第60話
「ひっろ」
「広いって言うか、なんかすっごい」
地下駐車場からは階段を上って正面玄関の脇に出ることになった。バリケードに使ったであろう机などが散乱していたが、インテリアは見つからず変に荒らされた様子は見えない。多少カーペットは汚れていたが壁に傷がついていたり、血がついていたりといった様子もない。内装の様式も相まってこれまでとは違う静謐に満ちた空間になっていた。
フロアガイドを見れば今いるロビーフロアと地下駐車場と同フロアのガーデンフロアがあった。そこから上に客室のあるフロアが続いている。ロビーを右手に正面に見える窓からは中庭を見下ろすラウンジがあり、その両脇には下に続く階段があった。中庭に向かって右手の階段はバリケードが作られていて進むことが難しかったので左手側に進む。階段を過ぎれば窓に沿って綺麗に机が積み重なっていた。窓の奥はベランダになっているようでそこには赤黒い汚れが見えた。
前を行く千聖ちゃんがバリケードを背に何の躊躇もなく両開きの扉を押し開ければ、またしても扉。大宴会場の前の前室でも大きく見えるのに、その奥の大宴会場はその数倍の広さだった。しかしテーブルや椅子などで区分けされたそれは、過去にここである程度の人数が生活していたような痕跡を残している。
「芸能人の披露宴とかで使われるような感じ?」
「かもね」
窓が無く開け放したドアから入る僅かな光と手に持ったライトしかないが、光を吸い込むような天井の高さと奥行きにため息が出る。
千聖ちゃんがすたすたと暗闇の中を進みながら奥まで行けば、一つの扉を押し開けた。それはいわゆる従業員用通路だろう。
「あの娘、普段からこうなのか?」
「はい? ああ、まあ、そんな感じです。本人は鼻がいいって言ってますけど」
「そうか」
私たちの前にいる本田さんは何かを考えこんでいる。不興を買ったかなと思ったが、どうやら違うらしい。
「確かに気配を感じん。近くには、だが」
「あー、もしかしたらゾンビがいるところに行ってるのかもしれませんね」
ぎいと開いたドアの向こうから光が差し込む。外から差し込む光の奥に見慣れた小さな少女のシルエットが見えた。
どうやら一番近い外への扉を開けて明かりを確保してくれたようだ。
「ここ、多分搬入口」
「おっけー。で、どうする? とりあえずその搬入口塞げば大丈夫な感じ?」
「下の階見てみないと分かんない。駐車場から上がってくるときはなかった」
「そうだな。つまりあの階段さえ塞げば大丈夫だろうよ」
「なるほど」
それならそこだけ塞いで今日は引き上げてもいいかな。あとはロビーフロアの正面にあるラウンジ傍の階段を塞げば大丈夫でしょ。そんな私の考えをあざ笑うかのように、千聖ちゃんは答える。
「ゾンビがいると思ったけど、こっちじゃなかった」
「え、近くにいるの?」
「この階にいないなら下にいるかも」
そうでしたね。隣のアウトレットモールに来ないようにするためにホテルのゾンビを始末する必要があったんですもんね。
開けた扉を閉めて宴会場を後にする。前室まで来た時に、千聖ちゃんがピクリと反応した。視線は部屋の隅。来るときは宴会場の扉に目を引かれ気付かなかったが、スタッフオンリーと書かれた扉が見えた。おもむろに扉を開けて進む千聖ちゃんを追いかける。
「千聖ちゃん……。今は皆いるからさあ」
「下り階段」
ライトを向けた先には確かに上下に繋がる階段があった。バリケードの類も見えない。え、コレもし見逃してたら危なかった? いや、そもそも表の階段にもなかったってことは下のフロアは安全だからでは。そんな希望的観測をした脳内判断を即座に却下する。
ラウンジ脇の階段にバリケードを張って安心してしまう前にこういった場所を見つけられてよかったと考えよう。少なくとも不意打ちの可能性は下がった。
「従業員用通路を先に埋める?」
「……他に階段とかがあったら降りてこれる。ここだけではないはず」
「おーい、お前ら、って、お、こっちにもあったのか、階段」
錦の後ろにドクターと本田さん、お姉ちゃんが続いて入ってくる。
「裏口のチェックは必要だと思うんだけど、どうする?」
「うーん、分かれた方が手っ取り早い、か?」
「でも複雑なんだよなあ」
「フロアマップ見て上に繋がる階段埋めてくる」
「一人でバリケード立てるの?」
「このフロアにあるのだけ軽く」
じゃあ、どうするかな。一時的に戦闘要員が減るわけだし、動かない方がいいのかも。もしくは逃げ道を確保したうえで待ち、かなあ。
「このホテルの形を考えれば両端と中央とのつなぎ目の部分、かなあ。最大4カ所」
「上はそう」
「下はわかんねえか。地下駐車場とかそうだったしなあ」
「ここが大体ホテルの繋ぎ目部分。ってことはあと3カ所あるかも」
「ねえ、そういう話は一度明るいところでしない?」
ドクターの一声に、それもそうかと来た道を引き返し、ロビーフロアのラウンジに集まった。それぞれが思い思いの場所に座っている。お姉ちゃんは私の後ろ。対面のドクターとその隣に本田さん。逆側は錦だ。そして千聖ちゃんが窓枠に半身と片足を乗せて中庭を見下ろしていた。
「じゃ、これで確認しよっか」
「非常階段があるってことはだいたい予想通りだな」
客室フロア上階まで続く階段は4カ所。建物の両脇に、中央の両端、左右の建物とのつなぎ目部分にそれがあった。とはいえあくまで非常階段。ロビーの奥に2基のエレベーターがあり、普段はそれに乗って移動する形だろう。
「客室見ちゃダメ?」
「ダメ」
むくむくと湧いてきた物欲に正直になった結果、千聖ちゃんににべもなく却下された。
「下の鉄板焼き屋さんは?」
「……」
千聖ちゃんがものすごく嫌そうな顔をしている。西側の端にある階段はそもそもこのフロアの廊下西側自体が塞がれているため行かなくてもいいのでは、と言われている。もちろん迂回することはできてしまうのだが西側のガーデンフロアに繋がる階段は既に塞がれているため、結局は遠回りする必要があるのだ。
先ほどの宴会場傍の階段を降りて、従業員用通路を通ってホテルを横断。西側のガーデンフロアにある鉄板焼き屋の裏に繋がっている。
「持ってきてもいいけど、車に乗せられるかわからない」
「あら、残念」
それもある。とはいえあくまで一時的な物資の集積地として使うのであれば地下駐車場に運ぶだけでも楽にはなる。
「ま、悪いけど今回は諦めてくれ。今回はゾンビ排除して、このフロアと、下のフロアにバリ張っておしまい」
「時間的にもちょっと厳しいけどねー」
少なくとも、今回はそれを目的にしたい。ここを探索したいのであればそれでもいいが、まずは隣のアウトレットモールの探索に必要なことをおさえておかないといけない。
「そうね。じゃあ動きましょうか」
「おっけ」
「はーい」
現状、戦闘力の無い3人が頭脳労働兼盛り上げ係になっている。お姉ちゃんも千聖ちゃんもおしゃべりという訳ではないからなあ。本田さんも無駄口の少ない方みたいだし。とりあえず、未だに眉間にしわが寄っている千聖ちゃんを宥めておかないと。機嫌が悪いと、千聖ちゃん派手にやりがちだから。
ロビーフロア西側の廊下は封鎖されていたが、客室へつながる階段は通行可能だったので結局封鎖をあきらめた。それ以外にも東側の従業員用通路の奥にあった従業員用のエレベーターや荷物用のエレベーターなども、最上階にある機械室に行かなければならないといった理由からホテルの建物部分は手を付けないことに決まった。
気を取り直し、ここでしなければならないことはアウトレットモール面した中庭を中心としたゾンビの駆逐である。フロアガイドを参考に改めて検討した結果、攻略しなければならない箇所が複数存在することがわかった。
ガーデンフロア西側の宴会場。そして東側にあるチャペルだ。東側1階から攻略を進め疎らに存在するゾンビを千聖ちゃんと本田さんが切り刻んでゆく。礼服やドレス姿のゾンビや人間の遺体がそこかしこに散らばっている。ロビーフロアのラウンジからは木の影になっていたこともあり思った以上にその光景は赤黒く、ここであったであろう惨状を容易に思い浮かばせる状態であった。
「……結婚式があったのかな」
「そのようだな」
血肉が飾る林にあって赤に染まらぬ二人の剣使いのつぶやきを拾った私は、ほんの少し思考をとばす。感染者が運悪くここで発症したのだろうか。パンデミック初期にあった感染症対策から漏れた、または非常事態宣言前に起こったものか、それとも意図的に無視したものか。しかし。
「……これ、比較的最近だよね?」
「そう。キレイすぎる」
「ふむ。となるとあの中にいるのかもしれないな」
本田さんが視線を向けたのはチャペルだ。今はその正面に立っているが、チャペルのドアに凭れかかるようにして座り込み、恐らくはこと切れたであろう男性があった。
新郎と思しき男性がチャペルと塞ぐようにしているのであれば中にいるのは新婦ではないだろうか。そうやって大事なものを隠して、仕舞って、守っていたのかもしれないと思うと胸にこみあげてくるものがある。
チャペルのドア前にいる男性の遺体をどかす。
「ドアを開いた形跡もないし、ほんとにいるかも」
「ねえ、ゾンビ化している可能性って無いの?」
「こうする」
ドンドンと強めのノックをする千聖ちゃん。急に乱暴になるじゃん。まあ、目の前の少女がそういった機微を理解するようには思えないので、らしいと言えばらしいのだが。いや、これは偏見かな。きっと千聖ちゃんにもセンチメンタルを感じるものがあるんじゃないだろうか。多分。
「……反応なし。もう一回」
「ふむ。ゾンビであっても倒れているのではないか?」
「ゾンビ化してたら多分ここから出てきてるはず」
「外から鍵をかけた可能性は?」
「無くは無いけど、こいつらがパンデミック後にここを使ったとすると、状況が変」
「この男が鍵を持ってなければな」
錦が男性の遺体を調査する。男性はグレーの艶のある礼服を身にまとっている。インナーとなるシャツの胸元には首からの出血で赤黒く染まっている。感染した様子はなく、人のまま亡くなっているように見えた。所謂土気色の表情はどこか安らかであり、周囲の状況に反して何かを成し遂げたかのようにも見えた。
「何もねえや。これ、自殺の可能性あるな」
「最後に結婚式して、ってこと?」
「多分な。千聖」
「開ける」
ぎいと開いたドアの奥。窓から差し込む光によって中央にある十字架が煌めき、手前に並ぶ長椅子の縁にはオーナメントの緑が周囲の白に映えていた。
こつこつと靴音を鳴らし埃をかぶったバージンロードを何の感慨も無く抜ける千聖ちゃんを眺めながら進んでゆく。左右を見渡しながら千聖ちゃんが進んでゆき、最前列右側を見たまま、足を止めた。
「……」
言葉はない。普段の様子からは考えられないような表情であるのは確かだ。彼女は目を剥き、明らかに驚愕していた。
「千聖ちゃん?」
「む? ……これは」
私の声に反応した本田さんが千聖ちゃんの傍まで行くと同じように、思わずといった感じで足を止めた。千聖ちゃんとは印象が少しだけ違う、驚いた表情で。
「なにが……」
純白の花嫁衣裳。穢れの無い白いドレスを身に纏い、胸元で指を組んで眠っているような女性。化粧は最低限。それどころか、目元を擦った時についたのか黒い汚れ。ぱっと見ではあるが、私の目に移ったこの女性は間違いなく生きていた。
私の後から来た人たちも前に習い足を止めていたが、ドクターが私たちを掻き分け、彼女の体を検めてゆく。
「……生きてる?」
耳を疑う言葉だった。いや、感覚としては間違っていない。しかしこれまでの感覚で数日というよりは数か月前という感覚だったのだ。経験だけで言わせてもらえば死んでいるはず。そのはずなのだ。
「……医師として言わせてもらえば死んでる。ただゾンビ研究を齧っている者としては、仮死状態と判断するわ」
「……どうする?」
珍しく困ったような表情をして周囲を見渡す千聖ちゃんに、私は答えを返すことが出来なかった。
「こちらとしては一応2択なんだけど、どうしようかなって」
まあ結局はいつものようにリーダーにお伺いを立てるという結論に至った。
彼女の身の上を証明するものはなく、かといって放置も出来ない状況。そもそも保護したとて、彼女がどういった存在なのかもわからず。
ドクターは保護を主張しているが、私は知っている。グローブが外れた左手とは逆の右手側。わずかにめくったグローブから噛み跡が見えた。つまり彼女は感染者であり、出血などはしていなかったことから彼女は既に抗体保持者であり、その身柄を欲しがったドクターの欲望の対象になったことに。
私は私で抗体保持者の情報が得られることより、これ以上人を抱えることによる負担の増加は歓迎できるようなことでは無く、それならそれでドクターの生贄になってもいいんじゃないかと。後からリーダーに伝えるという方法でもいいのではないかと思い、直接連絡を取りつつ、重要な部分は伏せているというのが現状だ。
『結婚式心中とか新しいな』
うん? なんかやってる? 風切り音もそうだが断続的に金属音もなっている。
「今作業中? 後にする?」
『いや、別に問題ない』
「そう? それで、どう?」
『人柄がわからないことには何とも。仮に蘇生できたとして、……っと、必ずしも友好的に接することが出来るわけでもないし』
「ですよねー」
『所属や立場が分かればもうちょい考えるんだが、まあドクターに任せるのが後腐れない、か?』
「じゃあお任せする方向でいい?」
『いいぞ。実際に運ぶお前らがいいならな』
「まあそうだよね」
実際Xlitは5人乗りで、今回はラゲッジスペースに千聖ちゃんが乗っている。荷物を納める箱の上に座り込んでいるが、ここにもう一人乗せることになる。サイズで言えば私だけど、錦に乗ってもらうことになるかな。荷物もあんまり載せられなくなるなあ。
『そうっいや病院の木、どうした?』
「今回はスルーした」
『そか。なら次は2台で行くか。俺が病院、お前がアウトレットって感じで』
「そうしてー?」
『うん? なんか、疲れてんな。なんだ、千聖と銀花に挟まれたか?』
「分かってんじゃん。今度はつるちゃんこっちにしてよ?」
『いつも通りで良く、はないか。病院は俺一人でいいか』
「え、いや、大丈夫? 伐採作業の経験なんてあるの?」
『無くは無いな。っと、……こっちは一応今日帰還予定だけどまだ見つかってないから再調査だな』
「そっかーがんばってー」
『相当疲れてんな? そういう時こそ油断すんなよ?』
「そうだね。はあ、今日はお風呂入る。うん、そうしよ」
『もういいか? とりあえずこっちは作業詰めるからきるぞ?』
「ふーん。因みに何してたの?」
『ゾンビ処理だが?』
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