました。

 相変わらず天井だけが視界に広がっており、そこに鏡がないのにも関わらず…私は、今どんな顔をしてるのか明確に理解していました。


 燃えるように顔が熱い…。

 それに、じんじんと手足の先がむず痒くて…心臓も飛び跳ねるようにうるさい。


 本当に私…どうなってしまったんでしょうか?

 ただ一人のために想像をふくらませて、表情をコロコロと変えさせて…まるで、自分が自分じゃなくなった気分です。

 いえ、本当に…私自身じゃなくなったのかもしれません…。


 冷静にならなくては…。

 私を取り戻さないと…。

 そう思い目を瞑って、深呼吸をします。


 大きく息を吸って、吐いて……。

 何度も何度も繰り返して、頭の中に渦巻く雑念を振り払うと…私は冷めた視線のまま天井を見つめて身体を起こしました。


 これでいい…。

 今日の出来事は意表いひょうを突かれただけであり、明日にはすぐに対応して見せるでしょう。

 それで、誤魔化しとは言え…友人関係となった結稀さんに別れを告げるのです。


 そう、それでいいんです…それが私が選んだ道であり私の在り方。

 天城の人間である私が、たった一人の人間に惑わされるなど、あってはならないのですから。


「さて、そろそろ柳生さんが夕食を用意してくる頃ですね…」


 ふと、時計を見て夕食の時間だと気付きます。

 時刻を見るに随分ずいぶんと長い時間考えていましたが、もう先程のような醜態しゅうたいは晒しません。

 既に私を取り戻した私に、さっきのようになるなどもう訪れることなどないでしょう…。


 フッと微笑を浮かべながら、部屋を出ようと私はドアノブを手に掛けます。

 そして、扉を開けようとしたその瞬間でした。

 

 プルルルルル!と電話のコール音が鳴り響いたのは。


「………だれ?」


 机に置かれたスマホは小刻みに揺れて、私が出るのを待っていました。

 しかし、私自身…どうして電話が掛かってくるのか身に覚えがありません。


 両親は常に仕事に身を置く人間であり、連絡は全て柳生さんを通して私に届きます。

 そして、両親以外が私に連絡するなどまずありえないことであり…私は困惑を隠せない表情のまま、スマホを凝視していました。


「………うそ、結稀さん?」


 恐る恐る画面を覗き込むと、そこには「結稀さん」と相手の主が記されていました…。

 

 どうして?と困惑を隠せないままスマホを見ていると、ふと…夕方に交わした会話を、私は思い出します。

 そういえば、結稀さんが新品のスマホを自慢していたので、自然と連絡先の交換という話になったんでしたっけ…?


「…………えっと」


 出るべきでしょうか?それとも、出ずに無視を貫くべきでしょうか?

 な、なんで早速狼狽えてるんですか私は!先程決めたじゃないですか。結稀さんとはもう関わらないって!


 ……でも、せっかく電話して来てくれたのですから出るべきでしょうか?


 スマホを見つめながら悶々とする私。

 そうしてる間にもコール音は鳴り続け、私が出るのをいつまでも待っているようにも見えました。


「………ああもう!」


 鳴り続けるコール音に耐えられなくなって、私は苛立たしげにスマホを手に取ります。

 そして、電話に出ました。


『あ、やっと繋がったよ〜…もーずっと出ないから焦ったじゃーん!』


 ほっと胸を撫で下ろすような仕草が今にも見えるように、結稀さんは息を吐いて大袈裟に言って言葉を続けました。


『あはは、突然電話してごめんね?でもさ、今日はすっっっごく嬉しくて居ても立ってもいられなくなったんだ!』

「…そう、なんですか?」

『うん!なんてたって麗奈と友達になれたからね!聞いたよ、麗奈ってば人付き合いしないタイプで仲良くできるなんて珍しい!って!』


 ホントに今まで友達いなかったんだねー!と笑いながら結稀さんは言うと、はずむような声色で更に言いました。

 ……居なかったは余計です、作らなかっただけです。


『それでさ?電話した理由は私と仲良くなってくれてありがとーー!すきだー!って言いたくてさ、こうして電話してるワケ』

「ま、また…」


 好きって言ってる…本当に懲りない人ですね…。


『あれ?もしかして照れてる?』

「て、照れてないですよ!?」

『うっそだー♪好き好き〜!って言ったらいつも顔赤くなってる癖に〜』

「い、いや…そんなわけ!……え?そ、そうなんですか?」


 まさかと片手で顔に手を当てて、私は自分の表情が変わっていないか心配します。

 もしかしてですが、昼間からずっと表情が変わってました!?


『なんてウソ☆カマかけてみただけだよ♪』

「はぁ!?」

『わぁ!?そ、そんな怒んなくてもいいじゃん、冗談だよ〜』


 べ、別に怒ってなんかいません!ただ本当にそうじゃないかと思って本当に焦ったんですからね!?それであんな大きな声が出た訳で、決して怒ってる訳では……。


「そ、それで?何の要件でしょうか結稀さん。用がないなら切りますけど?」


 とりあえずと話を元に戻して、私は急かすような口調で結稀さんに聞きます。

 すると結稀さんは慌てた様子で「まってまって!」と止めると、息を整えながら言いました。


『さっきも言ったけどさ…麗奈ってかなりの有名人だったんだね知らなかったよ』

「…もしかして、寮の人に聞いたんですか?」

『うん、麗奈と仲良くなったよー!って言ったらすっごく驚いてた』


 でしょうね…と私はうなずきます。

 私自身、私が結稀さんと友好関係を築いている事に一番驚いているのですから。

 

『だからさ、私と友達になってくれてすっごく感謝ー!!みたいな?まぁとにかく大好きだーー!!って言いたかったの』

「…ま、また好きって言ってる」

『えー?言っちゃだめかな?実際好きなんだからいいじゃん!』


 よ、よくないですよ!言われるたびに変な気分になるんですから、これ以上言わないでください!!

 って、言えたらいいんですけど…私はぐっとこらえて黙り込みます。


『あ、そろそろ時間だし電話切るね!ごめんねー唐突に電話なんかしてさ!』

「い、いえ…全然大丈夫ですよ」

『そう?それじゃあ麗奈、また明日ね!大好き!愛してるよー!』

「へっ…!?あ、あい!?」


 返事をする間もなく、結稀さんはあっさりと電話を切ってしまいました。

 プツンっと繋がりが切れたスマホは、ホーム画面を映したまま私の手元に残っていて…私自身は、ほうけた様子で立ち尽くしていました。


 愛してる…愛してる……愛してる……!


「〜〜〜〜〜ッ!」


 また、またです!

 せっかく心が落ち着いてきたのに、せっかく元に戻りかけていたのに…!どうして結稀さんは平気であんなことが言えるんですか!

 本当に…本当に私のこと、好きすぎじゃないですかもう!!


 心臓がドキドキと動悸どうきがします。

 結稀さんに好きって言われるたびに、心臓は大きく跳ねて、顔が熱く燃え上がりそうになるんです。

 本当に…本当になんなんですか!あの人は!あの人はぁ!!


 きゅうっと締め付けられるような痛みを覚えて、胸に手を当てます。

 頭の奥では結稀さんの顔が浮かんでいて、もうなにがなんだか分かりませんでした。

 得体の知れない、なんと表現したらいいのか分からないこの気持ちを抱きながら…私はもう一度ベッドに転がって、私らしくもなく暴れるのでした。

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