第五章 スイミー 7
* 7 *
階段を上りきると、見晴らしの良いテラスに出た。
そこから見下ろせるのは、小高い丘の下に広がるメイプルの要塞都市。
やっと太陽が地平線から上がりきったばかりだというのに、都市からは様々な音が聞こえてくる。
かすかな人々の喧噪に混じっているのは、木を叩く甲高い音や、大きな石を運ぶ人たちのかけ声、たくさんの馬のいななきなど。
魔王軍の襲来によって、壊滅的というほどではないにしろかなりの被害を受けた要塞都市は、復興が始まったばかりだ。
けれど聞こえてくる声はどれも明るく、活気に充ち満ちている。元の世界で聞こえてきた声とは何もかもが違う、生命力に溢れた声のような気がした。
「タクト、どうかされましたか?」
「いや、みんなたくましいな、と思って」
かけられた声に、俺は後ろから着いてきてくれている人に振り返る。
トール。
長い艶やかな黒髪をし、端整な顔立ちに笑みを浮かべていてくれる彼女。
相変わらず濃い緑色のメイド服を着ている彼女だけど、いま着ているのはリディさんと一緒につくり直した、丈夫な素材を使った新しいもの。
これから俺たちが出る、旅のための。
「人間という種族は昔からたくましくて、しつこいですよ。それはまるで、駆除しても駆除しても湧いてくる虫のように」
「酷い言い様だな」
「ですがそのたくましさこそが、人間をいまのような反映に導いた理由です。巨人族も妖精族も、竜族すらも、引き際が良く、諦めの早いことが多いですから」
トールの言葉に俺は思う。
世界が違っても、人間の性質はあまり変わらないのかも、と。
「そろそろ行きましょう。あまり遅い時間になるわけには行きません。ラキもアーシャも待たせていますし」
「そうだな」
傍までやってきて、俺よりも背が高く、頼りになって、俺のことなんかを好きと言ってくれる彼女とともに、要塞の上層部の建物へと入っていく。
魔王軍の撤退から、――ゴローの死から、一週間が経っていた。
翌日には姫を代理の領主として復興が始まり、被害どころか戦闘自体なかった討伐軍は、元の要塞勤務の兵士と傭兵を中心とする戦力を残し、王都へと帰還していった。
逃げると言っていた割に一番に謁見の間に入ってきたジェインなんかは、……元魔王の死体を見て自分のおかげで討伐できたんだと騒ぎ、姫にはたかれていたりもしたが。
そんなジェインも、そろそろ王都に到着している頃だろう。
魔王軍に攻め落とされたとなったら、普通なら人間なんて全滅していてもおかしくないと言うことだったのに、要塞を守護していた兵士の死者はかなりの人数に上ったが、一般の住人の被害は限定的だった。
要塞都市はもちろんのこと、周辺の村や町を巻き込んだ復興事業と同時に、魔王討伐成功のお祭りは、最初の三日間ぶっ通しで開催できるほど、人的被害は少ない。
ゴローによって顔や身体で選ばれ要塞に連れてこられた女性たちも、多忙な魔王の夜の相手をさせられることは一度もなく、結局ゴブリンたちに調理や裁縫を教えるだけで、惜しまれつつ解放されたということだった。
住人に被害がなかったのは、おそらくスイミーと、その忠実な僕であったガルドの考えだ。
彼ら――いまスイミーは女の子になってるから彼女らか――の考えはいまひとつ俺にはわからない。ただ、少なくともスイミーとガルドには、人間に対して積極的に敵対する意思がなかったことだけはわかる。
もしそのうち、スイミーとじっくり話をする機会が得られたら、どんなことを考えているのか訊いてみたいと思う。
両開きの扉のところに立っていた兵士に軽く手を上げて挨拶すると、ビシッとした敬礼が返ってきた。
ちょっと緊張しつつも、俺は扉を開けてもらって、トールとともに謁見の間に入る。
謁見の間は、いまだボロボロだ。
崩れそうなところを囲って入らないようにしたり、ボコボコになった床を砂で埋めて応急処置してるだけで、本格的な補修は始まっていない。
姫曰く、魔王を失った魔王軍の再襲撃はあり得ないから、要塞の修繕は後回し。町の復興は儀礼的なやりとりよりもいまは実務的な取引の段階だから、こんなとこの補修は最後でいい、だそうな。
危険な場所を避けて無人の謁見の間を通り抜け、目立たないところにある扉をノックした。
「入れ」
「お邪魔します」
姫の声に扉を開けたそこは、屋敷にあったのよりも二倍近く広い執務室。要塞の領主が主に仕事をする場所だったそうな。
現在、メイプル要塞は領主がゴローによって処刑されてしまっているため、不在。
カエデ・エディリア王女が仮の領主として、要塞と都市の復興に関わる仕事を受け持っていた。
「タクトか。あー、二日ぶりだったか?」
「昨日も会ったよ。忙しそうだね」
「まぁな。ゴローの奴が三ヶ月の間に杜撰な仕事をしていたようでな、復興の業務だけでなく通常業務もかなり溜まってしまっているよ」
そう言って疲れた表情を見せる姫が就いている机の上には、漫画表現的なほどの書類が積み重なっていた。
魔王討伐成功のお祝いを言いに来る人も多いし、商人や職人、兵士など、会って話すべき人も多いようで、姫はいま寝る間も惜しんで仕事をしているらしい。
「忙しいなら、まぁ……」
「そう言うな。リディ、お茶を淹れてくれ。少し休憩する」
「はい、かしこまりました」
椅子から立ち上がり、お茶をするためのものだろう、姫は丸いテーブルのところまで出てきて、そこの椅子に座った。俺とトールにも座るよう手で勧めてくる。
トールと顔を見合わせてから、無碍にするわけにもいかず椅子に座った俺たち。
いまの姫は、もう黒一色の服ではない。
黒は多いけれど、白や青で飾り立てられた、煌びやかなドレスを身につけている。
お茶の準備をしに奥に引っ込んだリディさんも、真っ黒ではなく、濃紺のワンピースを着ていた。
魔王を倒したことで、ふたりの喪に服する期間は終わったのだろう。
「ふふっ」
「どうしたの?」
俺の方ではない、どこかを見て含み笑いを漏らす姫。
「いや、いまの王の心中を察すると、ちょっとな」
「王の心中?」
「うむ。王は討伐軍を捨て石にし、時間を稼いで軍備増強や、周辺国への協力を取り付けることしか考えていなかったはずだ。おそらくすでにその準備を始めていたことだろう。それなのに、やってきたのは魔王討伐完了の報告だ。嬉しがって良いのか、悔しがって良いのかわからず、苦虫を噛み潰しているだろうな、と」
「王様からはなにか連絡はあったの?」
「あぁ。功績を讃える短い書簡が一通。文面は短く簡素であったが、その文面からも倒せるはずがない魔王を退治したことへの、困惑が見て取れたよ」
「そっか」
楽しそうに笑っている姫の心中は、俺にはよくわからない。
差し違えてでもゴローを殺すつもりだった姫は、復讐を達成したことで、いまはまた自分の野望に邁進するようになったのだということはわかった。
「しかし良いのか? タクト。魔王討伐はお前の功績だ。報償はもちろんのこと、それなりの地位も用意してやれるのだぞ?」
「んー。お金はまぁ、かなりもらったし、地位はいまのところ邪魔かな、と」
目を細めて心配するように俺を見つめてくる姫に、俺は苦笑いを返しながらそう答えた。
魔王の討伐については、姫とジェイン、それといまは臨時の兵士長に抜擢された元副長によって、偶然角を切り落とすことができ、力を奪えたので倒せた、ということになっている。
俺のソウルアンリーシュと、トールやラキ、アーシャの存在と、その貢献については、姫やリディさん、ジェインや副長、それから屋敷を警備していた兵士以外は知らない。
そう発表するよう、俺が頼んだからだ。
姫がゴローを殺したことは、正直いろいろと精神的にクるものがあった。
一時は殺したいと考えるほどの奴だったけど、目の前で、見知った人の手にかかって殺されるというのは、どんな奴だったとしてもショックが大きい。
「ジョーカーのこととか、使徒とか、気になることがたくさんあるからね。英雄って名声は便利だけど、目立ちすぎるのも問題あるから」
「それは確かにな。どこに行っても名前だけは知られているというのは、有利になることもあれば、不便を被ることも多い」
リディさんが帰ってきて、注いでくれた紅茶のカップを傾け、香りを楽しみながらも姫は力強く頷いた。
ちなみにゴローの死体は、三日間磔にされ晒された後、要塞都市の住人の前で燃やされた。
そのあと神殿で浄化の儀式をされた後、遺灰は近くの河に流された。
魔族や妖魔は死ぬと魔石や魔力の籠もった器物になることがほとんどだが、そうならないときや、魔石とは別に遺体が残ることがあるそうだ。
ソウルアンリーシュによって、スイミーや他に取り込んでいた歪魔と分離したゴローには、瘴気の影響は残っていなかったはずだ。だけどゴローの身体は魔王の身体。浄化して河に流す、歪魔の遺体に施される、通常の処理方法が採られた。
散骨と思えば良いのかも知れないが、知り合いが弔われることのない最期を迎えたのは、悲しさとも寂しさとも違う、冷たい気分になった。
「タクト」
「……ありがとう、トール」
うつむいていた俺を気遣い、テーブルの上に出していた手に自分の手を重ねてきてくれたトール。
彼女に礼の言葉を述べ、笑みに笑みで応える。
「旅立つのか? タクト」
「うん。もうすぐ出発するよ」
俺とトールのやりとりを唇の端をつり上げて見つめてきていた姫が、そう問うてきた。
遠くなく旅立つことは、姫たちには伝えていた。
勇名を捨てたから、膨大なとは言えないけれど、姫がいま出せる最大に近い金額のお金をもらっていたし、いざとなったらいろんな人に頼れるよう書状や姫の印を象ったアクセサリも受け取っていた。
旅に必要なものもいろいろ手配してくれて、準備は整った。
だから俺は、メイプル要塞を出る。
いいや、逃げると言った方が正確だろう。
処理しきれない記憶を残すことになったここに、あまり長くはいたくない。
「そうか、残念だ。できれば私も一緒に行きたいのだがな」
「姫が一緒にって……」
「無理ですよ、カエデ様」
「わかっているっ」
眉根に怒りを寄せているリディさんの言葉に、姫は唇を尖らせながらそっぽを向いた。
「私はここであとしばらくの間、復興などの仕事をする。地盤固めをするためにもな」
「地盤固め?」
「そうだ。魔王にトドメを刺したのは私ということにしてあるから、その功績は誰もが認めることだろう。だがそんなもの程度では王座への道は遠い。メイプル要塞は我がエディサム王国の建国に関わる要所。ここでの地盤固めを手始めに、いつか私が女王になるための道筋をつけたいのさ」
「野望が大きいね」
顎を反らしながらにんまりと笑う姫に、彼女がすっかり元気に、とまでは行かないまでも、最初に出会ったときの彼女に戻っていることを感じた。
「しかし、意向など無視してお前を英雄に仕立て上げ、私の婚約者にでもしておけばよかったか?」
「なっ、なに言ってんだよっ」
「政略によって顔も知らぬ男と結婚させられるのも勘弁してほしいからな、そうしたのも選択肢の内だろう、とな。それにタクト、私の初めてをくれてやったのだ、その責任は取ってもらわねばな」
意地悪そうに笑い、姫は赤く塗られた小ぶりの唇を撫でてみせる。
「……いや、むしろあれは、俺がもらわれた方のような……。怪我を治してもらったことは感謝するけど」
「確かにな。そうまで言うならば仕方あるまい。私が責任を取って、女王になった暁にはタクトを婿に取ってやろう」
「タクトはカエデのものではありません」
そう静かに言ったのは、トール。
睨むのとも違う、静かで冷たい視線で見つめられた姫は、けれど本当に楽しそうに相好を崩した。
「冗談だ、トール。さすがにお前たち眷属たちからタクトを奪い取ろうとは思わん。魔王と戦えてしまうお前たち相手では、我が国の戦力をすべて投入しても倒せるかどうか難しいところだからな。――ただ、未来にはそうした選択もまた、必要になるやも知れぬ、ということだよ」
「……必要だったとしても、イヤです!」
自分を無能と言いつつ、姫の言葉を裏まで読み取っている様子のトールは、唇を尖らせながら視線を逸らした。
「どうしても、行くのか?」
「……あぁ。どうしても、行かなくちゃいけなんだ」
ためらうようにかけられた姫の問いに、俺は彼女の緑がかった瞳を真っ直ぐに見つめて、そう答えた。
メイプル要塞から逃げるだけでなく、俺には知らなくちゃならないことがたくさんあると思うから。
それに、トールやラキやアーシャと、この世界を見て回りたいから。
だから俺は、旅に出る。
その決意は、翻らない。
たとえ姫とリディさんが、寂しそうに目を細めて見つめてきていても。
「わかった。しようがないな。私もこちらでやることが終わったら王都に戻る。お前もまずは王都を目指すのであろう?」
「うん。いろいろと、寄り道をしながらになると思うけど」
「そうか。ならばまた王都で会おう、タクト」
言って椅子から立ち上がった姫は、俺に右手を差し出してきた。
同じように椅子から立った俺は、姫の小さく、暖かい手に自分の手を伸ばし、握手を交わした。
「また王都で」
嬉しそうに笑む姫に、俺も笑む。
*
復興の音が聞こえてくるメイプル要塞の都市を、幼い子供が見下ろしていた。
要塞の上、尖塔の屋根に立つ幼子は、まるで羊の角のようにクセのあるツーサイドアップの髪を風に揺らし、都市の様子を楽しそうに見つめている。
「本当に、人間というのはたくましい。そこは羨ましく感じるな」
その幼子、幼い子供の姿となったスイミーが声をかけたのは、音もなく彼女の隣に出現したガルド。
「確かに、このたくましさは人間族特有のものです」
「いつか歪魔もこうした活気を持てるようになれば良いのだがな」
「難しいでしょう。そもそも我らの根幹にあるのは、世界に対する恨みですから」
「ワシにはもうその想いすらもなくなってしまったがの」
「……」
静かな瞳で見つめてくるガルドに、彼の方に振り向いたスイミーは唇の端をつり上げて笑んだ。
「それで、魔群の方はどうなった?」
「いくつかの群れに分割し、定住に適した土地の捜索に入っております。農作業のやり方だけでなく、山での食料の採り方、食料の保存方法もある程度学べましたので、次の冬は越せるかと。春が来てからは畑をつくり、食料の栽培を始めねばならず、種や農具の入手が必須です。これは渡りをつけた商人から買い取ることができますが、そのために価値ある商材を雪深くなる前に揃えねばなりません」
「なかなか先行き不安だの」
「はい。鉱物を採るのに良い場所にいくつか当てがありますし、妖魔どもが好まず人間が好む山の食料もありますので、しばらくはワタクシが手を貸さなければなりませんが、数年で軌道に乗るでしょう」
「それは失敗して全滅する魔群があることも含めての話か?」
「はい。我ら歪魔はいくつもの失敗をすることでしょう。そもそもが血気盛んな者たちばかりですから、互いに争うこともあるでしょう。失敗して全滅することも含めて、我らの新たな試みです」
「うむ。良い言葉だ」
ニコニコと楽しそうに笑っているスイミーに対し、ガルドは眉を顰めて彼女のことを見つめている。
「ずいぶんと遠くに寄り道をしてしまい、多くの妖魔や魔族を失ってしまったが、行くべき道筋はつけられた。結果だけ考えれば、成功と言ってもよかろう」
数が多くなり過ぎ、採取や狩猟だけでは食料が充分に確保することができず、数が減少していっていたスイミーの魔群。
そんな頃に大魔王討伐戦からずっと逆恨みを出していたライムの竜王の喧嘩を買い、全面対決となってさらに魔群の歪魔は大きく減少した。
竜族との戦争により思った以上に土地は荒れ、火山の噴火が重なり魔群を維持できないところまで食糧難は深刻になった。
ゴローに取り込まれるという失態を冒したものの、最終的な結果だけ考えれば、魔群は新たな道を歩み出すことができた。
スイミーにとってそれは、成功と言って良い結果だった。
おそらくタクトであれば別の方向で考えるだろうと思ったが、歪魔は仲間を思う気持ちがあったとしても、結果に対して乾ききった考え方をするもの。
いまの結果に、スイミーは充分納得していた。
「この後は、どうされるおつもりで?」
「んー?」
目を細め、ガルドは真っ直ぐにスイミーの瞳を見つめて問うてくる。
ガルドは強大な瘴気によって生まれた歪魔で、魔族で、魔人。世界への恨みそのもの。
瘴気の強さがそのまま恨みの強さになることはなく、破壊の衝動も同様。スイミーもそうした魔があまり強くない魔人であったが、それはガルドもだった。
「とりあえず、せっかくなにも考えずに人間の中に溶け込める身体を得たのだ。いろいろと見て回ってみようと考えているが?」
「魔群には、戻られないので?」
「その気はないな。そもそも虐待されたり飢えに苦しんでいた連中が集まってきて、どうにかしてくれと頼むから、面白そうだったのでやっていただけじゃ。奴らは新たな道を歩んでおるし、ワシも新しいことがやりたい。もう面倒臭いことはやる気はないわい」
「ならば、ワタクシもお伴いたしましょう」
不安定な尖塔の屋根の上で、ガルドは器用に腰を深く曲げて礼をしてくる。
そんな彼の様子に呆れたように鼻を鳴らしたスイミーは言う。
「ワシはもう歪魔ではないぞ?」
「わかっております」
「力こそゴローが取り込んだ歪魔とも合体しておるから前よりも強くなっておるが、タクトの奴に吸い取られて魔が消えてしもうておる。純粋な力ある眷属じゃ。故にお主と交わした忠誠の誓いも失効した。事実、他の魔族はワシから離れていったではないか」
「ワタクシはワタクシです」
「不思議な奴じゃな」
そう言ったスイミーに、顔を上げたガルドは反論する。
「それを言うならば、歪魔でなくなったにも関わらず、魔群のことを気にされているスイミー様も相当かと」
「……痛いところを突きおって。しかし、本当にお前は初めから不思議な魔人よの」
ガルドとの出会いは大魔王グラム・スパイズの軍に下る以前に遡る。
出会った頃から彼はスイミーにとって不可思議で、謎が多く、しかしながらその忠誠心だけは数百年の間、それどころか歪魔でなくなったいまですらも変わらない。
何を考えているかはわからなかったが、それが面白いならば別にそれで構わなかった。
「そもそも、スイミー様が歪魔を力だけ出なく、智と義によってまとめ始めたのが最初です。過去の魔王すらもやらなかったことを始めた貴女に惚れ込み、ワタクシは忠誠を誓ったのです。たとえ忠誠の誓いが失効しようとも、貴女が歪魔でなくなろうとも、貴女が貴女の魂を持ち続ける限り、ワタクシは貴女の忠実なる僕です」
片手を胸に当て、片膝を着き、忠臣が主にするようにかしこまったガルドは、しかしその顔にニヤリとした笑みを浮かべた。
「ワタクシは貴女のやることを一番近くで見、手伝い、体験したいのです」
「まるで人間で言う、結婚を申し込む奴の言葉のようではないか。――まぁ、良いがな。そうしたしつこさは、まさに歪魔だな」
肩を竦めて鼻から息を吐いたスイミーは、ガルドの態度に諦めを表した。
「それに、人間の町で過ごすならば、いまの貴女の姿は何かと不便であるかと。相手の力を探る感覚を持たず、姿を見て判断する人間どもには、幼い子供の姿というのは軽んじられる存在となります」
「……まぁ、確かにな」
自分の姿を見下ろし、スイミーはため息を漏らす。
生まれ変わるという意味で、タクトの記憶から適当な姿を選んで合成し、幼い子供の身体としたが、考えてみればそれは大人の姿よりも制限が多いものだった。
――それ自体どうにでもなるが、まぁ良いか。
着いてきたいというガルドにそれ以上拒絶の言葉を思いつけなくなったスイミーは、彼のことを受け入れることにした。
「出発するようですね」
「そのようだな」
ガルドの言葉にスイミーも要塞の裏手に目を向け、同意の言葉を返した。
そこにあったのは馬車。
兵士数名が見送りにでているその馬車にいままさに乗り込もうとしているのは、タクトとトール。
「一緒に行かれなくてよろしいので?」
「あのときも言ったであろう。タクトの奴は身体はもちろんのこと、心が弱すぎる。眷属とは確かに主に従う存在であるが、彼奴の言葉にはまだワシを従えるだけの力はない。もう少し力をつけてもらわねばな」
「タクト殿に従う気は、あるのですね」
そんなガルドの指摘に、片眉をつり上げて微妙な表情を浮かべるスイミー。
「ないと言ったらウソになるがな。まったく、手厳しい指摘をしてきおって……。彼奴は誠実で、不器用で、真っ直ぐだ。面白い男だよ。あの元オルグや元キラーアーマーのように頭から信用する気はないが、利害が一致するならば奴の言葉に従うのもやぶさかではない」
「相変わらず貴女は、不可思議で、興味深い方だ」
スイミーにそう少しズレた答えを返したガルドは、彼女に深々と礼をする。
「ワタクシはたとえ貴女が魔族でなくなろうとも、これから先も命ある限り、お傍におります」
「ふんっ。物好きな奴め。せいぜいこの幼子に尽くすが良い」
「はっ」
ガルドの様子に苦笑いを浮かべたスイミーは、兵士の敬礼に送られながら動き出した馬車を、茶色の瞳に楽しそうな色を浮かべて見送った。
*
姫が手配してくれた、小型ながらしっかりした造りの馬車は、要塞からのちょっと険しい道を下っていても振動は少なかった。
馬車には装備や食料はもちろん、旅に必要な道具なんかもかなり積んでいる。それでも四人で旅をするには充分な広さだった。
俺は御者台に座り、隣でトールが巧みに馬を操る様子を見つめていた。
ちなみに屋敷にいる間に、トールは兵士から馬の乗り方も、馬車の操り方も習っていた。俺も馬車の方は習ったけど、平地以外は自信がないし、馬の方は真っ直ぐ歩かせるのがせいぜいだ。練習が必要。
アーシャの場合、まともに馬に乗ることも馬を操ることもできないが、彼女の場合は馬に言えば従ってくれる。さすがは世界最強の獣。
ラキはまたがろうとしたり御者台に座った時点で馬が怖がってしまい、どうにもできなかった。すでに瘴気の影響はないはずだけど、元とは言え大魔王の鎧だった彼女のことは馬にとって恐怖の対象になるらしい。
「それで、まずはどこに向かいますか?」
丘を下り終え、林の中を貫く平坦な街道まで出た頃合いで、トールがそう問うてきた。
「まずは王都だけど……、寄り道しながら行くのも良いかも知れないね。この世界のことをいろいろ見て回りたいし」
「はいはい! だったらボクは温泉行きたいっ。この前タクトさんと一緒に入れなかったから、今度は一緒にお風呂入るんだぁ」
「いや、それは――」
「アーシャ!」
俺よりも大きな声でアーシャのことを怒鳴りつけたのは、トール。
睨みつけるように強い視線でアーシャのことを見つめるトールだけど、見つめられた側は不貞腐れた顔で言葉を重ねる。
「ふーんだっ! タクトさんはトールだけのタクトさんじゃないんだからねっ。それに、温泉街ってとこにはなんか楽しいとこがあるみたいだよ!」
言ってアーシャが見せてくれたのは、俺の鞄から取り出したらしい商人向けのガイドブック。
彼女が示したところに書いてあったのは、歓楽街の表示だった。
「ここは……、子供が行く場所じゃなくて、大人の――」
「ボクはまだ子供産めないけど、もう大人と同じことができる身体だよっ」
「そういうことじゃないんだっ。大人の、男の人向けっていうか……」
「タクトさんが行きたい場所?」
「えぇっと……」
問われて答えに窮する俺に、アーシャは不思議そうな顔をしている。
わかっていないらしいラキは首を傾げてるけど、理解できたらしい赤い瞳が、隣から突き刺さるような鋭い視線を向けてきていた。
「温泉街よりも、ワタシは海がいい」
「海、ですか? ラキ」
「そう。水着という海に入るための服が豊富と書いてある。目の保養になるとあるから、タクト様に見せて反応を観察したい」
「……俺はラキのオモチャじゃないぞ。それにそろそろ秋だから、海に入るには寒いだろう」
「それは残念。けれど魚が美味しいと書いてある」
「美味しい、魚?」
魚に反応したのはトール。
グルメってわけじゃないようだけど、すっかり料理の虜になった彼女は、美味しい食べ物への反応は早い。
「美味しいものだったらここもかな? 貴族や王族向けの食用牛を飼育してるらしい。上級品は無理だけど、二級品の食用牛ならここで食べられるって。……ただ、高いみたいだけど」
「美味しい牛肉……」
舌なめずりしてるトールに、俺は笑いそうになる。
あぁでもない、こうでもないとガイドブックをめくりながら相談を始めた様子を横目で見つつ、ふたりを楽しそうに眺めているトールに訊いてみる。
「トールは、どこか行きたい場所はないの?」
「わたしは……」
考えるように、晴れ渡った青い空を仰いだトール。
少し目をつむって、俺の顔を見つめてきた彼女は、笑む。
「わたしは、タクトがいる場所ならばどこでも構いません」
「うっ……」
赤い瞳に、俺が映っているのが見えた。
大きく、強く、でも可愛らしいトールの言葉が持つ破壊力は、けっこう絶大だ。
「ひゅーひゅー」
「トールずるーいっ。ボクもタクトさんとお話したぁーい」
「ラキ! アーシャ! あまり暴れないっ」
棒読み気味にはやし立ててくるラキと、俺の首に腕を絡めてきて振り回してくるアーシャに、トールの叱責の言葉が飛んでいた。
「……タクトさんは、この先どうしていきたいのですか?」
「ん? まずは王都を目指して、って――」
「そうではなく、そうしたことがひと段落した後、どうされたいのかな、と」
「ひと段落した後、か……」
改まってトールに問われたことに、俺は悩む。
いきなりジョーカーに殺されてこの世界に来て、トールに助けられたり、姫やリディさん、ラキやアーシャと出会って、ゴローを倒した。
やっと一ヶ月くらいなんだけど、その間に凄く濃密な事件がありすぎた。
そしてこれからも、まだたくさんのことがあるだろうと、俺はそんな予感がある。
――でももし、そうしたことが全部終わったら……。
いままで、そんなことをゆっくり考えてる時間なんてなかった。
少しも考えてなかったわけじゃないけど、やっとここでのことに片がついて、改めて未来のことを考える余裕ができた。
「……まだ、すぐにはどうしたいかは考えられない。やっとそういうことを、考えられるようになった、ってくらいのタイミングだから」
「そうですね。落ち着いたばかりですからね」
「でも、でも俺は、どこかに家を持つのでも、こうやって旅をするのでも、トールやラキやアーシャたちと、一緒に過ごせればいいな、といまは思ってるよ」
「……はい、そうですねっ」
俺の言葉を噛みしめるように、にんまりとした笑みを浮かべてから、トールはそう答えてくれた。
これから先、どんなことがあるのかはわからない。
でもいまの俺は、みんなと一緒に過ごせるなら、それが一番だと、そう思ったんだ。
ソウル・アンリーシュ 小峰史乃 @charamelshop
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