第四十八話 老猫の独り暮らし



「ヒロシ君は今いくつになったんだい? この間七五三だったよねぇ」


「いえ、ヒロシ君じゃないです。私はブレインと申しまして………歳は二十歳です」


「………? あっごめんねぇ? 気が利かなくて。 お菓子食べたいよねぇ? お布団片付けるからちょっと待っててねぇ」


「………」


………俺の名はブレイン!


元魔王軍参謀にして現在無職の宿無し文無しの魔法使いだ!


就職に失敗した俺は宿と金を一気に手にする為、入ろうとする人の意識を奪う「謎の空き家」に潜入することになったんだ!


俺は自慢の魔障結界を張って空き家に侵入し、こうして無事家主を発見することが出来たのだが………。


家主―――猫耳しっぽにふわふわ手足の亜人の幼女は目を覚ますや否や、俺のことを「ヒロシ君」だってぇ!?


誰え!? 変な名前!!


俺はすかさず否定したが、この幼女―――全く聞いちゃくれねえ! 何で?


それになんだ!? このまるで赤子を見るような優しい表情は!?


ずぅ~っとニコニコしてる! それになんかもう、全てを包み込まんとする包容力が小さな身体から溢れだしている!


何!? ど、どうしたらいい!? 色々ありすぎて何から処理すればいいか全く分かんないよ!!


………ダメだ落ち着け。


心を乱し過ぎると、俺を守る魔障結界に影響してしまう。

それに俺は家と金を手に入れるという、今後の人生を左右する大事な任務の最中。


こういう時こそ冷静に観察するのだ。


俺はその場に胡坐をかき、自分の何倍もある毛布を器用に折りたたむ幼女を観察する。


「よいしょ。よいしょ」


猫の亜人というのはどうやら間違いなさそうだが、よく見るとしっぽが根本の辺りで二つに分かれている。


しっぽの分かれた猫の亜人………一つこんな噂話を聞いたことがある。


猫の亜人は人間よりもやや長命だが、それでも良くて百年程度の寿命。

しかし彼らが寿命を向かえる寸前、ごく稀にしっぽが二つに分かれることがあるそうで、そうなった者は「ネコマタ」と呼ばれ、それから千年近く生きることが出来るのだとか。


この話が本当であるならば、彼女はその千年を生きる「ネコマタ」で、幼い見た目だがその実「少なくとも百歳は生きている老婆」ということになる。

容姿が極めて幼い理由はさっぱり分からないが………。


「おまたせぇ。よっこいしょ」


彼女は布団を片づけ終えたようで、俺の前にちょこんと正座。

そしてこちらを見上げてにこりと笑うと―――


「うーんと………。あ~。これこれぇ」


「―――!?」


あ、ありのまま今起こった事を話すぜ………!?


彼女は俺を見て笑った後、いきなり虚空に手を伸ばしたんだ。


俺はその様子を見ていたんだが、いつの間にか彼女の手は「二枚の円形の板が入った透明の小袋」を掴んでいた。


「はい『〇の宿』。こないだ『マ〇ゲンさん』でたくさん買ってきたから、好きなだけ食べていいからねえ」


「―――!!?」


「あっ、ごめんねえ。もっと『ハイカラ』なほうがよかったよねえ? ………はい『カン〇リーマ〇ム』」


「―――!!????」


何を言っているのかさっぱり分からない………。


今度は赤と白の小袋を一つずつ虚空から取り出し、俺の前に置いてくれたが、今これは何が起こってるんだ?


頭がどうにかなりそうだ………!


「どうしたのぉ? 気にいらなかったかい? ごめんねぇ? ばあばは若い人の好きな味が分からなくってねぇ………」


彼女は手を揉みながら笑うが、どこか悲しそうな声色だ。


これは、この袋の中身を食べてほしい、ということなのだろうが………。


「い、いえ………。食べます。食べますよぉ………!」


俺は彼女の醸す悲哀に耐え切れず、ついそう口走って赤い小袋を開ける。


中に入っていたのは小さな茶色い………クッキー、だろうか?

手で摘まむと少し柔らかく、甘い匂いがする。


明らかに高級な菓子―――きっと美味しいのだろう。


だが、俺はそれを口に運ぶことが出来ない。

彼女がこれをどうやって出現させたのかが気がかりだったからだ。


もしこれが俺の脱糞魔法「クソデルフィア」のような「魔力で物体を生成する魔法」により生み出されていたのであれば、口にした瞬間に死ぬ可能性がある。


見るからに優しい彼女が俺を殺そうとしているとは考えたくもないが、警戒せずにはいられない。


出来れば食べたくないが………


「………やっぱり好きじゃなかったかい?」


辛そうにする彼女を見てられない!

何故かは分からないが、罪悪感がとめどなく溢れてくる!


仕方ない………!

ここは、少しだけ齧り、異変を感じたらすぐに吐き出そう。


意を決した俺は、恐る恐るクッキーを口に運び、ごく微量を歯で削るようにして、舌に乗せる。


幸い、異変は無い。

どうやら魔力で作られた物ではないらしい。


ってか美味いなこれ!?


俺はそのまま残りのクッキーを口に放り込む。


「すっごい美味しいです!ありがとうございます!」


そう言うと、彼女の表情がパッと明るくなり、


「そうかい………! よかったねえ。たくさんあるからいくらでも食べてねぇ」


確かに美味しくていくらでも食べられそうだが、おやつを楽しんでいる場合ではない。


このどこかから出したおやつが魔法で造られたものでは無いとすると、どのようにしてこれをここに持ってきたかが問題となるが、一つ思い当たる魔法がある。


―――異世界召喚魔法だ。


異世界とこちらの世界を繋ぎ、無作為にあちらの人間を連れてくる魔法。


クッキーが入っていた袋に見知らぬ文字が書いていることから察するに、この菓子は異世界召喚魔法に近い魔法によってこちらの世界に持ってきた「異世界の菓子」ではないか?


だが、異世界召喚魔法はかなりの人数の魔法使いによる集団魔法―――それを単独かつ無詠唱で発動することなど出来るのだろうか?


それも、彼女は任意の物を選び出しているような口ぶりだった。


そこまで来ると、「異世界召喚魔法」とはもはや次元の違う魔法であり、そんな魔法一体どれほどの魔力と練度があれば可能なのか?


俺には全く検討もつかないが、目の当たりにしてしまった以上、彼女にはそれが出来る莫大な魔力を持っている、ということに他ならない。


そうなると、家をまるごと守り続けている強力な防御魔法にも合点が行くし、この「空き家」に致死量の魔力を充満させることも可能だろう。


だが理由が分からない。

見るからに優しい彼女が人を殺す魔法を仕掛けたのは何故だ?

それほどの力があるのに、何故彼女のことが知れ渡っていない?



彼女のことをもっと知る必要がある。


「名前を聞いてもいいですか?」


「名前………かい? あぁ名前も住所もちゃ~んと覚えてるよぉ。 私の名前は猫地 千代(ネコチ チヨ)。 住所は………えー。郵便番号が六四九の………えーと」


ネコチ・チヨか。変わった名前だ。

ゆうびんばんごう? というのは何のことか分からないが、本人も思い出せないようだし聞かなくていいだろう。


「あーネコチさん、ですね? 聞きたいことがあるんですが、なんでこの家には魔力が充満してるんですか?」


「………まりょく? じゅうまん………お金かい? お金は………ちょっと待っててねえ」


「あ、いやお金じゃないです。 えーと、魔力がこのお家の中にいっぱいある理由を知りたいんです」


「………?」


彼女はきょとんとして首を傾げる。


「………?」


ん?何で通じないんだ?


切り口を変えてみるか。


「さっきこのお菓子を出したのってどうやったんですか?」


「………? お菓子?」


「はい。さっきこのお菓子を、こうやって何もないところから出したじゃないですか? ほら、「これこれ」って。ね?」


俺は身振りを交え、出来るだけ分かりやすいようネコチに伝える。

ネコチはうんうんと頷き、一生懸命聞いてはくれているのだが………


「ふふふ。 ヒロシ君は踊りが上手だねぇ~」


まるで幼児を見守る母のよう。

理解はしてくれていないようだ。


これ………もしかして。いやまさかな。

一応聞いてみるか。


「………魔法って分かります?」


「………? まっぽ? 警察のことかい?」



うん………。


初めから薄々そうではないかと思っていたが、ここまでくれば疑いようもない。


彼女が俺を「ヒロシ君」と呼び、一向に話が通じない理由。


それは永い時を生きるとどうしても直面する問題―――脳の劣化だ。


いくら見た目が変わらなくとも、長年溜まり続ける記憶に人の脳は耐えきれない。

俺はまだ大丈夫………たぶん大丈夫なはずだが、彼女の脳は今日までのどこかで故障してしまったらしい。


家を守る結界魔法も、部屋に充満する魔力も、異世界からお菓子を取り出す魔法も全部無意識で発動していて、ネコチ自身はそれを理解していないどころか、「魔法」という言葉すら覚えていない始末。


つまり、彼女は「ボケている」のだ。


そうなると、ある問題が発生する。


少なくとも百年近く異常な強度の結界魔法の維持、及び家中を致死量の魔力で充満させ、無詠唱で軽々しく異世界召喚を行うほどの無限に近しい魔力を持つ者が、それらを発動させたまま魔法を忘れてしまった場合、一体どうなるのか?




解除不可の永続魔法。

即ち―――




―――「呪い」になる。

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