良秀の娘とこの小猿との仲がよくなったのは、それからのことでございます。娘はお姫様からちょうだいしたがねの鈴を、美しい真紅のひもに下げて、それを猿の頭へかけてやりますし、猿はまたどんなことがございましても、めったに娘の身のまわりを離れません。ある時娘の風邪のここちで、床につきました時なども、小猿はちゃんとそのまくらもとにすわりこんで、気のせいか心細そうな顔をしながら、しきりに爪をかんでおりました。

 こうなるとまた妙なもので、誰も今までのようにこの小猿を、いじめるものはございません。いや、かえってだんだんかわいがり始めて、しまいには若殿様でさえ、時々柿や栗を投げておやりになったばかりか、侍の誰やらがこの猿をあしにした時なぞは、たいそうご立腹にもなったそうでございます。その後大殿様がわざわざ良秀の娘に猿を抱いて、御前へ出るようとごになったのも、この若殿様のお腹だちになった話を、お聞きになってからだとか申しました。そのついでに自然と娘の猿をかわいがるいわれもお耳にはいったのでございましょう。

「孝行な奴じゃ。ほめてとらすぞ」

 かようなぎよで、娘はその時、紅のあこめ(袿と同じ)をごほうびにいただきました。ところがこの袙をまた見よう見まねに、猿がうやうやしくおしいただきましたので、大殿様のごきげんは、ひとしおよろしかったそうでございます。でございますから、大殿様が良秀の娘をごひいきになったのは、全くこの猿をかわいがった、孝行恩愛の情をご賞美なすったので、けっして世間でとやかく申しますように、色をお好みになったわけではございません。もっともかようなうわさの立ちました起りも、無理のないところがございますが、それはまた後になって、ゆっくりお話しいたしましょう。ここではただ大殿様が、いかに美しいにしたところで、絵師風情の娘などに、想いをおかけになる方ではないということを、申し上げておけば、よろしゅうございます。

 さて良秀の娘は、面目を施して御前を下がりましたが、もとよりりこうな女でございますから、はしたないほかの女房たちのねたみを受けるようなこともございません。かえってそれ以来、猿といっしょに何かといとしがられまして、取り分けお姫様のおそばからはお離れ申したことがないと言ってもよろしいくらい、ものぐるまのお供にもついぞ欠けたことはございませんでした。

 が、娘のことはひとまずおきまして、これからまた親の良秀のことを申し上げましょう。なるほど猿のほうは、かようにまもなく、皆のものにかわいがられるようになりましたが、かんじんの良秀はやはり誰にでもきらわれて、相変わらず陰へまわっては、猿秀よばわりをされておりました。しかもそれがまた、お邸の中ばかりではございません。現にかわそう様も、良秀と申しますと、魔障にでもおあいになったように、顔の色を変えて、お憎み遊ばしました。(もっともこれは良秀が僧都様の御行状をざれに描いたからだなどと申しますが、なにぶん下ざまのうわさでございますから、確かにさようとは申されますまい)とにかく、あの男の不評判は、どちらの方に伺いましても、そういう調子ばかりでございます。もし悪く言わないものがあったといたしますと、それは二、三人の絵師仲間か、あるいはまた、あの男の絵を知っているだけで、あの男の人間は知らないものばかりでございましょう。

 しかし実際、良秀には、見たところが卑しかったばかりでなく、もっと人にいやがられる悪い癖があったのでございますから、それも全く自業自得とでもなすよりほかに、いたしかたはございません。

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