第五章 スイミー

第五章 スイミー 1

          * 1 *



「本当にそんなんでいいのか?」

「あぁ、構わん」

「こっちとしては準備が充分にできていいがよ……」

 屋敷の前で話し合っているのは、姫とジェイン。

 やっとそろそろ太陽が地平線から上がってくるかという頃、屋敷の前で野営していた兵士たちは準備を終え、順番に出発し始めていた。

 リーリフの町からは足並みを揃えるためにもう少しだけ早く、ここにはいない残りの部隊が出発しているという。

 ついに魔王軍との対決。

 出発の順番を待っている兵士の顔は、みな固い。

 それもそうだろう、オークやゴブリンを寄せ集めた小規模な魔群ならともかく、これから戦おうとしているのは、魔王と魔族に率いられた魔王軍なのだから。

 歴史上、規模の大小はあれど、魔王軍との戦いは常に激戦だったのだ、出撃していく兵士たちが生き残れるという保証はない。

 アーシャは、俺と手をつなぎ、深くうつむきなら静かにしていた。

 いつも通りのジャンパースカートにブラウスを合わせているラキは、物怖じすることもなく、しかしわずかに眉を顰めて立っている。

 俺の傍に控えているトールは、手甲はつけているものの鎧の類いは着てなくて、いつも通りのメイド服姿で穏やかな顔つきをこちらに向けてきていた。

 念のためということで革製の鎧を身につけた俺は、みんながいてくれるのはわかっているのに、さすがにこれから魔王と、ゴローと対面することになるだろうことを思って、気持ちが沈んできていた。

「では、頼んだぞ」

「わかったよ。ったく、また無茶な注文しやがって」

「いつものことだろう? ジェイン」

「そうなんだがな! ……死ぬなよ、カエデ」

「ふんっ。お前こそ」

 苦々しい顔をしたまま馬に乗り、全員が出発して空になった広場を、ジェインは急いで部隊を追って駆けていった。

 そんな彼を見送った姫は、微笑みを見せて俺たちの元にやってくる。

 姿が黒い色なのはあまり変わらない。

 でもいつもと違い、防御力がかなり高そうな金属と革を組み合わせた、凜々しい鎧を身につけている姫。

 トールと同じくいつもと変わらないメイド服のリディさんが座る馬車の御者台に上がった姫は、宣言した。

「さぁ、我々も出発だ。――魔王を、倒すぞ」

「……うん」

 姫の言葉に応えて頷いた俺は、眷属となった女の子たちを見回し、馬車の荷台へと乗り込んだ。

 全員が乗り込んだのを確認し、リディさんが馬車を出発させる。

 どんな戦いになるのかは、予想もつかない。

 生きて帰れるかも、わからない。

 でも死ぬつもりはない。

 全員生きて帰る。

 俺はそれを心に誓う。

 決戦が、迫っていた。



            *



 石の上にさらに土を塗り固めた、堅牢な要塞。

 丘となっている地形も利用して高く建てられた要塞の下、平地となっている場所には町が広がっている。

 この地域に棲み着いていた歪魔を討伐したと言っても、ここから北には多くの歪魔が住んでいたため、その防壁となるために成長していった要塞と要塞都市は、高い壁で囲われている。

 やっと要塞都市の人々が目覚めようとしている朝早い時間、都市を守る防壁の向こう、人の往来が多いために広場になっている場所には、続々と人間が集まり、整列を始めていた。

「早ぇな」

 着々と陣を張りつつある魔王討伐軍の様子を、ゴローは要塞の物見台から見つめていた。

 最低でも七日かかったはずの王都からの旅路の後、まさか休息もなく翌日に攻めてくるとは考えていなかった。

 ごく近隣の村に出していた妖魔たちは夜の間に集結しているが、いまいる魔王軍の戦力は三〇〇程度。すべてが集結すれば五〇〇を超えるが、それまでには時間がかかりそうだった。

 それでもガルドの他に陣頭指揮が執れる魔族はひとり、すでに到着していたし、村に出す意味のないハウリングウルフなどの動物系の妖魔はすべて要塞にいる。

 オルグの数が足りていないのは気になるが、人間の兵士程度には後れを取らない兵力は、要塞都市の正門前に出るよう指示を出してあった。

「おい、ガルド!」

「はい。魔王様」

 呼びかけると、即座にゴローの背後に姿を見せたガルド。

 斜め後ろに控えているガルドに振り返り、ゴローは彼を睨みつけながら言う。

「まだ到着してねぇ奴らはあとどれくらいかかるんだ?」

「今日の夕方にはあと五〇。明日の朝にはさらに八〇。残りは明後日の午前から午後になるかと」

「もっと急がせることはできねぇのか?」

「さすがに難しいですね。あまり急がせすぎるとばらけて盾にもならない戦力になってしまいますし、指揮が落ちた妖魔はむしろ混乱を呼び、それは他の妖魔をも巻き込んで戦線が瓦解します」

「ちっ」

 正門の内側、噴水のある広場に集まってきている妖魔の数は、まだ少ない。

 逆に王国の討伐軍はすでに正門近くに集結を終え、天幕などを張り始めている。あちらの方が明らかに動きが早い。

「大丈夫なのか? これは。すぐに攻めてこないだろうな?」

「どうでしょう。さすがに人間の戦には疎いもので。ですが、さすがにここは要塞都市です。魔族の攻撃にも耐えられるように造られた正門も、防護壁も、そう易々とは破られないでしょう。籠もっている限り、しばらくは耐えられます」

「なら、しばらくは大丈夫か」

 ガルドの言葉を信じたゴローは、振り返り都市の外に集結した兵士のことを見つめる。

 ――戦争は、面倒臭ぇなぁ。

 メイプル要塞を攻め落とすときは意外と楽しんでやれたが、何百という兵士がプレッシャーをかけてきているいまの状況は、精神的には気分の良いものではなかった。

 取り込んだ魔族や妖魔の身体強度や能力によって、砲弾であろうと自分には通用しないのはわかっている。

 だからといって、斬られたり殴られたり、砲弾を食らいたいとは思わない。

 痛めつけるのは好きでも、痛いのはイヤだった。

 こちらから出向かない限りは、自分の目の前まで敵が現れるほどの戦いにはならないだろうと考えている。

 それでも朝礼や運動会のときに校庭に整列した生徒のような兵士たちは、人数の多さが戦力の大きさであることをまざまざと見せつけられているようで、気分が悪かった。

「あっちが手を出してくるまでは睨み合って、もう少し戦力が揃ったらこっちから打って出ることにしようか」

「かしこまりました。そのように伝えます」

「都市の人間どもはどうしてる?」

「時間がありませんでしたので、自宅で待機するよう伝えているのみです」

「最悪、人間を盾に戦えば奴らは手を出せないだろ、たぶん」

「……」

 ゴローは苦々しい顔つきで討伐軍の様子を見つめた後、謁見の間に戻るために踵を返した。



            *



 高さは丘程度だけど、小高い岩石を削って建造したようなメイプル要塞は、思っていたよりもずっと大きな建物で、どの方向からでも攻めにくそうに見えた。

 平地に形成された、リーリフよりふた回りほど大きく見える都市の方は、要塞ほどの難所ではないかも知れない。けどたぶん人間の身長の二倍はあるだろう、防護壁で囲まれていて、そちらも攻めやすそうとは思えなかった。

 地の利を利用して建築されたここを攻め落とした魔王軍は、かなりの戦力を投入したか、相当の戦略家がいたか、魔族の力が恐ろしいほど強かったんだろうと思えた。

「堅牢な要塞ですね」

「うむ、そうだな。元々カエデ・ヤマトが建造したときは要塞とは名ばかりの、大きな小屋程度の規模だったそうだ。彼女が消えた後、歪魔の侵攻を防ぐよう言いつけられた領主はかなりの小心者だったそうでな、この要塞はその時代にほとんどの部分ができたんだそうな」

 トールの言葉に、姫は得意気な口調で答える。

 俺たちがいまいるのは、メイプル要塞が建っている丘の上。建物からはけっこう離れた林の中だった。

 リディさんが操る馬車は屋敷を出て街道をしばらく北上した後、獣道よりマシ程度の横道へと入り、迂回して要塞都市の横までやってきた。リディさんが言うには旧道らしい。

 丘の麓で軽く朝食を摂った後に馬車を乗り捨て、いまはどうにか歩くことができる山道のような場所に分け入って、要塞へと近づいている。

 まだ低い朝日に照らされた要塞と、要塞都市の向こうには、陣を張り終えようとしている討伐軍本隊が小さく見えている。

 でも姫は、本隊と合流するつもりはないようだった。

「本隊の戦力で勝てるの?」

「魔族がいま何体いるか次第だが、いまの妖魔の数ならば何とかなるだろう。見た限り鉄砲の数は揃えられおらんようだが、ジェインの奴め、どこでちょろまかしてきたのか知らんが、ずいぶん新しい砲をけっこうな数持ち込んでいる」

 リディさんから受け取った伸縮式望遠鏡で本隊を見つめている姫が、そんなことを言う。

 目をすがめて見る限り、正門の前に集結している妖魔が中心らしい魔王軍の兵隊は、ちゃんと整列もできていないし、数もおそらくジェイン率いる討伐軍本隊の半分ほどだ。でもひと際大きなオルグが何体か、それにハウリングウルフも何頭かいるのがここからでも見えていた。

 数では勝っていても、戦い方次第ではかなり苦戦になりそうな気がした。

「しかし、我々はあそこに合流するのではない、ということですか?」

「その通りだ、ラキ。正面からぶつかるだけが戦ではないからな」

「どこに向かっているの?」

「さきの二代目領主は、小心者であったが故に要塞を堅牢にし、彼の代で妖魔に侵入されることは一度もなかったそうです。しかしながら彼は、もし要塞が攻め落とされたときのことを考えて、様々な仕掛けを遺しました」

「つまり、隠された逃走路とかがあるんだね。定番だな」

「うむ、その通り。巧妙に隠されているために歴代領主も存在を知らぬだろう秘密の通路は、どういうわけか大図書館の片隅に捨て置かれた本にひっそりと図面が書かれていたよ。それを憶えて、あの要塞に訪れた際は秘密通路を使ってずいぶん遊んだものだ」

 悪びれる風もない姫は、唇の端をつり上げてそんなことを言う。

 ジェインの話からもわかったけど、幼い頃の姫はずいぶんお転婆だったようだ。たぶん、女王を目指すようになるまでは。

「時間に余裕があるわけではありません。行きましょう」

「そうだな。休憩は終了だ。行くぞ」

「タクトさん、行こう?」

 アーシャの差し出してくれた手を取り、先を歩く姫たちの後を着いて、俺も歩を進める。

 トールやラキ、かなり鍛えているらしいリディさんはともかく、ほっそりしている姫も、まだ幼いアーシャも、この険しい道を息ひとつ切らさず歩いている。

 俺の方と言えば、ここのところトールと一緒に少し運動していたというのに、少しの休憩じゃ息も絶え絶えだ。

 さすがにトールが負ぶってくれるというのは遠慮したが、アーシャに手を引いてもらってやっと歩けていた。

 この戦いが終わった後は王都の大図書館を目指すつもりなのに、こんなんじゃあ自分でも先行き不安だった。

 ――そうだよな。この先も、やりたいことがあるんだよな。

 道なき道をアーシャに手を引っ張ってもらいながら歩く俺は、そんなことを考える。

 この道を抜けた後は、姫の言う秘密の通路を使ってゴローの前までたどり着く。

 あいつと戦い、生き残って帰らないと、その先もない。

「全員、生き残って帰ろう」

「何を言っている? タクト」

 心の声が出てしまって、それに反応したみんなが振り返り、俺の方を見る。

「我らは戦い、魔王を倒して凱旋するのだ」

「そうですね。生き残るのではなく、戦って勝たねば帰ることはできないでしょう」

「その通りです。戦って勝つのです、タクト」

「大丈夫。ワタシは負けない」

「うん……。全員で、帰ろう」

「そうだな。そうだったな……。戦って、帰ろう」

 全員の声に俺は頷き、笑みを返した。

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