お昼ごはんと嬉しくないお誘い 2

 二人は少しの間、口を閉ざしていました。

 ほんの数秒。きっと、十を数える程度の時間でしょう。

 けれどリンネは、なんだかとても長い時間が流れたような気がします。

 それくらい、重苦しい間でした。

「それで、もう一つは?」

 先に口を開いたのは、エストレアでした。

「奴隷とお話ししたい、だけが理由じゃないんだろ?」

「ああ。──聖名を持つ魔法使いと、ぜひ会って話をしたいと」

「……俺のこと、話したのか?」

「当たり前だ。こちらから頼んだこととはいえ、外部の者を騎士団本部へ入れる以上、報告しないわけにはいかない」

「そりゃ、そうだが」

「聖名を持つ魔法使いなど、そう数は多くない。この機会に是非話を聞かせて欲しい、と陛下は希望されている」

 聖名。

 聞いたことのない言葉です。

 なんでしょう。

 リンネがそう考えていることを見抜いたように、エストレアが教えてくれます。

「聖名っていうのはな、神様からもらったもう一つの名前のことだ」

「かみさま、から」

「そう。神様が時々、こいつには特別に名前をつけてやろうって、名前をくれるんだよ」

「それは、どうしてですか?」

「わからん。なにか、はっきりとした決まりがあるわけではないらしい。神のみぞ知るってやつだな」

「かみの?」

「神のみぞ知る。神様しか知らない、神様にしかわからないことって意味だよ。──聖職者とか魔法使いに多いから、神様と縁の深い人に授けられるんじゃないか、とは言われてるな」

 聖職者は神に祈り、神のために働きます。

 魔法使いは、神々を祖とする精霊たちの力を借りています。

 どちらも、確かに神と縁の深い人たちと言えるでしょう。

「でも、聖職者や魔法使いになれば必ず貰えるわけではないし、それ以外の仕事をしていても、貰える人はいる。俺は、聖名を持つパン屋と煙突掃除人に会ったことがあるよ」

「聖名は、貰えるといいことがあるのですか?」

「俺は魔法使いだから、恩恵はあるよ。精霊たちとの交渉の時、ちょっとだけやりやすくなる。けど、他の職業はどうだろ……有名にはなれるだろうな。珍しいことだし。仕事で有利になることも、あるかもしれない」

「……エストレア様は、お名前が二つあるのですか?」

「ああ。エストレアって名前は聖名だ。せっかくもらったものだから、普段はこの名前を使ってる。でもこれと別に、親がつけてくれた元々の名前もちゃんとあるよ」

 その名前がなんというのかは、口にしませんでした。

 指揮官の男に向き直って、改めて誘いを断ります。

「理由はわかったが、行きたくないもんは行きたくない」

「そう言わずに、頼む」

 指揮官の男は、縋るような目をしました。

「そもそも、先日の殿下の家出の理由が、それだったのだ」

「あ?」

「そもそも、最初に面会を望まれたのは殿下なのだ。殿下が面会を希望し、陛下も同意された。それを受けて、我々は面会の打診をしたのだ。断られたが」

「…………」

 断ったのはエストレアです。

 リンネはその話を始めて聞きましたが、そうだろうなと簡単に予想できました。

 見上げると、エストレアはなぜかなにもない方向を見ていました。

 まるで自分には関係ないと態度で示しているかのようです。

 それが逆に、エストレアが断ったのだということを表していました。

「しかし殿下は諦めきれず、今回、城を抜け出して貴方に会いに来た。そういうわけだったのだ」

「なんでそういうことするかな……」

 エストレアは頭を抱えました。

「つまり先日の件の遠因は、貴方が面会を断ったからで……」

「そういう責任の押しつけかたをするな」薄紫の目が、ぎらりと指揮官の男を睨み付けます。「間接的な責任なんぞ、いくらでもさかのぼれる話だろうが。お前らがあの阿呆どもを騎士団に在籍させてた責任を追及してやろうか?」

「いや、その、失礼」

 あまりの剣幕に、指揮官の男は慌てて言葉を撤回しました。

 はあ、とため息をついて、エストレアは頬杖をつきます。

「だいたい、指導はどうするんだよ」

「ああ、それは問題ない。彼らも呼ばれているからな」

「聞いてないが」

「先ほど決まった話だ。魔法の演舞をしてもらう。過去にも何度かやったことのあることだ」

「なんだ、そりゃ。魔法を見世物にするのか」

 嫌そうなエストレアの顔を見て、指揮官の男は苦笑いを浮かべました。

「いや、単なる見世物ではない。魔法使い育成には多額の資金が投じられている。演舞は、その成果を知らしめるためのものだ」

「ふーん。ようは、無駄遣いしてないってアピールか。あわよくば予算の増額も狙ってたりする?」

「していない。……というのは、さすがに嘘になるな」

「なるほどねえ」

「これは、あまり大きな声では言えないがね……」

 指揮官の男は、囁くような声になって言いました。

「我が国は、慢性的な経済難なのだよ」

「だろうな」

「増税もしがたい。国民感情を考えれば、当たり前だが」

「そうだな」

「しかし実際、資金がなければ国は立ちゆかない。現状は、余裕のある国民からの寄付に頼っている」

「つまり、貴族や富裕商人相手に投資を募ってるわけだ。この事業に投資すると、将来こんな見返りが期待できますよ、ってな形で」

「そういうことだ」

 指揮官の男は、ぐったりした顔で頷きます。

「最近は騎士としての仕事より、そろばん片手に書類を見ている時間の方が多いよ」

「お疲れさん。偉い人は大変だな、本業以外のことで悩まなきゃいけなくて」

「そう思うなら、快く出席していただきたい」

「それは嫌だ」

 きっぱり拒否して、パンを一口、大口で囓ります。

「あ、そうだ。この前の件、なんとかしてくれるなら行ってもいいぞ」

「この前の……? ああ、あれか。いや、あれは──」

「話してみるくらいは、してくれてもいいだろ」

「うーむ……」

 指揮官の男は難しい顔になりました。

 エストレアはどことなく面白がるような顔で、それをみています。

 リンネは話が見えないので、黙ってそれを見ています。

「うむ、わかった」

 かなり長いこと悩んでから。指揮官の男は頷きました。

「なんとか、出来ることはしてみよう」

「おっ、本当に?」

「あまり期待されても困るぞ!? そもそもが、無茶な要求なのだ。結果が出なかったからと、あとで責められても困る」

「わかってるよ。自分でも言ってて無茶だなーと思うし」

 エストレアは軽く笑うと、カップの中身を飲み干しました。

「こっちの要求聞いてくれるっていうなら、話は別だ。──招待を受ける」


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