地獄変の屛風と申しますと、私はもうあの恐ろしい画面の景色が、ありありと眼の前へ浮んでくるような気がいたします。

 同じ地獄変と申しましても、良秀の描きましたのは、ほかの絵師のに比べますと、第一図取りから似ておりません。それは一じようの屛風の片すみへ、小さく十王(めいで死者を裁くえん大王など)をはじめけんぞくたちの姿を描いて、あとは一面にものすごい猛火が剣山刀樹もただれるかと思うほど渦を巻いておりました。でございますから、からめいたみようかんたちのしようが、点々と黄やあいをつづっておりますほかは、どこを見ても烈々としたえんの色で、その中をまるでまんじのように、墨を飛ばした黒煙と金粉をあおった火の粉とが、舞い狂っているのでございます。

 こればかりでも、ずいぶん人の目を驚かす筆勢でございますが、その上にまた、業火に焼かれて、転々と苦しんでおります罪人も、ほとんど一人として通例の地獄絵にあるものはございません。なぜかと申しますと良秀は、この多くの罪人の中に、上はげつけいうんかくから下はじき非人まで、あらゆる身分の人間を写してきたからでございます。束帯のいかめしい殿てんじようびと、五つぎぬのなまめかしい青女房、数珠をかけた念仏僧、高足駄をはいたさむらいがくしようほそながを着たわらわみてぐらをかざしたおんみよう──いちいち数え立てておりましたら、とても際限はございますまい。とにかくそういういろいろの人間が、火と煙とがさかまく中を、(地獄の獄卒。牛頭人身と馬頭人身の二種あり)の獄卒にさいなまれて、大風に吹き散らされる落葉のように、紛々と四方八方へ逃げ迷っているのでございます。さすまたに髪をからまれて、よりも手足を縮めている女は、かんなぎのたぐいででもございましょうか。ほこに胸を刺し通されて、かわほりのようにさかさまになった男は、なまりよう(大したことのない国司)か何かに相違ございますまい。そのほかあるいはくろがねしもとに打たれるもの、あるいはびきばんじやくに押されるもの、あるいはちようくちばしにかけられるもの、あるいはまた毒竜のあぎとにかまれるもの──、しやくもまた罪人の数に応じて、幾通りあるかわかりません。

 が、その中でもことに一つ目だってすさまじく見えるのは、まるで獣のきばのような刀樹の頂きを半ばかすめて(その刀樹の梢にも、多くの亡者がるいるいと、五体を貫かれておりましたが)なかぞらから落ちて来る一りようぎつしやでございましょう。地獄の風に吹き上げられた、その車のすだれの中には、によう(中宮(皇后)の次の位にある高位の女官)、更衣(女御の次の位の女官)にもまごうばかり、びやかに装った女房が、丈の黒髪を炎の中になびかせて、白いうなじをそらせながら、もだえ苦しんでおりますが、その女房の姿と申し、また燃えしきっている牛車と申し、何一つとして炎熱地獄の責苦をしのばせないものはございません。いわば広い画面の恐ろしさが、この一人の人物にあつまっているとでも申しましょうか。これを見るものの耳の底には、自然とものすごい叫喚の声が伝わって来るかと疑うほど、入神のできばえでございました。

 ああ、これでございます、これを描くために、あの恐ろしいできごとが起ったのでございます。またさもなければいかに良秀でも、どうしてかようにいきいきらくげんえがかれましょう。あの男はこのびようの絵を仕上げた代りに、命さえも捨てるような、無惨な目に出あいました。いはばこの絵の地獄は、本朝第一の絵師良秀が、自分でいつかおちて行く地獄だったのでございます。……

 私はあの珍しい地獄変の屛風のことを申し上げますのを急いだあまりに、あるいはお話の順序をてんとういたしたかもしれません。が、これからはまた引き続いて、大殿様から地獄絵を描けと申す仰せを受けた良秀のことに移りましょう。

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