第二十一話 自称嫁


「あーんして? ほら、あーん!」


少女がスプーンの上で作った小さなカレーライスを差し出して、俺が口を開けるのを待っている。

彼女の黄金の眸は何かを期待するようにキラキラと輝き、


「あーん」


俺は仕方なく口を開け、カレーライスを頬張る。

少女は咀嚼する俺をまじまじと見つめ、ニッコリと笑う。


「おいしいねっ!」


「………うん。ありがと」


「お水はいるかー?」


「大丈夫」


「分かった!じゃあもう一口な?………ふー。ふー。はい!あ~ん!」


「あーん」


「ふふっ! いい子いい子~!」


毛先がくるりと跳ねた金髪を腰まで伸ばし、耳の上から伸びる小さな赤いツノが印象的な亜人の少女。

背丈は人間でいう十歳程度だろうか? 華奢な身体を包む白いワンピースに八重歯を見せた笑顔は、まさに魔国領に差す太陽が如し。


俺に甲斐甲斐しく世話を焼き、口元に届けられたカレーを食べただけで頭を撫でてくれている。

俺のことを心配して、自分よりもずっと大きい魔人を叱りつけてくれた。

俺との関係を聞かれ、「お嫁さん」と恥ずかしそうに答えていた。



―――だが魔王だ!



この大変可愛らしい少女は、俺のストレスの捌け口としてチ〇ポをタコ殴りにしていた魔王だったのだ。

俺の言うことを何にも聞かない、戦争することしか頭にないあの魔王だったのだ。

赤い肌と巨大にして頑強な体躯、額から生えた威圧的な角。鬼魔人族の中でも群を抜いて凶悪な風貌をしていたあの魔王だったのだ。

大岩を握りつぶす怪力。全身から溢れる膨大な魔力量。強靭すぎて刃はおろかほとんどの魔法も通さない皮膚。

魔国領史上最強と言われ、まさに「武力の化身」だったあの魔王だったのだ。



―――あの! ムキムキパッツパツの我儘カス魔王だったのだ!


だ~れも信じてくれません!


だってそりゃそうだよね!?

な~んの面影もないんだから!


まあ? 記憶を失ってるのは俺が吹っ飛ばしたからだけども?

それでもな~んでこんな可愛い優しい子になっちゃった?


もうさっぱりわかんないよね!

この子のことも、この子との接し方も!


「お、おいアレ見てみろよ! 『魔王の部屋でロリコン脱糞男』の話はホントだったんだ!」


ロリコン脱糞ってなんだ。


「やばすぎンだろ!? たしか魔王とあの子を肛門に閉じ込めていたんだっけ?」


やってないよ!ドラゴンじゃないんだから。


「あ、あぁ。それで魔王はそのまま異世界に送り、あの子は『嫁』に洗脳したらしい………」


「『肛門洗脳術』………ッ!? まさか実在したとは」


実在してないよ!

頼むからそっとしておいてくれ!


正確性はともかく、俺がやったことは有ること無いこと広まってしまったようで、食堂にいる全兵士が俺をおぞましいモノとして見ている。


ニャムルがこれを「晒し刑」だと言っていたが、なるほど。

これは確かに苦痛だ。


だって酷いよね?

参謀として頑張ってた俺の事を「ロリコン」だとか「脱糞男」だとかさ?

もうこいつら人じゃねえ。

人だったらこんな酷いこと言えねえもん。


やっぱアレか?魔人だからか?

魔人だから人間の気持ちが分かんねえのか?

そうだ!人間だったらこんな酷いこと言わないもん!

魔人は全員酷いヤツだ! みんな居なくなってしまえばいいんだ!


「やっぱ人間ってヤバいヤツばかりなのかな?」


はん!お前ら最低なヤツらよりう~んと良い奴ばっかりだよバカが!

低俗な魔人ども


「いやダメだろそんなこと言ったら! 人間だって普通のやつはいっぱいいる! 種族で括ってバカにするのは最低だぞ!」


「そ、そうだよな………。すまねえ。俺ってばなんてことを言ってしまったんだ………」


………。


まあ、とにかく、だ。

こうやって拷問部屋を脱走しているにもかかわらず、普通に食事が出来ていて、兵士も俺を捕らえようとしていない。


最高の状況じゃないか?

食事で魔力も回復出来るし、ゆっくり逃走計画を練ることが出来る。

ピヨコが暴走しだして完全に詰んだと思ったが、思いがけない形で最良の結果が出た。


これまで悉く運に見放されて悪い方へどんどん転がってしまったが、ここへ来て俺に流れが来た。


これなら本当にいけるんじゃないか?

魔王城からの脱出―――拷問と処刑が確定した状況での無謀とも言える計画が、いよいよ現実味を帯びてきた。


よし!なんだか元気が出てきたぞ!

これからじっくり策を練り、準備を済ませ―――俺は絶対に魔王城を脱走する!


「ブレイン様~! これ美味しいピヨ~! あの、なんだっけ? すまーとえっぐ?」


「スコッチエッグだぞピヨコ! なんだぁ? すまーとえっぐって!」


「スコッチエッグ! そうだったピヨ~!ふふふ!」


「ピヨコったら! ちゃんと覚えろよ~!ふふふ!」


「「「「ふふふふ!」」」」


あぁ!ピヨコも笑顔!まるで俺の成功を予期しているかのようだ!

いける!いけるぞォ!


「ブレイン元気になったね! よかったね~!」


俺の顔を覗き込む少女は、表情に希望が帯びたことに気付いたようで、頭を撫でて労ってくれる。

ふむ。この子はどういうわけか俺のことを旦那だと思っているし、気分が良いからそれなりの対応をしてやろう。


「ありがとう。君のお陰で元気になったよ!」


「君、じゃないよ? ちゃんとお名前で呼ばないとダメ!」


少女は眉をいっぱいいっぱいにしかめ、俺が名前で呼ばないことを咎める。

名前を覚えてる、ということか?

だが魔王の名前を呼んだらまた変な騒ぎに………いや待てよ?

この少女が魔王と同じ名前だったならば、俺の供述の証拠と出来るのでは?


まあそれが受け入れられたところで、どのみち処刑されることには変わりないか。


「ありがとう。ヴェルヴァルド」


俺が魔王の名を呼んだことで、食堂内の全員(アホのヒヨコ達は除く)が俺に注目する。


「お、おい聞いたか? 今あの子のことを魔王様の名前で呼んだぞ?」


「いたいけな少女を『嫁』に洗脳するだけでなく、魔王様の名前をつけるなんて………イ、イカれてるッ!!」


「………聞いたことがある! 相手を恨むがあまり、それが性欲に変わってしまうことがある、と!」


「それってつまり………あの子を魔王様に見立てた『魔王様プレイ』ってコト!? なんておぞましい性癖!!」


ど、どうとでも言えばいいさ!

だって違うし! 俺魔王様プレイしてないし!

この子本当に魔王様だったし!


周囲が俺をもはや痛ましいものとして見るようになっていた頃、少女は何故か悲しそうな顔をしていた。


「どうしたの?」


「べるばるど……? じゃないぞ? 忘れちゃったのか?」


え? 名前が違う?

どういうことだ?


記憶を失って、俺のことは覚えていて、何故か俺と住んでいる設定で、しかも嫁。

さらに、本当の名前とは異なる名前で認識している?


そんなことあるのか?

設定やら境遇なんかは欠けた記憶を繋いだ結果勘違いが生じてしまった、と納得出来る。

が、名前なんて、覚えているか、忘れたかどちらのはずだ。


いや、そんなこと今更考える必要はない。

だって俺はこの城を脱走するのだから。

元魔王のこの子を連れていく意味はないし、この子の名前を知る必要も無い。


とはいえ俺は気分が良い。悲しませないように優しいウソでも吐いてやろう。


「ごめんね。俺頭打っちゃってちょっと記憶が怪しいんだ」


「え!? そうなのか………。じゃ、じゃあ私の名前以外はちゃんと覚えてる?」


少女は心細そうに俺のシャツを掴む。

俺をじっと見据えながらも、その眸は不安に揺れ、今にも零れ落ちそうだ。


「ちゃんと覚えているよ。君は俺の『お嫁さん』だ」


俺はウソを吐く。

もちろん今後の事は一切考えていないし、この言葉の責任なんて一切取るつもりはない。

この子が泣き出してしまうのが面倒だから吐いただけの心無き言葉だ。

ただ、この子が言っていた言葉をそっくり返しただけ。ただそれだけのつもり。


「お、お嫁さん………!! ほ、本当にそうだったんだ………!」


え? 本当に、って?


少女は俺の言葉に大きく驚いたようで目を大きく見開いた後、俯いてなにやらモジモジとし始めてしまう。

その予想外の反応に面食らった俺は、なにやら思いがけない何かを踏んでしまったかもしれないと焦り、


「も、もしかして違った? 違ったら本当のことをおし」


「ん~ん!! お嫁さん!! お嫁さんだぞ~!!!」


少女は大袈裟に首を振ってみせ、胸に手を当てて笑顔いっぱい。

そして「お嫁さん」と反芻しながらその場をぐるぐる回り、俺の元に戻ってきて、


「私の名前はベルベル! ふふっ! もう忘れたらダメだぞ~!」


その可愛らしい顔を幸せでいっぱいに満たしながら、自分のことを「ベルベル」と呼んだ。


ベルベル、まあヴェルヴァルド、という名前をもじればならないことも無い、か?


まあいい。この子はベルベルという名前。それで十分。

この子の「お嫁さん」問題も、ベルベルという名前になった経緯も、もう考えないでおこう。


「分かった。ベルベル、うん。覚えたよ」


とてもゴキゲンになった少女は、お皿が綺麗になるまで俺の口にカレーライスを運び続けた。


食堂に着いてから一時間ほど経っただろうか。

皆が食事を終え、ピヨコの変な話が続いていた頃。

俺は少女に「いつ帰れる?」と聞かれるのを適当に誤魔化しながら脱走作戦を練り込んでいた頃。


ニャムルが「そろそろ食堂も混みますので」と席を立った。

ピヨコ達も「そうピヨね~」と立ち上がり、俺が座るお手製車椅子に手を掛ける。


それと同時、いや少し遅れて、食堂の扉が勢いよく開かれる。

ドアが壁に当たり、甲高い音を立てて全員の食事を止める。


警備兵の一人:狼魔人が入室し、敬礼。


そして、大きく息を吸い、



「全兵に告ぐ! 罪人:ブレインが拷問部屋より脱走! まだ城内に潜伏中と見られる為、発見次第捕らえよ! 繰り返す! 罪人:ブレインが拷問部屋より脱走! まだ城内に潜伏中と見られる為、発見次第―――」


その警備兵は指令を繰り返しながら、その前方一直線、食堂の奥にいる集団を視界に捕らえる。

そして、数秒の沈黙。


その沈黙は食堂の兵士達に準備する時間を与える。

狼魔人は腰の剣を抜き、前方の集団―――俺達へ向けて叫ぶ。


「捕らえよッ!!!」


その号令を聞いた二百人を越す兵士が、俺へ向けて剣を抜いた。

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