第四章 アーシャ 5

          * 5 *



「神聖騎士団所属、ジェイン・ガイスナー以下、魔王スイミー討伐軍、ただいま到着いたしました! カエデ・エディリア様」

 そう言って恭しく片膝を着いたのは、銀色に輝く煌びやかな鎧を身につけた、騎士と思しき若い男。

 二十歳かそれくらいに見える彼の後ろで、同じように片膝を着き、整然と並んでいるのは金属製の鎧に身を包んだ重装の兵士たち。ちゃんと数えてはいないが、たぶん五〇人くらい。

 軽い運動会が開けそうなくらいの広さがある屋敷前の広場だけど、これだけの重装の兵士が並ぶと、さすがに壮観ではある。

「長い旅路をよくぞ乗り越えて来てくれた。ガイスナー卿。早速軍議に入りたい。到着早々で悪いが、良いか?」

「はい!」

 若く、目つきの鋭い隊長は、一瞬睨むように姫のことを見た後、深く頭を下げた。

「では私は野営の準備を指示して参りますので、後ほど王女の元までお伺いいたします」

「わかった」

 芝居染みた儀礼的なやりとりを終え、姫は踵を返してリディさんとともに屋敷に入っていった。

 俺も、抱きついてきたまま細かく震え続けているアーシャとラキとともに、屋内に入る。

「……あれで、討伐軍は全部?」

 広場に並んでいた兵士は確かに整った装備をしていて、オークやゴブリン程度ならさくさくと倒していけそうな感じがあった。

 でもオルグとかハウリングウルフとなると怪しい。人間なんかより遥かに強く大きい妖魔が何体も出てきたら、見えていた装備だけじゃ対処できなさそうな気がしていた。

「さすがにあれが全部ではないし、装備もあれだけではないさ」

 二階に続く階段に足をかけながら、振り向いた姫が苦笑いを浮かべて答えてくれる。

「広場にいたのはしっかり訓練を受け装備も調えた正規軍の兵士のみで、主立った装備と、志願兵や傭兵たちはリーリフの町に駐留している。広いと言ってもここの敷地では全員受け入れられはしないからな」

「そっか。じゃあ安心、かな?」

「……いや、そうでもない」

 会談を登り切った姫は、つぶやくように言って深くため息を吐いた。

「討伐軍本隊の人数は全部で三五〇。元メイプル要塞の守備隊に所属し、リーリフに残ってくれた要塞の兵士を含めても四〇〇ほどです。期待していた魔導騎士団はひとりも参加しておらず、神聖騎士団の騎士も隊長のガイスナー卿ひとりだけです」

 姫の代わりに顔を曇らせながら言うリディさんに、詳しくない俺でも状況が良くないことを理解した。

「……それは、ヤバいの?」

「ヤバいどころではない。魔王軍の総数は五〇〇から六〇〇。ライム竜族と戦う前の半分にも満たないし、構成は主にオークやゴブリンであるが、オルグが最低でも二〇はいるという話だし、他にハウリングウルフも同数程度。魔族についてはゴローとガルド以外は数が読めないが、正面からぶつかり合えばおそらく、こちらは全滅する」

「それも二日前の伝令でわかっていたことです」

「うむ。王はやはり、我らを生け贄にして他国に応援を求めるつもりらしいな」

 もう呆れを通り越しているらしい姫は、おどけた口調で言って執務室に入っていった。

 ラキやアーシャとともに姫の後を追う俺だったけど、いまは討伐軍よりも気になることがあった。

 結局、昨日は丸一日トールと会えなかった。

 食事はリディさんとラキで持って行ったようだから、その点は問題はないらしい。食欲もいつもと大きくは変わらないという話だった。

 でも、誰が訊いても、部屋から出ない理由を話してくれないそうだ。

 この世界に来てから毎日一緒にいて、ほとんどいつも隣にいてくれたトール。そんな彼女と丸一日以上会えないのは、どうにも落ち着かない気分になってくる。

 とくに、部屋に引きこもってる理由を教えてくれないことが気がかりだ。

「トールはどうしてる?」

 たくさんの人を見て硬直してしまっていたのが、やっと落ち着いてきたアーシャと、金色の髪を揺らしながら俺の隣に立ってるラキに訊いてみる。

「トール? さっきはベッドの上でバタバタしてたよー」

「……ベッドの上で? バタバタ?」

「はい。食事はいつもより多いくらいなので、問題ないかと」

「んん?」

 アーシャとラキが教えてくれたトールの様子に、俺はそれが想像できなくてうなり声を上げてしまっていた。

 俺の中でのトールの印象は、割と控えめで半歩後ろに立っていて、いざとなれば信頼できる、ちょっと方向性は違うけど専属のメイドさんとか、お嫁さんとかに近いものだ。

 部屋のベッドでバタバタして、でも食事はたくさん食べるというトールのことが、どうしても俺には想像できない。

「まぁ、トールとは少し、後で話をしてみよう。おそらくタクトとは、いまは顔を合わせられぬだろうからな」

「……うん。頼むよ、姫」

 はっきりとではなさそうだけど、トールが引きこもってる理由がわかってるらしい姫に、俺は頭を下げて頼んだ。

「こちらにとっても重要なことだからな、トールは。本隊が到着したのだ、今後のことを話さねばならないのに、トール抜きというわけにはいかぬだろう」

「それも、そうだね……」

 もし魔王討伐に参加するとしても、戦うのは俺じゃなくて、トールたちになるんだ。彼女抜きでどうするかを決めることなんてできない。

 大きなテーブルをリディさんと一緒に準備をしているラキや、難しい顔をしている姫のことを見ながら、アーシャを抱いた俺は、ここにはいない、頼りになる女性のことを想っていた。



            *



「お茶くれ、お茶」

 執務室に入ってきた、銀色に輝く鎧を着ていた青年、ジェイン・ガイスナーは扉が閉まった途端にそう言って、ソファに半ば身体を寝そべらすようにして座った。

 丁寧になでつけられた、くすんだ金色の短い髪をしたジェイン隊長は、いまは金属製の鎧は脱いで軽装となり、さっき玄関の前で見せていた誠実そうな顔ではなく、チンピラか何かのように顔を歪めていた。

 リディさんが用意してくれたお茶をひと息に飲み干し、おかわりを要求した彼は、新たに注がれたお茶をひと口飲み、盛大なため息を吐き出した。

 ――人のこと言えないが、こいつはなんなんだ?

 タメ口を利いてる俺も人のこと言えないわけだけど、魔王討伐軍の隊長とはいえ、自国の姫を前にずいぶん不遜な態度だ。

 片眉をつり上げて不愉快そうな顔をしている姫は執務机に着き、ひと通りお茶を淹れ終えたリディさんは姫の後ろに着く。

 執務机の斜め前に置かれたテーブルセットの椅子に座った俺は、しがみついてくるアーシャを膝の上に乗せ、無表情だけど警戒してるらしい空気を放ってるラキは、ジェインとの間に立って彼に冷たい視線を向けていた。

「ったくよぉ、なんでオレがリーリフくんだりまで来なきゃならねぇんだよ。姫、てめぇのせいだぞ」

「お前は――」

「よせ。いいんだ、タクト」

 口調は人のこと言えないからともかくとして、だらしなく寝そべるジェインにひと言文句をぶつけようと口を開いたとき、不愉快そうな顔はそのままに、姫に止められた。

「相変わらずだな、ジェイン」

「てめぇのせいだろ、オレのこの性格はよぉ」

「昔からの知り合い?」

「幼馴染みです、カエデ様とジェイン様は」

 オレが口にした疑問の言葉に、リディさんがそう補足してくれる。

 だけど心底イヤそうな顔になったジェインは反論してきた。

「幼馴染みなものかよ。腐れ縁って奴だ。それも格別質の悪い」

「貴族であり、騎士家でもあるガイスナー家の三男であるジェイン様は、幼い頃から王宮に出入りして、王宮の中では歳の一番近かったカエデ様とよく一緒におられたそうです」

「……なるほど」

「タクトだったか? 言っとくがヘンな意味はねぇぞ。こんな奴が生涯の相手なんてなぁ背筋に悪寒が走るぜ」

「何を言っている。よく一緒に遊んだではないか」

「あれは遊んだとは言わねぇよ。入っちゃいけないとこに忍び込んだり、暴れて調度品ぶっ壊したりよぉ。そのクセこいつは姫ってことで怒られねぇのに、オレは親父にひでぇ折檻食らったんだぜ? 一度や二度じゃねぇ。何度もだ!」

「お前の立ち回りがヘタだからだ、ジェイン」

「違ぇよ。未来の聖女様とか言われててめぇを責められねぇから、責任全部オレが被ることになっただけだっ。こいつはあの頃から可愛い顔して、中身は悪魔だったぜ」

「ふふふっ。懐かしいな」

 懐かしむように笑っているのに、姫の瞳に浮かんでいるのは、まさにジェインが言ってるような悪魔の闇だった。

「まぁ、その後てめぇは――。これは、いいか。んなことよりオレがここに派遣されたのは、てめぇがここの大将で、オレが幼い頃から知り合いだからだってんだ。ひでぇ貧乏くじだ。クソッ!」

 和やかなようで緊張感のあるいまのこの部屋で話された内容から、オレはジェインの態度が正当なものだと感じられた。

 幼い頃だったからとは言え、利用されてひとりだけ酷い目に遭うなんて、大人になっても許せるものじゃない。

「だがよ……」

 寝そべっていた身体を起こし、ソファに座り直し手を組んで深くうつむいたジェイン。

「オレは親父と王から死ねって言われちまったよ……。確かに家は大兄が継いだし、小兄も商売に成功してて、オレは祝福もらったからお情けで神聖騎士団に入れてもらったボンクラだがよ。まさか死んでこいと言われるとは思わなかったぜ……」

「お前の見立てでも、やはり魔王軍は倒せんか?」

「無理だな。姫様からもらった魔王軍の戦力配置は、たとえ予想の最小値がいまの奴らの戦力だったとしても、四〇〇程度の討伐軍とここに持ってきた装備じゃ、奴らの数を半分に減らして、オレたちは全滅する。最低でも、うちんとこの団長と副団長くらいは連れてこねぇと、スイミー以下魔族どもにゃ対抗できねぇよ。名誉ある役目とか言ってたが、これじゃあ死ねと言ってるのと同じだ」

「さすがだな、ジェイン。相変わらず負け犬根性だけは達者だ」

「んだとぉ?!」

「だが、私の見立てでも結果は同じだよ」

 怒りを露わにして顔を上げたジェインに、唇の端をつり上げる姫の笑みは、自虐的に見えた。

 戦力的には厳しいと聞いていたけど、実際勝てないほどの差がある戦力なんだろう。

「だがな、オレは絶対生き残るぜ、姫様」

「お前のことだからそう言うとは思っていたがな」

「……隊長って、先頭に立って戦うんじゃないの? ゴロ――魔王の前に立ったら、逃げ切れないんじゃ?」

「魔王の前に立つ前に逃げるんだよ。幸い要塞守ってた副長が生き残ってるそうじゃないか。魔王のいるとこにたどり着く前に、兵士長の復讐したいとか言ってるそいつに先頭押しつけて、オレはトンズラこくぜ」

「……」

 姫が言ってた負け犬根性というのは本当のようだ。

 自分の親と王に勝てない戦いに派遣されたというのに、生き残ることしか考えてない。

 でも、あんまり頭が良いようには感じない。

 幼馴染みで昔から性質を知られているとは言え、討伐に同道するだろう姫に、わざわざそんなことを言わない方が逃走は成功しやすいはずだ。

 なんとなくジェインの微妙な頭の悪さに、俺は彼が憎めなくなっていた。

「んで、こいつは誰なんだ? 可愛い子ちゃんふたりも侍らせやがって。オレも生き残ったらこいつみたいに女の子囲って楽しく生きたいってのによぉ」

 ここまで話した上でいまさらな質問をしてくるジェインに、呆れて俺は何も言えなくなっていた。

 姫が自分の部屋に敵を連れ込むとは思ってないのだろうけど、兵士に聞かれたらマズいことまで言ってただろうに。

「偶然拾った転世者さ。彼はタクト・シンジョウ。おそらくカエデ・ヤマトと同郷の転世者だ。いまはお前たち本隊が到着するまでの間、屋敷の護衛を頼んでいた」

「転世者だぁ? カエデ・ヤマトと同郷っつっても、こんなひょろいガキが戦えるってのか?」

 たぶん二十歳かそこらのジェインに、ガキと言われるほど年の差はないはずだ。

 ソファから立ち上がって値踏みするように、ジェインは俺の頭から足の先までを見つめてくる。

「ウソくせぇ」

「何を言っている。タクトはいま、この辺りでは魔王軍に次ぐ戦力を持っている男だぞ」

「はぁ? こいつが神聖騎士のオレより強いってのかぁ?」

「えぇっと……。しっ、神聖騎士ってことは、何か祝福が使えるの?」

 姫がわざわざ煽るものだから、俺は仕方なく話を逸らすよう、ジェインにそんなことを訊いてみる。

「当然持ってるに決まってるだろ? オレのは戦いに最適なつえぇ祝福だぜ。見ててな」

 問われて嬉しそうに言うジェインは、軽装と言っても腰に差していた剣をスラリと引き抜いた。

 どうもこいつは、調子に乗りやすい性格らしい。

「ほら、どうだ!」

 そう言ってジェインが、誰もいない方向に向けていた剣。

 その刀身が、赤く染まり始めた。

 ――違う、赤熱してきてるんだ。

 先端の方から徐々に、けれどけっこう急速に赤く光り、近くにいるだけでもわかるほど熱気を放ち始める。

 ヒートソード。

 溶かすほどではないにしろ、たぶん鉄製の剣が赤熱するほどだから、温度はかなり高いはず。

 剣としての切れ味は落ちそうな気がするが、布地くらいなら一瞬で引火するだろうし、金属製でも薄いところであれば熱でそのままぶった切れるかも知れない。直接肌に触れさせたら、それだけで大火傷確実な温度だろう。

 戦いに適したというのは冗談でなく、かなり有用な祝福だ。

 と、俺が思った瞬間――。

「あっつ!」

 悲鳴を上げてジェインが剣を放り投げた。

 ――あ、これマズい。

 スローモーションに見える動きで、回転しながら落ちていく剣。

 触ったら火傷を負いそうだと一瞬思ってしまった俺は動けず、しかし絨毯が敷かれた床に落ちれば、ヘタをすれば次の瞬間この部屋は火の海だ。

 でも、大丈夫。

「ふむ」

 ばっちり赤熱してる刀身をつかんで剣が床に触れるのを防いだのは、ラキ。

 熱がる様子のないラキは、祝福の効果がなくなったんだろう、冷えて赤みを失っていく剣を平然とした顔でつかんでいる。

「ありがとう、ラキ。助かった。さすがに一瞬肝が冷えたぞ。しかし相変わらずジェイン、お前は祝福の制御が甘いな。竈の女神が泣くぞ?」

「うっせぇな。使えるようになった最初の頃より超高速で熱くできるようになってるだろ?! ……熱ってなぁ伝わるものなんだ、その辺の制御とか対策はほら、次の段階ってことで……」

「返します」

「……おう。ってかなんなんだよっ、このお嬢ちゃんはよっ。普通こんだけ熱したもんに触りゃ火傷するってのに、肌の色すら変わってねぇじゃねぇか!」

 ジェインの言う通り、彼に剣を返したラキの手は、火傷どころか肌が赤くなってすらいない。

 たぶん神の力か、自分と同質の武器以外では傷ひとつつけられないオリハルコンの性質は、俺の眷属となったラキにも引き継がれているんだろう。

「タクトの眷属だ。ラキを見ただけでも、彼の持ってる力がどれだけ大きいかわかるだろう? それに幼く少々恐がりではあるが、タクトが抱えているアーシャは、成長すればもしかしたら地上最強の存在になるやも知れぬ女の子だ」

「……ありえねぇ。眷属ってなぁ、ジョーカーの使徒とかってのの権能で手に入れたってのか? こいつらいりゃスイミーもどうにかできるんじゃねぇか?」

「さてな。魔王の力はまだ推し量れん。それにもうひとり、頼りになる者がいるのだが、いまはちょっと都合が悪くてな」

「まだいるってのかよっ」

 ラキの力の一端を見て少し希望の光を瞳に宿すジェイン。

 トールのことに言及した姫は、胸のところからアーシャに見つめられている俺に視線を飛ばしてくる。

「我らの戦力は討伐軍が正規兵で五〇、傭兵と志願兵で三〇〇、リーリフに逃れた要塞の兵士が一〇〇ほど。神聖騎士団に所属しているのは隊長のジェインと、その従騎士が五人。それだけだ。戦力の一部は、おそらく同時に攻めてくる可能性がある魔王軍に応じるために、リーリフに残さなければならん。正直、出撃すれば我々はほぼ確実に全滅する」

「……そんなに、戦力差があるんだ?」

「あぁ。最終的な戦力差は魔王が魔族を何人擁しているかで決まると言っていい。我々が発見しているのは、魔王本人と側近のガルド、周辺の村に出されている三体。それぞれライム竜族との戦いを生き残った一騎当千の魔族であるはずだ。最初から魔族を前面に出されただけで、我らは確実に敗北する」

「……」

 全員の視線が、俺に集まっていた。

 姫やリディさんはもちろん、真剣な顔をしたジェインも、ラキとアーシャも、俺のことを見つめてきている。

 椅子から立ち上がった姫は、真剣な目を向けてきながら、俺の傍まで歩いてきた。

「して、タクト。お前はどうする?」

「俺?」

「あぁ。お前と最初に話したように、契約ではお前の護衛の仕事は本隊が到着するまでだった。その後どうするかは、そのときに考える、と話していただろう。いまがそのときだ。お前はこの後、どうするつもりだ?」

「俺は……」

「もしここを離れるつもりならば、討伐軍が出発する明日の早朝が良いだろう。リーリフも戦闘に巻き込まれる可能性が高いからな」

「……そんなに早く、出発するの?!」

「あぁ。我らを監視してる魔王軍は、既に本隊の到着を感知しているはずだ。今頃、我らに対抗するために周辺の村々に出していた妖魔や魔族に招集をかけているはず。それが集まりきらぬいまこそが、少ない戦力しか持たぬ我らが勝てる可能性がある、最高のタイミングなのだ」

 察してくれたように俺の身体に密着していたアーシャは、離れて椅子の上に立つ。

 さらに近づいてきた姫は、泣きそうな、でも気丈に瞳に力を込めた表情で、俺のことを見つめてくる。

「ここから立ち去るのか、それとも……、私と、私たちとともに戦ってくれるのか、それを決断してほしい。無理強いはしない。だが――」

 続けて言おうとした言葉を、姫はうつむいて飲み込む。

 ――姫はたぶん、明日死ぬことを、覚悟しているんだ。

 魔王と、ゴローと対峙するにせよ、できないにせよ、姫は自ら戦地まで赴く。

 ジェインは途中で逃げ出すかも知れないが、ゴローに対し何か強い想いを向けている姫は、命ある限り逃げ出したりはしないだろう。

 死ぬ覚悟すら決めている姫に、俺は自分のできることをやりたいと、そう思う。

 ――だけど……。

「俺だけじゃ、その判断ができないんだ。トールの、……最初からずっと一緒にいてくれた彼女がどうするか訊かないと、ここから離れることも、姫と一緒に戦うことも、決めることができない」

「そうだな。ならば、これからトールと話すことにしよう。ジェイン、お前も今日は食事をして休め。明日が早いこと、すでに兵には伝えてあるな?」

「もちろんさ。文句は言ってたが、二杯までなら酒も許可したからな。強行軍だが動いてくれるだろ」

「うむ。さすがだな、そういうところは」

「うっせぇよ。てめぇにひでぇ目に遭わせられたから、人付き合いの方法だけは学んだんだよっ」

 立ち上がり部屋から出ていったジェインの背中を見送り、俺の方を見た姫は笑ってくれる。

 明日、自分の命がどうなるかもわからないのに、優しい微笑みをくれる彼女を、俺は失いたいとは思わなかった。

 ――トール、君はいまどうしてる?

 そんなことを思いながら、俺はうつむくことしかできなかった。



            *



「討伐軍本隊が到着しました」

 ガルドに命じて取り寄せた牛肉。

 思ったよりも筋張ってて堅かったが、人間の料理人に調理させたらそこそこの味だったそれを夕食で楽しんでいたとき、ガルドがそう言いながら謁見の前に入ってきた。

「ちっ。けっこうかかったが、到着しちまったか。姫を捕まえることも殺すこともできなかったし、どうしたもんかな。数はどれくらいなんだ?」

 謁見の間の真ん中にテーブルを据えて食事をしていたゴローは、残りの食事を平らげつつそう問うた。

「到着した兵士の数は四〇〇ほど。リーリフにいる兵士を含めても五〇〇に満たない数です。おそらくは四〇〇ほどが数日中にこちらに攻めてくるかと」

「四〇〇か。たいした数じゃねぇな。俺様ひとりでもどうにかなるんじゃねぇか? 神聖騎士団とか魔導騎士団の奴はどれくらいいるんだ?」

「おそらく隊長に神聖騎士がひとり。それ以外はいない様子です」

「雑魚じゃねぇかっ。舐められたもんだな、ったくよ」

 口をナプキンで拭き、ゴブレットに注がれた酒をひと息の飲み干したゴローは、隣に直立不動で控えているガルドに薄笑いを向けていた。

「まぁでも、一応こっちも手勢はかき集めねぇとな。もう集合はかけてるんだろ?」

「はい。数日中には全軍が集結できる予定です」

「派遣してたって村はそんなに遠くないんじゃなかったか? 明日中に集結できないのかよ」

「妖魔や魔族は本来、ゴブリンやオークなどの集団で生活する者を除けば、群れを成すことはありません。力については人間よりも高い種が多いのですが、軍としての練度は人間には遠く及びません。集結の号令をかけても、時間はかかります」

「それをどうにかするのが副官であるてめぇの仕事だろ、ガルド」

「……できる限り早めるよう手を尽くします」

 胸に手を当て深々と礼をしたガルドは、ゴローから一歩離れた後、姿を消した。

 ボトルから新たな酒をゴブレットに注いだゴローは、深いため息を吐く。

「戦うのか。面倒臭ぇな。まぁでも、ゴブリンやオークどもをぶつけて、数が減ったところを俺様が掃討すれば楽勝か。魔王軍の兵隊が減っちまうが、んなもんはまたかき集めりゃいいんだよな。あぁーっ、クソッ! 姫だけは手元に連れてきたかったんだがなぁ」

 グチグチと文句を言い、ゴローはまたため息を吐いていた。

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