第11話 サンダンス
演奏が終わってまた拍手が始まると、アルベルトさんが立ち上がって観客に叫んだ。
「Tenemos un invitado especial hoy. Es mi amigo desde hace mucho tiempo y un excelente guitarrista. カイ マサキ!」
柾木さんはびっくりして、自分を指差した。皆は、柾木さんの方を振り返って拍手を送る。私も倣って拍手をした。柾木さんは、両手と頭を振って辞退しようとしたが、柾木さんを知る人がほかにもいるらしく、どこからともなく「カ・イ! カ・イ!」と手拍子が始まった。柾木さんは照れながらも席を立ち上がり、私を振り返った。私が柾木さんに向かって拍手を送ると、柾木さんはうなずいてステージの方に歩き始めた。人々は一斉に拍手をした。
ステージの上では、ルシアさんがもう一つの椅子とマイクを用意し、そしてもう一本のギターをギター スタンドに立て掛けた。柾木さんがステージに上がると、アルベルトさんは柾木さんに手を見せろと言っているようだった。柾木さんが右手を見せると、「そうじゃない」と柾木さんの右手をはたいた。観客が笑う。柾木さんが今度は左手を見せると、アルベルトさんは柾木さんの指先を一つずつ自分の指で触って確認した。そして、うなずくと観客に向かって親指を立てて笑ってみせた。観客が笑い、柾木さんも笑ってステージにあるもう一つの椅子に腰掛け、ギターを手に取った。
アルベルトさんが柾木さんに何かを囁いて、柾木さんがうなずく。アルベルトさんがギターの弦をいくつか弾いて音を出すと、柾木さんはそれに合わせて自分のギターをチューニングした。その間も二人は互いを楽しげに見合っていた。柾木さんはチューニングを終わると、アルベルトさんに頷いた。アルベルトさんも頷き返す。それから、いくつかリズムを取って、二人は同時に演奏を始めた。
まるっきり同じメロディーを二人で寸分の違いもなく奏でていく。その出だしに、何人かの人たちはわっと声を上げて拍手をした。私は知らないが、有名なデュエット曲に違いない。少しメロディックでスローな調子で進んだかと思うと、不意に三連符で止まる。そして、また緩やかな調子で始まっては三連符のストップ。そのうちにメロディーも三連符になるが二人は迷いを感じさせることなく、同じメロディーを紡いでいく。
私は思わず携帯をかばんから取り出し、柾木さんの演奏を録画し始めた。でも、すぐにカメラは置いてしまった。二人の演奏に心底囚われてしまったからだ。
時には、一人がリズムを取り、もう一人がメロディーを弾く。互いに交代しながら、二人は会話をするように演奏を続けていった。バック グラウンドでは、音を抑えたカスタネットでルシアさんがリズムを刻んでいる。アルベルトさんが即興でメインのフレーズをアレンジしたときには、観客から嬌声が上がり拍手が起きた。しばらくすると、柾木さんにその場を譲る。柾木さんのアレンジをアルベルトさんが真似をしながら、エコーを掛けるように弾いていく。やがて二人のメロディーは徐々に静かになっていき、ルシアさんのカスタネットだけが変わらないリズムを刻んでいく。アルベルトさんと柾木さんは、そうして互いにうなずいて元の主題を二人合わせて弾いたかと思うと、激しい三連符で演奏を終えた。
店内のお客さんたちは一斉に歓声を上げながら割れるような拍手を送った。私も夢中で拍手をした。
急に肩を叩かれた。驚いて振り向くと店長さんがカウンターから何かを差し出していた。見ると、「ニュー イヤー(クリスマス)コンサート」と書かれた A5 サイズのチラシだった。
「年明けにね、櫂がギター弾くんだけど良ければ来てやって」
受け取ったチラシには「¡Feliz Dia de Reyes! 新年おめでとうございます! でもスペインではまだクリスマスなんですよ♬」とあり、一月六日の夜七時半からギター コンサートがある事が告知されていた。演奏者の名前は「柾木 櫂」となっていた。
「あいつ、ギターすごいでしょ。アンドレ セゴビア コンテストってクラシック ギターの国際コンクールで賞取ったこともあるくらいなんですよ」
「えっ、そうなんですか? そんな人がうちの会社で何してるんでしょう」
思わず言ってしまった。コンクールで入賞するような人は、みんな CD を出したり、全国ツアーに行ったりするんじゃないんだろうか。
「それがね、ギター一本で食っていくってやっぱり楽じゃないんですよ。あいつもうちで働きながら、ああやって時々ギター弾いたりして頑張ってきたんだけど。ほら、コロナとかあったりしたし」
私は思わずうなずいた。うちの会社もコロナのときは半年以上自宅待機だった。私は営業職なのでお客様に会えないのは致命傷だ。いつクビになるかとヒヤヒヤしたものだった。
「でね、櫂は意外にお坊ちゃんでね。親にはいつ全うな仕事に就くんだって散々言われてたんだよね。本人も『三十になるまでに芽が出なかったら諦める』って宣言してたらしいんだ」
そして、店長さんの話によると柾木さんが三十歳を迎えてすぐにコロナが起きたのだという。柾木さんは、ここでの仕事を諦めてうちの会社に入ったそうだ。
「……でも、コロナの真っ最中でうちの会社によく入れましたね」
私の疑問に店長さんは苦笑いした。
「おたくの社長さんが、櫂の伯父さんなんだって。櫂のお母さんのお兄さんね」
(なぁあるほどぉ! だから、いろいろと弱味を握られてるんだ!)
「ゴリゴリのコネ入社だからなかなか居心地悪いらしいんだよね。自宅待機の間は伯父さんのところに直接行って、秘書みたいなことやらされてたらしいんだけど、会社が始まったら総務に総合職で配置されて。叩き上げのお姉様たちには睨まれるし、技術職の男共からは事務仕事でバカにされるし」
(そうか……。あの素っ気なさは揚げ足を取られないための自己防衛策だったのかな)
「それに、顔立ちがあっさりしてっから若く見られるんだよな。あの眼鏡も UV メガネなんだけど、掛けてる方がまともに口利いてもらえるからって」
私はステージの上の柾木さんを見た。今はアルベルトさんと二人で静かな曲を奏でていた。
「あいつ、ここに来るの本当に久しぶりなんだよ。もちろん LINE や電話で話はしてるけどね。最後に来たのは二年くらい前かな。仕事始めて半年くらい経った頃」
そのときは、ここも半開店状態だったそうだ。苦肉の策でパエリア弁当などを作り出し、お持ち帰りやデリバリーで食いつないでいたという。ある日ふらりと現れた柾木さんは本当にしょんぼりしていたらしい。
「聞いたら、アニタと別れたって。アニタとは日本で一緒に暮らしてたんだけど、コロナでヨーロッパがシャット ダウンする前にスペインに帰ったんだよな。それがなくても帰ってたかもしれないけどね」
私はさっき寂しいと思った二人の別れについて考えた。
「……何がまずかったんでしょうね」
「日本だったとしてもスペインだったとしても、海外で暮らすのは大変ってことだろうね。習慣の違いもあるし、言葉もままならないし、友達作ったり、仕事探したりするのも一苦労だろう」
「そうですよね……」
私は日本で暮らすアニタさんを想像した。友達が少なくても、ここに来れば多少は気晴らしになっただろう。でも一歩そこから踏み出せば、外国に一人きりだ。それはかなり孤独だったに違いない。
「でも、なんだか残念ですよね。どちらが悪いわけでもないのに、うまく行かないなんて。タイミングとか、いろんなことが重なってすれ違っちゃったんだろうな……。きっと、どちらにとっても辛い決断だったでしょうね」
店長さんは微笑んだ。
「あかりさん……だっけ。あなた、いい人だね。櫂が連れてくるだけあるわ」
私は、店長さんの言葉に慌てた。
「いやいやいや! 柾木さんとは本当に今日までそれほどお話したこともないので!」
店長さんはからからと笑った。
「最後に櫂が来たときに言ったんだよ。『愚痴を言うのはこれきりにします。次回来るときは、楽しいことを報告しに来ます』って」
カウンターの中の誰かが店長さんに話しかけ、店長さんがその人にうなずく。店長さんは仕事に戻る前に、もう一度私を見た。
「櫂は『あなたとここに来たらきっと楽しい』と思ったから、あなたをここへ連れてきたんだと思うよ。櫂をよろしくね」
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