第53話
「ほらよ。あとは寝てろ」
「・・・・・・え、これで終わり?」
「そうだが」
広い和室に洋風のベッドルームが連なったこの旅館一番の部屋に来た私とリーダーは2つ並んだベッドに腰掛け向かい合っていた。まくった腕に注射を刺しておしまい。え、これで本当に瞳さんみたいになるの?
「とりあえず経過観察だ。特になんともならんとは思うが」
「なんともなったらどうするの?」
「なんとかするんだよ、俺が」
うーん、このざっくり感。研究内容を聞いても理解できないだろうからかなり省いた説明はしてもらったけど、要は擬似的に感染状態にして、肉体的、精神的に安定した状態になれば成功ってことらしい。
「私、どうなっちゃうの?」
「どうにもならん。お前はお前だよ」
「リーダーは私をどうするの?」
「どうにもしな、い訳ではないけど、まあ変なことにならんように見てはおく」
「女の子の寝顔見れるよ、嬉しいね」
「予定では長くても24時間程度だ。連絡きたら適当にボカしておくから後で口裏合わせるぞ」
「嬉しいね?」
「水は置いておく。ここの風呂はお前が起きるまでには使えるなら使えるようにしておくから勝手に使え」
「嬉しいね」
「・・・・・・不安なのはわかるが、何も問題ない。いいからさっさと寝ろ」
「はーい・・・・・・」
あはは。やっぱり分かるかあ。自分でも不思議だけど、今になってシカマの失敗がまずいことだって実感してるんだよね。正直、今感染した状態って言われてもなんの実感もない。予防薬は打ったことあるけど、それを実感する機会なんてそれこそついこの間に実感したくらいだ。
リーダーの仕事だから不安はない。それは本当。私が不安なのは何も変わらないこと。
予防薬が効いた。それは素晴らしいことだ。ゾンビ化する仲間がいなくなるから。
感染しなかった。それ自体はいいことだ。でも強くなるチャンスを失った。
感染も強化度合いも個人差があることは知っている。私は本当に感染しなかったの? すでに強化されているってことはないの? 昔とった杵柄というわけではないけど、遠距離射撃の腕は、その強化による恩恵ではないの?
仰向けになったベッドの上。天井の模様を辿りながらぐるぐると考えが巡る。寝返りをうって見えるのはリーダーが締め切った襖だけ。これ一応気を使われてるのかな? 使われてるっぽい。リーダー何してるんだろ。すっごい静かなんだけど。え、もしかしてもういない? 嘘でしょ? 気になって体を起こして見る。
「なんだ?」
「わ」
いないと思ったからすごくびっくりした。そういう声じゃなかったかもしれないけど、内心はどちらかといえば安心している。なんだろう、調子が変というか、つまりはこういうことなのだろうか。
「ね、全然眠れないんだけど」
「は?」
なんか珍しい音を効いた気がする。たまに威圧するような低い声色を使うときはあるし、心底呆れたようなため息なんかもよく聞くけど、今のは、こう、呆気にとられた、といった感じ。
「まだ明るいし」
「いいこと教えてやる。すぐに寝れる方法だ」
「聞きましょう」
いつもの感じに戻っちゃった。平坦な感じで、いつもの私達のリーダーの声。
「まず横になる」
「はーい」
起こしたままだった体を再びベッドへ預ける。
「起きた後の自分の姿を思い浮かべる」
「起きた後? んー・・・・・・」
要は強化後の私ってことだよね? どうなっちゃうんだろ。瞳さんみたいにトリガーハッピーになっちゃうのかな? それとも千里ちゃんみたいな無口な切り裂き魔みたいになるのかな?
私なら、そうだなあ。やっぱり『砲台』かなあ。
当てるのは簡単だから、もっと火力がほしいなあ。矢で出せる火力じゃ限界があるしね。狙撃銃も悪くないんだけど、あれも結局単体への攻撃武器だし。そうだなあ、鉄パイプを矢にしてゾンビをまとめてぶち抜いてみたいな。そうすればシカマでもあんなに追い詰められることはなかっただろうし。近接格闘技術も必要だろうけど、弓に番えることもできる長物があるなら適当に振り回せば追い払えそうだしね。
思い浮かべた。そう口に出したはずだった。私は天井に視線を向けていたはずなのに、頭の中には電柱を弓に番える自分がいて。なんじゃこりゃ、なんて言うまもなく、どこかから聞き慣れた声が頭の中に染み込んできた。
『おやすみ』
私の意識は闇の中に沈んでいった。
夢を見ていた。懐かしくも、少し苦い記憶。
私の両親は厳格とまではいかないまでも割とかっちりとした性格の人たちだった。帰ってきたら手を洗いなさい。食事後は歯を磨きなさい。食事中にながら行為はやめなさい。廊下は走らないようにしなさい。挨拶はきちんとしなさい。
そんなふうに抑圧されていた幼少期をおくっていた、訳では無い。両親や兄らと同じく、習い事の一つに武道を習うことを指示され、何がいいかを選ばされたのだが、あのやりがいのなさを覚えている。
剣道、柔道、空手、合気道、古武術、薙刀術、テコンドー、そして弓道。一通りやって、すぐに飽きたのが弓だ。
両親も私に強くなって欲しいというよりは、健全な肉体の鍛錬、精神の修養などを求めていたはずだ。道場というコミュニティの中で切磋琢磨し、立派な人間になってくれれば。
競い合うのは嫌いではなかった。ただ相手が痛そうな顔をするのを見るのは嫌だった。剣という名前から、剣道の師範には大喜びで迎えていただいたが、残念ながら私にはあまり才能がなかったようで。
柔道や空手もおんなじだった。剣道で使う竹刀より、よりダイレクトに相手に攻撃するのが嫌だった。じゃあ弓はどうだとなり、私は弦を引くことになる。
つまらなかった。両親はしきりに私に弓道を勧めるが、私はこれに意味があると思わなかった。日本の武道は結果以外にも過程に意味を見出すような部分があるが、それをしたところで結果は変わらない。矢を的に当てるだけ。結局はそれに尽きる。
誰かを相手にするのは嫌なのに、自分ひとりでやることに意味を感じないという、我ながら面倒くさい私に、両親は諦めたようだ。私は私で、一つを極めるつもりもなく、数年やっては乗り換えて、適当に楽しんだら別のに入門して。最終的には剣道、柔道、合気道、薙刀術を軽く触ったくらいだ。どれも大して上手にならなかった。それでも時折引いた弓は的を外さなかった。私からすれば、弓とはそういうものでしかなかったのだ。
私が昔から達観していたのは、そういった一種の見切り、諦めが早かったのも原因の一つだろう。だが、高校に入って出会った彼女は今まで出会ったことのないタイプだった。
才能豊かで、何をしても上手にこなす。人当たりもよく、私のようにドライで面倒なタイプにも花笑む、控えめに言って天使でしかなかった。私が彼女に惹かれたのか、彼女が私を求めたのかはわからないが、彼女とはそれから四六時中一緒にいるようになる。
昼休みの何気ない時間、学校周辺に唯一ある駅近くの繁華街で過ごした放課後、休みの日に少し遠出してみたり。半ば人気投票とかしている生徒会役員に立候補したのはピンとこなかったけど、周囲の推しに答えた結果ではなく、単純に点数稼ぎといった彼女の強かさを知っているのは私くらいじゃないだろうか。彼女に誘われて生徒会入りをはたすことになる私も、点数稼ぎという建前で彼女と共にいることを選んだ。
翌年、会長選に当選した彼女が指名する副会長に選ばれた私は、彼女の本領を目の当たりにすることになる。これまでの生徒会のやり方を踏襲しつつ、硬軟織り交ぜて予算会議や各式で演説する姿を見てカリスマというものが存在していることを見せつけられた。
ーー『やりたいことを推し進めるには敵を減らして味方を増やすことだよ』
いたずらにそういった彼女のやり方は正論を提示して、相手に選ばせるやり方。こういう決まりだけど、守ってないよね。やめる? やり続ける? 理由は? じゃあこうしてあげるから、そっちはこうしなよ。正論パンチを叩きつけて予定していた着地点に誘導するやり方。
彼女はあくまでルールに則り、正しい側に立った上で自分を押し通す。何一つ瑕疵のない正しさを持って、絶対性を持って手を差し伸べる。正しいということは強いのだと、彼女を見て納得したのだ。
まあ、だからこそ
生徒会長である彼女も、『ここにいないみたい。全然手応えがない』なんてため息をつくような相手。生徒会室に来ていたのは同好会の設立時のときだろうか。同好会設立時は僅かな支援金くらいしかないのを、顧問の財布と予算の増額併せて数倍にした男。校則や活動内容を鑑みて増額をのませたのも、徹頭徹尾自分のためと言い切った変わり者。
会長の彼女と丁々発止と渡り合っていた牧田。思春期女子らしく友人として、役割としてその場に立っていたのもあるが実際最初は好きではなかった。それが変わったのはやはりパンデミック後からだろうか。
学校に混乱が起こり、偶然生徒会室に立てこもることになった私達。職員室とは離れた場所にあるそこはほかの生存者集団とは絶妙に距離を起きつつ、しかし外からのアクセスのいい危険地帯でもある。
校内にゾンビが入り込んでから数日、そこを自由に闊歩しているのはあの牧田だけだった。当時はゾンビであっても間違いなく名前のある人間であった。もっと言えばゾンビになったとしても生徒を害するというのは教師には難しく、かといって生徒同士の殺し合いにも見える争いを許すような教師もおらず。そうしているうちに徐々に溜まったフラストレーションによる内部崩壊を迎える前に、校舎内の安全地帯を確保するかのようにバリケードが建てられた。
牧田の仕業だった。元々どこにいたのかわからないが、制服に登山用のブーツでコツコツと足音を立て、腰にくくったポールや、その場では見せなかったがナイフなども持っていた。
私はこんな状況で動ける人材が出てきた、これで学校を安全な場所にできると考えていたが、会長はそうではなかった。何故まだここにいるのかと尋ねたとき、たしかにそうだと思ったし、しかし納得できない気持ちもあった。
牧田はただのサービスだと言っていた。この閉鎖環境で、今にも崩壊しそうな秩序を維持するのも会長の仕事だろう、今なら安くしておく、などと言いながら。
会長はのった。人がいいだけの人間ではない。何かしらの狙いはあったのだろうが、安全になった校舎内で生徒会室に来た教師や生徒たちは皆会長に感謝していた。何かを言いたそうにしていた会長も、彼女を慕う面々が集うに従い、忙しそうにし始めた。さあ明日から頑張ろうと閉めきったはずの生徒会室に音もなくやってきたのは牧田だった。
学校を離れるという牧田に、会長は私を始めとした数名をピックアップし連れていけと頼んだ。この学校に県外から来ている子が中心だったが、おそらくそれだけじゃないだろう。何かの狙いがあったのを察したのか、牧田はそれを了承したが何を意図していたのかは今では知る由もない。
私はといえば離れる気がなかったが、ふと親のことを指摘されてからはそればかりが気になってしまった。私という戦力はボディガードには適していたが、学校にいて男子に狙われるくらいならいっそ離れた方がいい、なんて言って。
牧田が安全である理由はないだろうに、少なくとも会長は牧田について行くほうが安全だと判断した。どこか会長なら大丈夫だろうと、根拠のない信頼をおいていたのだが、後日リーダーがこう言っていた。
ーー『面倒なやつ俺に押し付けたんだろ。俺とのつなぎをお前にさせて』
極めて個人的な推察でしかないと前置きをして、リーダーはこう言っていた。俺を取り込みたかったんだろうが諦めたんだろうな、あまりにも得体が知れないから、自分がコントロールできないことに関しては期待もしないし、巻き込まれないようにしてさ。
あの学校がどうなったのか今では知る由もない。最初は無事を祈っていたが、今では特に何も思っていない。正しさは強さと私に教えた彼女は、きっとあの時間違えたのだ。このパンデミックの深刻さを、リーダーの能力を、そして自分の力量を。
助けようとも思わなかった。彼女なら大丈夫だと。きっとあの溢れ出るカリスマで統率し、生き残れるだろうと。
今も杳として行方が知れない彼女のことを思うと、現状を考えると良かったと思うべきか。彼女のように正しく強くあった場合、きっとリーダーとは対立していたと思う。倫理的にダメだとか、常識的にダメだとか、そういったことに関心を持たないのがリーダーだ。いや、知ってはいるし利用もする、尊重もするだろう。で、それが何か? とすべてをひっくり返すような態度で望むのがリーダーと言う男だ。
正しくない私は強くはない。弱くても間違わない。そうすれば生き残れる。でも、ほんとにそれでいいのかと思う私もいる。
例えば千聖ちゃん。彼女は自分の意志っていうのがあまりない。すべてリーダーに委ねている。リーダーの言う事なら迷う余地なし。即決即断。考えるのは後からやることで、まずはナイフを振れ。そういう感じ。
例えば瞳さん。愛美さんのことしか考えてない。愛美さんが願えば何でもやる。愛美ちゃんもリーダーの影響を受けているし、姉妹でリーダーの支援を受けているから裏切るなんてことはしないけど、いざとなれば誰よりも愛美ちゃんを優先する。そこだけは譲れないと、はっきりと線引している。
じゃあ、私は? 敵を倒せばいい? 千聖ちゃんと瞳さんがやってる。じゃあ守る力があればいい。会長も、守る力があればきっと生きていられた。
本当にそうだろうか。守っているだけで生きていけるほど環境が良かっただろうか。ゾンビを排除したとして食料はどうするのか。衛生面の維持はできるのか。生活の基礎となる水は? そもそも十代後半の男子と女子が混在している場所に、すべてを面倒見きれるとは思えない少数の大人しかいない。その大人だって非常事態を前に常のような平静でいられるのだろうか。
ぐいっと腕を惹かれるような強さで、それは強い魅力を放っていた。
それでも自分の身を、自分の愛するものを守るために。
ああ、これが誘惑かと、ぼんやりと思った。
守るだとか、強くなるだとか、私はそんな殊勝な性格だったっけ? 流されて流されて。で、ほんの少しだけそんな自分が嫌になったことは確かだ。だからといって過去のことを後悔するなんて、そんなところはもうとっくに過ぎ去った。
後悔なんて学校を出たときからだけでも数え切れないほどしてきた。ゾンビが蔓延る街を走り抜けた時、その日の宿を求めて尋ねた農家で鼻が曲がるかと思うほどの腐臭に囲まれた時、出会った大人が親切を装って私達を売ろうとした時、人の形をしたものがバラバラにされているのを見た時。たった数日間でもそれまでに培った情緒が破壊されていき、吐き出すものもなくなるほどだったというのに、リーダーはずっと変わらずにあった。
一緒にいた数人はそんなリーダーを気味悪がっていたが、私はそんなリーダーに確かな強さを見たのだ。当時からナイフの扱いは上手かったし、何なら棒で突き倒す、スコップで叩き割る、ホースで吊る、鉢植えを投げつける等など。
有利な状況を作り、異常に良い手際でゾンビを処理してゆくリーダーを、私は確かにすごいと思ったし、少しの憧れがあったのは確かなのだ。
確かに守るための強さは必要なのだろう。でもそういうものじゃない。私が憧れた、ほしいと思ったのはリーダーのような、何でも使って相手を倒す自由な強さだ。ナイフだけじゃない。こうするんだとばかりに見せられた人型の殺し方にあったような、万能性が欲しかった。
でも私には無理だというのがわかっている。ただでさえ飽きっぽく、何をやっても大して身につかずにいた私が唯一武器にできるものがある。
それは何かを狙い撃つということ。なんなら打てば当たるんだからできるだけ強いのがほしい。爆弾を遠投できる肩とか。あ、ゴメン、ウソウソ。流石に遠投じゃあ狙い付かないから。
そうだなあ。
あ、これ欲しい物がもらえるやつじゃなかったんだっけ。うっかり。
そうなると、うん。やっぱりどこからでも打てるようになるのが良いかな。今までは足を止めているか、車の荷台や安全地帯から打っていたけど、どこからでも狙えるようになれば、少しは良くなるでしょ。
私は何かを守るために生きてきたわけじゃない。私は私のために、身勝手な理由でいまを生きてきたんだ。どこまでも勝手に、どこまでも自由に、私は私のために敵を殺すんだ。
ふふふ。今までは必要だからやってきたことを、今度からは自分からやるんだ。そう決めたタイミングで、私を誘う強さの魅力が薄れていった。まあそうだよね。私にとって守るものなんて自分と群狼くらい。群狼で守られないといけない人なんてドクターくらいでしょ。錦は危ないところには近寄らないし、リーダーと千聖ちゃんには言う必要はない。なら、今までよりほんの少し、大胆になってもいいよね。
私の些細な決意を祝福するように光が降り注ぐ。ああ、もうすぐ起きるんだなと直感する。
今までの私から、これからの私へ一つ。
普通のアプローチは受けてくれないから直截的に行きましょう。若い女としての賞味期限はそろそろやばいです。なんとかしてください。若しくは見切りをつけて、新たな目標を探しましょう。
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