第49話
正直、こんな生活を続けていていいのかという思いに苛まれたことは一度や二度ではない。言われたことは動物の世話をするくらい。ここに連れてきた動物たちはこれまで大きな体調不良などもなく、健康そのもの。外界の脅威を察しているのか、脱柵しようとすらしない。正確には柵を抜けても暑さをしのぐために軒下にいたり、部屋の中に入れろとでも言いたげにこちらを見てくることは、それはそれでどうなんだと思わないでもない。
動物園で勤務していた時は確かにきちんと管理していたという自負がある。しかしここにいると、動物と共生するという事がどういうことなのか少しだけわかってきたような気もする。ヒナイヂドリはもうすっかり鶏になっている。
思えばこの子の世話をしてから少しずつ考えが変わってきた気がする。元々鶏はオスを中心とした縦社会を形成する。養鶏場なんかは卵を産むメスだけだがそんな中にオスが一羽でもいればその雌のコミュニティから排斥対象となる、なんて話を聞いたことがある。オスが複数いる場所でも実力による順位が形作られ、朝の鳴き声にすら順番があるという。
縄張りの主張に鳴き声を用いる鶏だが、ヒナイヂドリも最初はそうだった。特に執拗に絡んでくる猫にはかなり強く主張していた気がする。まあ猫からすれば狩猟対象なのかもしれないし、当然しばらくは離して様子を見ていたが、ある時石田さんが猫を膝に置いて縁側で過ごしていた時にヒナイヂドリが反応した。軒から見える鶏用の小屋にいたその声に反応し猫がぴょんと飛び出す。それを見た石田さんも緩慢な動きで猫を追い、それを見た私もケンカしないようにと続いて、結果鶏小屋の前で前かがみになる私と石田さんの間、鶏舎の網を隔ててにゃーにゃーこけこけと会話する猫と鶏という可愛らしい光景を目撃することになった。会話が終わって、猫が石田さんに縋り、鶏と会話し、そして今度は私に縋る。何だろうと見てみれば、脇にある入口の前に陣取って今度はそこでにゃーにゃーこけこけと繰り返す。
まさかと思い石田さんに猫を抱えてもらい鶏舎の扉をあければヒナイヂドリは石田さんに抱えられ伸びている猫とにゃーにゃーこけこけと繰り返す。
ちょっと常識を疑うような光景に、今度は私がヒナイヂドリを抱えてみればそのままにゃーにゃーこけこけと会話を続ける一羽と一匹。放してみれば特に喧嘩するでもなく会話を続ける様子に、猫と鶏は和解するのだとひどく驚いた。
そんな様子がこの土地では繰り広げられる。オオコノハズクのこのはも、先生が一度無造作に外へ連れ出したところで空に飛び立ち、しかしそのまますぐに先生の腕に帰ってきた時にはこの子もかと半ば諦めの境地にいたことを思い出す。
レッサーパンダとテンがケンカしないとか、ここでしか起こらない。先に言った軒下に隠れるのはこの二頭だ。つぶらな瞳と可愛らしい見た目に騙されてはならない。この子たちは元々希少性もあって比較的他の動物より管理状態が良かったが、油断して家の中に入れると排泄したり柱を登って削ったりやりたい放題する質だ。流石に家の中で糞尿を晒した時には先生がしっかりと叱ってくれて、それ以降はやらなくなった。
そう、先生だ。なんというか、子供に言い聞かせるようにして言葉で言い聞かせている姿は少し滑稽だが、それをうんうんと聞き分ける動物たちもまたシュールだ。どうやっているのかはわからないが、それでもれなくキチンと言う事を聞くのだから世の不条理を感じざるを得ない。飼育員より動物と心を通わせるなんて、どんな魔法を使ったのかと問い質したい気分だ。
農地についても順調だ。元々農家出身者がいないので、詳しいことはこれを見ながらと渡された家庭菜園に関するハウツー本を片手に畑に向かった私だったが、ここでも先生の技術力の高さを目の当たりにした。初心者向けとして紹介されている二十日大根というなのラディッシュ、かぶなどの根菜に、小松菜、シソ、水菜にリーフレタスといった葉物野菜が2,3週間に一度のペースで収穫できているのだ。本には一月に一度らしいのだが先生の遺伝子改造品種により更に短い時間で収穫までできるようにしているとの事。収穫後の畑の処理や、新たに耕した畑などを使って私は新たに種や苗を植えていく一方で先生は畑を整えることをしてくれている。クワやスコップを使って土を掘り返す姿は農業従事者であるのに白衣で飄々としているからか簡単そうに見えてしまう。土を休ませる、土を再生復活させるのに時間がかかるとは言っていたが1週間程度で元に戻っていた。残っていた堆肥などを用いて整えておきましたので、次をお願いします、なんて気軽にお願いされている。
とはいえ、順調に自給自足がかない始めているのは良いことだ。これまで格安で用立てていた食料も今後は少しずつ減らせるという試算が出ているらしい。とはいえ取引の関係上そう簡単に切っても良いものではないらしいので、しばらくは食料が飽和した状態が続くらしい。信用できる転売先もあるらしいので困りはしないが、食料というのは争いの火種として代表的なものでもある。ほんの少し心配しているが、私にできることは何もないので余計な心配のままであることを願うばかりだ。
ちなみに近々スカベンジ作業に従事するらしく、先生は私や石田さんの意向を尋ねてきたが流石に動物たちを放ってはいけないし、今回は遠慮させてもらった。先生曰く日帰りで行ける範囲に何度か、もしくは何日間か通うという動きであるらしく、気が向けば言ってくれと気を遣って頂いた。そんなにストレスが溜まっているような顔でもしていたかしら。まあ私としてもそう言ってもらえて悪い気はしなかったので、代わりのモノをお願いしておいた。燃料の足しにしかならないような雑誌でも暇をつぶすにはもってこいなものもあるのだ。学術書や技術書だけでは潤いにはなりませんからと先生も同意してくださったので、これからはもう少し充実した自由時間を過ごせるだろう。
少し時間が空くと考えてしまうことがある。片平兄妹のことだ。別に血のつながりがあるわけでもないのに勝手に親近感を抱いてしまっているのは、やっぱり私が変なわけで。とはいえ、田舎から出てきて何も知らない状態で不条理に巻き込まれている知り合いの子供を助けるなんて私の中にあったことが驚きで、でもそれをすることにためらいを覚えなかったのも確かで。別に忘れたいわけでもないけど、親でもないのに変に思い詰めてることに違和感を感じていることも確かで。だからという訳では無いが、私は私なりに新しい一歩を踏み出そうとしているというのもある。
多分、私は私に戻りたいんだと思う。商品を管理するのではなく、一つ一つの命と向き合って行くことだけを考えていたあの頃に。今、そうなりかけているから。
ちなみに先生に聞いた限りではこのご時世で一番値が張るのが安全や便利であることらしい。町の防衛線の内側、市街地や市街地の地下を走る地下鉄跡地でも安全に暮らせる土地である以上人が集まるらしい。設置や撤去が簡単な建築資材はもちろん、生活に必要な資材がいつになっても必要なのはそういった場所に住む人たちがいるおかげなのだという。
私個人としてはなくなる気配の無いお米や、いつの間にか用意されている薪、県北に遠征した際に持ってきたらしい水道整備用の塩ビパイプ等、必要なモノを過不足なく用意するのにどんな方法で手に入れているのか気になっただけで。
私もいつかそう言うことが出来るようになるのかしら。媚びるように足にじゃれつき匂いをつけている動物たちに眉尻を下げつつ、私は農家に一時転職するのだった。
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