第123話



 日は既に沈んだ。

 西側は高速のインターを始め所々にバリケードや車両止めのようなものがおかれていた。西側は別の村があるが利便性を考えるなら南にある国道沿いの町に行くのだろう。

 そもそもの話として山に囲まれている地形である以上何か伝手が無ければこちらには来ないだろう。そしてパンデミックが始まった時期から考えると行き来する人間はこの村の内通者と考えられる。どちらにしても敵だな。


 村の役所跡。村の通りから一段高い場所にある。山の斜面を拓かれているため道に面した方向以外は山を背負うようにして建物が立っている。少し前までは軍の連中もいたが先ほど撤退した。

 小屋姉妹も南側の高校跡に移動している。こちらで追加した道路情報を考えれば誘導役をこなすのに十分だろう。今は走行ルートの策定を行っているはずだ。

 そして俺の目の前には大天使一人。


「基本は籠城。お前は警戒だ」

「……それだけですか?」

「ここでやることはな」


 どうせ待ってれいれば何かしら接触して来るだろう。

 この村に何があるのか、何があったのかを知るのは事が済んでからだ。最悪知らずにいても構わない。何もしてこなければこちらから狼煙を上げるだけだ。


「お前はとにかくその能力をつかってここにくるやつを補足しろ」


 前時代的ではあるが、経験をするというのは重要なことだ。まずはこいつの処理能力の限界まで追い込む。能力が覚醒するとかは考えていないが、自分がどこまでできるのかは正確に把握しておくにこしたことは無い。 

 練習と本番では成功率や精度に変化が出るのは当然のことだ。なにせ環境が違う。これは別に今の世の中だからという事ではないが。少なくとも失敗してもいいという意識はかなり削げるはずだ。


 そもそも車移動したのは小屋姉妹だけだ。俺たちを補足していたら籠城戦になるが、基本は小屋姉妹による誘導が最初のステップになる。アイツらがどこに行こうともどうせ監視されているだろうし、夜の間にライトをつけて車を走らせれば目立たないはずがない。

 

 俺の探知範囲外にいるやつを可能な限り纏めて引っ張ってきてもらう囮役が小屋姉妹の役割だ。で、この役所が俺による処理場になる。

 ここでの処理を終えてから最後はあの介護施設だ。大天使にはそこに行かせる。詳細はともかく、この村の悪意があの場にあると確信している。少なくとも俺の知識には風葬や鳥葬というのは肉屋のようにパーツごとにベランダに吊るすようなものではなかったはずだ。


「ここに来る奴らは処理してやる。その能力、殺すも生かすのお前次第だ」


 まあそんなことは無いんだが。大天使がするべき仕事をするまではただただ鏖殺することになりかねない。まあ、賢瑞がいるのだ。持っている技術に関しては気を付ける必要があるがそのための小銃だ。

 わざわざこちらにサプレッサーの付いた小銃を渡してくるのはいいのだが、小屋姉はその気になればミニガンぶっパするだろう。まあ今回は囮という事もあるのだがだからと言ってそれで退かれては困る。

 指摘はしたがまあ当て過ぎなければ囮役にはなってくれるだろう。一応資材目的であることは把握されてるだろうし、俺と大天使がいないことに対してどういう解釈をするかは別だが。

 多分大天使がいないことに対して考えが及べばこっちを調べに来るという予想はある。少なくとも探知にかかる範囲にこちらを気にする様子の人間はいない。

 西側の建物裏手にある城址公園に反応はあるがおそらくここを担当している人間というだけだろう。こちらを認識しているような動きではない。


 さあ、これから陽が落ちて明かりすらもほとんどない閉所での戦いになるだろう。

 夏も過ぎて夜はしっかりと冷え込みを感じる季節になってきた。肌寒さは逆に自分自身の熱を感じる。

 息を吐きながら熱を逃がす。心を、体を徐々に、徐々に冷やしてゆく。

 触れたナイフの堅さと小銃の重さを認識するたびに心身が整う。

 俺はこれから人を殺すのだと、強く認識させてくれるのだ。




 時間は多分夜19時くらい。私は階段ホールの角にあったロッカーに隠れている。別に何処にいても良いと言われたから最初は先生の後ろにいたけど、二階の高さは十分に登って来れる高さだと言われたのでできるだけ近くにいることにした。


 惨劇は突然だった。役所に近づいてくる何人かのおじさんおばさんたちが声をかけてきたのだ。

 先生は階段のステップに腰掛けたまま微動だにせず、ライト片手に入ってきた村の人たちがこちらを見つけるまで微動だにしなかったのだ。

 よう、と気軽に声をかける先生にとても驚いた彼らは、手に持っていたものを差し入れだと言って先生に渡したようだった。

 特に返礼なんかをすることもなく、中に入っていた食事や飲み物を床に並べると、先生は徐に話し始めた。


『悪いな。貰いモノは口にしないようにしてるんだ』

『そうでしたか。であれば井戸水を汲める場所があります。先に言っておけばよろしかったですな』

『ああ、結構だ。それより少し頼みがあってな』


 しゅっ、かちゃり、ぱしゅ、ぱしゅ、ぱしゅ。どす、ばたん、ばたん。


 何が起こったのかわからなかった。しかし、震えるように声を上げる村人に思考が止まる。いや、なんとなくそうなるんじゃないかなんて考えていた自分がいる。


『な、な、な、なんという、ことを……』

『最後にアンタに頼みがあってな』

『な、なにを……われらが何をしたと……っ、お、鬼じゃ、鬼がおる』

『これ、食ってみてくれないか?』

『お、鬼め……がぁっ!』


 今度は分かりやすかった。恐らく撃ったのだ。先ほどとは違い痛みを感じる場所に。


『よっと。ふむふむ、肉ね。ほら、せっかくだ、ここで食っていけ』

『……鬼め、貴様、何故、やめ』

『遠慮すんな。……こっちは、おっと、酒か。濁酒なんて作って悪いやつらめ』

『……ごほっ、がぼっ、きさ、やめ』


 気づけば腕が震えていた。何が起こっているのか、知っていたはずのことがこの金属の細長い扉の向こうで起こっている。

 知っているはずの人が全く違う何かのように思える。嫌な汗が止まらない。背中がじんわりと濡れて冷えるのがわかる。震えが全身に伝播するのに気づいて、必死で自らを落ち着けようと呪文のように心の中で繰り返す。

 先生は味方。先生は味方。先生は味方。先生は味方。先生は味方。先生は味方。先生は味方。

 先生は味方先生は味方先生は味方先生は味方先生は味方先生は味方先生は味方!


『……やはり毒か。肉と酒数口で致死ってところか? なかなかえげつない』


 何かが聞こえる。

 ロッカーの隙間から外を見てはいけない。外は危険だから死体があるから

 ロッカーの中にいると気付かれちゃいけない。先生の邪魔になるから濃い血の匂いがするから

 ロッカーから出てはいけない。そう言われたから鬼がいるから


 先生に言われたのは能力を使う事だけだ。必死でやろうとするけど脳裏にちらつくイメージがそれを許さない。

 どれほど時間だ経ったのか。階段を上ってくる気配を感じる。足音はないが階段の一番上で止まった。かちゃり、しゅっしゅっといった動きのある音を最後に何も聞こえなくなった。

 私の認識の中にいるのはその人只一人。ああ、先生はそこにいるのだろう。

 私は必死で能力を発揮することだけに集中した。そうじゃなければ、そうしなければ、もしかしたら私も殺されてしまうんじゃないかって。そんな思いがあったから。




 人が死んでいるところ見たことが無いわけじゃない。ご遺体だって見たことはある。でも殺された人は見たことが無かった。

 幼いながらに見てきたからかどこかそういうものだというのはあった。村の外は危ないから勝手に出ないように言われていていたが、幼い子というのはそういうのを聞かない生き物だから。

 いつだったか、一人で外に出たことがある。別に祖父母とケンカしたとか外に出る用事があったとかではない。ただ外に出たくなったから出た。それだけだったはずだ。

 あの時は珍しくお昼に祖父母の二人が両方いなかった。だからだろうか。簡単に家を出れるのだと考えた。

 外は危険? でも私は祖父母の元に行くんだ。お手伝いしに行くんだから外に出ても大丈夫だよね。そんな感じで。

 行くのは大人たちが集まっている集会所がある。きっとそこにいるはずだ。

 外に出てもあるのは細い道に広い田圃。アスファルトはひび割れ雑草がコンクリートの隙間から力強く葉を伸ばす。田圃の周囲にこそ山に囲まれているが私にとってはこの広い視界があるだけで外の広さを感じていた。

 そうして、私が思っていた集会所は別に何でもない、何でもない場所だった。裏にお墓があるというだけで。

 結局私はどこかに行きたいという願いはあっても、何がしたいという願いは無かったように思う。

 結局私の知らない場所があるのだという事に気付いて、そのまま勘に任せて人がいる方に向かって歩いて行った。晴れた天気に風にそよぐ畑に鼻歌でも歌いたくなるような気分だった。咄嗟に出てくるのは田植え歌とかだったんだけど。

 木の枝でもあれば拾って振り回していただろう。しかしそんな気分も長くは続かなかった。徐々に近づいているのは感覚的にわかるのに、それは今までと違う感覚だった。徐々に濃くなるその匂いに誘われて向かった先はとある家。村落の中でも奥まった位置にある家だった。


『……! ……っ!』


 人の話し声が聞こえてきてこっそりと家の影からそれを見守ることにした私が見たのは、村人が何かを囲んでいる現場だった。

 何をしているのかと見ていれば、村人たちは三々五々に散っていった。そこに祖父母はいなかったが残されたものは見えた。

 人だった。その時は殺された人だと思った。だから大して確認もせずに逃げ出したのだ。

 その後に聞いた話だと感染した人が自死したんじゃないかっていう事だったけど、最初は誰かに殺されたんじゃないかって話があった。  

 ただこの時の私は人の死に間近で触れるのは初めてで、どうすればいいのかわからなくて、それが子供心にとても恐ろしことに思ったのだ。

 死というのは私には縁遠いものでしかなかった。死なないようにと言われるがまま、ただ過ごしてきた。

 怖かったのだ。もう動かない肉の塊に成り果ててしまうのが。逃げたかったのだ。そんな死から。

 私は人より一人でいることがお多かったがそれでも味方も多かった。大人たちがなにか大事なことをしているならそれを邪魔しないようにしようと。手伝ってあげたら喜ぶかなんて考える必要はなかったのだろう。これまでのように言われるがままでいたほうが、扱いやすい子供のままでいたほうが、きっと。


 この人やゾンビがなんとなくわかる能力に気づいてからもその考えはなかなか抜けなかった。別にそれでもいいじゃない。私の説明の難しい能力を信用してくれて、それでも私を子供扱いしてくれる、そんな大人に囲まれた世界で、これまでのように生きていればよかったのに。


 そんなときに見たのがこの人たちだった。

 私達はゾンビから、街に被害をもたらす外部の人間からなるべく隠れて生きてきた。しかしそれも徐々に限界を迎えてきていて、一致団結して住処を変える決断によって向かった先で、彼らはいた。

 私達より少ない人数で私達より多い数のゾンビを屠っていた集団。その中で女性ながらに次々に敵を倒す姿に、私は初めて憧れるということを知った。

 剣さん、瞳さん、愛美さん、千聖さん。大人の女性はこうもすごいのかと驚いたこともある。

 彼女たちはみんなリーダーである先生がすごいと言うけれど、私には解りづらかった。確かにすごいのかもしれないけど、先生はどこか怖い人だ。千聖さんも優しくはない。

 なにか欲しいものがあれば、自分で勝ち取る。この世界を生きるのにチケットが必要だというのならそれを勝ち取るか、奪う必要がある。それを躊躇うことはないし、限られたチケットを奪い合うのが嫌なら、チケットを配給する側になればいい。そう言って微笑んでいた剣さんに会ったことで、理解した。

 この人はきっと、逃げなかったのだ。立ち向かって、戦って、そんな自身があるから自分の足で真っ直ぐ立てるんだろうって。

 だから尋ねた。どうしたらそんなふうになれるのかって。そうしたら逆に聞かれたのだ。欲しいもの、大事なものはあるか、と。

 正直無かった。私にとっては両親は死んだものだという認識が強い。別にそういった事実があるわけじゃない。ただこの世界で生きていれば何となく分かる。生きていくのが難しいということくらい。

 しかし、それを言ってしまえば、本当に何も無いのだ、私には。そしてそれを認めるには私は大人になりきれていなかった。

 口をついて出たのは両親の居場所。わかるはずもないそれに、私はすがった。両親に会いたいなどと嘯き、自分という人間の殻を守りたいだけ。自分という人間の小ささから目を背けたいだけ。

 それでも、この集団は優しかった。食事もあるしお風呂にも入れる。農作業をしているおじいちゃんや、八木さんと一緒に畑や動物のお世話をするのも楽しかった。

 剣さんや愛美さんとお勉強する時間も難しいけど嫌いじゃない。


 でも先生は厳しい。

 きっと先生は私に現実を教えてくれているのだ。この世界の現実、敵と相対するということの意味、そして私という人間のもつ真実。

 弱くて小さくて幼い私の、ちっぽけな矜持。何も知らない、何からも逃げている卑怯な私の選択のとき。

 現実という世界で私が生きていくために必要なもの。それを教える先生。




 ロッカーの中で浅く呼吸を繰り返す私。覚悟はまだ決まらない。

 愛美さんが言った、死んでみろという言葉は本気だった。いや、想像以上だった。

 ロッカーの外の世界で、先生は銃を撃ちナイフを振るう。余計な音はしない。一つひとつの動作でここに来た人間の命を刈り取っているのだろう。

 数え始めてから都合17人。実際はもっと殺している。この扉を開けるのが怖い。怖いから私は言われた通りにここに近づく人間の数を数えている。

 外の道から敷地の入り口の坂を上ってくる。建物脇の玄関を押し開ける。天井が低いからか光が差し込まないからか階段踊り場に積みあがるものが見えていないのか。玄関を押し上げ階段を上がり始める直前で息をのむような気配がある。


『……! ……!』

『……! ……、……!』


 今度は3人。何かを叫びながらすぐに反応が消えた。

 もうここはいっそそういう場所なんだ。ここに来たら終わり。数えてるのは羊。数えたはしから消えてゆく動物。写真と絵本でしか知らないのだけど。

 暗闇には慣れた。視界が無いというのが今は救いでもある。どうしたって耳に音は入るけど見ていないからこそ徐々に感覚が研ぎ澄まされている感覚がする。


 どのくらいそうしていたのか。立っているだけなのにやたら疲労感を感じるようになってきた。

 慣れ、というのは怖いものだ。あれだけ外が恐ろしいと感じていたはずなのに気が抜けた。ほんの一息入れようと溜息をついただけだった。


「なんだ、疲れたのか?」


 思わず姿勢を正す。狭いロッカーの中で掃除道具を蹴り飛ばし大きな音で返事をしてしまった。


「もう21時を過ぎた。小屋姉妹の動き出しもそろそろ始まる。ここからが本番だぞ」


 慣れたはずの恐怖が再び湧き上がってくるのを感じる。思わず足の力が抜けて、扉を押し開けてしまった。


「おっと」


 掴んだ扉がロッカーそのものを持ち上げる感触があったがそれより近くに聞きなれた声が頭上から聞こえた。


「ふむ。体力的に限界が近いか。なら少し休んでいろ」


 腕を掴まれたと思ったら簡単に掬い上げられてしまった。階段から視線を遮る位置に置かれているソファに放り投げられる。


「小屋姉妹が来たら挟み込むからそれまで休んでおけ。詳細は小屋妹が知ってる」


 そうして先生は階段に戻った。横を見てもギリギリ視界に入らない位置。私はソファの背もたれに寄り掛かり深い息を吐く。

 ロッカーの中よりはましだが僅かに埃っぽい。古臭い、しかしどこか懐かしささえ感じる雰囲気。田舎町の建物だからか。

 その気はなかったけど、先ほどとは違う理由で瞼を下ろした。心のどこかで求める何かを欲しがったのか。徐々に意識が現実から離れていった。




 スキール音が聞こえてぱちりと目を覚ます。比較的近い、というかこの建物の前なのだろう。そして車と言えばあの人たち。ゆっくりと体を起こして覗き込めば先生は先ほどと変わらずそこにいた。

 やがてかけてくる一人分の足音が聞こえてきた。


「こっちは大体終わった」

「おう。ん? 終わった?」

「案外何とかなった」

「……そうか、まあいいや」


 瞳さんと先生が会話しているのを聞きながら私も近寄る。


「おつかれ」

「お、お疲れ様です」

「どれくらい引っ張ってきた?」

「ゼロ」

「……なに?」

「学校の廊下。機銃」

「まあ、簡易キルゾーンがあるならそうするか。まあいい、それなら次行くぞ」


 先生に続いて瞳さんが階段を降りてゆく。置いて行かれないようについて行って、そうして階段に散乱する遺体を目にした。

 思わず声を上げてしまった私を瞳さんが振り返る。視線をそらした私と目が合った。


 瞳さんは無機質な人だ。厳しくもないし優しくもないわけではないけど対応が平坦な人だ。悪く言えば無関心なのかもしれないけど、流石に姉妹という音もあって愛美さんとはどんな時も一緒でいるイメージ。

 それでいて言葉数の少ない仕事人だ。瞳さんは愛美さんと剣さんとの3人組で街で活動していることが多い。その際にも基本的には会話や交渉に参加せずにボディーガードとして周りににらみを利かせる役目を持っているらしい。 

 あまり会話もしたことが無い相手だがこの人の相手に関わらず平坦な対応が今は安心できる要素だ。そう思ったんだけど。


「……あ、うん、邪魔だね」


 そう言って階段の踊り場に溜まっていた肉塊を階下に蹴り落した。


「そっちで処理した奴らなんか言ってたか?」

「愛美に聞いて」

「お前機銃の音で聞いてなかったとかそういうオチだろ」

「そうだけど」


 下らない話をしながら前を歩く二人。瞳さんが持つライトの頼りない明りが私が瞳を閉じていた間の惨劇を浮かび上がらせている。その中を軽い足取りで抜ける二人に遅れまいと歩いて行けば、そこには見慣れた車に背を預け銃を構えていた愛美さんが待機していた。


「おつかれー」

「おう。囮って言ったよな」

「そのつもりだったんだけどさあ」

「まあいいや。残り片づけにいくぞ」

「どうすんの?」

「焼くが?」

「わあ大胆」

「言ったろ、痕跡ごと始末するって」


 町を焼く。つまり放火だ。

 戸惑う私に他の3人は淡々と段取りを進める。


「単純に集めて焼いたほうが効率的だったんだが、こうなったもんは仕方ない」

「ならここ先に焼いて行った方が早くない?」

「煙に近づいてきたやつ狩るから一カ所でいい。役所は周囲が山だから延焼したらどこまで燃え広がるか分からんから後にする。なにより近くに家が密集しているから楽だ」

「あいあい。じゃあ燃料とかかな?」

「乾燥してるし焚き付けくらいでいいぞ」

「ホムセン覗いて来るかなあ」


 私は今とんでもないことに手を貸しているんじゃないだろうか。

 遺体を焼くというのは病気が発生するのを防ぐためというのはおじいちゃんに聞いたことがある。だから焼く、ということだろうか。殺したことを悟らせないようにするために。


「そっちはどれくらい来た?」

「まあ、そこそこ? そっちは?」

「大天使」

「え、っと、多分20と少しだと思います」

「まあそんなもんだな」

「こっちはその倍はいたかな」

「んー……じゃあ残りはそれほどでもないか」

「どうやって探すの?」

「凡そはわかってる。とりあえず北だ」


 すーっと動き出した車が暗い道を浮かび上がらせる。人気のない、時間的には早いかもしれないがそのほとんどが寝静まったであろう時間。

 生気のない街は此処が元から無人の町だったかのような静寂さをたたえていた。


「出されたもん食ってねえよな?」

「もちろん。持ってきてはいるけど」

「俺も実験したから大丈夫だ」

「やっぱ毒入ってた?」

「ああ。飯の方は弱め。酒の方は一口でも効果ありそうな量だったな」

「ふーん。気取らせないようにかな」

「それもあるだろうが、確実に無力化するためだろうな」

「そうなの?」

「多分な。商店街入る前にあった橋のあたりまでいったら、山道の方に行け」

「はーい。午前中に調べたところ?」

「ああ。まあ制圧自体はさほど時間はかからん」

「制圧自体は、ね。その間に燃料探す感じ?」

「同じ建物内にあるかもしれんぞ?」

「まあ拠点ならそうなんだろうけど」


 町の広さはさほどでもないから、すぐに街を抜けて山道を登り始める。

 私はと言えば、目の前を流れる景色をぼうっと眺めていた。今目の前にある家々を燃やすのか。なんというか、想像の方が追いつかない。

 先生が言って愛美さんが追従し瞳さんが否定しないのだから私が言えることは何もないのだろう。だからというわけでもないが、燃やすという事についてぼんやりとしか考えていなかった。だからだろうか。その場所は私にとっては鮮やかに過ぎた。




 切り開かれた山の中にある開度施設跡。ここからでもわかるくらいに濃い血の匂いと肉が腐る匂いが臭ってくる。駐車場にはどこに会ったんだと思えるような数の車があり、ところどころひび割れたアスファルトにドス黒く変わったなにかの残骸が散乱している。

 どんな時代であってもどんな季節であっても一目見て明らかにわかる異常がそこにあった。


「小屋姉、お前は正面から。俺と大天使は裏手から行く。大天使、銃のセーフティ外しとけ」

「わかった」

「は、はい」

「私はー?」

「この後燃やすから慎重に車両漁るなら止めない」

「あーじゃあ見るだけにしとく」

「それがいい」


 そう言うなりスタスタと歩いていく先生を追いかける。持っていた拳銃のロックを外し追いかける。利き手に持って逆の手で底を持つようにして支える。これで良かったはず。先生はおもむろに抜いたナイフをくるくると手で弄んでいる。千聖さんみたいだ。


「中に何人いる?」


 侵入場所らしき地点に来たときに先から尋ねられた。目を閉じて集中し気配を探る。ゾンビを感じるときのあの首筋がゾワゾワするような感覚はない。ただただ嫌な空気とその空気が動いている感覚を嗅ぎ取っていく。


「5人か6人、です」

「まあそんなもんか」


 まるでどっちでもいいと言わんばかりの反応だったが先生はこういうところがあると思う。先生にとっては5人6人乗違いは元より10人20人、もしかしたら50も100も変わらないのかもしれない。

 だって先生は鬼と言われるほどに強いのだから。

 ここでふと気になったことが口をついて出た。


「鬼は内ってなんだったんだろ」

「ああ、それな」


 私の微かな声をしっかりと聞いていた先生がその答えを教えてくれた。


「良いものを招き入れ、邪気を払うっていうのが由来なんだが、ここには鬼退治の伝承があってな」

「鬼退治・・・・・・桃太郎みたいなですか?」

「あー、まあ間違っちゃいない。ここに言い伝えられてる鬼退治はな、失敗したんだよ」

「失敗ですか?」

「そうだ。そもそも日本に伝わる鬼退治の類は基本的にセオリーが決まってる。特に食事を用意したり酒に毒を盛ったりっていうのは枚挙に暇がない。ただな、ここに伝わる話では鬼を仕留め損ねたらしい。次は逃さないという考えから、鬼も内っていう形になったようだな」


 そんな事があったのかと感心する思いと共に、じゃああの人達が言っていたのは。

 そんな私の表情を察したのか、先生は変化の分からないゴーグルの目元をそのままに口の端を釣り上げる。


「アイツラからすると、俺たちは打ち取るべき鬼らしいな」


 何が楽しいのか声が少し弾んでいるように聞こえる。

 じゃあ村人は私達に向かって最初から殺意を隠して接していたということだろうか。

 あ。それじゃあ血と腐敗臭の渦巻くこの場所は。


「ほら行くぞ。鬼の力を見せてやるさ」


 どうしてそんなふうに笑えるのだろう。

 ぼんやりと青く浮かび上がる光を幻視した私の足は先生の後を追うことに躊躇いを覚えなかった。


 扉の奥は一歩踏み込んだ瞬間から空気が違っていた。重く体にまとわりつくような粘つきをもって私を包んでいた。足元の床材は分からないがなにか薄い水たまりを踏んだようなような感触。そして踏んだ水たまりから湧き上がってきたかのような鼻の奥を指す刺激臭。

 私がそこで一瞬足を止めたあいだに先生はすでに何歩も先を進んでいた。明かりは窓から指す薄い月明かりしか無い。先生の後を追おうと一歩踏み出そうとして動きを止められる。

 突如として何枚ものガラスが粉砕される音と絶えず発射される発砲音が響く。

 視界の中に動く部分はないが反対側のここまではっきり聞こえるくらいには派手に動いている。


「大天使、相手の反応には常に注意を払え」

「は、い」

「今何体減った?」

「……多分減ってません」

「いいぞ」


 どうやら引っ掛けだったらしい。だが先程の派手な破砕音に反応して動く気配がある。そのうち二人がかなり近い。

 出てくるであろう扉に視線を向ける。室内からドタバタと動きがあっていよいよ人が出て来そうになったタイミングで先生がドアの影に回り込んでドアを足で抑えた。どんっと開くはずだったドアに押し返されたのか点灯する音が聞こえる。ドアは薄っすらと見える範囲では木目が見える。

 先生はおもむろに背中に背負っていた銃を向けるとぱぱぱ、と無造作にドアを撃った。いや、ドア越しにいる人物に向かってばらまいた。ぎゃあとかああと声にならない叫び声を上げて転倒した様子を察すると先生は部屋の中に踏み込んだ。

 3秒、4秒、パシュ。痛みに喘ぐ声がここまで響く。先生が廊下に顔を出し私を手招いた。


「始末しとけ」


 倒れているのはおじいさんが二人。豆電球の明かりで見えたのは手足が撃ち抜かれ地に伏し赤黒いシミを広げる人の姿。

 先生に腕を掴まれて彼らの目の前にでる。


「ロックは外したな? まっすぐ腕を伸ばして、そう。でよく狙って引き金を引く」

「ま、待て! 貴様らこの村に何を」

「今良いところだから黙ってろ」


 私が引き金を引くより早く無造作に撃ったはずなのにそれは的確に目の前の壮年男性の脇腹を貫く。

 皮膚を裂き肉を貫いて血が撒き散らされる。


「頭だ。額の中心をよく狙え」


 何が起こっているのかわからない。私の両腕は先生に言われるがままに狙いを調整する。


「引き金を、引く」

「引き金を……引く」


 ぱしゅとあっけない音をして弾丸が飛び出る反動を感じながら、その弾丸はたやすく眼の前の脳天を貫いた。仰け反って倒れた男性がどうなったかなど見るよりも先にわかる手応えだった。

 不思議な感覚だ。どうして私は何も感じない・・・・・・・・・・・・


「あ、ああ、なんと、いう……。……お、鬼め」

「よっと」 

「ああ゙ぁ゙ああっっ!!」


 もう一人に対しても先生は気軽にナイフを投げて肩に突き刺した。


「なあ、燃料ってどこ?」

「悪鬼にくれてやるものなど無いわ」

「あ、そう」

「があ゙ぁ゙っっ!!」


 本当になんの気もなくうつ伏せに倒れてこちらを見上げていた男性の肩口から得物を回収した。


「なあ、燃料ってどこ?」

「誰が貴様らなんぞに……」

「はいはい」

「ぎぃぁ゙ぁ゙っ」


 同じ場所に刺して、抜く。なんの感慨もなく、その声にはただひたすら面倒そうな色しか無い。私は何を見ているのだろうか。

 やがて男性の息も絶え絶えとなり、もう余命幾ばくもないというのが見て取れている。


「燃料ってどこ?」

「そ、倉庫……、薪……」

「ほいほい」


 立ち上がった先生はわたしを見てから男性に向かって顎をしゃくった。

 照準を合わせて引き金を引く。今度はざっくりと頭部の中心を狙って。

 二度目の引き金はサイレンサーをつけた発砲音よりも軽かった。


「行くぞ。数は」

「4、今3になりました」


 不思議な感覚だった。あれだけ避けていたことも、やってしまえばあっけないものだった。

 そして剣さんや愛美さんが言っていたことがなんとなく理解できた。

 本来私がここにいなくても先生はもっと早く確実に事を進めることができたはずだ。なにより私にもできることしか指示していない。

 できないことをやれと言われたわけじゃない。ただ一つひとつの動作を指定して、それを繰り返させる。

 言い訳がしたいわけじゃない。ただ、ほんの少し何かを超えた、何かを破った気がした、なにかに触れた気がした。

 廊下を進む先生は時折こちらを見る。ふと先生のゴーグルに何かが反射した気がした。

 私の頬を伝うのは血か涙か。今の私には理解することはできなかった。


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