第52話
センダイの西にある温泉地には数百年ほど続く歴史があるというのは以前確認したことがあると思う。そのうちアキウの北にあるサクナミのとある温泉旅館にやってきた。
開湯から200年を超えるこの旅館は実験施設と化したリゾートホテルのさらに奥にあり、崖を降りる階段の先には河原の傍から湧き出す源泉からひいたとされている露天風呂がある。もちろん内湯となる大浴場も豊富でなんなら温泉プールもあるという充実っぷり。少しお高めの個室には五右衛門風呂のような装いの露天風呂まであるという豪華な温泉旅館だ。
歴史もあり、ランクも高い温泉旅館となれば、それがあるのも必然だったのかもしれない。
「EVの充電スタンド、あったねえ」
「これどうすっかなあ」
考えてみれば、センダイはトウホクの中でも最大の人口と規模の都市だ。そこからの移動手段から自動車省くことなどあるわけもなく、当時から流行り出していた電気自動車に対応するために専用の充電スタンドを用意しておくというのはある種当然の対策だったのだろう。流石に俺もこの旅館の経営陣を舐め過ぎていた。
問題はしっかりと埋め込まれているという事。これは慎重に基礎部分を破壊して回収するしかないか。あ、やっぱ小屋妹に任せよう。俺が魔法で地面を隆起させるくらいはしてもいいだろうが、図面も無い状態で破壊してしまっては意味がない。
ちなみに一台分だ。一台分しかないというべきか、一台分もあったというべきか。電気自動車を保持している今となっては扱いに悩むな。車を運用する以上必要なモノではあるのだが、電力の供給がなされている今、ケチれる部分ではある。
ではどういう利用法があるのかと言えば、以前も言ったBDF屋に売る案。メリットは伝手とBDFのコスト減少。キャンピングカーの運用が少しは楽になる。出来るかどうかわからないがエンジンを乗せ換えたほうが将来的には運用面ではいろいろと得るものがあると思うが、現時点でやるべきかと言われればノーだ。車の消耗品に関しても在庫は減少しているし、保存状態も安定していないのでいずれは尽きるという予感がある。
そもそもの話だが、この生存戦略は終わりがないものとして考えている。何故か。
それはこの世界が現実世界と断定しきれていないからだ。このゾンビパンデミックを甘く見ているわけでは無いが、この『ZOMBIE×ZOMBIE×ZOMBIE』の世界は長すぎるのだ。
パンデミック初期において、アメリカではゆっくりと感染が拡大し今尚アメリカ全土でその状態が確認されているが、そもそも公的機関が認知するまでに数年かかっており、尚且つ世界中に認知されたのは5年後だ。そもそもアメリカで発生したのであれば、本来であれば瞬く間に世界中に広がっていいものの、この世界においては研究施設に近い街を全滅させた後は感染速度を落として徐々に国内に広がった。アメリカ政府が軍事転用の研究のため口封じとして町ごと封鎖して処分などは行っていたが、対処が完璧すぎる。そこまで秘密が漏れないようにするのに一体どれくらいの費用と人員をかけたのか。
ちなみにこれについてある一説があり、アメリカの狙いは中東の原油とそれを元にしたオイルマネーだったという説がある。実際現状では国内の治安回復をゆっくり進めつつヨーロッパや東アジアに軍を展開しているのは事実だ。日本では船舶の燃料に使われる重油などは既に枯渇状態にある。はずなのだが、じつは極少量の輸入があるらしく、少なくともナゴヤからトウキョウまでに人員を運ぶ船が運航していた。
俺は最初てっきりアメリカあたりから超高額で購入していると思っていたが、違った。ペルシャ湾に面した国々から人が手土産持参で来ていたらしい。意味が分からなかったが、彼らはどうも基地と航路を可能な限り守りつつ、感染が一番遠かった日本に足掛かりをつくりに来たようなのだ。
ここからは未確認だがどうもカントウのある土地を彼ら用に整備したらしく、匿っているらしい。土地や会社を一時手放しても、後から取り戻せるように。他にもアメリカが落ちると見て、自国では耐えきれないだろうから日本に来たと言っている人もいたとか。
いろいろと納得しがたい部分もあり調査自体はしたが、錦で見つけられないならもう無理だと早めに切り上げた情報でもある。結果としてその後に錦はミスをしてトウキョウを少し早めに離れることになったのだが。
そもそもここまでの情報もそうなっているというだけであり、本当はどうなっているのかなんて今の俺には知るよしも無い。これまで情報が生えてくることに疑問を抱かなかった俺も悪い部分があるが、ここがゲームの世界というのも問題がある。まあ今更ではあるが。
国道すぐそばの玄関ポーチの奥にあった充電スタンドも錆びついていたりするわけでもなく、使用に耐えられるであろうことを確認し玄関からホテル内の探索に移る。このホテルは以前サクナミ奥を開拓しようと来た際にはスルーしていた場所で、この先にある釣り場の方ばかりを気にしていた。
いつものように針金を用いて解錠の魔法を使って自動扉を突破する。1階は比較的大きなガラスに囲まれており、明かりをつけずとも然程暗さを感じない。どこかに電源設備があるはずなのでまずはそちらを探すことにして中谷里と探索を開始した。
「意外と綺麗だね」
「そうだな。荒れた様子もない」
現状では何とも言えないが、少なくともこの入り口近辺で暴動が起きたとかそういったことはなかったように思う。入って右手に見えるフロント、待合用のソファとテーブル、土産屋の陳列物にいくつかのATMも並んでいるが何も壊されていないし、血痕が残っているといったことも無い。
フロントの奥の従業員用のスペースへ入る。事務スペースには当然無いが、館内の案内図とは別の設備用マップを発見した。
たらりと冷や汗が流れた。なんだこれ。どうしてこんなに簡単に欲しいものが手に入る? いや、別に欲しかったわけでは無いが、まるでゲームみたいだ。送電設備と言えばいいのか、旅館内の各施設への配電盤もそこにあり、もっと言えばポンプ室やボイラー室といった施設も分かりやすく明記されている。
「リーダーどう?」
「あったぞ。本館1階の端だ。北端だな」
「北なの? 西じゃなくて?」
国道沿いになっていたなら建物も東西に長いとでも思っていたのだろうか。国道を走っていた時点でこの旅館の前あたりでは既に北上していたのだが。
「フロントがこの向きだから、こっちか。行くぞ」
「はーい」
フロントや玄関口に近いところから差す光で比較的見通しは良いが、それでも油断していいわけではない。あくまで俺以外は、だが。
既に周辺の探知は済ませており、少なくともこのホテルには人もゾンビもいないし、周辺200mには生命反応も無い。油断しているつもりは無いが、それでも中谷里は随分と緩いな。
「油断しないように」
「いるの?」
「いないが」
「……ならいいじゃん、と何で分かるのと、どっちがいい?」
「後者」
「私も最初は素直にそう言ってたはずなんだけどなあ」
これはアレか、昔の話か。学生時代に県外の学校からトウキョウへ戻るときに俺が散々無視してたのを言ってるのか。何を言っても信用されないと思っていたからかなり自自分勝手にふるまっていたのは覚えているが、それ以外はあまり覚えていない。俺からすればパンデミック直前にも魔法を使った予行演習をしていたし、なんならどんな立ち回りがいいか研究がてら進んでいた気がする。
それにしても、中谷里はあまりこういったことを言ってこないタイプだったと思ったが。
「俺が何かを言ったところでな」
「まあそうなんですけどね」
周囲の光が徐々に届かぬ闇に包まれてゆく中、俺は先ほどと変わらぬペースで廊下を歩いてゆく。突き当りを曲がった先に電源設備があるはずだ。ここの電源を入れれば、あとはロビーとその裏で玄関周りの設備は動かすことが出来るようになるはずだ。
「リーダー」
服を掴まれた。
「何だ。何かあったか?」
「ちょっと待って。早いし見えないし」
「……ほらよ」
充電型のペンライトを渡す。確かにこの暗さでは俺くらいしか見えない、か? そんなことは無いと思うのだが。久々のスカベンジだからか気が抜けていたのかもしれない。中谷里がペンライトを使って道を照らすのを待って俺たちは電気室へ踏み込んだ。
室内に電気室があると楽でいい。所謂キュービクルといった変電設備も一つにまとまっていて分かりやすいが電気室は部屋の中にまとまっている分、外に出なくていいというのが一番楽だ。そうしてスイッチを往復させれば電源が回復する。ここは一時的に使用するくらいなので思い切って使っていく。
カチカチと動かせばメーターの針がぐんっとふれる。蒸留所の時から思っていたが、この現象は一体何なんだろうな。設備的な意味でも電力会社できな意味でも理解がしがたい現象が起きているが、まあこういうもんだと切り替えよう。こういうところもゲームっぽい。
向かいのポンプ室も起動、ボイラー室は一旦スルーしてロビーに戻ってきた。ロビー裏にあった配電盤を操作すればかちかちと明かりがつく。先ほどは見落としていたが従業員用のスペースの奥には給湯室やサーバールームもあるようで、こちらは後回しにして探索を続行することにした。
「明かりはとりあえず全部消しといてくれ。俺は充電スタンド見てくる」
「はーい」
そもそもの話なのだが、ここがゲーム世界だとして当たり前のように存在する物理法則が自分の知るものと同じであるとして、それを軽く超えてくる
こうなるもの、そういうふうに決まっているものという、もはや万有引力並みの世界の法則なのではなかろうか。
柱のような充電設備と向かい合い、UIを操作する。この設備はどうやら電子決済、クレジットカード、専用のプリペイドカードによる決済のみらしい。ここに来て金銭のことをすっかり忘れていた。
なんとかなりそうなのは専用カードくらいだが、この充電スタンドに発券機能がなかったらあとはホテルにあるかどうかだと思うんだが。いや、そもそも電子決済やクレジットのサービスって生きているのか? 今の時代の最先端は物々交換だぞ? それならなおさらプリペイドカードが重要になるのでは? 少なくともこっちでは錦が手を加えるまでは売り物にならないか。
こういうときって端末のトラブルに対応するためのリセットボタンがあるだろうし、そのマスターキーもあるとすれば管理会社か現場対応することを考えればこのホテルにあってもおかしくないと思うんだが。
旅館に戻れば丁度こちらに来ていた中谷里とかち合った。
「あれ、早いね。もう充電終了?」
「んなわけあるか。充電スタンドの中身を見たいから鍵束探す。いや、やっぱ自分でやるわ」
「どうして?」
「先にお前に強化薬の処置をする。丁度荒らされてないきれいな場所なんでな」
「お、もうやっちゃうの? もう少し時間かかるようなこと言ってなかったっけ?」
「あれはトウキョウの新入り達の動きが読めなかったからこその猶予だな。いなくなったのなら別にいいさ」
強化薬については人による臨床実験をしていないので効果や定着時間が読めない部分がある。正確にはすでに自分で試してはいる。しかし俺に投与する場合は解呪の魔法で変異結晶すらつくられない状態にできるし、しかしそれでいて複数回取り込んだ強化薬は少しずつ効果を出している。
俺に関して言えば人間が持つ感覚器、肉体強度、伸びが悪いが反応速度などほぼすべてがバランスよく強化されている。素の握力が100を余裕で超えているし、今なら100メートルを走っても世界最速レベルだろう。重量挙げでもメダルが狙えるかもしれない。
結果だけ見れば人類に可能な範囲だと思うかもしれないが俺の体型や体重などを考えると明らかに筋肉の質が違うということがわかるだろう。それにかかった時間はほとんどが頭脳労働だ。サボっていた訳では無いが効率的なトレーニングなどをしていたわけではない。
ただし伸び代という意味では不明だ。ゾンビの肉体強化は伸び代分に足すかたちで強度が保存される。つまりは固定値の加算だ。あくまでゲーム内では、だが。
「ちょっとドキドキしてきた」
「ゾンビ化することはないから安心しろ」
「・・・・・・そういう意味じゃないんだけどなあ」
別に今までそんな関係になったこともないだろうに。今か? 今なのか? これからお前に薬うってやるぜ、に対する答えがドキドキするはだいぶ頭にゾンビキメた発言だ。若しくは愛情を知らないバトルジャンキーみたいな発言。
とはいえ俺たち二人は同い年で20代後半。十年一緒にいて今から始まる物語への期待に対して、これまでの時間は何だったのかと思わないでもない。いや、強くなる手段をぽんと渡されるようなもんだから、今後への期待が大きいのは正しいのか?
「どこでもいいけど、守りやすいとこで頼む」
「じゃああそこ。個室風呂がついてる所が良い」
「2部屋あるな。どっちにする?」
「んー、じゃあこっち」
この旅館の温泉は複数の源泉から湯を引いているが、その全てが自然湧出の源泉かけ流しと非常に贅沢な温泉旅館だ。男女別の大浴場は一つ下の階にあり、宴会場の他、贅沢に温泉を使ったプールがある。ホテルの前の峡谷を降りるように設置された古い作りの階段を降りた先には、さらに別の温泉もある。川の目の前にある露天温泉も、そこに至るまでの階段もまたこの温泉旅館の長い歴史とともにあったというべき佇まいであった。
「下に部屋はないが」
「お風呂入りたいです」
「ど真ん中の直球なら受けてもらえると思うなよ」
当然それらを見ているからこそ、説明書きを見ながらの現状なわけで。
「お風呂入りたいです」
「・・・・・・一先ず見てからな。沸いてなかったら諦めろ」
「やった」
強化薬の注入は残り少ない注射針を使う。本来ならば成分調整のためにナノマシンインターフェースが必要なのだが、強化薬の方は現状強化できる最大値まで効果を高めてある。というのも、元々強化薬というのはゾンビが持つ変異結晶を主な素材とするのだが、俺の魔法が悪さをし不思議スライムが生まれ、その不思議スライムに俺の血液を与えたら魔法を使えるようになり、血液からの遺伝子組換え、ゲノム編集をこなす、ある種の攻撃性ナノマシンと化した経緯がある。
要は変異結晶を素材とすることなく、変異結晶で得られた変異後の強化値を逆算したものを集積することができるようになったのだ。これまでに得た生体サンプルは通常の哺乳類に鳥類、抗体保持者のサンプルも複数あるし、一番大きいのはトウキョウで得た特異個体、しかも特異覚醒個体の影響下にある特異個体なので強化値がかなり大きいものになる。
実際当時を思い返しても、生き物とは思えぬ肉体の硬さに魔法と強化したナイフなども殆ど効かないくらいに硬かった相手だ。今後俺が相手をすることはないだろうが、このゲーム世界では実質ラスボスと呼ばれる個体の取り巻きだ。当時はデータを回収する目的だったがこんな形で使うことになるとは思っても見なかった。
あんな強靭な馬がいたら車など必要なかったのでは? そう思えるくらいには強靭な存在だった。実際特異覚醒個体ではなく、その取り巻きである特異個体が指揮していた別働隊に軍が撤退に追い込まれていた。今の世の中でもあそこまで強化されたゾンビはなかなかいない。いや、トミハラの裏ボスゾンビにシカマの大型ゾンビも強かったが、魔法がとにかく効きにくいのが厄介だった。特性といては防御性能に極振りしたような印象なのでどうなるのか少し気になるところだ。
ここまで言って何だが、人体への影響はどうかという話をすると、当然ものすごく悪い。強化値が高ければ高いほど、ゾンビ化という呪いは強烈なものになる。ゾンビの細胞が入り込み、変異結晶を生成するプロセスはそのスピードに差こそあれ、性質が違うということはない。問題は結晶が生成されてからだ。変位結晶からの呪いによる終わりの見えない誘惑に耐えきったものがゾンビ化による恩恵とも言える肉体の強化をもらえるのだ。
ゲーム世界での話にあるが、過去作には主人公である一家の大黒柱の男性が家族を連れて安全地帯へと逃げる中、感染しゾンビ化による飢餓、捕食衝動に耐えるシーンが有る。彼は自らの腕を何度も強く喰み、ゾンビ化に耐えていた。最終的には耐えきり超人とも呼べる肉体強化の恩恵を受けたが、その腕は噛み跡や、実際に噛み、削いだであろう傷跡が如実に現れていた。子供や奥さんを目の前にし美味しそうとまで宣ったのに、最後まで耐えきった主人公の漢気には達成感にも似た感動があった。ただしリマスター版のマルチエンディングバージョン、お前はだめだ。目の前の相手を食べるかどうかの選択肢をぶら下げ、食べたときの罪悪感とゲームバランスぶっ壊れのアホ強化は割と非難轟々だったぞ。いや、ぶっちゃけアクションゲームとしては面白かったと思うんだけど、やっぱ倫理的に子供はダメでしょ。
さて、こんな風に思考を飛ばしているのにも理由がある。最初は足湯だけだと言っていた中谷里。どうやら下着だけの状態で入浴し始めた模様。温泉は無事再開できた模様。そもそもお湯が止まっていたかは定かではないが。
ちなみに中谷里の入浴を察した俺は少し離れた場所で待っているというわけだ。
露天風呂には屋根がしっかりついていて、目の前の河原には竹策がならび、背後や奥には崖の壁面があるという秘湯っぷり。少なくとも周りからその温泉に突入するには俺の視界に入るか、屋根から落ちて湯船に落ちる仕様になっている。敵と呼べる存在がいないのはわかっているので別の場所へ行こうとしたら、中谷里が待てとうるさいのだ。
「リーダーいるー?」
「ああ」
川の流れる音に混じって温泉であろうものが湯船に注がれる音。風が木々をざわめかせる中、かすかに聞こえた中谷里の鼻歌に、記憶の端で確かに何かを思い出した俺は、ふと空を見上げた。雲ひとつない青空だった。
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