第116話



 作戦終了の数日後、僕は回収しておいた変異結晶のいくつかを持って研究所を訪れていた。アポイントメントをとっていた根本先生だが、特に何事も無かったかのように対応してくれた。


「いらっしゃい。特異個体の討伐作戦に参加したようだね。お疲れ様」

「ええ、今回は奇襲が上手くいきましたので意外とあっさりと。予想外の事態はありましたが」

「でもこうしてここに来ている、しかも大きな傷もなく。体の調子はどうだい?」


 先の作戦の前に僕は強化薬を接種している。根本先生が言うには効果は実感し辛いというものだったが、もしかしたらあの危機に反応する直感というものが効果なのかもしれない。


「効果は薄く弱く、副作用は限りなく出ないようにしてあるはずだよ」

「ええ、調子が悪いと思ったようなことはありませんでした」

「ふむ、じゃあ次の段階に進もうか。結晶は持ってきたかな?」

「はい。その特異個体の物とゾンビのものを少し」

「よし、じゃあそれをこちらに。薬剤にするまで少しかかるからその間に診察を受けてくると言い、手筈はこちらで整えてある」

「わかりました。ではまた後程」


 診察結果は順調。どうやら骨折していたようだがそれも僕個人では痛みを感じないものだったので小さい亀裂程度のものだったのだろう。1時間程度で再び根本先生の研究室へ向かう。


「やあ、お疲れさま。調子はどうだい?」

「お疲れ様です。悪くないですね。骨折していたみたいですけど、痛みもなかったので当たりどころが良かったのかな、と」

「ふむ……。まあまずはそのあたりの話からしようか」


 そう言って根本さんは物の積み重なった部屋にある応接スペースでおもむろに紙を出していろいろと書き込んでいく。


「まず調整薬というのはゾンビの持つ因子と感染の元となる変異結晶を取り込むことであるというのは以前も説明したね?」

「はい。僕としてはゾンビになるというイメージでした」

「概ね間違っていないが君が持ってきた資料の方は理論を優先して最初から効果を叩きだそうとしていたような印象があるから、まあ控えめに言って無茶な人体実験だったよね」

「この調整薬は違うと」

「別に自分を人道的だとか言うつもりはないが、臨床試験からリスクがあるような調整はしないさ、実用までに時間がかかってもね」

「なるほど。僕がゾンビになる可能性はありますか?」

「今のところはないよ。君は確かに感染しているが今のところ副作用が存在しない状態で安定しているようだしね。飢餓感や捕食衝動といったものを感じたことは?」

「ありません」

「なるほど。因みに他の特殊な衝動はあるかい?」

「……戦闘中に少し熱くなるというか、少し集中しすぎてしまう事はあります」

「良いことだと思うけど、何か懸念があるのかい?」


 懸念と言えるほどのものではない。ただ本能が目の前の敵を殺せと強く訴えるのだ。今のところゾンビ相手に自信が刀を振っている状況でそういう事が起こる、というだけで。

 ただそれはあまりにも攻撃的ではないかと考えてしまうのだ。


「攻撃性の増幅効果かあ。んー微妙なところだね。防衛隊員によくある精神的な変質の可能性か調整薬の副作用かは現状判断できないかな」

「調整薬の副作用で狂暴化することはあるんですか?」

「君の感じている感覚がこれまでに無いものならそうかも知れないねえ」

「……」


 話をしていると少し違うような気がしてくる。

 僕がこれまでに培ってきた技術を遺憾なく発揮するために余計なことを考えないようになっているというか、僕が自分で感じるのは考えるよりも先に体が動くということ。

 凍てついた思考から繰り出される技はその昔父から教わった動きであったり、型であったり。まだまだ教わりたいことがあったのに僕の体はそれを覚えていて、その時その状況に合わせて繰りだすものには昔見たことがあると後から思い出すくらいのものもある。


「今回は感覚器の強化が狙えそうなものになる。聴覚や嗅覚、味覚なんかが強化対象になるだろう」

「感覚……気配をより明確に感じるようになるとかでしょうか」

「……それは僕には無い感覚だね。そうなるかも、くらいに思っておいてもらえると助かるかな。防衛隊員ってみんなそうなのかい?」

「わかりません。耳がいいとか鼻がいいっていうのはあると思いますが」

「ああ、なるほど。そういう」


 今の表現で何かを得たのか根本先生は納得したようだ。

 この根本先生という方は防衛隊本部の中佐とコネクションを持っているが、繋がり自体を聞いても良いものか。

 別に信用していないという訳ではないが中佐が信用を寄せる相手というのは軍内にもそう多くないと聞いている。井東さんがそういった事情に詳しい理由ははぐらかされてしまったが中佐は基本的に中立でいるというのが基本的なスタンスらしい。

 薬剤の準備を進める根本先生に思い切って聞いてみることにした。


「中佐から紹介されましたが、付き合いは長いんですか?」

「うん? ああ、原田君か」


 原田良亮中佐。それが僕たちが中佐と呼び慕う人だ。性格は温厚だが元々は防衛隊に下士官候補生として入隊した人だと聞いている。現在は中佐だがパンデミック前は尉官だったらしい。トウキョウ西部の開放に絡んでいるという話は聞いているが詳しい事情は聞いていなかった。


「原田君は研究所の警備部と防衛隊の共同作戦の際に毎度部隊指揮をしていたらしくてね。うちの警備部から評判が良かったから前所長と僕で少し話したことがあってね」

「なるほど。その時以来の間柄という事ですか」

「そうだね。当時は前線指揮官として頑張っていた原田君も今じゃ中佐殿だもんね」


 となると中佐は研究所に対する折衝役なんかも担当していそうなものだが。

 薬剤の準備が出来たようなので僕は腕を差し出す。


「ああ、してたよ。うちの警備部とはね」

「警備部とは、ですか?」

「うん。少しちくっとするよ。……はい終わり。元々警備部のノウハウを得るために来たのが原田君と、そう言えば軍曹殿もいたかな?」

「そうなんですか?」


 身だしなみを整えながら久しぶりに聞いた名前というか役職にどこか懐かしくも複雑な心境を得る。


「まあそうだね。元々は彼の方が警備部に目をつけていたらしいからね」

「軍曹が警備部に? 何故でしょう?」

「典正君がいたからだね」

「河鹿先生ですか」

「そ。ああ、気にしないで。それで元々スカベンジャーとして動いていた時から顔見知りだったみたいでね。典正君が解放済みの土地を防衛隊にも割譲して利益分配を提案して渋い顔してたのが印象的だったなあ」


 河鹿先生の話題は避けるべきと判断したのか、少し早口で説明してくれた。原田中佐の昇進はそれが理由なのではないかと。

 研究所側としては所外での伝手を構築しつつ恩を売ることで敵対しない派閥を防衛隊内につくるのが目的だったようだ。原田中佐も研究所からの研究内容をいち早く知ることが出来るため表向きはウィンウィンの関係性だったらしいが。


「割り切れるのが原田君。割り切れないのが軍曹殿だったみたいだね。派閥とまではいかないけど、受け皿として上手く機能したみたいだね、原田君が言っていたよ」

「受け皿、ですか?」

「そう。研究所ここは国内で唯一ゾンビ症に対応できると思われているからね。役職に関わらずゾンビ化しない、もしくは罹っても何とかなる可能性が一番高いのは此処、そう思われているようだから、どうしても良く思われないのさ」


 先の作戦を経て理解した。どんな立場にあっても利益を追求するのが人の本質なのかもしれない。

 土地の開放のために特異個体の討伐作戦を決行したが、そこに現れたのはゾンビ狩りをするスカベンジャーだった。


「研究所でもゾンビを狩るということはされているんですか」

「言い方。警備部が被験者と数名の感染者を連行してくることがある、とだけ」


 根本さんは苦笑いしているが、まあそういう事なのだろう。


「とはいえ、僕たちは研究で分かった事やこの感染症対策のための薬剤に関して一部を除いてほとんどオープンにしているんだけどね」

「隠していることはあるんですね」

「そりゃあね。誘導効果のある薬剤なんて一部の人間しか知らないし、一般に流れたら何が起こるか分からないだろ? 本来は管理されたうえで忌避薬なんかも運用すべきなんだけど」


 少し嫌な記憶がよみがえる。

 それこそ僕がいたナゴヤは人災だという事がわかっている。

 ナゴヤ市街地の防衛圏に沿っておかれた忌避薬によって移動したゾンビが壁外に集落を構えていた人たちを襲い、それが忌避薬のせいだと突き止めた壁外の住人が忌避薬を奪取。穴の開いた防衛圏にゾンビを誘導したことがナゴヤ崩壊の切っ掛けだったと。

 根本さんの言う管理されたうえでの運用という主張には納得しかない。


「ああ、そうだ。ちょっと前に強制捜査があったじゃない?」

「あ、はい。僕は少し話を聞いただけなんですが」

「僕も取り調べや捜査は受けたんだけどね、どうしたって研究所を止める訳には行けないからちょっと取引をね」

「あの、それ僕が聞いてはいけないものでは……」

「公安を動かしたのが生泉議員でそのタイミングであのタレコミがあったからね。無罪放免という訳じゃないけどあちらの狙いとは違ったものだから何とかなったよ」

「それが何かは聞かないことにします」

「元所長の久万楠ツツジ先生だね」

「何で言っちゃうんですか……」

「原田君は知ってるからね。僕が五体無事なのも彼の部下がここに来たからだよ」

「あ、そうだったんですね」

「ダミー用の資材を持って行ってくれたよ。まあダミーと言ってもあちらから見ればそれなりに価値のあるものだけどね」


 そう言って根本さんが言ったのはトウキョウ湾に係留されている原子力潜水艦内にある設備だという。どうやらそこに薬剤の製造設備があるようでそれを渡すことで難を逃れたのだという。


「元々いくつかの製造所は既に明け渡していたわけだけど、これで研究所が独自に持つ製造所はなくなったわけだ。あちらも多少は安心できるんじゃないかな」

「薬剤の製造管理運用が国に渡った、という事ですよね?」

「多分ね」


 何でそんな言い方をするのだろうか。それでは実はまだ隠していることがあると言っているようなものではないだろうか。


「そりゃ僕らみたいな非人間がいるんだもの。薬剤運用している側からすれば、薬に罪はない、要は使い方なんだってことでしょ? 問題はそのためにいたずらに人間を傷つけていた僕たちで」

「ですが薬剤の開発はこれまで研究所が担ってきたんですよね?」

「そうだとも。なんなら政府の支援だってある。まあ首輪だけじゃ足りないと思ったんだろうね。今度は枷をつけられたってわけさ」

「枷、ですか」

「ゾンビ症の遅延薬、忌避薬の優先的な製造と改善改良。治療薬の研究はどうしても足踏みしてしまう状態だねえ。まあこれらは部下がやってくれるからいいとして、調整薬の方も資料が提出する必要が出てきてね。近々測定器をつけてもらうことになるかもしれないからよろしくね」

「あ、はい。作戦に支障がないのであれば」


 いろいろと裏の部分を暴露されたかと思ったらさらりと重要なことを言われた気がする。測定器がどういうものになるか分からないが、あまり人にわかりやすく表示されると心配させてしまうかもしれない。主に今日もついて来ようとした幼馴染に。


「それじゃあしばらくはあまり無理しないようにね」

「わかりました。他に注意点などはありますか?」

「感染するかもしれない怪我はしないように」

「あ、はい」


 そこだけ圧を感じる笑みで注意を受けてしまった。

 うん、無理さえしなければきっと大丈夫。きっと。たぶん。


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