第118話
本日は休養日という名の自由時間。
強化薬の研究は一旦停止中。剣の性能が上がったのは既に分かり切っているし、現状これ以上のものが必要だとは考えられないからだ。まあ精神的な変質に関しては俺の予想外の部分もあったのでその辺りの様子見を兼ねている。
これからは収穫の秋でもあるし拠点で畑仕事をしている小瀬屋敷夫妻、家畜の世話の仕事に復帰している八木、そして起きてからは大人しくしている石田のケアをする予定だ。
やはり一番気にすべきは八木と石田だろう。八木に関してはもうほとんど以前のように戻っている。面倒を見ていたのは千景さんだが当然他にも監視の目はある。
「……(どうだった)」
「わん(いつも通り)」
「……(そっちは)」
「ぴぴ、ぴー(止まり木かと思った!)」
動物たちの勘というのは馬鹿にならん。言語化できないだけで彼らの感覚や習慣というのはある程度確かなものだとは思うのだが、いかんせん知識が無い。だからあからさまにおかしい時にはわかるといった程度のものだ。
とはいえあるのと無いのでは話が全く違うというものだ。石田の傍についている猫もここにはいないがほぼ毎日報告に来るくらいにはマメで真面目なやつだ。
「お前たち、これからもその調子で頼む」
「わん」
「ぴっ」
「にゃあ」
こいつらは現金なもので大抵の要求が飯か遊ぶことくらいだ。お前ら小瀬屋敷夫妻や八木からおやつ貰ってるのを俺が知らないとでも思っているのか。
まあそれを満たしてやればきっちり仕事をするのだ。気分屋な部分や脳味噌が足りないところはあるが裏切りの心配がないのが良い。
裏切りというのは面倒だ。裏切者の尋問に始まり、関係者の洗い出し、損失分の補填、一部精神的なケアの必要な者への対処。やろうと思えばいくらでもやることが増える。
なにより時間がとられるというのが一番の面倒事だ。やりたいことに取り掛かれないというのもなかなかのストレスになるからだ。
不思議なもんで、俺が自身にかけている情動の平均化の魔法でも感情の動きそのものが降り積もる雪のように徐々にのしかかってくる感覚というのはある。元々は戦闘中のスムーズな行動のためのものだがストレス緩和の効果があったとしても人間関係に頭を悩ませ心を沈ませることからは避けられないという事だろう。
ここ最近は大天使を連れて鬼ごっこをしてきた。ゾンビには十分慣れた。対人対ゾンビよりも環境を利用して一時的な障害を作り出し時間を稼ぐ、というやり方の方が性に合っているようだ。
悪くはない、悪くは無いが使い方に悩むな。どうしても一歩踏み込んで手に持ったナイフを振るところまで行って欲しいのだが、難しいかもしれない。
正直ドクターのあの開き直りともいえるような状態にするのは好ましくない。アイツは普段は何とも思っていない相手に笑みを見せながら親身になって治療を施す町医者だ。アイツは周囲の人間の信頼という盾を利用しているのだ。だからこそ戦闘能力が皆無であってもアイツは一人で街の中で暮らしていける。アイツは自分の力で自分自身に価値を生み出した。
いや、もしかしてドクター付きの看護師的な扱いにしておくのもいいのかもしれん。正直見習うには最低な部類だがその劇薬がアイツには必要なのかもしれない。
さすがに実験体にしか見えないなんていうのは行き過ぎだがそれくらい頭がおかしい人間が身内にいるという事を教えるのもいいだろう。アイツを見ればどっちが正しいのか分かるだろう。まあどっちに転がっても大天使が生きていくのに困ることはあるまい。
狂人の教えを汲んで何も知らない弱者の盾を得て狂ったままに追い求めるのか、それともあの狂人を手のひらで転がして利益を享受するのか。
あの後も剣が大天使を鍛えつつ、千聖はドクターのところに行っている。ドクターのところと言っても遠目に見ているだけらしい。そもそもドクターのところには生まれる時代を間違えた老剣士がいる。あの爺さんには多分バレていると言っていたがいや、ほんとどんだけ能力高いんだ。
とはいえ少し行儀が良すぎるのか往診の際には毎回絡まれているらしい。実力行使に移らないだけマシかと思えば千聖が武器持ちの集団見つけたから狩ったとか報告してくる始末。
官製品は無く盗品や違法改造品ということで十中八九港側の干渉だろうがそれポンポン片付けて良い数の鹵獲品の量じゃないと言いたい。小屋姉が細かい寸評まで添えて報告してきた時には何のことかと思ったが、それが全部鹵獲品だと言われた時の俺の気持ちよ。
千聖が他の感染者や強化薬接種者と違う点は、感染率がほぼゼロで安定しているという点。俺が感染率のバロメーターとされている体内に生成される変異結晶の励起を魔法によってほぼ停止させたという点が大きく異なる。
とはいえ、その状態でも強化薬の効果は得られるらしい。効率は下がっているが感染しないというのは大きな利点だ。おかげで千聖も徐々に成長している。主に技術面で。
得た鹵獲品の数は7丁大小の銃器。つまり少なくとも4,5人以上を相手にして完勝したという事だ。路地裏で始末したらしいが古い町並みの路地裏ならアイツの得意な狭くて入り組んだ地形だ。特に心配はしていないが、後々動きづらくなるようなことは避けて欲しいのだが。
案の定ドクターから文句きたという事は相手に撃たせたうえでの勝利と鹵獲だったのだろう。いや、これを狙った気もする。そんなに嫌か、ドクターのお守りをするの。
これまであったことを頭の中に思い浮かべながら向かったのは石田の定位置ともいえる拠点のホームの居間の縁側。相変わらずボーっとしているようだが、膝に乗る猫を撫でている。
あれ以降刃物や工具類をきちんと収納するようにしているが、それでこいつが変わるかどうかはわからない。起きてからは既に暗示を叩きこんでいるが正直こいつに触れるのはセンダイのタワーマンションの最上階のようなブラックボックスに触れる可能性も考慮している。
得体の知れない不死の人間。不死というよりはいっそ無限湧きするゾンビのようなNPCキャラ。これもういっそバグだろ。何でリポップしてるんだよ。
これ触れない方がいいような気もしているし、触れたほうが近道が見つかるかもしれないしでまだ結論を出せていない内容なんだよな。
正直このバグ抱えておくデメリットが大きくなりつつあるんだが、そうなると芋づる式に八木が、場合によっては家畜に小瀬屋敷夫妻と影響が出る可能性を考えるとまあ面倒くさい。
トウキョウにいた頃のあの力こそすべてみたいな空気が少しだけ懐かしい。
そういえばトウキョウに到着した主人公たちや片平兄妹の動向は最近全く追っていなかった。
生泉は自滅したみたいだししばらくは様子見に徹していたから当然ではあるのだが。
トウキョウでの反応は小屋妹と錦に任せてある。ついでに主人公や片平兄妹の動きからこっちに戻ってきそうならどうするか考えよう。
片平兄妹が戻ってくる可能性はあるが主人公たちが来る可能性は考慮していなかった。まあ確かに全くないとは言い切れないんだが、それでも何年も先の話だ。少なくともトウキョウ周辺にいる特異覚醒個体を倒して一区切りついた後にナゴヤに向かうだろうから、その後。何ならナゴヤを無視してまでセンダイに来る理由なんて無いはずだから今後二度と会う理由は無いはずなんだが。
これ以上絡むことが無いとは言い切れないが、このゾンビ世界で激化するのは派閥い争いだけではない。トウキョウにはそろそろ海外から援軍のような何かが来ているだろうし、各地のゾンビが本格的に特異化し始めるタイミングだ。ゲーム的にはラストに向けて難易度が上がっている状態なのだが、ぶっちゃけボスより雑魚の方が厄介まである。それを証明するかのようにメインストーリー以外のミッションには対応に苦慮する防衛隊の応援要請が増えていたはずだ。
防衛はともかくそれを指揮する特異個体を倒すために壁外のゾンビ拠点の攻略に加え、かち合ったスカベンジャーとの戦闘が増えるという世紀末感の強いものになる。
ちなみに俺たちが拡張した防衛範囲は防衛隊が本来時間をかけて拡張していく範囲を見据えて広げたものだが、彼らはさらに拡張したのだろうか? そうなら更に戦闘が激化する予感があるがそのあたりの情報を錦や小屋妹が拾っているかどうかだな。
さて、コイツと話をするのも久しぶりな気がするな。
「八木さん、調子はいかがですか」
「あ、先生、こんにちわ」
「ええ、こんにちわ」
最初は家畜の世話兼戦力として期待していたが家畜の大幅な増加に加え石田という要介護者がいたことで完全に拠点専用の運用になってしまった女だ。
家畜というには運用の難しい動物が多々いるがそれでも使えないということは無い。躾の時間がいらない使い魔契約の魔法ってすげえわ。因みにコレ人に使っても効果が疎らなのであんまり信用できない。完全に動物専用の魔法だ。
「その節はご迷惑御おかけしまして申し訳ありません」
「いえいえ、彼女に関してはこちらも快方に向かっていると油断していたようなものです」
「実際に良くなっていたのは確かですから」
会話が途切れる。こいつに関しては何度か暗示を叩きこんでいるから致命的に不利な行動になるようなことは無い。研究も今は停止しているし研究室として使っている蒸留所に近づかないようにしていた暗示を解除してもいいかもしれない。
「あまり根を詰め過ぎませんように。今は小瀬屋敷夫妻もいらっしゃるので」
「ええ、そうですね。千景さんや政さんには良くして頂いてます」
あっちの方が新参なんだが随分丁寧な言葉遣いだ。いや、元々か?
「そうですか……。気晴らしに外に出るのも悪くありませんよ?」
「ええ、はい。以前温泉にも連れて行っていただけましたから」
そういやそうだっけ。というかあれは別に行きたい奴が勝手に行けばいいという意味でこういう場所があると言ったつもりだったんだが。車も予定が無ければ使用可にしていたのだし。
「いえ、そうですね、もう少し広い範囲で散歩などをしていただいて構いませんよ、蒸留所脇の橋の手前辺りまでくらいなら大丈夫です」
「は、い。わかりました。……ええ、そうですね。今度気晴らしにでも行ってみます」
やっぱり短期間における暗示の強制と解除自体が人間の精神にはあんまり良くないか。暗示だって時間をかければ自然と解除されるようなものだし、強力なものだって対象の精神力というか自我というかそういったものに左右される曖昧なものだ。
そうでなければドクターがあんな状態にはなるまい。アイツの精神削っておくべきなのかもしれんがあの図太さがあるから一人で組織内で立ち回れるというのもあるのだろうし。
八木は人が良すぎたというのもあるのだろう。逆説的にドクターのような善悪を超越した独自の価値観があるやつには常識や良心の呵責といった自信を縛るものがない以上、暗示による強制や解除の反動によるダメージが少ないというのも分からないではない。
八木を見送って拠点の集落を見回る。使っていない家々も多い。そもそもこの拠点は俺達がいる場所を中心として川を隔てた北の寂れた高級住宅地区、駅があったらしい西端地区、国道に繋がる北東エリア、後はほとんどが田園地帯で時折民家があるくらいだ。
ちなみに中心地は俺と千聖が最初に抑えた元校舎だ。広大な敷地にネット、フェンスで囲まれていた土地で既に校舎として使われてはいなかったようだが仕事場として利用されていた名残がそこかしこに存在していた。
更に言えば北の高級住宅街、所謂別荘地区だがそこも最初に必要なものを浚ったくらいで俺自身あまり詳しくは見ていない。せいぜいが地区の端にある水道設備をチェックしたくらいか。
ぱっと見でも太陽光充電の設備がそのまま置いてあるし、冬に備えるという意味でも薪ストーブなどの暖房器具を用意しておくというのもいいかもしれない。
どうあれしばらくはこの拠点を発展させる必要があるのだからやっておくに越したことは無い。ないのだが。
センダイはトウキョウから来ようと思えば来れる距離だ。これがどうにも居心地の悪さを感じてしまう。
何かが起こるとすればトウキョウからだ。
そんなことを考えたからか、小屋妹からの連絡に俺は溜息をつくのを止められなかった。
『なんかセンダイに向かってる二人組がいるらしいよ』
北部の下見をした後、改めて西部のチェックをして気持ち早まった気がする夕暮れに周囲が染まる頃、小屋妹から通信が来ての第一声。
「……それで?」
『なんか片平兄妹に指名依頼した二人組がいたらしいけど、それっぽいんだよね』
「……お前たちか俺らが目的か」
『あーやっぱり? 車見てこっち来たならリーダーじゃない?』
「まあ、そうなるか……」
小屋姉妹に用があるなら片平兄妹に聞いた方が確実で手っ取り早いからな。ただし、逆に言えば小屋姉妹と俺たちの繋がりを知っている人物となる。
「思い当たる人物がいねえ」
『マ? 元群狼とかは?』
「せめて何かヒントが無いと分かんねえ」
『どうだろう? 話した相手自身は女だったみたいだけど、もう一人が依頼人の場合はわかんないよねえ』
「……思い当たる人物がいねえ。あーどうすっかなあ」
『私達が街待機してようか?』
「まあそうするのが確実なんだろうが」
トウキョウからわざわざ来るだと? きっかけは小屋姉妹の車以外にないだろう。誰が知っている? 少なくとも俺個人が取引する相手であった小屋姉妹に関して知己を得るような人間はいなかったように思う。いや、全ての人間関係を抑えていたわけじゃないので言い切れるものではないんだけど。
「むしろお前らの知り合いの研究者やスカベンジャーに俺との付き合いを知っている奴がいたとかは?」
『研究所との付き合いがあったことを知ってはいても、リーダー個人に繋がるようなことは無かったと思うんだけど、どこに目があるか分からない以上確実なことはわかんないや』
「まあそうだよなあ。来てからでいいや。あ、いや、剣と千聖はまずいかもしれん」
『あーそうだね。群狼に用があるならそうなるか』
知っている奴、ねえ。群狼時代に知り合ったやつで俺と小屋姉妹の関係を知っている奴なんて基本は研究所所属の人間くらいだろう。
あとは群狼フリークの軍関係者の可能性。というか俺個人に注目していたやつ。そんな奴軍にいたか? そんなことしていたらどこかで接触があったと思うのだが。
センダイに来ているトウキョウの分隊やセンダイの師団連中どちらかに連絡がいっていてもいいだろうし違う気がする。
研究所なんてもっと無いだろ。言い方が悪くなるがたった二人の長旅に耐えられるようなタフな人員なんていなかったはずだ。
どうあれ相手がわからなければこちらから打てる手はない。というか見てから対応できるだろう。それこそ原作登場済みの大物キャラクターでなければ何の問題もない。
この時、俺はどうしてこんなことを思ってしまったのか。
得てして
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