八
それが始めはただ、声でございましたが、しばらくしますと、しだいに切れぎれなことばになって、いわばおぼれかかった人間が水の中でうなるように、かようなことを申すのでございます。
「なに、己に来いと言うのだな。──どこへ──どこへ来いと?
弟子は思わず絵の具を溶く手をやめて、恐る恐る師匠の顔を、のぞくようにして透して見ますと、
「誰だと思ったら──うん、貴様だな。己も貴様だろうと思っていた。なに、迎えに来たと? だから来い。奈落へ来い。奈落には──奈落には己の娘が待っている」
その時、弟子の眼には、
「待っているから、この車へ乗って来い──この車へ乗って、奈落へ来い──」と言うことばがそれと同時に、
「もういいから、あっちへ行ってくれ」と、今度はいかにもそっけなく、言いつけるのでございます。弟子はこういう時に
しかしこれなぞはまだよいほうなので、その後一月ばかりたってから、今度はまた別の弟子が、わざわざ奥へ呼ばれますと、良秀はやはりうす暗い
「ご苦労だが、また裸になってもらおうか」と申すのでございます。これはその時までにも、どうかすると師匠が言いつけたことでございますから、弟子はさっそく衣類をぬぎすてて、赤裸になりますと、あの男は妙に顔をしかめながら、
「わしは鎖で縛られた人間が見たいと思うのだが、きのどくでもしばらくの間、わしのする通りになっていてはくれまいか」と、その癖少しもきのどくらしいようすなどは見せずに、冷然とこう申しました。元来この弟子は画筆などを握るよりも、太刀でも持ったほうがよさそうな、たくましい若者でございましたが、これにはさすがに驚いたとみえて、あとあとまでもその時の話をいたしますと、「これは師匠が気が違って、私を殺すのではないかと思いました」と繰り返して申したそうでございます。が、良秀のほうでは、相手のぐずぐずしているのが、じれったくなって参ったのでございましょう。どこから出したか、細い鉄の鎖をざらざらとたぐりながら、ほとんど飛びつくような勢いで、弟子の背中へ乗りかかりますと、いやおうなしにそのまま両腕をねじあげて、ぐるぐる巻きにいたしてしまいました。そうしてまたその鎖の端を
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