第五章 スイミー 4

          * 4 *



「ソウル、アンリーシュ!!」

 ゴローの額に触れてそう唱え、俺は自分の権能を発動させる。

 ――勝った!

 そう、思っていたのに……。

 ゴローの身体を包んだ光。

 淡いその光は、ラキやアーシャのときと違い、それ以上強くなることなく、剥がれ落ちるように燐光を残して霧散した。

「なっ?!」「なぜっ」「ん?」

「クソ野郎!!」

 驚きで俺だけでなく、トールやラキの動きも止まった一瞬、大剣による首の拘束を振り払ったゴローが立ち上がった。

 そして俺を蹴りつける。

「タクト!」

「タクト様!」

 腹を蹴られて床に転がるどころか、視界にあるものが一気に流れていった。

 それが止まったのは、背中に何かが叩きつけられたとき。

 俺は部屋の中央近くから、一〇メートル以上離れた大扉に、背中を打ちつけていた。

 ――マズい……。

 息ができない。

 痛みよりも、強すぎる衝撃で全身がショックを受け、細胞レベルで硬直してしまったかのように苦しい。

「タクト!」

「タクトさんっ」

 姫とアーシャが近づいてきてくれるが、応えることなんて到底できない。

 ――本当に、マズい。死ぬ……。

 弛緩して開いた口から、どんどん血が溢れてきた。

 石の床を塗らす驚くほどの大量の血液を見ながら、視界が徐々に黒く狭まっていくのを感じる。

 俺は、死を意識した。

「はははははっ、タクト。お前の権能は俺のキマイラと同じ、ソウルコアに干渉するものか。珍しいって聞いてたのに、てめぇまで似たような権能を持ってるとはな! ってぇことは、この金髪がキラーアーマーで、こっちの大女は……、どっかにいなくなったっていう暴風のオルグか。ちっ、俺様が取り込んでやろうと思ってたのに、お前の女になってたとはな!」

 かろうじて顔を上げると、トールとラキがこちらに視線を向けてくる中、ふたりの向こうから嬉しそうな顔をしたゴローの声が聞こえてきた。

 その声もどこか遠く、あいつが立ってる場所よりももっと遠くから聞こえてくるようだった。

「女体化の権能? くだらねぇ。その権能で俺様のこともお前の女にするつもりだったのか? 気色悪ぃな、てめぇは!! だが残念だったなっ。ソウルコアに干渉する権能ってのは、干渉する相手が同意してるか、圧倒的な力の差がねぇと使えねぇんだ! てめぇより俺様の方が強いんだよ! てめぇの権能が俺様に使えるわけがねぇだろうがっ。俺様はな、もっと強くなる。魔王を超えて、大魔王の力を手に入れて、この世界を支配するんだよ! てめぇはそこで死んどけ、タクト!!」

 そんなゴローの言葉も、もう半分くらい良く聞こえない。理解できない。

 俺は死ぬ。

 もう、身体が持たない。

「大丈夫だ、タクト。いま回復させるっ」

 そう耳元で言った姫が、俺の顔をつかんで引き寄せた。

 視界いっぱいに姫の顔。

 緑がかった瞳に優しい色を浮かべ、彼女は口元に笑みを浮かべていた。そして――。

 キス。

 動けない俺の唇に、自分の唇を押しつけてきた姫。

 ――違う、これは……。

 姫から伸ばされた舌が俺の舌を絡め取り、そして息とともに何かが吹き込まれてくる。キスよりも、人工呼吸に近い口づけ。

 優しく、柔らかく、暖かい息吹。

 切なく、寂しい、冷たい吐息。

 ――これは、生命力の交換だ。

 何となくそんな感覚がある姫の口づけが続き、唇が離されたとき、俺の身体からは痛みも苦しみも、一切が消えていた。

「姫、あの……」

「回復したか。普通ならば手からただ生命力を身体に吹き込めば良いだけで、ここまでのことはしないのだがな。一刻の猶予もない致命傷を一瞬で癒やすためには、この方法が手っ取り早い」

 苦しげに息を荒げている姫は、キス――というより人工呼吸だった口づけ自体を気にしている様子はない。

 ただ、ほとんど身体に違和感がなくなった俺と違って、姫の顔色はまるで死人にも近い土気色になっている。

「大丈夫だ、タクト。お前に生命力を与えすぎただけだ。少し休めば大丈夫だし、寿命が縮まることもない。早く帰って、食事して、眠りたいがな」

「……ありがとう、姫」

「うむ。お前を失うわけにはいかないからな、ただ少し、いまは支えていてくれ」

 身体にあまり力が入らないらしい姫の腰に腕を回し、抱き寄せて支えてやる。反対側からはアーシャが寄り添い、姫の身体に手を添えた。

「てっ、てめぇ……。俺様の前で見せつけやがった!」

「回復してもらっただけだ」

「うるせぇうるせぇ!! なんでだよっ。なんでてめぇはそんな風に心配してもらえるんだよっ。仲間も彼女も集められるんだよっ。てめぇはたいしたことしてねぇじゃねぇか!! なのになんで、てめぇだけがみんなから好かれるんだよっ!!」

「そんなの――」

 目をつり上げ口から炎を漏れ出させ、ゴローは床石を砕きながら地団駄を踏む。

 それに「知らない」と言おうとした俺よりも先に答えたのは、トールだった。

「そんなのは簡単なことです。タクトが誠実で、人を想い、真っ直ぐに気持ちを受け止めてくれるからです」

 ゴローのことを警戒しながらも、首を振り向かせて笑みを見せてくれるトール。

 アーシャはにっこりと笑い、姫もにんまりと頬を綻ばせ、ラキも頷いてくれる。リディさんも、ガルドとの打ち合いの隙間の一瞬、唇の端をつり上げている。

 ――俺は、そんなにたいした奴じゃないけどな。

 みんなにそんなことを言われる自信は、俺にはない。

 でも、彼女たちが向けてくれる気持ちは、素直に嬉しい。

「ありがとう、みんな」

 俺はその言葉とともに、笑みでみんなに応えた。

「くそっ! くそぉーーーーーっ!! だったらもうやめだっ。全部ぶっ壊してやる! しばらくはこの要塞を拠点に使おうと思ったが、そんなの関係ねぇ。全員死ね! てめぇらも討伐軍も魔群も、皆殺しにしてやる!!」

 そんなことを叫んだゴローは、力を貯めるように前屈みになる。

 そして、変化が始まった。

 圧倒的な巨体。

 服を破り瞬く間に身体が巨大化していったゴローは、たぶん五メートル近くある天井に頭が着きそうなほどの身長になった。

 身体は両手をそうしていたように土色の肌をし、は虫類の外皮のような装甲に覆われている。顔こそゴローの面影を残してるけど、その形相は魔物。

「全員、叩き潰してやる!」



            *



 足を大きく開いて腰を落としたゴローは、人間に近いサイズをしていたときより長大な腕を振るい、トールとラキをもろともに弾き飛ばそうとする。

 ――その程度!

 持てる力のすべてを込め、トールは迫ってくる手のひらにウォーハンマーを叩きつけた。

 重々しい感触が伝わってきているのに、装甲で覆われたゴローの手のひらに傷はない。しかし、なぎ払う動きを止めることはできた。

 ――力は強いですが、問題はないですね。

 小さかったときと力の強さは大きく変わらない。重量が大きくなった分だけ厄介にはなったが、自分の力ならば充分に対応できると、まだ力を込めてくるゴローの手を踏ん張って止めながら、トールは考えていた。

 しかしそのとき――。

「まずい!」

 ゴローが左手を大きく伸ばし、タクトたちをつかみ取ろうとする。

 巨大になった分、攻撃できる範囲が広がっている。そのため片手で押さえ込まれているいまは、もう片手間で対応することはトールにはできなかった。

「タクト!」

 トールの心配の声は、杞憂に終わった。

 横合いから走り込んできたラキが体重を乗せて剣を振るい、タクトたちのいるところまで届く前にゴローの手を撃墜した。

「クソッ! 邪魔すんじゃねぇ!!」

 両手を引いたゴローは、拳を握ってトールとラキに打ち下ろしてくる。

 その拳は、緩慢。

 身体は大きくなったのに人間サイズの時と同じように、肩まで腕を引いて叩きつけるのでは、重量が大きく、床に深い窪みをつくるほど強力でも、軌道がはっきりとわかってしまう。

 反撃の糸口を探しながら拳を避けるトールは、考えていた。

 ――なぜ、ゴローは手加減をしている?

 ゴローの権能キマイラは、取り込んだ魔族や妖魔の能力を使えるようだった。

 見た目よりも大きな筋力はトロールの――オルグの能力であろうし、巨大化や、炎を吹く魔法は、確かスイミーに仕えていた魔族が持っていたもの。

 取り込んだ魔族や妖魔の力が使えるならば、同様にスイミーの魔法も使えるはずだった。

 それなのに、いまのところ一度も使ってきていない。

 スイミーの二つ名は、光の魔人。

 砲弾や矢よりも速い破壊の光を放ったり、光の刃で攻撃をし、光のマントで敵の攻撃を防いだと言われているスイミー。

 放たれた時点で命中しているほど高速な光線を放たれたら厳しいと考えていたが、ゴローはそれをただの一度も使っていない。

 ――なぜ?

 牙を剥き出しにして躍起になり、拳を打ち下ろしてくるゴローに、手加減をしている様子はない。

 しかしスイミーの魔法は使ってこない。

 ――それだけではない。

 メイド服にいくつもの裂け目ができているが、傷を負っている様子のないリディ。

 服に裂け目ひとつすらなく、恭しいとも見える仕草で鋭い爪を構えるガルドは、目を細めて必死に戦っているように見えて、余裕が感じられた。

 ――彼のやっていることも、腑に落ちない。

 ラキのことをゴローに正確に伝えなかったこと。

 捨てろと言われてタクトの元にアーシャを連れてきたこと。

 そのふたつが大きなものであったが、ガルドの行動には納得できないことがあった。

 ――タクトに、相談したい。

 けれどいまは、その余裕はなかった。

 次々と振り下ろされてくる拳はさほどの脅威ではないが、それはラキとふたりで応じているからこそで、片方では対応しきれるとは思えなかった。

 そんなとき目の前に現れた、金色の影。

 ツインテールに髪を結い、それでもなお多くの髪が背中に流れているラキが、トールの前に立ち二本の剣で拳を受け止めていた。

「ラキ?」

「何か思いついたのでしょう? トール」

「え……」

「そういうときのトールは、少し注意散漫」

「あ……、ごめんなさい」

 寄り添うように立ち武器を構えるトールとラキに警戒でもしてるのか、ゴローは拳を振り上げたまま攻撃を止める。

「いえ、構わない。おそらくタクト様に相談したいのでしょう? 長くは保たないけれど、ここはひとりでどうにかするから、行ってきて」

「――わかった。ありがとう、ラキ」

 触れ合うほど接近してこそこそと会話をし、トールは振り返りタクトの元に向かおうとする。

 振り返る一瞬、ラキの唇が少しつり上がっているのが見えた気がしたが、確認する時間もなくトールは床を強く蹴りタクトのいる場所に跳んだ。





「魔王を名乗る割に、たいしたことがない」

「……なんだと?」

「そうでしょう? 大魔王を目指していると言っていたのに、オリハルコンに傷ひとつつけられない貴方は、弱い。大魔王失格」

「んだと!!」

「ヘタレ、軟弱、粗チン、最弱魔王のゴロー」

「てめぇ……。言わせておけば!!」

 なんでか突然抑揚のない声でゴローのことを挑発し始めたラキ。

 酷い言葉をいったいどこで仕入れてきたのかはわからないが、挑発には成功したようだ。

 叩きつけられた拳を、動くことなく真正面から受け止める。

 重い金属と金属が激突する音が聞こえた後、先に動いたのはゴロー。

 身体まで引っ込め、痛いかのように振った手は、わずかだったけど刺々しい装甲状の外皮に欠けている場所があった。

 オリハルコンの鎧は、ゴローの外皮よりも硬いんだろう。

 手のひらではたかれそうになったのを避けたはいいが、右手に捕まれてしまうラキ。

「ラキ!」

「問題ありません、タクト様」

 俺の声にゴローの手の中から平然と言ってのけるラキは、確かに大丈夫そうだった。

 何しろ両手を使って強く握りしめられているのに、顔色ひとつ変わらないどころか、鎧が軋む音を立てていたりもしないから。

 オリハルコンの性質は、不変。

 ゴローの力程度では、ラキのことを傷つけることはできないようだった。

 とりあえず彼女のことは大丈夫そうだから放ってくことにして、こちらに跳んできたトールに目を向ける。

「どうしたんだ? トール」

「意見がほしいんです」

「意見?」

「はい。巨大化や炎を吹く魔法、持っている筋力以上の膂力など、おそらくゴローは取り込んだ歪魔の力を使いこなしています。しかし、同じように取り込んだはずのスイミーの力だけは、使えないようなんです」

「――なるほど。スイミーは魔王の力を持つと言われながら、自らそう号することはなかった、二つ名に光の魔人を持つ魔族。確かにスイミーの力を使っていないことは私も気になっていたのだ」

「どういうことだ?」

「わかりません。それと、ガルドの不可解な行動。これには何か理由があるのだと思いますが、タクトはどう思いますか?」

「うぅーん……」

 確かにゴローがスイミーの力を使わないことは不思議だし、ガルドがラキやアーシャのことでゴローの不利になるような行動をしていたことも気にかかる。

 だからと言って、それをつなぐ線が見えない。いまの材料じゃ判断ができない。

 ――でも……。

「ねぇ、姫。ガルドの言った『身も心も捧げ、忠誠を誓った』ってどういう意味?」

「意味もなにも、そのままではないのか?」

 どうにか自分で立てるようになってきた姫に聞いてみるけど、首を傾げるだけだった。

 そのとき、姫と手をつないでいたアーシャが俺の方に近づいてきて、言った。

「ボク、知ってるよ。魔族の忠誠は、絶対なんだ。確か自分でソウルコアを削って、忠誠を誓う相手に食べてもらうんだって。そうすると、相手の命令には絶対逆らえなくなるって、竜王様に聞いた」

「なるほど」

 ゴローの方を気にして、チラチラとそちらを見ながら怖がっているアーシャだけど、ちゃんとした言葉で教えてくれた。

 ――あとひとつ、気になることがある。

「それにガルドは、ゴローのことを魔王様と呼び、スイミーに対してはスイミー様と呼び分けている」

「あぁ、そうなんだ」

 俺が思っていたことを、トールが先に言ってくれる。

 ついさっきもそうだし、確かアーシャを屋敷に運んできたときもそうだった。

 ガルドは「魔王様」と「スイミー様」というふたつの言葉を使っている。

 スイミーをゴローが取り込み、ひとつの存在になったのなら、呼び方は統一していても良いはずだ。

 絶対に統一するもの、ってわけでもないけど、どうにも呼ぶときに含まれているニュアンスが気にかかる。

 ちらりとガルドに目を向けて、声をかけてみようかと思う。

 リディさんとはあまり激しくなく、まるで優雅な貴族同士の決闘をしているようなガルドは、一瞬こちらに目を向けてきたけど、そのまま戦闘を再開した。

 もし、話したいことがあって、話すことができるんだったら、たぶんガルドは最初から話しに来ているはずだ。

 スイミーに誓った忠誠は、それを取り込んだゴローにも有効なのかも知れない。

 それでもガルドは、ゴローに反逆の意思があるかのような行動を繰り返している。

 ――スイミーには絶対服従で、取り込んだゴローにも同様で、けれど反逆したいと思っている。さらにゴローはスイミーの力を使えない。

 それらの材料から得られる答えに、俺は顔を上げた。

「ゴローはスイミーを取り込み切れてない」「ゴローはスイミーを取り込み切れてない」

 ちょうど目が合ったトールと、声がハモった。

 俺とトールが至った答えは同じ。

 もしその結論が正解だとしたら、もしかしたらまだ戦いようがある。

 少し考えてみればわかることだけど、実は俺たちにとって一番重要なのは、魔王軍を討伐することでも、ゴローと戦うことでもない。

 重要なのは、魔王を名乗るほどの力を持ったゴローを、この場で対処することだ。

 ここでゴローに逃げられたりしたら、あいつはもっと多くの妖魔や魔族、もしかしたら竜族すらも取り込めるようになるかも知れない。

 そうなれば、ゴローはさっき言ってたように、最強の存在に、大魔王になる。

 そのときになったらあいつを倒すことができる奴は、たぶんいなくなる。

 未来の脅威をいま倒しておかないといけない。

 そう思う俺は、決意の目を向けてくるみんなに頷いた。

「一か八か、もう一回ソウルアンリーシュを使う。手伝ってくれ、トール」

「もちろんです、タクト様」

 ニッコリと笑って応えてくれたトールに、俺も口元が綻んでいた。

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