第132話
トウキョウは元々この国の首都で、多くの人がいて多くの物があった。
それは今でも変わらない。
多くの人間がいて、その分多くの人間の欲望が渦巻く混沌とした土地になっている。
そのなかで秩序をもたらすのは明確な力であり、権力だ。
僕たちは軍の中でも少し変わった位置にある。
センダイへの遠征やゾンビの特異個体討伐の経験からトウキョウの西部方面にて危険度の高い個体を倒す任務が回されてきているのだ。
はっきり言えば僕より強い隊員はいる。戦力を集中させることで討伐することも叶うだろう。しかし、最近でははっきりと差が出てきた。
試験運用中の調整薬。その効果がはっきりと出てきたのだ。
タマ湖に猿型のゾンビがいた。このゾンビは兎角敏捷性に秀でた固体で、人の関節をひきちぎる腕力に、対刃装備を切り裂くほどの爪をもつ。
何より厄介なのはそんなゾンビが群れでいることだろう。
現場は悲惨であった。遠方から監視する部隊以外の斥候部隊ですら全滅するような状況にあって、僕たちが行うのは誘引部隊が誘引してきたゾンビを倒す処理役として閉所を利用してゾンビを倒すというもの。
誘引部隊というのも奴らのテリトリーを車で爆走してくるという作戦とも言えぬもの。
車に取りつき、装甲をべこべこにしガラスをたたき割られながらも突っ込むようにして屋内駐車場に連れ込む。
ライトで照らし目を潰した瞬間に処理役である僕たちが仕掛けるという流れ。
順調に処理しつつ、数を減らすことが出来たと思ったのも束の間、誘引部隊の車が遠方に見える湖畔の向こう側で爆炎を上げた。事故かと思えばそうではなかった。いわゆる統率固体と呼ばれる他の猿に比べて大型の、いっそゴリラかと思うようなゾンビに襲われたのだ。
狙撃隊員からの報告も虚しく、あっという間に距離を詰められてなし崩し的に戦闘することになった。
僕らの胴くらいある両腕をぶんぶんと振り回すゴリラを相手に大立ち回りをすることになったが、霧瀬がライトによる補助をしてくれたおかげで片目を奪うことに成功した。
しかしライトを鬱陶しく思ったゴリラにライトごと吹き飛ばされた霧瀬は戦線離脱。気を失ってしまい危険かと思われたが幸い僕に執着していて、何とか引き離すことに成功した。
霧瀬を回収した後方支援部隊がその場を離れても何とか有利に討伐を進めあと一歩かと思ったその時、予想外の襲撃があった。
以前タナシでの討伐作戦で横やりを入れてきたスカベンジャー集団だった。
襲撃を受けたという無線の直後、目の前のゴリラの肩にボルトが突き刺さる。僕は此処で以前襲撃を受けたスカベンジャーの首魁と奇妙な共闘を行うことになったのだ。
残った無事な方の目を男が射貫いてからは削り切るだけだった。ゾンビの頭部を破壊する必要があると分かっている僕は
あちらの集団がこちらの後詰との挟撃を受けそうになったらしく、あっさりと退いたらしい。
彼らはトウキョウ西部のスカベンジャーの中でも武闘派でならしている連中らしく、大抵のスカベンジャーは軍に対しては退くが、構わず戦闘を行うという言わば狂犬扱いされている集団だった。
「なるほどね。それにしても……」
研究所で根本さんから感染状況を確認しながらその時のことについて話をしたのだ。
霧瀬は少し頭を打ったようだが大事ないとの事で現在は休養中だ。
「現状の感染率は問題ない数値に収まってる。自覚症状はあるかい?」
「これと言って特には。ああ、いや、副作用というよりは、そうですね」
「強化されてる感覚がある?」
「はい」
というのも、僕はゴリラゾンビの攻撃をすべて回避したわけではないのだ。
僕はセオリー道理に足から削っていった。足を庇う動きを見せるなりして上体を下げれば自然と頭部が前に出てくる。そのタイミングこそ大きなダメージを与えるチャンスだと知っているから。
その途中、足を上げて回避をしたゴリラが同時に腕を振りかぶっているのが見えたのだ。まずいと思った瞬間に腕を挟んでダメージを軽減しようとして壁際まで押し出された僕が感じたのはじんわりとした痛みと、腕が痺れる感覚。
僕の腕は繋がっていて、痛みよりも痺れの方が気になるという状態。パッと見て折れてもいない。正直僕自身の体のことなのに信じられなかったくらいだ。
「なるほどね、耐久力が上がっているという事かな」
「他にあるとすればスタミナとか膂力、反射速度でしょうか」
「……反射速度、上がってる感覚があるんだ?」
「はい。なんというか思ったように体が動くと言いますか……」
「なるほどね。肉体性能の向上というところかな」
一つだけ言っていないことがあった。体感速度とでも言えばいいのか。
今回はサイズ感も近いことがあって、思い出したことがあったのだ。
センダイの演習場で戦った大型ゾンビがいる。サイズ感や攻撃パターンが似ている印象があったのだ。
あの時は小屋姉妹のお姉さんのほうがわざわざポールで相手の攻撃にあわせて弾いたり往なしていた。その動きを参考にしたのは確かだ。
そして思う事もある。あれだけのことが出来る女性が本当にただの人間なのか。
「……この調整薬って、実は以前からありませんでしたか?」
「ん? 把握している範囲では無いと思うけど。何かあったかい?」
「いえ、以前細身の女性がゾンビと対峙しているのを見たことがあったんですが、標識のポールを軽々と振るってゾンビの攻撃を弾いていたので」
「ふむ。……あまり武術とかに詳しいわけではないけど、何かしらの技術が使われていたりは?」
「僕が見る限りでは恐らく、見てから振っていたと思うのですが……」
徐々に記憶を思い返すと、そう言えば攻撃を喰らって大きく吹き飛ばされていたこともあったのを思い出す。しかしその後何事も無い様子で戦線復帰もしていた。
それを考えれば、小屋姉妹のお姉さんは今の僕と同じぐらいには調整薬による強化がされていた、そう考えてもおかしくは無いと思えた。
「なら抗体保持者だったのかもしれないね。感染後完全にゾンビ化はしなくても、膂力や耐久力が人を凌駕するものになっていた、という可能性があるね」
「なるほど……」
つまりは感染の進行状態が安定し、結果的に調整薬を施した状態と近いものになった。
運が良かったのだなと思うとともに、それでも外に出てゾンビと戦い独力で生きる道を選んだ人たちだったのだなと感心してしまった。
「ああ、今回の変異結晶だけど、ちょっと効果が予想できないんだ」
「そう、なんですか?」
「うん。これまでは量の過多はあれど研究したことのあるものばかりだった。でも、今回のものはそのいずれとも違うものだ」
「副作用が出るという事でしょうか」
「いや、感染率を最小限にした状態で用いるから効果が出るか分からない、という方かな」
そもそも変異結晶と呼ばれるものがどういうものかもいまいち理解してない僕では、ゾンビが持つもの、感染した患者にできるものといったくらいの知識しかない。
「何故この結晶ができることでゾンビになるのでしょう」
「変異結晶は方向性であって、感染症であることの方が問題ではあるんだけどね」
「そうなんですか?」
「菌、ウィルス、寄生虫。病原体は多々あれどゾンビ症に関しては少々特殊でね」
曰く、ゾンビ症の病原体に対抗するにはまた別のゾンビ症である可能性がある、との事だ。
「生成される結晶の相性では対消滅を起こすものがあるんだ」
「それ、は。ゾンビ症の治療薬をつくるためにゾンビが必要、という事になりませんか?」
「そうだね。もっと言えば、先ほどの対消滅の効果を狙ったとしても、助けられるかどうかは定かではないんだ。対消滅したとて、再生成、脳死、いろんな理由で人として大きく変質することは免れない。だからこそ遅延薬にこだわっているというのがある」
薬の準備を始めながら根本さんは続ける。
「ゾンビ症に感染した者の脳が内側から圧迫され、脳に異常をきたす。その後に変異結晶が励起、肉体の変質や性質の変化が見られるようになる。だからこそ、症状が進んでいない段階で可能な限り人のままでいられる遅延薬の製造が人気なんだ」
元々製造を委託していた場所以外の研究所直轄の製造工場まで抑えられ、その利権に群がる相手に嫌な顔をしていた根本さんだ。皮肉が効いている。
「これは、訊いていいのかわかりませんが」
「なんだい?」
「研究所には抗体保持者がいるということでしょうか」
調整薬の製造デザインがまさにそれだ。ふと思いついたことが口から出た。
「いたよ。聞いた話だと、あの二人はそうらしいからね」
「あの二人、ですか?」
「うん。典正くんと千聖ちゃん」
何といっていいか分からない。特に機嫌が悪そうには見えないが、変に気にしてもあちらも困るだろう。
「群狼、ですもんね」
「まあ、そうかも知れない、という程度だけどね」
「そうなんですか?」
「僕の記憶じゃ典正くんが感染したって聞いたことないからね。怪我した、くらいならあるんだけど」
研究所内に運び込まれたゾンビが暴れ出した時に制圧要員として働いていたこともあるらしいが、暴れ出したゾンビをナイフ一本ですぐに大人しくさせるため、ゾンビそのものを研究していた人たちからは信頼されていたらしい。
「千聖ちゃんも典正くんがそうだと思うって言っていたくらいで確かな証拠は無いけどね」
確たる証拠は無いけどそう言っていたから。なんというか、実験を繰り返し真実を追い求めるような研究者らしからぬ発言だと思ってしまった。
とはいえ実績を考えれば根本さんの考えが納得できるところにあるのだろうが。
「ああ、そうだ。政府が国外からゾンビのスペシャリストを招待したと聞いたけど、知っているかい?」
「そうなんですか?」
「うん。事前にこちらに説明がなかったこともあるし、軍じゃないかって言われてるんだけど」
「どうでしょうか。僕は特に何も聞いていないので何とも言えません」
それ以前に大した階級で無いというのが理由の一つになるだろうか。原田中佐なら何か知っているのかもしれないが必要ならば情報は頂けるだろう。
「ゾンビのスペシャリストって、何でしょう?」
「さて、スペシャリストなら集団、エキスパートなら個人のイメージがあるけどね」
「違うのですか?」
「専門家という意味では同じだけど、スペシャリストの中でも一等上なのがエキスパートじゃないか?」
「そうなんですか?」
「……どうだろう、何か区分があれば違うかも」
苦笑いをしながらお互いに逸れた話題を元に戻す。
「どうあれ、こちらは多少の懸念を持っている」
「調整薬ですね?」
「その通り。そもそも現状でまともに国外に人を出すことが出来る国を考えればアメリカなのはほぼ間違いない。スペシャリストと聞いて僕は研究資料の回収だと思ったんだ」
「それは、つまり」
「口封じ」
「……演習場にあった施設だということで、軍関係者が来るのでは、ということですか」
「そうだね。悪いんだけど」
「はい。何かあれば情報共有するという事で」
「うん、よろしく頼む」
ゾンビの討伐は順調だ。いや、そう感じているのは僕だけか。
実際にここ最近騒がれているゾンビの討伐では被害が増えていることに加え、軍に敵対するようなスカベンジャーの動きも増えてきた。
トウキョウで、何らかの変化が起きているのは間違いない。
調整薬のおかげでゾンビ討伐では困ってはいないが、トウキョウで情勢の変化が起きようとしている。それが良いものであることを願わずにはいられなかった。
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