第61話



 アキウから山間を抜けカワサキへ向かい、以前千聖が言っていたゾンビの反応に対する方向へ車を走らせた。カワサキ市街地南部にある高速道路のインター合流直前。合流のためのクロソイド曲線を270°旋回することで得られた丸い窪地の中。その中で蹲るようにして佇んでいた。

 料金所手前で車から降りて探知の魔法を使いながら近づいてゆく俺に、中谷里がどこか納得したような声が届く。まあそうだろうな。一応ではあるが、俺が魔法で解呪したとはいえ彼女の頭の中にある変異結晶が反応しているのだろう。感応現象は起こるはずもないが、信号の強度が増していくだろうからいるという事はわかるはずだ。

 丸くくりぬかれたその場所は一度焼き払われたのか枯れた木々や灰が所々に積もっており、それを覆うようにして人骨や黒いシミ、鼻を衝くすえた匂いの中心にいたゾンビを前に、俺は隣に立つ中谷里へと声をかける。


「じゃあ、援護よろしく」

「はーい」


 久しくも感じるいつも通りのやり取り。これまでの中谷里なら観測結果を通信器で伝えながら数本矢を放つ程度に収まっていたが、今の彼女はやる気に満ち溢れている。そもそもの話、接近戦している味方を飛び道具で支援するには相当な実力と判断力が要求される。中谷里は腕はいいのに誤射を恐れて俺の近くに放ったことはあまりない。実際誤射しそうになったことがあるからなのだが。そういう時は大抵俺の方で躱していたが、本人からすれば以降の支援を躊躇うようになるのも致し方ない。

 とはいえ、そういった現状を打破するための強化薬だったのだろうし、俺も気合入れて引きつけなければならない。

 高速道路の下を通ってカーブに入るのだが、そこは車で埋められているため道の脇にある土手からアクセスした。カーブの奥は林となっているがこの範囲で片付けたほうがいいだろう。高所から援護する中谷里の射線は開けている。彼女の腕ならどこからでも頭を抜けるだろう。


 窪地を駆け下りながら俺は蹲ったままのゾンビ改めて観察する。肉体は全体的に膨張気味だが右腕が顕著だろうか。他の手足の3倍ほどの太さがある。これで耐久力ではなくスピード型なのだからまあ見た目詐欺すぎる。

 ランナーという特異ゾンビの亜種ともいえる、珍しいゾンビだ。ゲーム内におけるランナーは元々高速で生存者や主人公に向かってくるゾンビなのだが、アスリートのような走り方ではなくそもそも腕を振っていなかったり、大きく頭を振りながら走ってきたり、場合によっては近くのゾンビを掴んだ状態で走ってきたりなどそれまでとはテンポを変える役割を持ったゾンビだ。

 そしてこの亜種と呼ばれるゾンビは耐久力よりも破壊力を有している。タックルであったり機械を引き摺るなどして面積を増やしたり周囲を破壊したり。一見強そうにも見えるゾンビであるが、ランナーをベースにしていると考えればその脆弱性は一般的なゾンビに毛が生えた程度。

 よってこういう急所攻撃にも一定の効果が見られる。


「おらぁっ! ぶっとべっ!」


 ボールを思い切り蹴り飛ばす。もちろん蹴った足が痛むかもしれないようなことは避けるべきではあるがブーツには鉄板入り、更に魔法で脚自体を強化している。ごっ、と鈍い音を響かせて蹴り上げた頭は思ったよりきれいに入ったようでゾンビはその身をごろごろと転がす。ややあってのっそりと起き上がり肩口からこちらを睨むゾンビに突然矢が生えた。

 一発目から頭抜くか。そう思ったのも束の間、続けざまに2本目、3本目と頭部に突き刺さる矢を見て、俺は思わず中谷里を振り返った。既に4本目をつがえていた。いくら耐久力が無いとはいえここまで簡単に射貫くか。

 流石に矢を嫌がったゾンビによって頭は固いガードに覆われていた。ガードで視界を狭めているようだから俺から視界の内側に入ってやろう。そうして少し広めの間合いでゾンビと相対する。中谷里の射線を遮りこちらへその太い腕を下ろしてくるが、流石にテレフォンパンチを喰らうほど気を抜いているわけではない。少し角度を変えれば今度は後頭部に矢が突き立った。直後、視線をふらつかせたゾンビを見て俺は中谷里の様子を見ながら立ち位置の調整と中谷里を有効的に活用するため足を狙うそぶりを見せる。ふらつき視線を下げたゾンビの視界の端を掠めるように動き、骨を砕くつもりで足を払う。来るのがわかっていれば対応はできるだろうがこの手の動きは案外読まれない。まあ単純に射線に被らないように頭を下げただけだが。無事に足を掬ったので今度は反対側へ位置取りを変える。中谷里も位置取りを調整してるのを見つつ、いや待て何処走ってんだアイツ。フェンスの上? あの上って細いうえに不安定でまともに移動するのも難しいだろうに。

 思った以上に運動性能が上がっているのを確認し、ゾンビが起き上がるのを待つ。中谷里がつるべ打ちにしているのを太い右腕を使って頭を守るようにしているが、腕や肩、背中にどんどん矢が生えてゆく。その矢が15を数える時にようやく起き上がることにしたゾンビに対して、背後からナイフを振るう。丁度ゾンビの影になっているのを良いことに魔法で切れ味を上げて靭帯をもらう。まあ正確な位置はわからないが側副靭帯の断裂だけでも膝を崩すことは可能だ。膝をつけば自然と頭を前に出す形となり、中谷里の連射力と精度が生かせるだろう。

 がくんと膝をついたゾンビから離れて様子を見る。びゅんびゅんと風を切って向かってくる矢はゾンビの頭部を襲い、太い右腕の隙間を縫って足を地面に縫い付ける。というか、そろそろ矢が切れるんじゃないか? 一度回収するか。中谷里が撃ち終わってから。

 しかしそれも急ぐ必要がなくなった。ずん、と音を立ててゾンビが倒れたからだ。随分とあっけない。いや、耐久力に特化していない特異個体ならこの程度か。倒れたゾンビから矢を抜きながら考える。

 目が良くなっているのは確かだ。身体能力や精微な感覚も高い精度を誇り、何より内面的に少し大胆になったからかかなり攻撃的な運用が可能となった印象だ。そうなるとやはり彼女に必要なのは破壊力が高く尚且つコストパフォーマンスに優れる武器があるとベストだろう。いや、まて。そういえば今回はせいぜいが30m前後での間合いによる射撃だった。もう少し距離を開くか、近くで捌かせるか。距離を延ばせば弾速が気になる。距離を詰めれば武器の特殊な運用法が必要になる。その特殊な運用に耐えうる耐久性も必要だろう。

 考え事をしながらザクザクと矢を抜いていると、すぐそばに中谷里がやってきていた。


「んーまあ、こんなもんかなあ?」

「手ごたえは?」

「あんまり。いつも通りと言えばいつも通りかな。リーダーがサポートに徹してくれたのもあるし?」


 まあそう言われればそうだ。俺は引きつける以外の目的でナイフを振ったのは膝を崩した一閃と一蹴くらいで、あとは格闘戦での崩しをした程度。


「お前用の武器が欲しいな」

「なに?」

「射程が長くて弾速の速いやつ」

「狙撃銃かな?」

「あとは乱暴に使ってもいい、丈夫な飛び道具」

「ガン=カタしろって?」


 いや、誰も銃撃とカンフーを合わせた架空の近接格闘技術を習得しろとは言わねえさ。それとこれとは違う話だ。


「基本は遠距離攻撃。武器を持ち替える必要がないような武器があればな、っていうだけだ」

「まあ、そう? 弓じゃあ打ち合えないしね?」

「打ち合える弓にするか?」

「それよりボルト強化するのはどう? 杭みたいな?」

「パイルバンカーでもぶっ放すきかてめー」

「ふふふ。それもいいかもね? 大丈夫、当てるから」

「そうだろうよ、お前なら」


 車のなかで明日何食べるかを相談するかのようにとんでもないこと言い出したな。むしろ武器というより工具とか建設設備でも使いこなせそうなバイタリティを感じる。柔和な感じはそのままに力強さを感じさせるかのような中谷里の佇まいには瞠目してしまう。それくらい変わったと思う。

 さてこのまま雑談に興じてもいいが、仮にも目の前のゾンビは特異個体。更には特異個体になってからある程度、少なくとも数か月経っている。そしてこの高速の合流路の合間に出来た窪地に、しかもわざわざ焼き払われた状態でいるという点を考えれば、シカマの特異個体と比較し何ら遜色のない状態である可能性がある。ダメになった数本の矢を除き、凡その矢を回収した後で暢気にしているだろう中谷里に向かい声をかけようとして。


「……」


 へえ。ちゃんと状況を理解しているからかその表情は冷たい色になっている。温和で柔らかなコイツの中に一本芯が通っている印象。千聖とはまた違ったその硬さ。

 今回に関しては藪をつつかなくても蛇は出る。大山鳴動すればその大きさにふさわしい鬼が出るのだ。


「リーダー!」

「おう」 


 知ってた、とは言わない。ある程度予想はしていた。ゲームによくある変身、第二段階、怒り状態、体力低下による行動パターンの変化。これはそういうものだ。

 中谷里を手で追い払い、俺はゾンビの正面に立つ。全身を震わせながら低い唸り声を上げていたゾンビは、起き上がると目の前にいた俺にこぶしを振り下ろす。分かりやすい振り下ろし。振り下ろした腕を軸に地面を掘るようにして今度は左のフック。体ごと来ているからリーチがぐっと伸びてくる。しかし、それは知っている。

 轟音と共に肌を打つ風を感じながら俺は腕に合わせてナイフを置く。太い右腕の大振りを誘導し左腕の肘から先に攻撃を集中することで、中谷里の援護とする。元々ランナーであることから距離を取ると猛烈な勢いで吶喊してくる。越えられないような段差の上にいれば大丈夫だがちょっとした階段や段差は乗り越えてくるので、もう少し場所を移動したいところだ。

 振り下ろしを軸にぐるりと回り込むゾンビに対し、タイミングを合わせて立ち位置を交換する。こちらの方が窪地の低い場所。あちらが高い場所にいる。もう少し奥に置くことで橋の上にいる中谷里を相手の死角へ置くことを意識しつつ、カウンター主体でゾンビに線傷を増やしてゆく。ごくごくわずかに魔法で刃を強化して立ち回っているので、こちらはかなり余裕がある。油断しない程度には強い相手だが、耐久力が低いということはダメージの通りがいい。ダメージの通りがいいという事は、一定量以上のダメージには相手の意識や注意力を奪う衝撃ショックが発生する。

 こちらへ腕を振るっていたゾンビがぐらりと揺れる。ヘッドショット判定によるダウン効果の発生。ゲーム的に言えばそうなる。間に太い右腕があるから多少厳しくなるが、中谷里は僅かに空いたスペースを縫うようにして頭に矢を当てていた。うーん、第二段階とはいえ思ったより粘る。もう少し早く倒しきれると踏んでいたが。

 俺がそんな益体も無いことを考えていると通信機に連絡が入る。小屋姉妹のグループで手が空いてそうなのは錦か?


「あいよ」

『あ、リーダー? ちょっと聞きたいことがあるんだけど』


 小屋妹か。まあこいつも作業中なら多少手は空いてるだろうがなんだ? 目の前でゆっくりと起き上がるゾンビに向かって話すように声を張る。

 話を聞いてみれば仮死状態の抗体保持者をチャペルで見つけたらしい。まあ人生最後に式を挙げたはいいが、変なタイミングで抗体が仕事した感じか。で、休眠状態だと。見たところ数日といった様子ではないから抗体が仮死状態を維持しているのでは、っていうことらしい。

 んー。これまでに聞いたことのない事例だ。これ、言うなれば白雪姫が毒林檎を食べて寝ている状態と近い。眠りを覚ます方法も、寝ているのが白雪姫の皮をかぶった何かかもしれないということも、違うと言えば違うのだが。

 ドクターが引き取るならそれでいい。最悪起きだした何かによってドクターも感染するだろう。死ぬ可能性もあるか? それくらいは織り込み済みだろうが、研究馬鹿のアイツがへまをするなんてことは十分にあり得る。そこらへんは注意喚起しておくくらいでいいだろう。

 こうして小屋妹と話をしながらも俺は煽るようにゾンビの攻撃を捌いて行く。左右のバランスが悪いからか打撃のテンポが悪い。右左、右左とある種一定のリズムを刻みながら風を感じ、大地を叩く振動を楽しむ。舐めてはいるが別に油断しているわけでもない。考えながら動いているからか会話が途切れたりしているのがその証拠だ。

 中谷里は遠慮なく矢を打ち込んでいるがこれヘイト管理いらないタイプだったっけ。いや、ランナーなら一番近いやつに行くのか? 片手に握ったナイフは目の前のコイツが俺から目を離した瞬間に膝を斬るためのものだ。とはいえなかなかにしぶとい。目の前のゾンビの後頭部には鶏冠のように矢が生えている。

 ちらりと中谷里を見ると今まさに矢を放つ瞬間だった。それに合わせてゾンビが放つ追撃の左にナイフを添える。今度は少しだけ深く。


「っと、……こっちは一応今日帰還予定だけどまだ見つかってないから再調査だな」


 カワサキに来た目的はこのゾンビを使った中谷里の慣らしだが、牧場が無いわけではない。まあ片手の指で足りる数くらいしかないのだが。

 切り裂かれた腕を押さえ仰け反るゾンビのこめかみに矢が突き刺さる。これはいったか? 一瞬の棒立ち。痙攣の後に五体投地。これはダウンというよりは仕留めきったんだろうな。探知をしても徐々に弱まる反応が目の前にある。

 中谷里を見れば既に弓を下ろし手首をプラプラと振っている。矢が尽きたみたいだ。じゃあこいつを確殺するのは俺の役割だな。

 徐にナイフをくるりと回し、逆手で持ったナイフに魔法を添わせる準備をする。目元はいつものゴーグルなので魔法の発動を見られることはない。いや、そう言えば中谷里も視覚に魔法がかかっている可能性があるか。回り込み中谷里に背を向けてナイフを突き立てる。矢が突き立っている隙間から中心を目指して振り下ろし、切開すれば、その中には特異結晶が鈍く光っていて、その命が途切れるのを示すかのように鈍い明りが煌めき、そして消えた。




「お疲れさま?」

「ああ、ご苦労さん。どうだった?」

「うーん? やっぱりあんまり変わらない、かな?」


 まあそうだろうなと思う。得意な距離で1本も外さずに命中させている。その7割以上が頭部に集中している。フェンスの上を左右に移動しつつ狙撃ポイントを移動しながら二度打ち切り、すべて命中。本人としては不満だろうが、精度という点ではもう何も問題は無いな。貫通力に特化した矢やゾンビ特攻の特殊ボルトなんかを併用すればDPSは上がってゆくだろう。


「銃器でもいいけどあの回転速度ならコンパウンドボウでも大丈夫そうか?」

「うん。あとはボルトの数と質にこだわりたいかな?」

「まあそのへんはおいおいだな」

「室内戦の時とかどうしよっか?」

「まずは千聖と合わせる練習だな。あいつに囮が出来るかどうか」

「たしかに、気分で攻めるか退くかする可能性はあるかな?」

「気分が問題なら高さを稼ぐなりしないとダメそうだな。まあこの辺にしとくか、ほら」

「ありがとー」


 抜き取った矢から雑に汚れをぬぐって矢筒に収める中谷里を見て、また一つ悩みが増えた。

 今回は外回りだからいいが、イズミの探索に加わるときにはそのほぼ全てで屋内戦が予想される。その時の中谷里の立ち回り、武装は何がいいか。取り回しのしやすい短弓というものもあるだろう。この速さで打ち出せるならクロスボウはいっそ長い距離の狙撃用とするべきか。

 赤黒く咲いたザクロの中心からそれを取り出すと俺は中谷里に向き直る。


「よし。これからは元の仕事に戻るぞ」

「元の仕事?」

「農業機械だな」

「あ」


 後ろ手に頭を掻く中谷里に溜息を返し、俺はその場を後にした。


 これは余談であるが、この地はヤマガタから高速道路を通ってくる者たちの残骸が残っているはずだったのだ。少なくともそう予想していた。この時俺はすっかり忘れていたが、その避難者たちがどこに行ったのか。どんな目に遭ったのか。そもそもそれが本当に存在していたのか。この時俺は、考えることもしなかった。


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