第2話 これ、いつもの柾木さん?

 朝岡課長と二人で給湯室でお茶を入れて戻って来た。クライアントの確認が終わるまでは帰れないので一休みだ。二人で雑談していると、遠くで柾木さんの声が聞こえた。

「もうちょっとってなんですか」

 怒っているようだった。

「もう十分お国ネタは入れましたよ。向こうだって、そんなヨイショばかり聞いても仕方がないでしょう。これからやくにだって手を回さなきゃいけない方の身にもなってください」

 朝岡課長と私は顔を見合わせた。

「こっちはクリスマス返上で作業してるんです。ギリギリになってから思いつきで仕事を増やさないでください」

 私は、はっとした。別に私が思い付いて休出したわけではないが、自分のことを言われた気になったのだ。それに気付いた朝岡課長は、私の気持ちを思いやるように言った。

「……あれね、月曜日からベンチャーの社長さんが来るから準備があって大変なのかもしれないわね」

 私は自分を納得させるようにうなずいた。新年のニュース リリースに向けて、月曜日からは、セキュリティー システムを開発したベンチャー企業の社長さんが来日することになっている。署名式やら講演やらを開催して写真やビデオを撮った後、それをニュース リリースで使うことになっているのだ。うちの戦略プロジェクトでも、訪れるベンチャーの社長向けに設計部署のエンジニアが英語でプレゼンをする予定だ。

 電話が鳴った。クライアントからだった。変更された仕様の論理テストのリンクを使ってテストしてみたところエラーが出たと言う。信じたくない気持ちで、教えてもらったデータを流したが、確かにエラーになってしまった。私は今度こそ本当に落ち込んだ。一年間、努力のいい子でいたと思うのだが、サンタさんはお気に召さなかったようだ。クリスマス パーティーは諦めて、エラーの原因を見つけなくてはならない。

 私はがっかりしながら、友達に「仕事でパーティーに行けなくなった! ごめん!」と涙顔のメッセージを送った。友達は「終わったらすぐ来な! みんな待ってるよ!」と返事をくれた。

 朝岡課長には、残りの作業は一人でできるので帰ってくれるようにお願いした。次は柾木さんに相談に行かなくてはならない。気が重い。「クリスマスを返上」させた上に残業させるのだ。

 胃がきゅっと縮むような心地で柾木さんの席に向かった。柾木さんは不機嫌な顔でキーボードを叩いていたが、私が近づくと顔を上げた。

「……状況はいかがですか?」

 私が言い淀んでいたせいで、先に柾木さんが尋ねた。

「良くないです」

 柾木さんを直視できなかった。状況を説明すると、柾木さんは溜息を吐くでもなく、顔色一つ変えるでもなく「わかりました」と一言だけ発しただけだった。

 何かお詫びを言いたかったが、すぐには言葉が出てこなかった。黙ったまま、突っ立っている私に気を使ったのか「私が早く来られれば今の時間には終わっていたはずです。遅くなったのは私のせいでもありますから、気にせずに作業をどうぞ。私でお手伝いできることがあれば言ってください」と、柾木さんは素っ気なく言った。その素っ気なさがますます私を恐縮させた。

「申し訳ありません! きっとご予定がありましたよね。なるべく早く終わらせますので!」

 私は再び九十度に腰を曲げた。顔を上げたときは、自分がパーティーに行き損ねたこともあって泣きそうな気分だった。

 その顔を見て征木さんは少し驚いたようだったが、やがて苦笑した。

「大丈夫です。心配しないで。……どうせぼっちの宅飲みだったんで」

 そう言った柾木さんの顔はいつもと違って、「素」が見えた気がした。

(あれっ、これ、いつもの柾木さん?)

 なんというか……、ちょっと男っぽい? そのギャップで脳みそが一瞬フリーズする。そのとき、朝岡課長が声をかけてきた。

「三枝さん、ごめんね。一人で残業させちゃって。私残らなくて本当に大丈夫?」

 私は朝岡課長を振り返り、慌てて首を振る。これ以上私のために残業させる人を増やしてはならない。

「いえ、もう十分助けていただきました。早く帰ってご家族でクリスマス パーティーを楽しんでください。変更箇所を虱潰しに見ていけば、まあ、テストも入れて七時か、七時半には終わるかと……」

「お客様に送る前に、確認したいから変更後のテスト リンクをメールしてね。メールしたら、メッセージで教えて。すぐ見るようにするから」

「すみません。せっかくのクリスマスなのに……」

 私は朝岡課長に頭を下げた。

「何言ってるの。三枝さんだって、予定があったんでしょう。ともかくエラーの原因だけ見つけて、後は月曜の朝、またフォローしましょう。あ、でも部長にもメール入れておくの忘れないでね」

「あ、はい。仕様変更の概要については既に知らせてあります」

「そう、良かった。じゃ、お客様に新しい仕様書とテスト リンクと結果を送るときに、部長と設計部署にも CC を入れて……」

「わかりました」

 そう言いながら、私は柾木さんの横顔をちらりと見た。柾木さんは、既に仕事に戻ってキーボードをカタカタと打ち始めていた。

「あと、さっき言い忘れちゃったけど、月曜の朝、十時以降に設計にビデオ会議の予約を入れておいてくれる? 仕様の変更内容の確認と、工期に問題がないか確かめたいから」

「了解です」

(仕様変更を送る前に課長に確認、部長と設計に仕様変更の CC、それから……)

 頭の中でやることをメモし始めると、腕をつんつんと軽く突かれた。見ると、柾木さんがメモ帳とペンを差し出していた。

「書いておいた方がいいんじゃないですか」

 真顔で言われた。恥ずかしくなる。そう、やることをリストに書き出すのは社会人の基本! こういうのは自分からさっと頼むべきだよね。

 冷や汗をかきながらメモを取り始めた私の横で、朝岡課長は柾木さんの方に向き直った。

「今日は、うちの三枝が本当にご迷惑をおかけしております」

 課長が頭を下げたので、私もあわてて一緒にまたお辞儀をした。柾木さんは、わざわざ席を立って課長にお辞儀を返す。

「いえ、仕事はお互い様ですから」

 柾木さんは、いつもの素っ気ない調子で流す。

「総務の平橋課長には、私からも重々お詫びをしておきます。この借りは近いうちに穴埋めしますので」

「お気遣いなく」

 柾木さんは軽く会釈して、席に着いた。そして、再びさっさと自分の仕事に戻っていった。

 朝岡課長は、柾木さんの背後で口だけを動かして(おっかなーい)と言って、首をすくめた。私は、なんと返していいのかわからず、困ったように微笑んだ。課長も、私に申し訳無さそうに微笑むと、「じゃ、メールでまた後に。お疲れさまです」と言って帰って行った。

 朝岡課長の背中を見送った私は急いで残りのメモを済ませると、自分の書いた分の一枚だけを取り、ペンとメモ帳を柾木さんに返した。

「ありがとうございました」

 お辞儀をした私に、柾木さんは何も言わず、視線も合わせずに軽く会釈だけした。

 席に戻った私は、恥ずかしさでいっぱいだった。

(ダメなやつって思われたよね? クリスマスに休出させて、メモも取らないアホなやつって)

 さっきのほんのちょっと崩れた言葉にどきりとしてしまった自分も恥ずかしい。そのすぐ後に、こんな失態とは!

(あれ? でも、さっき、「ぼっちの宅飲み」って言ったよね? ピアスくんは、シングルなのかな……?)

 そんなことを考えている間に、日もとっぷりと暮れ、オフィスには私と柾木さんの頭上の明かりだけが残った。

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