三人の生徒
「ねえ、あなた。旅をしているって本当?」
食堂で、知らない人に声をかけられました。
そちらを見ると、ここの生徒らしい人が三人、リンネたちのテーブルの傍らに立っていました。
一人は、おさげ頭の女の人。前屈みになって、リンネと目線の高さを合わせています。
一人は、賢そうな男の人。腕を軽く組んで、こちらを観察するような目で見ています。
一人は背が高く大柄な男の人。物珍しげな顔で、リンネのことをじろじろ見ています。
話しかけてきたのは女の人で、後の二人はその後ろから、こちらを見下ろしていました。
三人とも、ノイエと同じくらいの年頃に見えます。──もっとも、ノイエは実際の年齢と見た目の年齢が離れているので、実際はノイエの方がずっと年上でしょう。
三対の視線を受けて、リンネは返事に困りました。
実は、今は一人きりです。
先ほどまでメーラと一緒だったのですが、メーラは神官に呼ばれていってしまいました。奉仕活動の手伝いです。メーラはだいぶ渋りましたが、これもまた、この神殿に滞在するための条件の一つです。結局は、そちらへ行くことになりました。。
そういうわけで、今は一人きりです。
だからリンネは、困ってしまいました。
今までずっと、リンネは奴隷でした。
許可のない発言は、許されませんでした。
許可を求めることすら、許されませんでした。
けれど、今はもう、違っています。
エストレアたちは、リンネの発言を咎めません。
リンネが自由に発言することを、認めています。
誰かの許可がなくとも、好きに発言していいのです。
それになにより、リンネはもう、首輪をしていません。
奴隷ではなくなったのです。
許可を求める理由がないのです。
だから、ここでなにを言っても構わないはずです。
それはリンネにも、わかっています。
問題は、こういうとき、なにを言えばいいのかわからないことでした。
「…………」
こんなふうに、誰かが話しかけてきたとき。
これまでは、エストレアや、メーラや、ノイエがそれに応じていました。
奴隷であるリンネに直接話しかけてくる人なんて、いませんでした。
だからリンネは今まで、黙ってそこで静かにしていました。
そうしていれば、だいたいの話はいつの間にか終わっていました。
たまになにかを聞かれたときだけ、答えるべきことを答えればよかったのです。
でも今は、そうはいきません。
だって、誰もいません。
エストレアも、メーラも、ノイエも。
今は、誰も近くにいないのです。
話しかけられたのは、リンネで。
他に答える人はいなくて。
リンネが、なにかを言わなくてはいけません。
でも、なんと言えばいいのかわかりません。
いつも、どんな風に答えていたでしょう。
エストレアは。メーラは。ノイエは。
どんな風にしていたでしょう。
考えてみましたが、わかりません。
結局、リンネは、
「はい」
と返事をしました。
それ以外、出てくる言葉がありませんでした。
「へえ!」
女の人は、栗色の目を丸くしました。
「本当なんだ。こんなに小さいのに、すごい!」
「…………」
返事に困って、リンネは黙り込みました。
この人は、なんの用件で話しかけてきたのでしょう?
なんだか、よくわかりません。
「あ、ごめんね急に。私はエンナ。監督生です。……監督生って、わかる?」
「はい」
それは、ハルセから聞いていました。
年長の生徒の中でも、教官──生徒たちを指導している神官たち──から特別に指名された生徒たちです。
彼らは、生徒たちの代表です。生徒をとりまとめ、時には指導します。また生徒たちの間で起きた問題を、教官に伝える役割も負っています。その一方で、生徒たちを代表して、教官たちに意見をすることもあります。
中間管理職、とノイエが言っていました。
それがなんなのか、リンネにはわかりません。
「えっと、こっちがイスカ。こっちはクラン。この二人も、監督生です」
大柄な背の高い人──イスカは、リンネににっこり笑いかけてきました。頭のよさそうな人──クランは、ちょっと眉を上げただけで表情を変えません。
「あなたのお名前、聞いてもいいかな?」
「……リンネ、です」
なんだか、変な感じです。
名前を呼ばれることは、よくあります。
エストレアたちがリンネのことを紹介することも、よくあります。
でも自分で名乗ったのは、初めてのような気がします。
自分で自分の名前を口にしたことは、これまで一度もありませんでした。
なんだか、言ってはいけないことを言ったような。
そんな気がして、リンネは落ち着きませんでした。
「リンネさん。もし良かったら、このあと談話室で私たちとお話ししない?」
「おはなし」
「そう。私たちね、あなたたちのこと、とっても気になってるの。みんな、あなたたちがどんな人なのか、どんな旅をしてきたのか、すごく興味がある。だから、もしよければなんだけど──」
「なにをしている」
ばっさりと。
話を切って捨てるような、低い声がしました。
見ると、いつのまにかノイエがすぐ側に立って、リンネたちを見下ろしていました。
赤い目に、はっきりとした警戒を宿しています。
「なんだ、お前ら」
その目を向けられて、三人の監督生たちは揃って身体を強ばらせました。エンナは怯えたように肩をすくめて、リンネから離れます。
「いえ、その──」
「外部からのお客様というのは珍しいので、少しお話しでも、と思ってお声がけさせて頂きました」
口ごもるエンナに代わって、クランが答えます。
落ち着きのある、歯切れの良い話し方でした。
「こいつは子供だ」
ノイエはいっそう低い声で言います。
平坦な話し方ですが、どこか苛立ちを感じます。
「勝手にどこかへ連れて行かれるのは困る」
「え。いや、しかし──」
「どうしてもというのなら、保護者に許可を取れ」
「保護者というのは、あなたですか?」
「いいや。こいつの保護者は魔法使いだ。許可を取るなら、そいつを探せ」
「どちらにいらっしゃるかは──」
「知らん」
ノイエはきっぱり言いました。
でも、これは嘘です。
リンネには、すぐにわかりました。
エストレアが図書館の地下に籠もっているのは、ノイエだって知っています。
そのせいで奉仕活動が自分とメーラにばかり回ってくると、ついこの間も愚痴っていました。
だから、この返事は嘘でした。
でも、どうして嘘をついたのでしょう?
なぜ今、エストレアの居場所を知らないふりをする必要があるのでしょう。
リンネにはわかりません。
けれど、ノイエのことです。
なにか意味あってのことでしょう。
意味もなく嘘をつく人ではないはずです。
なので、リンネは黙っていました。
「ハルセに聞けばわかる」
「教官に……」
「それができないなら、こいつには構うな」
突き放すようにそう言って、ノイエはリンネの隣に座りました。
ノイエのこういう物言いは、なんだかとても迫力があります。こちらの口を塞いで、反論をさせない力がありました。
まごついている三人を、じろりと睨みます。
三人は怯んだように頭を下げると、そそくさと去って行きました。
その背中が十分に遠くへ行ったのを確かめて、リンネは口を開きました。
「ノイエ様」
「なんだ」
ひっそりと、囁くような声が答えます。
なんとなく、リンネも同じように声を潜めました。
「なぜ嘘をつかれたのですか?」
「面倒だからだ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………。お前、自分のことや俺たちのことを根掘り葉掘り聞かれて、上手く答える自信、あるか?」
「いいえ」
考えるまでもなく、リンネは首を横に振りました。
声をかけられただけでも、あんなに困ったのです。
普通に話したり、ましてや質問に答えたりなど、とても出来る気がしません。
ましてやリンネたちには、いくつか『話せないこと』があるのです。
それはノイエの腕を覆う手甲の正体──つまり、『遺物』のことだったり、リンネ自身がつい最近まで奴隷であったことだったりです。
ノイエの遺物は、本来なら神殿にその存在を知らせなければならないものです。けれど様々な事情で、今はその存在を隠しています。
そしてリンネが奴隷だったということもまた、隠しておくべきということになっていました。
『奴隷だったってことは、信用できる相手以外には話さないほうがいいだろうな』
王都を離れてすぐの頃、エストレアはリンネにそう言いました。
『今はもう違うとは言え、奴隷だったと知られたらなにをされるかわからん。この前みたいなこともあったし、基本的には内緒にしておこう』
この前、というのは王都にいたときのことです。
そこでリンネは、ずいぶんと痛い思いをしました。
その時はまだ、奴隷の証である首輪をしていて。
誰の目にも、奴隷であることは明らかでした。
そしてそれが原因で、リンネは痛い思いをしたのです。
「誤魔化すというのは、難しい」
ノイエは言います。
「そんなことするくらいなら、はなから黙っていたほうがいい。そもそも口を開かなければ、口を滑らせることも、ボロを出すこともない」
「はい」
「今度、また声をかけられても、一人ではついていくな。エストか、最低でもメーラと一緒なら考えてもいい」
あいつらは口がよく回るからな、と呟いたのが聞こえます。
「ノイエ様は」
なんとなく返事を予想しながら、聞いてみます。
「嫌だ。関わりたくない」
予想通りの返事でした。
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