第4話 マンゴスチン!


 それは灰色の瞳を持っていた。


「そなた、マインドだな」

「しゃ、しゃべった!」


 黒い物が縦に伸びた。というか、立ち上がった。私より頭一つ、いや二つは大きい。その生き物は毛むくじゃらで、まるで黒い狼のよう……いや、違う。よく見ると、ぼろをまとっていた。床に落ちている謎の山積物と同じもののようだ。それを全身に巻き付けているのだ。

 その者は、人間みたいな顔をしていた。さらに言うと、若い男のように見える。しかし、本当に普通の人間だろうか。

「あ、あなたは、座敷牢に閉じ込められていたという被験者ですか?」

「うむ」

 男は頷いた。表情からも動きからも、危害を加えてくる感じを受けなかったので、私は警戒を解いて、男をまじまじと見つめた。顔全体の肉が薄い、というのが私の第一印象だ。ボロからはみ出た手足も、どことなく筋張った感じがする。しかし、しぼんだ感じはしない。むしろ瑞々しい肌はボロと対照的だった。

 黒髪はおそろしく長かった。毛先が地面について、先端は傷んで擦り切れたようになっているが、大半は艶やかだった。


「この地に封じられてどれほどの年月が経ったか、もはや忘れてしまった。この堅牢なる座敷牢が、重みで沈下するほどの時が流れたのだ。そなたが来なければ、我を閉じ込めた座敷牢はさらに深く大地に沈み込み、ついには我ごと土くれへと変じていたことであろう。だが、そんなことはどうでもよい。今こうして、我の封は破られたのだから。いよいよ血と戦の時代が始まるのだ」

 高揚しているのか、息づかいが荒い。そのわりに、しゃべり方がやんごとない。アニメに出てくるお公家様みたいだ。おっとりしている。イントネーションもなんだか奇妙だ。歌舞伎のようでもあり、語尾に「おじゃる」ってつけてほしいような感じでもある。どこの言葉なんだ、これは。そんなことに気を取られて、話の中身は全然頭に入ってこなかった。


「島で起こっていることについては、ハイビスカス様から念話で聞かされておる。我々はハイビスカス様とともに、ヤクザもんを討たねばならぬのだ。覚悟はよいか、マインド」

「えっ」

 急に話を振られてビックリした。え、覚悟とか言われても。頭が状況に追いつかないのだが。

「ちょっと確認なんですけど、そのヤクザもんっていうのを誰が討つのか、もう一度聞かせていただいても?」

「我とハイビスカス様とマインド、そなたである」

 なんてこったい、やっぱり私も戦いのパーティに入っていたのか。

「ダメ、マインド、とても戦いが苦手でおじゃる。踊るしかできないのでおじゃる」

 お公家様の口調を真似つつ、参戦を拒否した。

「何を言う」

 男は高らかに笑った。澄んだ明るい声だった。

「契約の珠を捧げたではないか。それも千珠も! これほど強く人に想われたのは初めてだ。我は生涯そなたととも戦い続けることを誓おう」

「生涯戦い続けるって……、あ、ちょっと!」

 男はBB弾1000発の袋を開けると、なんと一気に飲んでしまった。そんなの食べて平気なのだろうか。

「ではゆこう、ハイビスカス様のもとへ」




――これもう絶対騙されてるよね、私。


 男の驚異的な跳躍力により落とし穴を脱出した私たちは、ハイビスカス様がいるという島中央部へ向かって、森を突っ切る形で進んでいる。


 あ、その前に、彼が全身に巻き付けているボロというか糸くずの塊というか、それを取ってもらった。それをつけたま動かれるとホコリが舞うので、くしゃみが出てしまうのだ。

 その結果、彼は全裸になってしまったので、私はカルディの猫ちゃんバッグから薄手のカーディガンを取り出し、貸してあげた。彼は何の疑問もなく普通に上着として羽織ったため、より下半身のすっぽんぽん感が強調されてしまい、私は思わずツッコミを入れてしまった。

「肩を温めるより、下半身を隠してくださいよ! 出したいんですか、下を!」

「出したいわけではない。下も着るものを貸してくれるのかと思ったのだ。単なる誤解なのだから、そう大声を出すな、マインド。品がない」

 下半身を出した状態の人に、品のことを言われましても。



 そういうわけで、カーディガンを腰まきのように巻くことになった男の後ろを歩きながら、私はこれまでのことを振り返ってみた。思えばおかしいことばかりだった。BB弾1000発をお供えするなんて変だし、それにご飯だって、ご馳走とカマスの干物定食を一緒に置くなんて、もう罠、絶対罠。

 大体なんなのよ、ハイビスカスの花を盗むヤクザもんって。


 なにやら面倒事に巻き込まれている気配が濃厚である。これから会いにいくハイビスカス様だって、きっとろくなもんじゃない。


 どうにかして逃げ出したい。

 あ、だけど、その前に……。


 男は黙々と歩いている。私は背中に向かって、声をかけてみた。

「あの、しゃべり方……っていうか、お願いしたいことがあるんです」

「うむ?」

 どうしよう、やっぱりやめたほうがいいかも……、いや人生は一期一会、ええい、おもいきって言ってしまえ。

「マンゴスチンって言ってみてくれません?」

 男は一瞬黙った。

「ンマンゴンスチィン?」

 私はとっさに口を押さえて、吹き出すのをこらえた。予想したとおりだった。お公家様イントネーション歌舞伎風でマンゴスチンって言うと、めっちゃおもしろい。

「それが何か?」

「いや、別にたいしたことじゃなくて、個人的な興味といいますか、なんといいますか……えっと、あ、そうだ! お名前を教えていただいても?」

「この地に封じられたときに、名は失ってしまった。名付け親と決別したからな……」

 ああ、語ると長いやつの気配がする……。

「そう、あれは研究所にいたころの……」

「あの!」

 私は話を遮った。長話はけさの民宿のおばあさんでおなかいっぱいだ。この人にあんまり深入りしたくないのもあった。

「過去のことは置いておいて、大事なのは今! とりあえず何てお呼びすればいいでしょうか!」

 男は足を止め、振り返った。

「そなた……我をちっとも怖れぬどころか、無礼な振る舞いすらやってのける神経の太さには感心すらしてしまうが、とはいえ、いささか奇行に走り過ぎではないか?」

 おっ、これは渡りに船かも。

「ですよね、私おかしいですよね、こんなどうかしているヌートリア女の私なんかにマインドは務まらないと思いますので、もう辞めますね。それじゃお疲れ~」


 私はダッシュで逃げ出した。


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