第5話 酔狂な道楽
夕樹はしばらく口を噤んでいたが、やがて浮かんできた疑問を口にした。
「ソレは有名か?」
「一般にはあまり。でもQwertyの中じゃあ基本情報だね。昨日相手にしたIAも、この話に関わってくる」
そこまで言ってから秋夜はふわりと夕樹から離れ、キッチンへ向かった。
「夕食は何がいい? 僕、いろいろ買ってきたんだけど」
朗らかに、何事もなかったかのように話す秋夜を横目に、短く「どうでもいい」と返す。今の話の続きが気になった。しかし、夕樹の意に反して秋夜は夕食の話をした。
「どうでもよくはないだろう。食事は人間の大切な生活習慣の一つだ」
「お前に言われたくないね」
「僕はいいんだよ」秋夜はボソリと呟いた。
「そもそも、なんでお前が料理を? 確かに食材も学校管轄のところだと無料で手に入るが」
「今日は中秋の名月だから、お団子を買おうと思って。せっかくだから夕食は僕の手料理を振る舞って上げようと思いついたんだ」
「それは最悪な思いつきだな」
「これでもそこそこの料理は作れるよう仕込まれてんだけど」
「誰に」
その問いに秋夜は答えず、袋から様々な材料を取り出して夕食の準備を始めてしまった。炊飯器に米を入れてスイッチを押し、手鍋で味噌汁の準備を始めた。流石に彼一人に任せるのも忍びなく、夕樹はため息をついてからレポートをベッドに置いて立ち上がった。
「何か手伝おう」
「君は座って待っててくれて良かったのに。でも、それなら材料を洗ってくれると助かる。今日は野菜炒めにするつもりなんだ」
見るといつの間にか私服に着替えた秋夜が着々と準備を進めていた。今日は青い長袖シャツに黒のジーンズで、右手人差し指に淡く光る金の指輪をはめていた。彼の名前らしい服装だ。
人参やキャベツ、ピーマンなどを洗いながら夕樹は秋夜の方を見た。「こんなに使わないな」と言いながら彼は相当量の野菜をしまっていく。
おかしい。結局彼が調理するのはせいぜい1人前だ。トントンとペティナイフで器用に具材を切っていく秋夜を眺めながら、夕樹は思った。
彼は魔法でサッと火を点け、人参、キャベツ、もやしやピーマンを入れて丁寧に炒めていく。その途中途中で手鍋に豆腐やわかめを入れ、味噌を溶かす。確かに手際が良かった。自分でもこんなに上手にできないかもしれない、と夕樹は思った。
「さ、出来立てをどうぞ」
結局ほとんどを秋夜に任せて終わってしまった夕樹は、バツが悪そうに味噌汁に口をつけた。
「……美味しい」
「口に合ったようで良かった」
そう言いつつ彼は徐ろにスパウトパウチを取り出して口をつけた。
「どうして、食べないんだ?」
ぽつりと夕樹は訊いた。ほとんど独り言のようだった。しかし秋夜は答えた。
「この支給されているヤツで一食分のエネルギーは摂れる。僕の勝手な判断でコレの服用は止められない。ならば僕の分を作るのは無駄だろう? 大体食事なんて酔狂な道楽を毎日する気はないよ」
なんとなく気まずくなって、夕樹は黙り込んだ。塩味の野菜炒めを淡々と口に運ぶ。自分の判断で使用を中断出来ないもの。夕樹は抗生物質の薬を思い浮かべた。
秋夜は立ち上がって、空になったパウチパックを捨てた。それから袋を探って、パック入りの団子を持ってきた。
「お月見の日はお団子を食べないとね」
言いながら彼は部屋の明かりを消し、カーテンを開けた。残念ながら晴天ではなかったが、雲間から漏れ出る月明かりが青白く街を浮かび上がらせていた。街灯が極端に少ないことを今日ばかりは嬉しく思った。
「月が綺麗だね」
秋夜が笑いかけた。こちらの出方を伺うような、悪戯っぽい光が目に浮かんでいた。
「手が届かないから、かな」
「お手厳しいね」
秋夜はパックを開け、中の団子を1本取って夕樹に差し出した。ふっくらとした白い団子に半透明の温かい茶色がかかっている。一口囓ると甘じょっぱい特有の味が口に広がる。
「みたらし団子か」
「君の瞳と同じ色だったから、つい」
訊いてもいないことをつらつらと語る。彼に大した緊張や羞恥の色が見えないことも、余計に夕樹の気分を悪くさせた。
本当に気障な奴だ。
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