第5話 セーフティロック
「いえ、注射器を使うほどではありません。ただ、ほんの少し親指を針で刺すだけです。大丈夫です、そんなに痛くありませんから」
女子の方から息を呑む声が聞こえたからか、先生は後ろの言葉を強調した。
「では、出席番号順に前へ。端末を持って、来てください」
1番の安部栄司がノロノロと前へ向かい始めたのを見て、2番3番と少しずつ列を成して前に集まっていった。自分は“ほ”だからまだまだあるな、と夕樹は少し体の力を抜いて椅子にもたれ掛かった。戻ってきた生徒を見るに少しだけ血を出して、それを端末に個人情報として登録するらしい。どういう方法なのかよくわからないが、凄い技術なのだろう。
そうこうしていると自分の番が近くなってきた。端末を持って列に並ぶ。徐々に近くなる教卓に僅かばかり恐怖を覚えた。
「次、星倉夕樹さん」
ぎこちなく「はい」と返事をし、教卓を挟んで先生の前に立つ。
「利き手でない方を、出してください」
左手を出すと、先生は手慣れた様子でアルコール消毒をし、銀色の細い針を取り出して親指に刺した。スッと針が抜かれるとすぐにぷっくりと小さな血の雫が親指の腹に膨れ上がった。
「血を端末の模様の辺りに流してください」
言われた通り左手の親指を端末の模様に押しつけたところ、血が染み込んでいき幾何学模様が瞬く間に深紅に染まった。その深紅が模様のすみずみに行き渡ると、模様がぼんやりと茶色がかった橙色に光り始めた。
「はい、オーケーです。自分の席に戻って、使用時のアンロックキーを考えていてください」
言われるがまま自分の席に戻る。ふと他のクラスメイトの端末を見ると、優しい桃色や明るい黄緑色、底抜けに深い青色など様々な色に光っていた。
「君も瞳と同じか」
秋夜が夕樹の端末を覗き込んで言った。彼のカードは彼の瞳と同じ、空色がかった薄紫色に光っていた。
「人によって色が変わるのね」
「みたいだな。一体どういう仕組みなんだか」
そう言って彼はカードを手の中で弄び始めた。
やがて全員の設定が終わると、今度はアンロックキーの設定が始まった。と言ってもこちらは針でチクッとすることもなく、魔法の暴発を防ぐためのセーフティロックを解除するための文言を決めるだけであり、大したことではなかった。
「君は何にするんだ?」
秋夜が尋ねた。
「教えないよ」
「何故? 君以外の……例えば僕がアンロックキーを唱えても、カードは使えない。あくまでカードは生体認証であって、セーフティロックは暴発を防ぐだけだから伝えても問題はないはずだけど」
「だとしても、言う必要はないだろう」
「まあ、君が言いたくないなら構わないよ」
彼が前に向き直ると同時に先生がクラスに呼びかけた。
「それでは残りの時間は、前回までの復習をしましょう。不平を漏らさないでください、次回から実際に魔法を扱うので……」
落胆した声を上げる生徒を先生が宥める。しかし中々静まらないので、先生は諦めることにしたようだ。
「まずは基礎問題です。第三類魔術とは、どのような魔法ですか。じゃあ、神崎君!」
皆が目を剥いた。入学してきたばかりの生徒に当てるとは、いささか酷に思われた。当の本人も、虚を突かれた顔をしたが、次の瞬間にははっきりとした声で答えた。
「リスクの程度が比較的低い魔術です。ライターやマッチ等の魔力を動力としない簡単な道具で再現可能な範囲の魔法を起こすことができます」
「はい、その通りです。では魔法技術を仕事回路に組み込まれた道具を何と言い、また何のためにありますか、星倉さん」
「魔法道具といい、人が魔法を起こすために使います」
「はい、ありがとうございます。その通りですね。残念ながら人間は魔力を持ちませんから、魔法を起こすには魔力の源である粒子を扱うための道具を用いなければなりません。それが魔法道具ですね」
先生がカツカツと小気味良い音を立ててチョークで黒板に文字を書いていく。今時タッチパネル式でさえ珍しいというのに、黒板がこの学校にはある。この揺籃高校は魔法専門学校と言って差し支えないくらいで、今年で創立5周年だというのに。
まあ、それでもしょうがないか。何せここに集まっているものは皆、身寄りのいない者ばかりなのだから。少なくとも、知る限りは。
そんなとりとめのないことをぼんやりと考えていた。
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