第129話


 鼻から吸って口から吐く。酸素を回して血を巡らせて体の状態を更新してゆく。

 リフの裏道、盛り上げられた住宅団地の麓の影からインターチェンジを覗いている。

 私はパンデミック初期に感染した。その時のショックで記憶が曖昧だがそれを補って余りあるほどの経験を積んできた。


 体の中を血が巡る。そんな当たり前の人間としての機能が手に取るようにわかる。

 指の爪の先、鼻腔を撫ぜる香り、鼓膜を震わす振動。その全てが私という存在に生きているという実感を与えてくれる。


 記憶が無いという事は死んでいるのと大差ない。そこまで生きてきたはずの私だったものがあるだけだ。

 言葉の意味は理解できる。見たものの名前がわかる。分からなくてもその道具の扱い方がわかる。何処で知ったのかわからない見たことも無いはずのものを知っている。

 ちぐはぐさに眩暈がする日々もあった。

 それは生きることを重ねることで徐々になくなっていった。


 車の上に乗って見張りをしていたが何の反応もないまま夕暮れを迎えようとしていた。

 そろそろ動き出すだろうかと同じように車外に出ていたつると瞳さんを見る。

 私の視線に気づいた二人だったが、そのタイミングで車内から通信機が鳴り出した。鳴っているのは愛美の通信器だ。起きてるか確認しようとしてひょいと覗き込む。


「はーいぃっ!?」


 急に顔を見せたこちらも悪いと思うけど、滅茶苦茶ビビっていた。ウケる。

 パッと顔を上げて警戒にも戻る。掴んでいたのは群狼専用の通信機だった。このタイミングなら多分マックスだろうけど、その辺りは話がまとまってから聞けばいいだろう。

 愛美もマックスから指示を受けながら何年もポーターやってきたのだから、大体のことはできる。マックスも出来ないことを頼んだりはしないし。


 そんなことを考えているタイミングで私の感覚が何かを捕らえた。そんな私が反応するより早く、つるから声がかかった。


「車だね。団地の方から来てる。普通車サイズかな」


 つるは元々目が良かったけどここからじゃ見えないはず。耳がいいとは聞いたことなかったけど今は特に考慮する必要は無い。

 つるが捕らえたなら私と瞳さんはそれぞれ別の場所を見ることにする。

 私は交差点をインター方向に抜けた時に見える場所を車の上から。瞳さんは目の前の道に来た時に備えて、交差点付近が見える位置に道沿いに。


「数は……うん、一台だけだと思う」


 ターゲット確定。他の連中なら一台だけで来るなら大型車の方が一般的だし、そもそも一台だけで来るとか状況を理解していない間抜けだ。相手にならない。

 ややあって車が坂を下り始める。そしてゆっくりと動き出した。


「こっち」


 瞳さんの声に反応してすぐに車に乗り込んだ。私のすぐ後でつるが、瞳さんが乗り込んだところで、以前センダイで見た久間先生の車とすれ違った。

 運転手の女はこちらを見てひどく驚いていた。流石にそれはスカベンジャー舐め過ぎでは?

 猛スピードで駆け抜けていく車を追い始める。とはいえこちらは見失わない程度にゆっくりだ。


「そう言えばマックスはなんて」

「久間楠先生殺してもらった方が楽かもだって」

「わかった」

「……偽装だからね? いなくなってもらった方がドクターにヘイトを集めやすいとかなんとか」

「わかった。久間先生は殺すふりだけ」 

「千聖ちゃんドクターのこと嫌いすぎない?」

「嫌いじゃない。殺した方がいいとは思うけど」

「昔からだからね、しょうがないよ」

「あ、ちなみに今回もドクターが犯人らしいわよ」


 マックスから連絡をうけた愛美が内情を教えてくれた。神社に来た記者を遠ざけようとしただけらしいが、それがたまたま当たっていたらしい。

 ほんとうかと疑ってしまうのはあの女の普段の行いがあったから。アイツは誰かを嵌めたりすることに理由がいらないタイプの狂人だ。自分が見たいものを見るため、欲しいデータを得るために何でもやるタイプの人間。

 私とは反りが合わない。アイツが私に何かして来たらうっかり殺してしまうだろうが、あいつも私には殺されるという自覚があるからか直接的に仕掛けられたことは無い。

 ついでにマックスに仕掛けたこともない。いや、もしかしたら仕掛けたことがあるのかもしれないが一顧だにされないだけかもされない。


 あの女はもういいや。機会があれば蹴り飛ばしてやる。

 それよりも久間先生だ。私にとってはいろいろと教えてもらった文字通りの先生でもあるし、マックスが認める研究者だ。

 群狼時代から研究所との取引はあった。研究所に所属を変えてもやることは変わらなかったが、マックスが当時の私が余りにも物を知らなかったことを気にして久間先生に指導を依頼したんだったっけ? 何故か分からないけどよく勉強を教えてくれる先生、くらいの立ち位置にいた人。


 恩はある。それなりに仲良くもしていた。でもそれだけだ。邪魔なら殺すつもりでいたが、生かして研究させ、そのしわ寄せをドクターによせるというのはいい考えだと思う。

 事の推移も聞いたけど、とりあえずドクターがやらかしたという事だけわかっていればいい。どうせアイツも研究している間は大人しいし、作ったもの自体は比較的まともなものが多い。

 最初に作った健康ゾンビ液みたいなものを作り出さなければいいだけだ。いろんなものから搾り取ったあれを世紀の発明品のように宣伝していたアイツは間違いなく頭がおかしいのだ。


「このスピードで大丈夫?」

「うん、この道は行き先が限られているからね。博打は打てないよ。センダイに来ていたからにはセンダイで用がある。土地勘が掴めていないからマップ頼りになる。ただし追手に追い付かれないようにする必要がある。だからまあ遠くには行けないよね」

「戻ってくる、と」

「戻るルートを策定してそこに出発するのが先か、私たちがなんかやる気なさそうに追っかけていることに気付くのが先かってかんじかなあ」

「久間先生は箱入り」

「そこは娘までいってあげなよ」

「娘という年じゃない」

「いい? 千聖ちゃん。人間って図星をつかれるとネガティブになるものなんだよ?」

「あの人は元々悲観主義の偽悪人」

「研究者らしからぬ考えね。まるで正義の研究者みたい」

「実際そういう面はあるでしょう? は」

「マックスは否定してたけどね。って」

「なにそれ?」

「事情とか状況とか関係なく殺しは絶対悪。奪うっていうのはそういう事だって」


 確かトウキョウのスカベンジの時にかち合ったスカベンジャー皆殺しにしてた時に言ってたはず。何でそんな話になったのか覚えていなかったけど、たしかあの時は他のメンバーが盛り上がっていた中で一人だけシーンとしてたから気になって聞いた覚えがある。


「何その一流の戦士みたいな話」

「でも責任はトップがとるものだとも言ってた」

「え、もしかして個人行動が多いのってそういう事?」

「半分くらいじゃない? リーダーは一人でやるのが一番良いって判断した時はこちらに気付かれないようにやることもあるし」

「だからマックスがリーダー先導者って呼ばれてた」


 余程信頼した人物でなければ仕事を任せることは少なかったし、殺しに関してはあくまで自分がやらせたという方針を崩さなかったから。

 大天使だってそうだ。全部リーダーがやらせた。後々必要になるから、なんて言っても抱えているうちはそれをすべて抱え込むつもりだ。

 私たちは既に引き返せないところまで来ているし、私に関しては私が殺したいから殺している。私は紛れもなくマックスと同じ悪人であることを望んだから。


「なかなか止まらないね?」

「もう夕方だからね。夜に明かりをつけて走るリスクを考えれば、どこに行くかは明白。それより先に私たちがなんでゆっくり近づいてるか察してくれたらこの町でも生き残れるんじゃないかな」

「どこに行くの?」

「ガソリンが生命線。入れたばっかりだろうけど、最終的には補給できる場所に戻る必要があるからね。狙いもなく遠くに行っても意味ないんだよ。それに気づいていればここで私達と接触するかどうか考えないといけない」

「私達ぶっちぎって隠れたりは?」

「する意味ないと思うんだよね。止まってる時間が長いといずれ追手に追い付かれるし。あっちからすればいずれどこかの勢力と接触しなくちゃいけないんだから、遅いか早いかだと思うんだけどねー」


 この道は周囲を雑木林に囲まれているが道自体は真っ直ぐで見通しがいい。しばらくは見失うことは無いだろう。


「あんま北には行ってほしくないなー」

「なんで?」

「この道ヨシオカ、自動車工場近くまで繋がってるんだよねー」

「ああ、行き止まりなんだ」

「そうだねっと、案外早く気付いたみたい。んー、どうしようかな」


 遠くに見える車がハザードを焚いて道を曲がった。ナビにはランドマークの表示はあるけど何があるかはわからない。まあいいか、私がやることなんて大鉈を振るうことくらいだ。細かいことは愛美とつるにお任せだ。


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