峠のうわさ

「私たちが今いるのが、ここ」

 宿の部屋。

 床に地図を広げたメーラが指さしたのは、左半分の真ん中やや下あたりです。リンネたちが今いる町が、大雑把に書き込まれています。東に迫る山も、西を流れる川も、その更に西の大岩原やイーリー山脈も、きちんと書かれていました。

「目的地が、ここ」

 メーラの指が地図の上を滑ります。ぴたりと指したのは、今いる村から山を越えた先の、森の中でした。なにもない場所に、インクで印がつけてあります。

「で、問題なのがこの峠道ね」

 今いる町と、山を越えた先の別の町を繋ぐ道を、メーラの指が往復しました。

「この道に、最近、山賊が出るんですって」

「賊ねえ……」

「最近の話みたいよ。春先はまだ普通に通れたって話だから。どこかから流れてきたんじゃないかって噂」

 案内人が見つからないのは、その山賊たちのせいでした。

 どうやら、峠道を行き来する人を片端から襲っては持ち物を奪っているようで、最近はすっかり人が通らなくなったそうです。それでも時々、噂に疎い者や向こう見ずな者、迂回するのを面倒がった横着者などが通ろうとして、被害に遭っています。

「しかも、エストの言うとおりなら、途中で道を外れて山に入るんでしょう? 危なくて引き受けられないって言われちゃったわ。ただでさえ山は狼やヨーテがいる上に、いつ竜の縄張りに入るかわかったものじゃない」

 狼もヨーテも、犬に似た大型の肉食獣です。竜ほどではありませんが、どちらも危険な動物でした。

「しかもこの辺りの山、お化けが出るって噂もあるらしいし」

「は? お化け?」

「森を彷徨い歩く、亡霊騎士が出るんですって。黒い鎧に赤いマントの」

「なんだそりゃ」

 エストレアはわしわしと髪の毛をかきまわしました。

「山賊。狼。ヨーテ。竜。そんでお化けか。ずいぶん治安が悪いな」

「山賊については、国に討伐依頼を出したそうよ」

 この辺りの町や村は、すべてイルム王国という国に属しています。村落と国は、決まったお金や品物を収める代わりに、困ったときには助けて貰えるという決まりでした。

「ここの町長と、山向こうの町長の連名で。騎士団が退治してくれるまで待ったら? って言われたわ」

「いつになるかわからんぞ、そんなん」

 エストレアはテーブルに頬杖をつきました。

「ここの道は、昔はかなり往来のあった道だけど、今はそうでもない。ここから北に行った所に、新しく道が出来たからな。向こうの方がなにかと便利なんで、今は向こうが主要な道になってる」

「今は、あんまり重要な道じゃないってこと?」

「そういうこと。他の、もっと重要な土地からの要請があればそっちが優先される。そんで、今の時期は王都が忙しい。近く、王太子の生誕祭があるからな」

「騎士団は警備に駆り出されるわけね」

「そう。こっちは後回しにされる可能性が高い」

「あらら……」

「まあ、絶対そうだとは言わないが。でも、アテには出来ない。生誕祭が終わった後だって、より優先すべき事案があれば、そっちに人手を割くだろう」

 エストレアはため息をつきました。

「だいたい、流れ者の山賊なんて、稼げなくなればまたどっか行くしな……。それを待つって判断をした場合、そもそも人が派遣されるかどうか」

「なんか、ひどいわねえ」

「そんなもんだぞ、国なんて」

「世知辛い世の中だわ」

 メーラも深々とため息をつきます。

 リンネは話についていけなくなったので、床の板目を目で辿って暇を潰していました。騎士団だとか、国だとか、そういうものをリンネはよくわかっていないのです。

「じゃあ、騎士団は待たないとして。──だからといって、町の人に無理言って案内を頼むわけにもいかないわよね? なにかあったら、責任取れないし」

「そうだな。申し訳が立たない」

「……つまり?」

「自力でどうにかするしかない」

 二人は顔を見合わせると、揃ってため息をついたのでした。

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