首輪つきのリンネ
在原一二三
星の里帰り
ある奴隷の話 1
あるところに、一人の女の子がいました。
髪の毛は、枯れ葉のようなくすんだ茶色。
両の瞳は、泥のように暗く沈んだ灰色。
身体は小さく、枯木のように痩せています。
その女の子には、名前がありませんでした。
その女の子には、家族がいませんでした。
その女の子は、奴隷でした。
生まれたときから奴隷で、これまでずっと奴隷として生きてきました。
いつも首輪をつけていて、くたびれた服を着ていました。
女の子は気がついたら奴隷で、それが普通のことでした。
なんの疑いもなく、そういうものとして生きていました。
女の子は、何処かの土地で畑仕事をしていました。
女の子の主人が持つ、広い農場で働いていました。
日の出から日暮れまでを畑仕事に費やし、暗くなったら小屋に戻って眠ります。
毎日の決まった作業を、毎日の決まった時間までに終わらせます。
言われたものを言われたとおりに運び、言われたとおりに作ります。
やれといわれたことは全てやり、やるなといわれたことは決してしません。
定められた予定を、淡々と消化していく毎日。
それが女の子の日常でした。
◇◇◇◆
あるとき、主人は多くの奴隷を手放すことにしました。
理由はわかりません。
そんなことは奴隷には知らされません。
それは奴隷が知る必要のないことだからです。
お前たちは売られることになった、と使用人に言われただけでした。
奴隷はそれを拒めません。奴隷の処遇を決める権利は主人にあって、奴隷にはないのです。頷いて、言われたとおりにするしかありません。
奴隷たちは市場へ連れて行かれ、そして別の人に買われていきました。一人一人値段がついて、一人一人に買い手がつきます。
女の子にも、買い手がつきました。
女の子の首輪の鍵を買ったのは、一人の老人でした。
市場の人は口を揃えて、運がいい、と言いま
女の奴隷で。子供の奴隷で。
そんな条件で、こんなに真っ当な買い手がつくなんて。
なんて運のいい奴隷だろう、と口々にいいました。
女の子には、その意味がわかりません。
その意味がわかるほど、女の子はものを知りません。
無知な女の子は、良いことも悪いことも、等しく知りませんでした。
だから、奴隷の悲劇を知りません。
自分の幸運もわかりません。
◇◇◇◆
女の子を迎えた老人は、魔法使いでした。
杖を持ち、長いローブを着た、背中の曲がった魔法使いでした。
老いた魔法使いの家は、町から少し離れた森の中にありました。
大きく、そして魔法使いと同じくらいに老いた屋敷です。
どこもかしこも色褪せて、薄暗い森に馴染んでいます。繰り返し修繕した跡が、あちこちにありました。
そんな姿でも、屋敷は堂々とそこに建って、女の子を見下ろしていました。
つぎはぎだらけの色褪せた屋敷には、他に三人の奴隷と、一人の使用人と、一人の弟子がいました。
女の子は三人の奴隷の所へ連れて行かれました。
一人は若い女の人で、一人は若い男の人です。
そしてもう一人は、お婆さんでした。
このお婆さん奴隷は、もうずいぶんと年老いていて、力のいる仕事は出来ません。簡単な掃除と、繕い物や編み物が主な仕事でした。
奴隷の女の子は、このお婆さん奴隷の代わりになるために買われてきました。そのことを、お婆さん奴隷本人から聞きました。
三人の奴隷は女の子を迎えると、まず始めに屋敷の決まり事を教えました。
一つ。奴隷は人目についてはいけません。使用人に姿を見られるのはいいけれど、魔法使いの師弟やお屋敷に来たお客様の前には、特別な許しなく姿を見せないこと。
一つ。奴隷は、師弟の部屋とお客様の部屋には入ってはいけません。どんな理由があってもいけません。どうしても入らなくてはならない時は、使用人に許しをもらわなくてはいけません。
一つ。奴隷は決められた時間以外、地下の部屋にいなくてはいけません。部屋の外で仕事をするのは、朝から夕方だけ。夜は部屋に帰ること。もちろん、仕事のやり残しなんて許されません。
どれもとても簡単なようで、とても難しい決まり事でした。
屋敷奴隷の仕事は、色々です。
掃除と洗濯。庭と家畜の世話。建物や衣類の修繕。ほかに、裏庭の畑も奴隷が世話をします。やらないのは主人である師弟と、お客様に関わる家事。そして炊事だけです。他の仕事は特別な理由がない限り、奴隷たちで手分けして済ませなくてはいけません。
これらの仕事を決まりを守ってこなすのは、とても難しいことでした。
魔法使いのお屋敷はとても広く、廊下は入り組んでいます。いつどこで、魔法使いの師弟やお客様に出くわすかわかりません。
奴隷たちはみんな、いつも冷や冷やとしながら仕事をしていました。
◇◇◇◆
女の子がお屋敷に来てしばらく経った、ある冬の朝。
お婆さん奴隷が冷たくなっていました。
静かに目を閉じて、眠っているのと変わらぬ顔をしています。
けれど身体は凍ったように冷たく、固く、決して目を開けることはありません。すでに魂はそこになく、ただ身体だけが残されていました。
お婆さん奴隷の身体は、しばらく地下に置かれていました。
地下の部屋でも一番暗く、一番寒い部屋です。
お婆さん奴隷は、そこで静かに眠り続けました。
運び出されたのは、四日後です。
風のない、穏やかな冬晴れの日でした。
太陽が高く昇った、お昼前。
お婆さん奴隷の身体は静かに運び出されて、どこかへ埋葬されました。
埋葬をしたのは男の奴隷で、立ち会ったのは老いた魔法使いだけでした。弟子も、使用人も、他の奴隷も、お婆さん奴隷の身体がどこへ埋葬されたのか知りません。
それは、特別珍しいことではありません。
死んだ奴隷は人里離れた山野に捨てられて、誰にも見向きをされないのが普通でした。埋葬すらされないのが当たり前で、その死がわざわざ知らされることもありません。
だからこそ、驚くべき事でした。
奴隷が埋葬されたことも。
それに主人が立ち会ったことも。
それが他の奴隷に知らされたことも。
すべてが驚くべき事でした。
どうして老いた魔法使いは、お婆さん奴隷を埋葬し、それに立ち会ったのでしょう。どうしてそのことをわざわざ、使用人を通じて奴隷たちに伝えたのでしょう。
女の子にはわかりませんでした。
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