第126話
「あれ? 北に行くんだ? 南に戻るかと思った」
「何でも屋で正しく情報を仕入れてたなら南には行かないはず。わざわざ追いつかれるリスクを追ってまで燃料仕入れたってことは多分粘るはずだよ」
「自動車工場とか?」
「そこだとセンダイからは遠すぎるね。記者なら適度な距離を維持するんじゃないかな」
「場所のあたりはついてるんだ?」
「私ならリフを選ぶね。国道ルートと高速を迂回するルート。利便性の高い二つのルートが選べるからね」
「なるほどね」
私は助手席に愛美ちゃんを置いて車を走らせている。拠点からセンダイにいるまではぼやぼやしていたけどターゲットが逃げ出したと聞いてすぐに助手席で逃走ルートの予測を始めた。
最初に向かったのはセンダイでBDFを売っている国道近くのスタンドだ。うちの車は燃料の補給は必要ないが情報収集のために立ち寄った。
愛美ちゃんの予想は的中し、見慣れない女が補給に来たという話がきけた。めずらしく国が発給したポーターの証明証だったらしくしっかり覚えていた。
どこに行ったかまではわからないがそこからは愛美ちゃんが予想した逃走ルートに従って北上している。
リフという土地は比較的港に近い場所だが山によって遮られている場所だ。土地自体は山がちだがセンダイ東部の高速道路と海岸線を走る高速道路、その二つが合流するジャンクションが近く更に高速道路を道なりに北上すればトウホクを縦断する高速に繋がるジャンクションもある。
何よりリフから真っ直ぐセンダイに繋がる道がありもちろん国道からも行ける。高速を迂回する形でセンダイに向かうルートもあり選択肢が豊富な場所なのだ。
そんな場所だからスカベンジャーもいる可能性もあるのだがそれはあくまで通り沿いの話。山の中を切り拓いてつくられた閑静な住宅地はパンデミック後にゴーストタウンと化している。
もちろん私達も何度か出向いたことがあるし相当数ゾンビを倒している。その中で生存者というのは見たことが無い。せいぜいがスカベンジャー程度で私達も然程深入りせずに軽く調査したという程度だ。
「リーダーに報告した方がいいかな?」
「しない方がいいね。一人だと何するかわかんないから邪魔しない方がいいよ」
「それはそれでどうなの? というか千聖ちゃんの代わりってことはドクターの周辺で護衛するってことよね? 今必要?」
「多分別にやることがあるんじゃないかな。千聖ちゃんはどう思う?」
「私もそう思う」
「なるほどぉ」
リーダーがわざわざこちらに私たちを寄越したことについて思い当たるのはここには女性しかいないという点だろうか。久間先生なんだから別にこっちに来ても良かったと思うんだけど。やっぱり記者の存在がネックなのかなあ。使い道を考えてるのかも。
「そういえば千聖ちゃん」
「何」
「どうやって久間楠先生を判断したの? っていうか浚っては来れなかったの?」
「開けたところに車止めてた。多分記者の女は起きてたし、私も結構賭けだった」
「知り合いなんでしょ? 気軽に会いに行けない?」
「あの時は確証がなかった。実際に見るまではクマ先生っぽい誰かでしかなかったわけだし」
「あー、ね。じゃあ確認した時に挨拶とかは?」
「クマ先生が敵じゃないという確証がない」
これもあるかあ。久間先生が敵対したというより、記者に上手く使われているんじゃないかっていう。千聖ちゃんは久間先生にはそれなりに親愛の情を抱いてはいるけど、群狼を売るほどじゃない。
元々群狼の裏切者はリーダーが始末していたというのもあるけど、私たちに任せたっていうのはこういう見極めをする必要があるっていう事で。多分敵に渡った時のデメリットの方が多ければリーダーが処分するだろうし。
個人的にはドクターとは違った意味で知識や技術を持っている人なんだろうけど、抱え込むことによるデメリットの方が多いと思うんだけどなあ。
「え、私は引き入れるために向かってると思ってたんだけど、もしかして違うの?」
「間違ってないよ? 場合によってはちょっと荒事になるかもしれないってだけで」
「少なくとも記者は一度尋問しておきたい」
「物騒! いやでもさ、記者なら誰とも役割被ってないし独自の伝手とかありそうじゃない?」
「勝手に情報流さないように教育しなくちゃね」
「藪蛇だった! あーでも始末するほどじゃないんだ?」
「マックス次第。使えるなら使う」
「具体的には?」
「……。つる」
「うーん、証明書があるんならいろんなとこに正面から乗り込めそうだよね? 軍とのつなぎ役とか潜入調査とかもできるんじゃないかな?」
「私も持ってますけど」
「ポーターじゃあ検問のパスにしかならないんじゃない?」
「おっしゃる通り。まあそれでも十分ではあるんだけど」
公的な証明書というのは案外馬鹿にできない。この世界では生活するのに必要のないものだが、あると信用と仕事が得られる。そういうものだ。
その中でも記者というのは直接相対したことは無い。彼女の所属元は分からないがトウキョウから来たという事は政府の息がかかった報道機関である可能性もあるわけで。少なくとも拠点に積み重なっている暇つぶしにもならないゴシップのような弱小組織では無いはずだ。
だからこそただ消すのもまずいのかもしれない。
「……ここで事故に遭ってもらった方がいいのかもね」
「いやだから物騒!」
「できれば他のスカベンジャーなりに追撃してもらって彼女たちを追い詰めてもらった状態で助けに入るってことが出来れば簡単なんだけどなあ」
「それで大人しくなる記者ならいいね」
なかなか難しい判断を任されたなあ。彼女たちの処遇ばかり気にしていたけど他の組織も彼女たちに追手を出していない訳が無いわけだし。となると戦闘も絡む可能性があるんだけど。
出来れば隠れて進むのがベストだけどそこまでうまくいくかなあ。
そこはかとない不安と共に、私は国道からリフへ向かう道路へとハンドルを切った。
秋風が肌寒さを感じさせるようになって葉も色づき始めた。私はいつものように朝の作業を始めようとしたところで頼まれ仕事に出ていたみんなが帰って来た。
先生と小屋姉妹はいつも通り。ただ今回は
剣さんに聞いたところ大天使ちゃんについては曖昧な笑みではぐらかされる。彼女たちが求める基準に達していないのだろうけど、彼女や千聖ちゃんのようにするのはどう考えても無理じゃないだろうか。
それもあって帰ってきた大天使ちゃんの様子を気にしていたが、その前に先生から忠告というか頼みというか、そういったものを受けた。
曰く、少々ショッキングな出来事があったからケアを頼む、とのこと。普段は動物の面倒を見ながら石田さんの様子を見たりしているが、千景さんが手伝ってくれるので割と自由にできる時間も多かった。千景さんも休む暇がないほど忙しいわけでは無いはずなので、そちらに頼めばいいのにと思っていたら、小瀬屋敷夫妻にはまず直接仔細を説明するとのことだった。
「まあ、立場的に貴女が一番彼女の参考になるでしょうから」
「参考ですか?」
「ええ。何故戦うのか、何のために生きるのか。その参考に」
意味深なことを言いながら後始末を始める先生を尻目に私は大天使ちゃんの様子を窺うことにした。
ここにいる動物たちは賢い子が多い。同居人の様子を窺って寄り添うことのできる優しい子たちもいる。家の周りで自由にしている猫たちやうちの周囲で暮らしている鳥たちも軒や縁側の下、木々の影から大天使ちゃんを窺っている。大天使ちゃんの可愛がっていた犬も少し心配そうだ。
昨晩は徹夜での作業という事で休んでいた愛美さんはお姉さんたちと一緒に出発した。先生も準備を進めている。大天使ちゃんが起きるのはお昼を過ぎるだろうと思っていたのだが、石田さんの様子を見るために一度家に戻ってきたタイミングで起きている彼女を見つけた。居間でボーっとしている様子だったので少し驚いた。
「大天使ちゃん、寝てなくて大丈夫なの?」
「あ、八木さん。その、ちょっと寝れなくて」
午前中にすべき仕事は済んでいる。一先ずハーブティーを淹れて話を聞くことにした。
「何かあった?」
「何かあったというか……その」
俯き、言葉にしようとして、迷いながらもぽつりとつぶやくように吐露した。
「人を、撃ちました」
「そう。殺したの?」
「……はい」
そっか。赤の他人ならそんな言葉で済むことだ。だが彼女はまだ幼く、何より閉鎖した環境にいたためそういった環境とは無縁だったのだろう。その辺りも剣さんが教えていると聞いていたが。
「……顔が、消えないんです。眼を閉じるとその人たちの顔が浮かんできて眠れないんです」
「そう」
「……殺した人も殺された人も、怒っていたり恨んでいたり悲しんでいたりして、でもみんな死んでるんです」
「……そう」
「私、初めて人に向けて銃を撃ったんです」
「引き金が軽かった?」
「……はい。火薬と血の匂いがずっとこの辺にある気がして」
そう言って鼻の下を軽く擦る大天使ちゃん。
私は麻酔銃くらいしか撃ったことが無いけど、スコープを覗き込んでいる時の緊張感や引き金を引く時の喉の奥が渇く感覚は理解できる。だが、そこまでだ。
結果として人が死ぬのと、自ら決意して命を奪うのではその後が違う。
少し昔を思い出す。まだ飼育員として動物たちの世話に固執しそのために全てを捧げていた時の私だった時。動物を皮や肉、希少品としてしか見ていない人間たちから助けようとして自分自身を切り売りしていた時代。
それこそ体を売ってまで生かそうとしていた時、私は私という人間を殺していたと思う。
自分の物であるはずの体ですらどこか別の何かとしか思えなかった。自分の奥底にある飼育員としてのなけなしの矜持を維持するために、他の全てを投げ出していた。
きっと彼女にはそれが無い。私が腹の奥にずっしりと抱える大事なものが、彼女なりの守るべき何かが無い。
「始めて人を撃った時、どう思った?」
「……何も」
「ふうん?」
「ただ、何か大事なものがあった気がするんです」
「大事なもの?」
「はい。あの、これ……」
大天使ちゃんが差しだしてきたのは血が染み込み赤黒いシミが残ったキャンパスノートだ。
パラパラと覗いてみれば彼女たちが殺したのがなんだったのかというのが朧げに理解出来た。
ーーー 〇月×日 男四人 長田さんの婆さんがやられた。人を襲う鬼は逃がせぬ。福は内。鬼も内。
ーーー □月△日 男女十数人 この地に来た旅人らしい。土地を奪う鬼は逃がせぬ。福は内。鬼も内。
ーーー 〇月〇日 ーー人 人を襲う鬼は逃がせぬ。福は内。鬼も内。
ーーー 〇月〇日 ーー人 人を襲う鬼は逃がせぬ。福は内。鬼も内。
ーーー ーー人 人を襲う鬼は逃がせぬ。福は内。鬼も内。
殺人鬼の村だったのかしら? 外から来る人間に排他的どころか強い敵意を抱いているまである。
「最後の方に、レシピがあります」
「レシピ?」
パラパラと飛ばし読みし、最後のページにかかれていたのは毒抜きの仕方だった。毒で仕留めた獲物の肉から毒を抜く手順だ。
まあこれを狩人の覚書と見るほど平和ボケしていない。
ああ、そういう事か。敵を逃がさず仕留め、腹のうちに入れておくことが一番良いっていう意味での福は内、鬼も内なのか。多分どこかで順番が逆になっているはずだけど。
敵であるはずの鬼を倒しているうちに自分が鬼になったというオチ。日本的な話なのにグリム童話染みているというか。本当は怖い日本昔話だろうか。
ただ残念ながら、私が今回の顛末を聞いたとしても目の前の彼女のようにはならないだろう。単純に必要のないものを必要だと思って錯覚しているだけだと思う。
「大天使ちゃん、あなたは何も忘れていないわよ」
「……そう、なんですか?」
「ええ。相手を殺したことに間違いはないわ。私が保証します」
直接手を下したわけでもない私が言うのもなんだが、これは人間社会の中で行われた間引きだ。人を殺して血の味を覚えた熊は駆除されるべきである。人を殺してその肉の味に躊躇いを覚えなくなった
「貴方が忘れたと思っているのは慈悲の心」
「慈悲の心……」
「とっても貴重なものなのよ? 使いどころが限られていて、その判断を間違うと無くなっちゃうの」
「……」
「殺したことを後悔するくらいなら、他の人たちが怪我しなかったことを喜ぶべきじゃないかしら?」
「……先生と一緒だったんですけど、多分、私いない方がもっと早かったんじゃないかなって思うんです」
「連れて行くと決めたのは先生でしょ? ならあなたは必要な人間だったという事よ」
「必要、だったんですかね?」
「剣さんがいうには、元々一人で何でもできる人らしいから、多分今回もあなたのためになると思ってのことじゃないかしら? まあ少し厳しいけどね」
どこかぼーっとしていながらも沈んでいた大天使ちゃんから少しずつ力が抜けて行っているような空気を感じる。
少し皮肉が効いているなと思った。実戦経験はほとんどないが大事なもののために心を殺した私と、半ば巻き込まれるようにして戦いその無垢な心を傷つけることで鍛えられた大天使ちゃん。
ああ、でも。この世紀末の世界で彼女に少しでも明るい未来があるのなら私の過去にも意味があると思える。
ああ、なるほど。剣さんが言っていた先生が厳しいっていうのはこういう意味なんだ。
冷めて温くなったハーブティーと一緒に僅かに芽生えた嫉妬心を一気に飲み込んだ。
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