第六話 脱糞中は目を見るな


「さ、参謀殿!? な、何をしておられるのですか!?」




壁が破壊された魔王の寝室。




フェンリルは鼻を抑えながらも、ドア枠に寄りかかるようにして俺を見下ろしていた。


その顔は痛みを堪える為に流したであろう体液に濡れ、さきほどまで壮絶な苦悶に襲われていたことが分かる。




しかし、その表情が持つ成分の大半は「困惑」だ。


痛みすら片隅に追いやられているように見える。




まあ仕方がないだろう。




自分が警備している最中に、主君が眠る部屋の壁が破壊されたのだ。


警備兵長という立場。そして彼は責任感の強い男だ。さも不安だったことだろう。


胸を裂くような不安と焦燥にかられながらも、魔王が無事であることを切に願い、縋るような気持ちでこの部屋のドアを開けたに違いない。




それが、いざ開けてみれば魔王がおらず、代わりにいるのが別の上司と知らない少女だ。


もう予想外どころの騒ぎではない。




しかし、自失していたのはほんの数秒。


こうしてすぐさま質問を出来るとは、さすがは俺が推薦した男だ。




にしても、本当にマズイ状況だ。




逃げ一択という状況の中、逃げられなかったどころか現在脱糞中。


警備兵長に見つかり、彼は俺を直ちに捕まえることが可能な距離。


脱糞魔法の効果によって、俺は脱糞が完了するまで動くことが出来ない。




クソっ! 脱糞魔法が完全に誤算だった!




これまで数度使用したことはあるが、これほど時間を要したことは一度も無かった。


便秘で辛い時用の魔法を平常時に使用したことが、魔法効果に何らかの変調をもたらした?




いや、それは今考えても仕方がない。


脱糞しているのを見られた以上、もはや弁明は不可能。


となると俺がやることは一つだ。




フェンリル警備兵長を始末し、逃走する。


その為にも―――






―――一刻も早くクソを捻り出す!






「んうううううううう!!!!」




「ひっ!!??」




俺はフェンリルが早まらないよう目で牽制しつつ、脱糞に必要であろう全筋肉に力を込める。




質問に答えないどころか必死の形相できばり始めた俺に、フェンリルは相当怯えているようだ。




それも当然だ。




一介の兵だった彼の能力を見出し、兵長という肩書を与えた俺は、彼にとっては生きる道に光を灯してくれた恩師に他なるまい。


そんな恩師が目の前で脱糞しており、声をかけるや否や唸り声を上げて威嚇してくるのだ。




自身が信じ歩んできた、そしてこれからも歩む予定だった道。


それを瞬く間に崩壊させる、痛恨の一撃。




暫くは自失し、動くことさえ出来ないだろう。


これで脱糞の時間を稼ぐことが出来たし、フェンリルの処理が容易になった。




よし。脱糞の方もこれで終わ―――!?




これまでの日常の中で幾度となく脱糞し、その度に身体が覚えていた「脱糞終了の感覚」。


その感覚が確かにあったのだ。


あとは身体を翻し、魔法を放ってフェンリルを処理―――そのはずだった。




脱糞が終わったはずの身体が動かない。


魔法の欠陥? 何者かによる魔法攻撃?


それらが頭をよぎった直後、肛門に違和感を覚える。




―――だ、第二波、だとッ!?




第二波―――排出者に脱糞終了と思わせておきながら、遅れたようにやってくる便意。


ひと時の安堵と爽快感を味わわせ、直後振り出しに戻すという、人に仇なすウンチによる悪辣な所業。




見えたはずの光明。それが瞬く間に失われ、俺はがっくりと肩を落とす。


心は黒いもやで覆われていき、戦意を削がれた敗残兵のように下を向く。




そんなどん底に落ちた俺に背後から声が掛かる。




「さんぼう、どの………ッ!」




震えた声色。


しかしそこに込められた強い決意が、俺を振り向かせる。




「お答え、くださいっ! あなたはここでっ、なにをしているッ!?」




ただ呆然と立ち尽くし、俺の脱糞完了を待って処理されるはずだった男は、固い意思が込められた眼差しでこちらを見据えていた。




完全に捉えたはずの一撃。


フェンリルがそれを耐え、こうしてまだ俺の前で戦う顔をしているのは、彼が持つ責任感の強さに他ならない。




かつて俺から警備兵長の役職を与えらえ、「私にこんな大役務まるのでしょうか」と困り笑いを浮かべていた彼は、任された職務と向き合い、全うし続けたことで「魔王軍No2とも戦える男」に成長していたのだ。




警備兵長として事件を解決する。その為に目の前の男が誰であろうと問いただす。




彼の警備兵長としての誇りが、彼自身の心を繋ぎとめていた。




だが、部下に成長を見せられて、俺の心にも火がともる。


脱糞が止まらない異常事態。先の見えない暗闇の中。


しかし、負けてやるわけにはいかないのだ。




俺は魔王軍参謀:ブレイン。こんなところで終わっていい人間では断じてない!




「んうううううう!!!!!」




「なぁッ!!??」




与えられた職務を全うするという誇りと、与えた上司としての誇り。


お互いの誇りを研ぎ澄ませ、相手により深く突き刺した方が勝利する。




「お゛ごだえ゛っ゛ぐだ」




「ぬうううううううう!!!!」




「!!??」




フェンリルはよくやっている。


ここまで俺についてきたことは賞賛に値する。






だが、年季が違う。






「がああああああああ!!!!」




「―――」




トドメの慟哭。




これまでの脱糞に重きを置いた呻き声では無い、本気の叫び。


慕っていた上司が脱糞しながら叫んでいるという異常な光景に、フェンリルを繋ぎとめていたものがプツンと切れる。




目をぐるりと回し、膝をつくフェンリル。


俺の長年兵を率いてきた参謀としての誇りが、若輩の誇りを穿った瞬間であった。




しかし、勝利を喜びたいところではあったが、俺にはそれが出来なかった。




気付いたことがあるのだ。




思えば、ずいぶん身体が重いような気がする。


頭もスッキリしていたはずが、どんどんぼやけていく感覚がある。




脱糞魔法「クソデルフィア」は体内の老廃物を集約し、肛門から排出する魔法。


では、体内に老廃物が少なく、便を形成出来ない場合はどうなる?




薄れゆく意識の中、答えが見つかる。




老廃物を魔法で作るのだ。




魔法で作った老廃物を、魔法で集約し、魔法を使って排出する。




それを幾度となく繰り返し、それが終わるのは―――




「魔力、切れ………」




その場に倒れこみ、ほどなく切れてしまうであろう意識の中。




部屋に入ってくる足音、そして会話が聞こえてくる。




「まおうさ―――!? ぐあああああああああ!!! 鼻が! 鼻がああああ!!! 」




「おい、一体どうしぎゃああああああ!!! 鼻がああああ!!!」




「どうした警備兵!? ってくっさ!!! くっ、これは鼻が利く狼魔人には辛いだろうな………ってブレイン様!? それに兵長まで! どうされました!? だ、ダメだ意識が無い!」




「おいおい!これはどうしたってんだ? みんな何にやられっちまってんだよ!?」




「お前はカブトムシ魔人のトム!? ひっ、人を呼んでくれ! ブレイン様と兵長がやられた!! おそらくこの茶色い………毒だ!!」




「毒………? どれどれ。ペロッ………! この味、この舌触り………間違いねえ!ッ人糞だ! ―――ぐッ!? なんだこれ! ま、魔力が込められ………ぐっ、ぐわあああああああ!!!!」




「トム? おい……おいトム!? 返事しろトム! トム!」












「………死んでる」

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