第四章 アーシャ 6

          * 6 *



 近づいてきた足音に、トールは半分無意識にウォーハンマーを探り手元にたぐり寄せた。

 ベッドの中で布団を被り、うつぶせのまま身体を緊張させる。

「トール、入るぞ」

 扉の向こうからかけられたカエデの声に、トールは武器から手を離し、掛け布団を頭から被ってその身体を隠した。

「何をしているんだ? トール。脚が隠れてないぞ?」

 トールの大きな身体には充分とは言えないサイズの布団は、頭まで被ると、脚が丸見えになってしまっていた。

 そのことを指摘され、彼女は仕方なく身体を起こす。

 部屋に入ってきたのはカエデとリディ、それからラキとアーシャ。

 タクトがいないことに、トールは心の中で安堵の息を漏らしていた。

「どうしたのだ? トール。お前がタクトの傍にいないどころか、一日以上も部屋に籠もりきりなど。お前は常にタクトの一番傍にいる眷属だと思っていたのだがな」

「わたしは……、その……」

 トールが座ったベッドの隣にカエデが座り、その傍にリディが、二脚ある椅子にラキとアーシャがそれぞれ座る。

「討伐軍の本隊が到着した。明日の朝、我らはメイプル要塞を攻め、魔王軍と戦う」

「明日の朝、ですか? ずいぶんと早いですね。……いえ、敵が集結しきる前に攻める。そう言うことですか?」

「その通りだ。理解が早くて助かる」

 本隊が到着したのは、トールも気がついていた。

 昼間に多くの人が正面広場に集まって、騒がしくしていたのは聞こえていたから。

 明日の朝というのは早すぎる気はしたが、以前カエデは魔王軍がゴブリンたちを近くの村に派遣し、畑を耕していると話していた。すべてではないとは言え、派遣されている妖魔たちが要塞に集結するより前に魔王と戦うのは、当然の戦略だと思えた。

「何があった? トール。タクトの眷属たるお前らしくないだろう」

「何が……」

 隣に座るカエデに顔を覗き込まれ、他の者たちからも見つめられたトールだったが、答えるべき言葉が出てこなかった。

「わからないんです……。昨日、タクトが入っている風呂に入ってしまってから、何かおかしいんです……」

「そのときからか……。そう思えば訊いていなかったが、ラキ。どうしてお前はそんなことをした?」

 素知らぬ風に顔をあらぬ方向に向けているラキに、カエデは睨みつけるような視線を向けながら問うた。

「ワタシは心を学びたいのです。ワタシにはよくわからないことが多く、そのためにたくさんの本を読みました。本を読んでもよくわからないことが多かったので、直接生きている者の反応を見てみたかった」

「それで、風呂のスケジュールをいじった、と?」

「その通りです。アーシャは想像の範囲内でしたが、タクト様は本に出てくる人物と違って興味深い反応でしたし、何よりトールの反応は、物語の中でも見たことがないものでした。これはどんな反応なのでしょう?」

「心を学びたいからと言ってな――。まぁ、いい」

 悪びれる様子もなく澄ました顔でそんなことを言うラキのことは放っておいて、カエデはトールを見つめてきた。

「何がおかしいのだ? トール。タクトと顔を合わせられないような状態なのか?」

「本当に、よくわからないんです。風呂に入ってしまって、身体を見られてから……。それに、タクトの身体を見てしまってから、わたしはおかしくなってしまったのです」

「おかしくなった?」

「はい。部屋の外に出て、タクトと会いたいと思うのに、扉を開けようとすると身体が熱くなって、動けなくなってしまうんです。裸を見られることくらい、トロールにとっては何と言うことはありません。ですが昨日のことを思い出すと、心臓が激しく脈打って、顔が熱くなって、タクトに会いにいけないんです」

「確かに最初、お前はほとんど裸のような格好をしていたそうだからな。それなのにいまは、ダメなのか?」

「はい。どうしても、ダメみたいです。どうしてなのか、わからないのですが……」

 どうしてタクトに会おうとするとそんなことになってしまうのか、理由が知りたかった。

 けれどどこか、理由を知ることが怖いような気もして、彼の顔を見たいと思うのに、部屋を出られなかった。

 リディと顔を見合わせながら、カエデは続けて問うてくる。

「では別の質問だ。ラキがタクトの膝で本を読んでいたり、アーシャがタクトの子供を産みたいと言ってくっついているとき、お前は何を思い、どう感じる?」

「……イヤ、です。引き離したくなります。理由はよくわからないのですが、そういうのは、イヤなんです」

「確かトロールは、雌はほとんどいないのだったな?」

「はい。トロールは大型巨人によって生み出されているとされています。わたしもあまり詳しくないのですが、それが普通で、希に雌型のトロールも生まれて、子をなすこともあるそうなのです。ですがトロールの生まれ方については、トロール自身もよくわかっていないことが多いんです」

「つまりトロールは恋愛をほとんどしない。そういうことで良いのか?」

「えっと、はい。そうだと思います」

「なるほどな」

 何かに納得したらしいカエデ。

 わかったように腕を組み、何度も頷いている彼女が、トール自身もわからない何に納得したのか、知りたかった。

「何がわかったのですか? カエデ」

「まぁうん。何と言うべきかな」

「そうですね。非常に簡単な問題なのですが、初めてだとわかりづらいことですね」

 カエデの言葉に、頬に手を当てて眉を顰めるリディも、わかっているようだった。

「何か、眷属特有の現象なのでしょうか?」

「いいや。もっと単純なものだ」

「え?」

 困り顔をしているカエデは、明確に答えてくれない。

 代わりに椅子から立ち上がったラキが、トールの顔を指さし、言った。

「トール。貴女はタクト様に、恋をしています」

「……恋?」

「そうです。好きになった人に会いたいのに恥ずかしくて会いづらくて、その人のことを考えるだけで心臓が激しく脈打ち、身体が熱くなる。それはつまり、恋です。トールはタクト様のことが好きで、恋をしています」

「わたしが、タクトに、恋をしている?」

 言葉で言われてもよくわからないトールは、首を傾げるしかなかった。

 いま自分の心に起きている現象が恋だったとして、それがよくわからない。トロールは恋など、しない。

「んーとね、恋だったらわかるよ。全部じゃないけど、繁殖欲求。ボクはね、タクトさんのことが好きだよ。助けてもらったからだけじゃないんだ。タクトさんだから、好きなの。ボクはタクトさんを愛してて、タクトさんとの子供がほしいんだ」

「愛してて、子供がほしい? 繁殖欲求?」

「それと独占欲。ワタシやアーシャがタクト様の傍にいると排除したくなる。それは愛する相手を自分だけのものにしたいという、独占欲から来るもの。つまり、トールはタクト様に恋をし、愛してしまっている」

「わたしは、タクトを愛している……」

 言葉では、やはり理解しづらかった。

 けれどアーシャの言葉も、ラキの言葉も、だいたいわかるような気がした。

 タクトと一緒にいたい。タクトの顔が見たくて、彼の声を聴いていたい。子供、というのはいまひとつわからないけれど、彼を自分だけのものにしたいという気持ちがあるのは、自分でもわかっていた。

 ――わたしは、タクトを愛している。

 望んでいることがわかった上で、そう心の中で自分に告げてみると、心臓が大きく脈打った。

 身体が熱くて、顔も熱くなって、火を吹きそうな気がするのに、でもそれは暖かく、優しく、いますぐにでもタクトに会いたくなっていた。

 ――これが恋。そして、愛。

 右手を胸に当てて、トールは強く、激しく、そして心地よく脈打っている心臓を感じる。

 自分はタクトのことが好き。

 それも、女として。

 それがいまやっと、実感できた。

「おそらく眷属になり、人間の女性とほとんど変わらない身体になった影響だと思われる。ワタシもキラーアーマーだったときにはわからなかった感情が、少しずつわかるようになってきている」

「眷属になったから……」

「うん、そうだと思うよ? でもね、好きになったのは、どうしようもないと思うんだー。だって、好きなんだもん」

 顔を上げると、目を細めて見つめてくるラキと、ニコニコと笑っているアーシャの顔が見えた。

 眷属となったからこそ得た感情であったとしても、確かにもうどうしようもない。

 タクトのことが好きで、愛していて、彼を独占したいという気持ちが止まらない。彼に会いたくて、抱き締めたくて、我慢ができなくなりそうだった。

「明日の決戦については、タクトは参加を考えてくれている様子だ。だがトール、実際戦うのはお前たちではある。だからタクトははっきりとした返事をしていない」

「そんなもの……、タクトが命じてくれれば、必ず着いていくものを」

「そうだろうがな、タクトの奴はそうしたことを、ちゃんと確認したい質なのだろう。一度会って話すがいい」

「わかりました……」

 話すと言っても、もう時間はない。

 夕食も終わり、夜も遅い。彼が眠ってしまっていたら、早朝に出発するという討伐軍の出撃に間に合わないかも知れない。

「大丈夫だ、トール。タクトならほら、いまそこでお前を待っているよ」

 言われて手掃き出し窓の外を見ると、タクトの姿が見えた。

 心臓が、激しく脈打つ。

 話声は聞こえていないようだが、顔だけ振り向いてちらりと心配そうな視線を向けてくる彼を見、トールの心臓は高鳴っていった。

「行ってこい、トール。そして、ちゃんと話せ」

「はい……」

 カエデに言われたトールは、ベッドから立ち上がった。

 一度振り向き、頷いて着いてこない様子のみんなに頷きを返し、掃き出し窓を開けてテラスに出た。

 タクトに、会うために。



            *



 テラスに出ると、タクトは胸壁に肘を着いて身体を預け、星を眺めていた。

 決して広くはない、けれど男であることが感じられる彼の背中に、トールは何故か見惚れてしまう。

 ――わたしは、タクトのことが好き。

 心の中で、その言葉をつぶやく。

 意味はまだよくわからない。恋とか、愛とかは、トロールとして生まれ、オルグであったトールにはまだ実感できない。

 けれど、すんなりと身体に染み渡る感触がある。

「トール?」

 気づいて振り向いてくれた彼。

 星よりも輝いて見える彼の瞳から、目が離せなくなる。

 問われたのに返事をすることもできなくて、知識も経験も足りないけれど、ただ見惚れてしまうほど求めている彼を、自分が本当に好きなんだと感じていた。

「ここのところ、どうしたの?」

「ここのところ、わたしは……」

 そう訊かれて、素直に答えようとしたのに、言葉が出てこなかった。

 身体が熱くなって、顔から火が出そうで、心臓の鼓動が激しくなって、締めつけられるような胸を手で押さえるのに、少しも収まってくれない。

 怪我をしたわけでもないのに泣きそうで、タクトに近づいて、抱き締めて、ずっとそうしていたいと思うのに、怖くてできなかった。

 ――タクトは、わたしのことをどう思っているのでしょう?

 訊きたかった。

 でも、訊けなかった。

 どんな答えが返ってくるのかわからなくて、もし自分とはまったく違うことを考えていたとしたら、と思って、怖くて仕方がなかった。

 ――わたしは、弱くなってしまった。

 どんな敵にも立ち向かい、勝利をつかむために戦闘中も、戦闘の前にも努力を惜しまないトロール。

 それを誇りにし、挑まれたら戦いを拒絶したことはなく、戦いの中に生きてきた。戦いの中でなら、死ぬことも厭わない。

 恐れなど、抱くことはなかった。

 それなのにいまは、たったひとりの男の、タクトの言葉と、想いを恐れている。

 彼と立ち向かうのが怖くなっている。

「どうして、何も言ってくれないの? トール」

「いえ……、わたしは、その……」

「――もし、俺のことが嫌いになったんだったら、構わないよ。権能でそんな姿にしちゃって、戻す方法もわからないけど、トールは俺の眷属と言っても、元々違う生き方をしてきた人なんだ。俺の傍にいたくなくなったんだったら、好きな道を生きてくれればいい」

「嫌いになんてなっていません!!」

 悲しげに、うつむいて言われたタクトの言葉に、トールは思わず彼に近づいて、肩をつかんでしまっていた。

 顔を見上げてくるタクトに、強い瞳を向けて、はっきりと言う。

「わたしは、タクトが好きです! 一生、貴女の傍にいると言いました。その言葉は、いまでも違える気はありませんっ」

「トールが、俺のことを好き?」

「あ……」

 勢いで言ってしまって、タクトに訊き返されてから、顔が熱くなるのを感じた。

 でももう止まらない。

 もう、止められない。

「はいっ、そうです! わたしはタクトが好きですっ。いつも一緒にいたい。抱き締めて、わたしだけのものにしたいっ! けれど、けれど怖くて……。タクトが、わたしのことをどう想っているのか、どう見てくれているのか、わからなくて……。だから、訊けなかった。顔も見られなかった。会いたいのに、会うことができなくなった……」

 一緒にいれば嬉しくて楽しくなる。

 離れているとつらくて寂しい。

 それと同時に、彼の気持ちが知りたいのに、怖くて、こんなぐしゃぐしゃな気持ちは初めてで、どうすることもできなくて、丸い一日以上という長い間、タクトに会えなくなっていた。

 いまやっと会えたのに、やはり苦しい気持ちが、トールの胸を突く。

「それって、もしかして……」

「はい。わたしはタクトが好きです。愛しています。――本当は、まだよくわかっていません。わたしはトロールで、オルグでした。だから好きとか、愛とかは、よくわからないんです」

 タクトに言葉をぶつけている間に、頬に何かが溢れて、零れていった。

 自分が泣いていることに、トールは驚く。

 笑いすぎたとき、悲しかったとき、痛かったときに、涙を流したことはあった。

 けれどこうして、苦しくて、苦しすぎて、でもその気持ちを求めて止まないときに、涙を流すのは初めてだった。

 まだ、自分の言っている言葉に実感が湧いたわけではない。

 けれどその言葉でしか表現できない気持ちを、いまタクトに対して持っていることもまた、本当だった。

 だからトールは、その言葉をさらにぶつける。

「わたしは貴方の眷属です。わたしは貴方に誇りを、魂を救ってもらいました。けれどそれだけではないんです。わたしは……、タクトが好きです。女であるわたしが、男であるタクトを、愛しているのです。アーシャの言葉を借りるなら、タクトとの子供をつくりたい。……そういう気持ちだと思います」

「え……。え?」

 焦ったように身体を捻って逃れようとするタクトを、トールは逃さない。涙が流れ続ける瞳で彼を見つめて、彼の答えを聞くまでは、絶対に逃がすことはしない。

「タクトは、わたしのことを、どう想っていますか?」

「俺は……」





「俺は……」

 突然の告白。

 驚いて逃げようとしたのに、トールに強く肩をつかまれて、俺は逃げ出すことができない。

 涙に揺れる、トールの赤い瞳。

 真剣に、真っ直ぐに見つめてくるその瞳から、目を離すことができなくなる。

 ――俺は……。

 トールのことをどう想っているかを、俺はこれまで真剣に考えたことなんてなかった。

 まだ、それだけの時間がなかったこともある。

 それだけでなく、考えるのが怖かったのが大きい。

 だって、俺はこれまで、人に嫌われることは多くても、人に好かれたことなんて、親を除けばほとんどなかったから。

 いやもしかしたら、そんなこともあったのかも知れない。でも自分に自信がない俺は、そんなことがあるなんてことを考えられずに来ていた。

 俺は人に好かれる資格なんて、なかったから。

 目を逸らすことができない、赤い瞳。

 俺のことだけを見てくれる、トール。

 想いをぶつけてきてくれた彼女から、俺はもう逃げることはできない。いまできるだけの答えを、ここで返さなくちゃならない。

「俺は……、トールのことが、好き……、だよ」

「タクト……」

 嬉しそうに輝き始める瞳に俺も嬉しくなるけど、でも違う。

 トールの嬉しさが頂点に達する前に、俺はそれを止める。

「でも違うんだ。たぶん、俺の好きは、トールの好きとは違う」

「違う?」

「うん。ぜんぜん違うってわけじゃないと想うけど、トールほど強くないし、トールのことをまだ本気で考えたことが、なかったんだ」

「それはどういう……」

 一瞬前まで嬉しがっていたのに、いまは逆に悲しそうな目になっているトール。

 俺まで悲しくなっちゃうけど、これはちゃんと説明しておかなくちゃならないことだから、仕方ない。

 どう伝えて良いのか自分でもよくわからない。だからいまのトールに、はっきりと、真正面から伝えるよう努力する。

「俺はこれまで、トールが言ってくれたみたいに、誰かに好きって言われたことがないんだ。いまは魔王になってるゴローに酷いことされて、人が信じられなくなって、だから……、そんなことを言われる可能性なんて、俺にはないと思っていたんだ。それで、それで……、トールが言ってくれたみたいな好きを、これまでトールに対して考えたことがないんだ」

 本当につたなくて、伝えきれなくて、言い切れない言葉。

 それでもトールはしっかりと受け止めていてくれて、悲しそうだった顔を引き締め、じっと俺のことを見つめてきてくれる。

「だから、時間がほしい。まだはっきりと、トールの気持ちに答えられる準備ができてない。トールのことは好きだ。一緒にいたいと思う。でもトールが持ってるくらいの好きを、俺は持ってない。俺の好きがはっきりするまで、待っていてほしい。……ゴメン、俺の都合ばっかりで」

「いいえ、構いません」

 少し悲しそうに、少し寂しそうに、でも優しく笑ってくれたトール。

「すみません。わたしが、先走り過ぎたみたいです」

 そう言ったトールは、やっぱり悲しそうな色を瞳に湛え、俺から目を逸らした。

 俺はそんなトールに手を伸ばし、彼女の髪を撫でてやる。

 好きだと思う。

 綺麗な女の子だと思う。

 頼りになって、たまに可愛くて、凄く好きなんだと思う。

 でも、まだ俺にはトールをひとりの女の子として好きだという気持ちが、ない。

 彼女とそうした気持ちで向かい合ったことがなかった。

 だからまだ、心地よさそうに俺に髪を撫でられ、手に頬を寄せてくる彼女と触れ合うのが精一杯。

「そうですね。先走り過ぎです、トール」

 言いながら俺の腕に自分の腕を絡め、胸を押しつけるようにしてきたのは、ラキ。

「そうだよ、トール! タクトさんはトールだけのものじゃないの!!」

 アーシャは俺の腰の辺りにしがみつき、トールのことを睨みつけた。

「ふたりとも、話を聞いて……」

「当然です。タクト様をトールだけに占有させるわけにはいきません。ワタシも……、タクト様のことがたぶん好きです。ワタシは心がよくわからないので、まだそう言うことなのかどうかわかりませんが、トールはもちろん、タクト様をいじると興味深――、楽しいと感じています」

 言っちゃいけないことまで言って少し目を逸らしつつも、困惑した顔をしているトールに、微かに笑っているような顔を向けているラキ。

「うんうんっ。ボクはタクト様のお嫁さんなんだよ? ボクはタクト様と子供をつくるの! もうちょっと先のことだけど、トールだけの恋人になんてしてあげなーいっ!!」

 幼く、でも少し女の子を感じさせる身体つきを俺に押しつけてくるアーシャは、口を尖らせながらトールのことを睨んでる。

 俺に手を伸ばしつつも、ふたりの視線と身体を使ったガードに触れられないでいるトールは、ためらいがちに言う。

「あの……、でも……、わたしはその……、タクト様の最初の眷属なわけで……」

「最初なんて関係ないよっ。タクトさんが誰を選ぶか、だよ! というか、別に全員選んでもいーんじゃないの?」

「え? 全員?」

「うんっ。あのね、竜王は雄の人がなるものなんだけど、他の竜族はたいてい雌なのね。だから竜王はたくさんのお嫁さんがいるの。ボクは雌だけど、未来の竜王だし、タクトさんがたくさんの女の子を選ぶのでも、あんまり気にしないよ?」

「え? えーっと……」

「そうですね。誰かひとりを選ぶ必要などないでしょう。心の揺れは常に修羅場の中にあるのですから、たくさんの女の子に囲まれているタクト様や、囲んでいる女の子の心情と、その反応は見ていて勉強になります」

「いや、それで良いのか? ラキッ」

「うっ、うぅーーっ!」

 俺の腰にくっついてぐいぐいと引っ張ってくるアーシャ。

 腕にぴったりと柔らかい身体を寄せてくるラキ。

 堪えきれなくなったのか、トールが正面から三人まとめて抱き締めてくる。

 三人の柔らかい身体と、甘い香りに包まれる俺は、幸せに酔ってしまいそうで、そのまま気が遠くなっていくのを感じていた。

「くくくくっ。モテモテだな、タクト?」

「さすがにそろそろ、三人とも節度をわきまえましょう。いまは大丈夫ですが、誰かが見ていないとも限りません」

 そう言いながら現れたのは、姫とリディさん。

 楽しそうに笑っている姫に対し、リディさんは眉を顰めて厳しい視線を向けてきている。

 ばつが悪そうに口を尖らせたトールがまず離れ、頬を膨らませたアーシャも腕を解いてくれた。相変わらず何を考えているのかよくわからないが、唇の端をちょっとだけつり上げて見せているラキも、やっと腕を解放してくれる。

「さてタクト。トールとの話も一応着いた。もう時間がないのでな、結論を聞かせてほしい。お前はこの後、どうするつもりだ?」

 もうひと晩眠ったら、出撃になる。

 俺の後ろに立ち、こっそりと拭くの裾をつかんできているトールとも、ちゃんと話をすることができた。

 だったら俺は、姫の問いにも答えなくちゃいけない。

「俺は、討伐軍に参加して、魔王と戦いたいと思う。……いや、違うな。ゴローとの決着をつけたいと思ってる」

 俺がやりたいのは、前の世界から引きずってしまっている、ゴローとのしがらみを断ち切ることだ。

 どうするのが最適なのかどうかはわからない。けれど、あいつと同じ世界にいる以上、俺は決着をつけないといけない。

 もうひとりじゃない。信頼を寄せてくれて、俺を好きと言ってくれる人たちがいるから、俺はそうしたいと考えている。

 トールに目を向けると、力強く頷いてくれた。

「大丈夫です。わたしは常に、タクトと一緒にいます」

「ありがとう、トール」

 次に見たラキは、首を傾げながら言う。

「ワタシはタクト様の眷属です。いまのところ、タクト様と離れる気はありません。問われずとも、タクト様やトールたちとともに、一緒に行きます」

「わかった。ラキ、一緒に来てくれ」

 最後に見たアーシャ。

 魔王と戦うという言葉を聞いて、泣きそうに顔をくしゃくしゃにした彼女。

 ゴローに殺されかけた彼女は、恐怖を抱いている。長い時間に渡っただろう拷問のような仕打ちは、確実にアーシャの心をも痛めつけることになっていたはずだ。

 だから俺は、アーシャに無茶を言うことはできない。

 ゴローから受けたそれは、ほんの一端程度かも知れないけど、俺が受けたこともあるものでもあるから。

「大丈夫だ、アーシャ。無理に連れて行こうとは思ってない。姫、ここか、町にアーシャのいる場所を確保できないか?」

「それは問題はない。男と過ごすのは怖いだろうからな、町で兵士の世話をしているメイドの元にでも置いていくことはできる」

「そんな感じだ。怖ければ、町にいればいい。どうする? アーシャ」

 しゃがんで、震えてるアーシャの肩に手を乗せ、俺は恐怖に染まっている彼女の瞳を真っ直ぐに見つめる。

 しばらくの間、震えて口が利けなかったアーシャだけど、きゅっと両手を握り締めてから、問うてくる。

「どうして……、どうしてタクトさんは、魔王と会いに行けるの?」

「どうして?」

「タクトさんも、魔王に酷い目に遭わされたんでしょ? 怖いんでしょ? だったら……、だったらどうして、殺されるかも知れないのに、魔王に会いに行けるの?」

 震えている幼き竜王、アーシャ。

 たぶん彼女は、いまはまだ力は弱くても、いまいるこの中で、――いいや、たぶんこの世界の中でも最強か、それに近い力を持つに至るはずの女の子だ。

 そんな力を持つことがわかっているのに、彼女自身がたぶんそれを自覚してるのに、それでも彼女は魔王のことを、ゴローのことを恐れている。

 それに、俺だって怖い。

 悔しい気持ちが強くて、トールがいてくれたから話をすることができていたけど、もし俺ひとりだったら、この前会ったときも、逃げ出してしまったと思う。

 いまの俺は、ひとりじゃないからこそ、ゴローに会いに行くことができる。

「死ぬつもりはないよ。俺には、トールもラキもいてくれる。みんながいてくれるから、魔王と、ゴローと決着をつけようと思えるんだ。本当は怖いよ。凄く怖い。でもあいつとは、これから先もこの世界で生きていくためには、決着をつけないといけないと思うんだ」

「ひとりじゃないから……」

 震えていた身体が収まって、まだ泣きそうな瞳をしているけれど、俺の瞳を見つめてきてくれるアーシャ。

「ボクも……、ボクも決着をつけたい。ボクは、未来の竜王。竜王が、魔王なんて、怖がっていられない。だから、だから戦わなくちゃならないってわかってる。でも、怖い……」

「だからアーシャ――」

「うぅん、違うの! ボクはね、怖いけど、タクトさんと同じ! 怖くても、決着をつけないといけないと思ってる! だから、だからね? タクトさんと、トールと、ラキが一緒に行ってくれるなら、ボクも一緒に行く! みんなが一緒なら、ボクも魔王と戦えるよ!!」

 泣きそうで、また震えてるのに、それでもそう言ってくれるアーシャ。

 そんな彼女を、ボクは優しく抱き締めた。

「ありがとう、アーシャ。一緒に来てくれ。何もできなくていい。だから、魔王との決着をつけに行こう」

 もしかしたら、俺もトールもラキも、そしてアーシャも、死ぬことになるかも知れない。

 ゴローの力がどれほどのものかは、推測もつかない。生き残れるとは限らない。

 それでもこの世界で笑って過ごそうと思ったら、俺も、アーシャも、ゴローと戦い、勝たなければいけない。

 そう、俺は考えていた。

「姫。そんな感じだ。俺たちは明日、魔王軍との戦いに参加する」

「うむ。よくぞ言ってくれた。この上のない戦力だ」

 満足そうに笑ってくれた姫に、俺も笑みを返す。

 それから、抱き上げたアーシャと、トールと、ラキと、みんなと笑い合った。

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