第7話 タパスを選ぼう

「柾木さん、下のお名前、カイっておっしゃるんですね」

「ああ、そうです。『櫂のしずくも花と散る』の櫂です。今風に言うとオールですね」

 お、ちょっと口調が丁寧に戻った。さっきのは無意識だったのかな?

「そうなんですね……。ちなみに、私は『あかり』です。三枝あかり」

 礼儀だと思い、私も名乗った。

「存じ上げております」と柾木さんはお辞儀をした。一瞬、「えっ、なんで?」という顔になった私に「キーの貸出帳でしばしば拝見しておりますので」と、柾木さんはにやりとした。

「……ですよね」

 またおバカな発言をしてしまった。私は、照れ隠しにオリーブをつまんだ。手にしてみると本当に大きい。二センチ以上はありそうだ。かじってみると、それほど塩気は強くなく、肉厚でまろやかな味わいが舌に広がった。美味しさに思わずニヤけそうだったので、指先で口元を隠した。それでも、つい心の声が漏れる。

「……美味しい……」

「ですよね。俺も好きです」

 そう言って、柾木さんも小皿からオリーブをつまんだ。彼の右手の指先の爪が目に入る。そうだ。さっきまでこの指がものすごい勢いでキーボードを叩いていたのだ。

「あの……、すみません、今日は。私のせいで休出させてしまって」

「本当に気にしてませんよ。仕事なんだし」

 柾木さんはオリーブをかじりながら言う。

「でも、さっき職場でキーボードガチガチ言わせてたのは、もしかしたら私のせいでお気を悪くさせてしまったのかな、と……」

 柾木さんは、オリーブを持ったまま自分の右手の爪を見た。

「ああ、うるさかったですね。すみません」

 柾木さんはそのまま自分の爪を見ていたが、何か考え直したように、またオリーブをかじった。訪れそうな沈黙を阻止すべく私は言葉を続けた。

「お仕事、何をされてたんですか? 何か電話で話していらっしゃったようですけれど……」

 柾木さんが私を見る。

(ん、まずい事聞いちゃったのかな。内緒の仕事とか?)

「……誰にも言っちゃダメですよ」

(えっ、何なに? そんな真剣な事?)

「月曜日の社長の挨拶です」

(は? 社長の?)

「社長って……。あの磯谷いそがや社長ですか?」

「そうです」

「……ああ言うのって本人が書くんじゃないんですか?」

「そうなんですよ。でも、あの人意外に無茶振りするんで」

「そうなんですか……。でも、なぜ柾木さんに? 社長には専属秘書の加藤さんがいますよね? やるとしたら、そういうのは加藤さんの仕事じゃないんですか?」

「うーん。ほら、月曜から来るベンチャーの社長さんってバルセロナの人じゃないすか。なので、スピーチにちょこちょことお国ネタを入れたいらしく、こういうところで働いてた俺に白羽の矢が経ったんです」

(やっぱり。働いてたんだ。「店長と顔見知り」って言ってたけど、そんなレベルじゃないもんね。倉庫にさっさと箱持ってっちゃうし)

「磯谷社長はよくご存知でしたね。柾木さんがこちらで働いてらしたこと」

 私は二つ目のオリーブを手に取った。がっついて見られたら恥ずかしいので、ちょっと遠慮してたけど、この美味しさには我慢できない。

「あー、俺、社長の紹介なんすよ、この会社……」

 柾木さんは頭を掻いた。

「そうなんですか?」

「それに色々弱味握られてるんで、あの人には」

 私は、「ギリギリになってから思いつきで仕事を増やさないでください」という、柾木さんの電話での率直な物言いを思い出した。

(どんな弱味? そもそも社長にあんな口利けるってどういう知り合い?)

 ……と聞こうとしたところで、店長さんが私たちの間に小振りなお皿とやはり小さめのフォークを置いた。

「ほい、チピローネス」

 お皿の上では小さなイカの唐揚げが湯気を立てており、脇にはくし切りにしたレモンが添えてあった。注文もしていないのにと思い、私が店長さんを見上げると、店長さんは「ドリンクに付いてくるタパスです」とにこやかに言った。

「ここでは最初のドリンクにサービスで付いてくるんです。これ食いながら注文するもの見ましょうか」

 柾木さんはそう言うと、近くにあった食べ物のメニューを取って開いた。私はというと目前のイカに気を取られて、さっさとレモンに手を出して「これ、絞っちゃっていいですか?」と聞いてしまった。柾木さんは、一瞬呆気に取られたように私を見たが、直ぐに笑いだした。

「お願いします」

 その様子で、自分の食い意地に気がついたけれどもう遅い。私は赤くなりながら黙ってレモンを絞った。

 小さいイカのことを複数形で「チピローネス」と言うらしい。丸のままカリッと揚げたイカは、中が柔らかくて美味しかった。唐揚げ粉のようなものをまぶしてあるらしかったが、それが何なのかは企業秘密ということで教えてもらえなかった。

 その後、柾木さんに教えてもらいながら料理を選ぶことにした。ドリンク メニューと同じで、食べ物のメニューにも写真とちょっとした説明が付いていて選びやすかった。いろいろ試したかったので、ほぐした塩だらの入ったコロッケ、揚げたじゃが芋をオムレツにしたトルティーヤ デ パタタス、少し辛めのソースがかかった四角いフライド ポテトのパタタス ブラヴァス……と食べたいものを挙げていった。

「芋ばっかりだけど、いいの?」

 柾木さんに言われて気が付いた。確かにじゃが芋ばっかりだ。

「でも、コロッケすごく好きなんでこれは外せないし……。それに私、スパニッシュ オムレツってトマトとピーマンが入ってるのが、スパニッシュ オムレツだと思ってたんですよ。じゃが芋だけで出来てるなんて知らなかったので試してみたいし、パタタス ブラヴァスのオレンジ色のソースも美味しそうじゃないですか。このソース、何で出来てるんですか?」

「本物は、玉ねぎとにんにくベースのソースにがっつりパプリカ入れたものらしいけど。ここのは、マヨネーズとケチャップ混ぜたのに、焦がしたにんにくとタバスコ足してあるだけ」

「おい、俺の料理ディスってんのか、お前」

 店長さんが横槍を入れる。

「いやいや、そんなことないっすよ。そもそも、向こうで出てくるソースもそんなもんでしょ。ケチャマヨに魚の絵の付いたロメスコ ソースぶち込んだみたいな。俺、本物のソース見たことないっすもん」

(向こうで、だって。柾木さん、スペインに行ったことあるんだ。あ、でも、こんなにワインとか詳しいなら当たり前か)

 それにしても、ソースの中身を聞いたら余計に選べなくなってしまった。私がどれを削ろうかうんうん唸っていると、店長さんが助け舟を出してくれた。

「ちょっとずつ盛り合わせにしましょうか。コロッケはハムと塩だらを一つずつ、トルティーリャも一切れずつ、パタタス ブラヴァスも小鉢に入るくらいにしたら色々食べられるでしょ」

「……ありがとうございます!」

 私は、ぱあっと笑顔になってしまった。

「じゃあ、ほかの物ももっと頼めますね!」

 突然大きな笑い声がした。

 振り返ると、柾木さんがお腹を抱えて笑っていた。柾木さんらしからぬ、びっくりするくらいの爆笑具合だった。うわあ、柾木さん、こんな風に笑うんだ。なんだか、高校生みたいで可愛い。会社だと、いつも神経質なくらいにマジメなのに。あ、でもここの方がリラックスできるのかな。普段も、もう少し笑ってたら素敵なのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る