第51話



 日増しに気温が上昇し、例年であれば肌に張り付くシャツの不快感が目覚ましになる頃合いだったが今年は近くを流れる川と周囲に存在する木々が爽やかな風を部屋の中に運んできている。私の部屋は比較的シンプルな内装で他の女性陣のように特徴のある部屋ではない。

 なるべく部屋はシンプルな方がいいというのはマックスが言っていたことで、私もなんとなくならっていたが、寝る前と変わらない光景が起きた時にもあるというのはすごく安心できる。つるの部屋にあるような植物も、小屋姉妹の部屋にあるような銃器も私には必要ない。空気の流れ、風の匂い、目を閉じて聞く環境音。それさえあれば私には十分だ。トウキョウのようにどこもかしこも排気や油、食事時のおいしそうな匂いに交じってどこかから鼻の奥を刺激するような腐敗臭混じりの町に慣れ切ってしまった嗅覚にはとても贅沢な環境だ。

 水もあるし電気も使える。唯一燃料の目途が立たないからお湯が使えないというくらいで。キッチンを一部改造して設置したコンロで薪に火をくべれば生活には困らないがそれをいちいち用意するのも面倒だ。朝は比較的過ごしやすいが、それでも水をかぶったら体を冷やすだろう。まあそんなものは関係ないのでこの蒸し暑さを吹き飛ばすためにさっさと水をかぶりに行こう。


 今日の予定はイズミの下見兼掃除。イズミと呼ばれる地区の南側、センダイ都市部寄りは防衛圏内だが北側は手つかずになっている。特に西の山がちの土地は山間の田園地帯跡地や山を切り開いてできた住宅街などがある。イズミにある大きな病院のいくつかは防衛圏内にあり、そのほとんどが医療従事者や一部研究者たちが集まる場所となっているが、目標となる病院はその住宅街の奥の総合病院だろう。

 この総合病院はJCHO、簡単に言えば地域医療について全国的な官民の連携を取ることで地域医療の中核として市民を支えようという集まりであり、その組織に所属しているひとつの病院だ。JCHOには病院以外にも老人介護施設、訪問介護サービス、看護専門学校などが加盟しており、高齢化社会のニーズに対応しようという狙いが

 マックスは時折こうやって病院のスカベンジをするが、何より必要としているのが針だ。トウキョウでは血液センターで採血用の道具を調達していたが、ここでも同じように考えているのだろう。当然、血液センターも比較的近くにあるし、そちらにも寄るつもりだ。

 この住宅街には結構多くの施設が揃っていて、他にやや規模の大きい病院が一つ、大学が二つにアウトレットモールもある。他にもいくつか学校や商業ビルなどが点在している場所らしい。

 らしいというのは地図上ではそうなっているというだけの話で、こんな場所なら地元民が既に漁っているだろうと思ったがそうはならない理由がある。最初に言ったが、住宅街というの人の数がある程度まとまっていた場所だ。要はそういう事だ。


「いひ」

「うわあ」


 マックスの乗ってた車X l i tを運転しながら気持ちの悪い顔をしている小屋妹。そしてそれをガン見する瞳さん。後ろの席の私も気持ちの悪さを感じるのに錦はドローンの調整に余念がない。今回は普通のと言ってはなんだが機械の小型ドローン複数。対人用の囮という意味もあり最悪一つくらい使い潰してもいいのだそうな。

 今回はあくまで下見。偵察程度だが持ち帰られるものは持って帰りたい。それでも恐らく前は私一枚。久々に後ろに回る瞳さんは銃を持つらしい。フレンドリーファイアには気を付けないと。


「おい、大丈夫なのか、そいつ」

「もう手遅れ」


 今更気付いた錦が何か言っているが、こいつはこういうところあった。というか瞳さんがトリガーハッピーなんだから、コイツにこういうところがあっても何らおかしなことじゃない。なんだろう。ハイテクハッピー? ミーハー、ではあると思うけどそれ自体は単純に生きるための手段だし。


「いひっ、いひひひ」

「気持ち悪っ」


 マニアかオタクでいいか。今までニヤニヤしているのは見たことがあるがここまで気持ち悪いのは何でだ。


「Xlitそんなにいいか?」

「え? いや、別に?」

「は?」

「低い、低いよ千聖ちゃん」


 思わず変な声が出てしまった。いや、でもそうだろう。態度に対して反応がおかしいし、反応に対してその感想はもっと頭おかしい。


「頭おかしい」

「声に出てるよー?」

「失礼」


 うっかりしていた。でもまあいいや。そういう事もあるんだろう。


「だってさー、なんていうか新しいのって楽しいじゃん?」

「あ、もう大丈夫です」

「余所余所しくて草」

「ねぇえぇぇ!」

「うるさ」


 その後は特に頼んでも無いのに語り出した。要約すると、新しいものを試すときは予想が出来ないドキドキとワクワクがあって楽しいということらしい。

 私にはあんまり理解できない感覚だった。知らないことは怖いことだ。未知であるという状態は危険なことだ。知ることで怖く無くする。知ることで未知であるという状態を回避することが優先されるべきことだ。

 そのための下調べであるし、そのための作戦会議だ。こいつもしかしてちょっと油断してるな?


「ねえ、もしかして油断してる?」

「んー? 油断というか、つるちゃんいないからっていうのは理解してるよ?」

「ふーん」

「まあ私の場合はこの車使って何ができるのかを優先的に頭と体に覚えさせて、経路を踏破するっていうのが最優先だしね?」


 わかってる。やっぱりやりにくいなあ。愛美はやっぱりつるに似てる。外見は真逆と言っていいけど、考え方とかものの見方がつると近い。要所を抑えたら余白で遊ぶタイプ。私と錦は余白も埋めてゆくタイプ。マックスは、どうだろ? いつの間にか余白が増えているタイプ?

 どうあれ、私にとっては向いていない考え方だ。


「ならいい」

「とりあえず一番近い病院からかな? エリア内を反時計回りで見て行こうか」

「おう。エリア侵入前にどっかで一回止めてくれ。今回はリーダー居ねえからきっちり偵察機飛ばさにゃならん」

「リーダー居ても飛ばしてるでしょ?」

「リーダーのケアが迅速的確過ぎて間に合わないときあるぞ」

「……それは単なる単騎特攻では?」

「それで結果出してるから、


 本当に感覚がずば抜けていい。視覚、聴覚、嗅覚、指先の感覚は特に。何より器用だし。閉所や建物内でも的確に相手の位置を割り出して先手を取って有利に進めていく。圧倒的な攻撃力もそうだが、武器を扱う技量に立ち回りだって上手い。力も早さも上手さも上の相手にどうやって勝てというのだろうか。気合? 


「ほんとにねー」

「ちなみに病院以外に見るとこあるか?」

「アウトレットモール」

「家具屋!」

「特には」

「学校は、今はいいか。とりあえず状況を見て、不自然なところが会ったらもう一回飛ばすわ」

「あ、やっぱり図書館」


 血液センター近くにある大学の隣にある県の図書館があることを思い出した。特に欲しい本があるという訳ではないけど、図書館には本以外にも意外といろんなものが置いてあったはずだ。


「あいよ」

「図書館で何探すの?」

「なにも。しいて言うなら目についたもの」


 例えば映像資料なり、武器の扱いなり、体の動かし方なり。サバイバルや農業に関する資料も、あればあるだけ良い。マックスの頭の中に入っていたとしても、動物の世話をしたり畑の世話をしているのは八木なわけだし。石田も何かしらするのであればそう言った資料があれば興味を持ちやすいかもしれないし。

 特に気にかけているわけでは無いが、あの石田と言う女、どことなく記憶に引っ掛かるものがある。もしかして、何処かで会った? 思い出せないから他人の空似なんだろう。もしかしたらトウキョウで見た馬の世話をしていた天然の抗体保持者に近いのかもしれない。まあ抗体保持者という繋がりだけで脳内で無理矢理繋げたのだが。


「本、かあ」

「持ち出し面倒」

「それはそう」

「新しいのは無いだろうが、今の世の中じゃ知識だって重要な財産だぜ?」

「まず普通の人間はそんな余裕ないけどね」


 本や雑誌に求められる大半の役割は火にくべる薪の代わりとしてのものだ。中身がどうあれ勉強している暇があるなら何とか生活してゆくために働くか、体を動かすというのが最底辺の考えだ。トウキョウのメトロでも見かけたし、なんならセンダイの地下鉄跡にもそんなその日暮らしの人間が多く存在していた。

 彼らの生き方と言えば街中で雑事を請け負うか、地下鉄の線路を辿り防衛圏外や簡素な地区で物資回収をするなど、はっきり言って先の見えない暮らしをしている。たまたま腕っぷしが強くて組織に勧誘されたり、その見た目が良くて身請けされたりすればそういう生活とはおさらばできるが、生活が良くなる保証はない。そういう意味でマックスの手際は完璧だった。物資や食料が完全になくなる前に力をつけて上が欲しがりそうなものを確保できるように経路を整え、最後は自分たちの身柄と成果を高く売り払ったのだ。私たちは恵まれている。それもすごくなんて言葉では言い表せないくらいには。


 アジトを出てから山間の道をひた走り、周囲に一軒の家も見えない場所から少しずつ生活の気配を感じる区画へ入ってきた。踏切の手前のT字路を再び坂を駆け上がるように北へ進路を取り直す。


「ここ裏道。踏切渡るといつもの県道ね。ここ渡るとどうしても人が増えるから」


 人が増えているのはあの気狂いが詰めている神社があるからだというのもある。治療が受けられる場所というのもあるし、あの気狂いが言うには年老いた者は大した症状じゃなくてもああして集まって話が出来るような場所を欲しているのだと言っていた。

 今の世の中では自分と身内という仲間以外は敵だ。そう言った意識が浸透していると言ってもいい。特に人口が密集している場所に関して言えば笑顔の裏にナイフを隠していることなんて常識と言ってもいい。小屋姉妹なんかは運び屋の仕事で田舎にも行くが、田舎は田舎で余所者を排斥する動きがあると言っていた。すべての人間がそうだとは思わないが、少なくとも善意に付け込まれて割を食った人が敗北者とされる世の中だ。他人を信じて良いことなんてない。

 それも制御する人間がいないからの話で。それこそ警察機構が機能していればこんなことにはならなかっただろう。そこを制御するのが神社庁という組織で、共通の目的でもある治療なのだろう。力を持った第三者の管轄で好き勝手をしようとしたらどうなるかなんて、この世の中に生きてきている人間なら理解しているだろう。長らく無意識に抑圧してきた他者との交流が、この状況なら比較的安心してできるというのも狙っているだろう。

 人間は未知を恐れる。自分の思い込みで作った虚像がいつしか真実にすり替わり、それが強固になるにつれ追い詰められて強硬手段を取る。今に始まったことでは無いかもしれないが、それが起こりやすい、事態が深刻化しやすい状況にあるのは確かなのだ。

 そう言った惨状を厭う人間も当然いるわけで。会話をすることで人となりを知ることで未知ではなくなり、相手への心証は変えられる。必ずしもいい人間とは限らないが、それでも関係性を築いておくことはプラスになるはずだ。そういった考えの人間が神社の近くに集まり始めているのだ。


 山の斜面の雑木林とは反対側。高校の跡地がある。既にボロボロになったテントや簡易的な衝立や段ボール、雑多なごみが散乱しているそこにはほとんど人の気配を感じない。元々避難所として使われていた跡が見えるが、今では別のところに移ったのだろう。


「学校ねえ」

「何、語っちゃう?」

「俺ほとんど不登校」

「あっ」

「おいやめろ」


 私にはそう言った記憶もほとんどない。年齢で言えば中学生くらい。だから多分学校にも通っていたはずだ。私はどんな人間だったんだろう。


「うちらは一貫校だったからなあ」

「へえ」

「……今、そうは見えないけどって言った?」

「言ってない言ってない。思いはしたけど」

「私も普通の女子高生だったんだけどなあ」

「今じゃこんなに油と煙に塗れて……逞しくなったなあ」

「親か」


 錦と小屋妹が楽しそうなところ悪いけど、ちょっと気になる姿が見えた。校舎内に誰かいる。ここ、スカベンジャーの拠点だ。


「瞳さん」

「うん」

「なに?」

「一応警戒しといて」

「マジかよ」

「あーでも学校って定番かあ」


 瞳さんが足元に置いていた小銃を持ち出しチェックしている。私は脇に置いてあった鞄から双眼鏡を取り出して学校で入口のあたりを調べる。今のところ動きは無いが見張りくらいは置いているだろう。こちらに対して手を出すなら先手を取りたいところだ。

 そのまま道なりに進み、何事も無く校門前を通り過ぎた。瞳さんの小銃が見えたかな。まあいいや。


「ふう」

「こんなところにいるんだねー」

「知らなかったの?」

「うん。街中専門じゃないかな。荒事苦手な人達」

「じゃあ防衛のための警戒か」

「そ。せいぜい近接武器をいくつか揃える程度で大した戦力じゃないから」

「何で学校なんだろうな」

「非戦闘員抱えてるから」

「んん?」

「守るなら固いところ。学校は広くて壊しやすいから守るのに向かない。なら守る理由がある」

「それが非戦闘員って?」

「火力がある相手にはさっさと逃げたほうがいい」

「お前やリーダーみたいな強者の理屈だろ、それ」

「?」

「すっげー不思議そうじゃん」


 それはそうだろう。ゾンビ相手にプレバフ小屋に籠るくらいなら罠でも仕掛けて脱出するだろう。学校に関してもそうだ。都合よく長い階段もあるだろうし、長い廊下もあるし、部屋も多く防災設備などもあるはずだから誘導路をつくりやすい。そういう意味では侵入者を排除するための施設に思えるが、いかんせん広すぎる。そして外からの攻撃自体には弱く、それこそガラス窓が破壊されれば生活環境は一気に悪化する。一般住宅より機密性が低い教室など。

 よくあるのは下層にゾンビや侵入者用の罠やバリケードを置き、手の出しにくい上層で生活をしているパターン。それも囲まれたら終わりなのだが。

 結局この学校という施設は維持をするのにどうしたって人手が必要なのだ。私とマックスなら誘い込んでキルゾーンをつくって物資を回収するといったことも出来るだろうが、別にこんなに広くなくていいし、大きな建物は単純に目立つ。その方が生活するのが大変だと思うのだが。


「そういえばさあ」


 車は山間を抜け防衛圏内北部の団地内へ。流石に街から遠いからかこの辺りには人気が無い。ゴーストタウンで話す内容と言ったら怪談話だろうか。


「千聖ちゃんってリーダーのどこが好きなの?」

「ぶっ」


 どこが好き? うーん。あんまりそう言った感覚はわからないんだけどなあ。とはいえ、マックスが助けてくれたのは事実だし、私がここまでこれたのはほとんどマックスのおかげだし。嫌いって答えがあるの?


「全部?」

「全部、全部かあ」

「こいつはそう言うだろ」

「もう少し、こう、具体的に」

「……強い。頭いい。優しい」

「……優しい?」

「語彙力はともかく、優しいか?」

「優しくなかったら群狼なんて必要無い」

「あー」


 それに尽きると思う。長い付き合いのつるはともかく、二人だけで生きて行けたと思うのだ。マックス一人ならそれこそ難なく。ゾンビだろうと敵対勢力だろうとすべてを切り伏せて。なんならかなり良識のある人間だと思う。


「確かに、ミスっても怒られた記憶ないかも」

「あー確かにね。その辺は何というか真面目だよね」

「興味無いだけでしょ」

「無い、までいく? 薄いとは思うけど」

「興味無かったら解散した時にあそこまでいなくなるやつのこと気に掛けるかね」


 トウキョウで伝手を頼りに構成員を紹介したり、別れの餞別にと物資を用意したり。確かに手間がかかるし、外から見たら思い入れがあるように見えるかもしれない。


「マックスが伝手を残したかっただけ」

「元も子もないなあ、何か納得できるけどさあ」

「あいつら今どうしてるんだろうなあ」


 錦が昔を懐かしんでる。これは噂に聞いたアレかな。


「年を取ると昔を懐かしむことが増えるらしいけど」

「まだ20代の半ばなんですけど? おっさんって呼ばれるにはまだ早いんですけど?」

「刺さってるじゃん」

「お? 俺より年下は一人しかいないはずなんだけど?」

「錦君」


 あーあ。言っちゃった。一番年上の人もこの車には乗ってるのに。


「女性の年齢を指摘してはいけない」 

「……うっす」

「愛美も」

「人にされて嫌なことはしない、ね。わかってるよー」


 小屋妹の態度に瞳さんも溜息をついている。

 でも、そっか。もう10年経ってるんだっけ。私もいつの間にか大人と呼ばれる年齢を迎えて、それでも何かが明確に変わることはなかった。特に私は身体的な成長もほとんどなかったくらいだ。身長は数センチくらいは伸びてるけど。

 スカベンジャーとして、研究所の研究員助手としていろいろと経験してきたけど、私の世界にはいつだって仲間がいた。マックスというガイドがあった。後ろをついて歩くだけだったのだけど、

 願わくばこの夢のような時間の終わりがこの遥か先であるようにと、私の頭の端に確かに存在していた。

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