第43話



 ひゅんと耳元で風を切る音を聞きながら、私は突然現れた剣を首をひねって回避する。切っ先を届かせる一振りだが既に切り返す準備は出来ていた。

 左手に持った小刀を手首だけで動かし相手の出方を伺う。反応は無し。くっそ、引っ掛からないか。すぐさま間合いから抜け出し逆手に持った右の小太刀を構えなおす。

 正眼に構える相手は不動の様子を見せる。まあ私が正面切って戦う練習に付き合ってもらっているのであちらは基本待ちの姿勢なのだ。

 ぐっと姿勢を下げて吶喊体勢。次は投げてみようか。いや、あんまりきかない気がする。もう少し考えよう。


 大型ディスカウントショップの建物内に併設されている立体駐車場跡地で私とお爺さんが立ち会っている。竹刀による立ち合いだが防具は無し。こっちは当てるつもりで振っているのにこちらは既に二度ほど死んでいる。きっちり寸止めされている辺りは実力差か。やはり正面切って戦うのは苦手だ。

 そもそも何でこんな話になったのかと言えば、あのマッドの差し金だ。先日の出会いの最後に爺さんの剣術の掘り下げをした際に道場などは開いておらず、一子相伝の技だという事を知ったマッドが私に稽古をつけるように気を利かせたのだ。正直余計なお世話だと思ったが何故か相手は悪くない感触で、こちらに一任してきた。

 一度持ち帰りマックスに相談したら、こちらも何故か悪くない反応。許可が下りたことよりも、何故か乗り気でお礼の品を用意するとか言い出したのは驚いた。こんなことは研究所時代に久間先生や元群狼の移籍先にした時以来だったので、きっとマックスはこの人を知っていたのかもしれない。

 となれば、多分これは必要なことなんだと思う。要不要の話に好き嫌いを挟むのはナンセンスだ。私が正面切って相手を殺せるようになるために、爺さんには糧になってもらおう。そんな考えはもう既に無くなってしまったのだが。


 剣士の名は賢瑞。爺さんの名前は本田佐平。古風な名前だなあと思いつつ、自分は猫と名乗る非礼など知ったことでは無い。決して首と胸に致命的な一撃をもらったからではない。完全に手加減してもらったうえで遊ばれているのが分かっている、分からされているのがやたら腹が立つというか。

 最初こそ相手も立ち位置を動かしていたが、今ではほぼ完全に剣で捌かれている。

 何が足りない? 力? 速さ? 上手さ? その全部?


「目は口程に物を言う。狙いをつけるのはいいが、その狙いを見透かされては簡単に防がれる」


 視線を読むというのは理解できる。女性は相手の視線が自分のどこに刺さっているか分かるパッシブな能力が備わっているらしいし。私のそのパッシブのレベルが低いのってマックスのせいだと思う。マックスの視線はざっくりとこっちを見てるっていうくらいしかわからないし。視線が合ってる気があんまりしないんだよなあ。


「動きの起こりが分かれば結果となる動きの予想は容易い」


 予備動作ってことか。さあいくぞとぐっと力を入れればこれから来るんだな、というのが簡単にわかる。緊張と弛緩、テンションとリラックス、動と静。言い方は何でもいいが緩急をつけて相手を乱すのは基本ってことかな。


「奇策は常道を踏襲していればこそ。常に奇策ではそれが常道となろう」


 感覚で分類してあるタイプ別では私スピードアンドトリッキータイプだと思ってたんだけど。あ、いや、そうか。正面から立ち会うときの手札が少ないからもっと単純になってるぞってことか。ゾンビ相手に速さと力で押し切り、人間相手に奇襲ばっかりしてたツケがめぐってきたってことかな。


「総じて手札が足りん。あくまで正面切って戦うというのであれば、な」

「そう」


 人間は図星をつかれると不快に思うことが多い。特に面識の薄い相手だと尚のこと。つい左手の小刀を簡単な振り上げと共に投げつけてしまった。

 目を見張ったので一瞬当たったかと思ったら、剣の柄で弾き飛ばした。反応の速さもそうだが、なんというか対処法が確立されているような気がする。決まった動きを体が反応して落とした、というか。


「今のは悪くない」

「……そう」


 別に目の前の相手の技を知りたいという訳ではないのだが、こういう技術が飛びぬけている相手だと正直どうすればいいかわかんなくて結果速さでごり押ししたくなるんだけど、飛び込んだ瞬間に抜き打ちが届くから結局急停止させられて一瞬の打ち合いの後、仕切り直しや持久戦になるんだよなあ。

 結局一度もまともに一本取れないままに、訓練終了の連絡が通信機に届くのだった。




「で、どうするって?」


 軍属とマッドがいなくなってから呼び戻された。小屋姉妹と片平兄妹が向かい合っていたので小屋姉妹の方へ座っている。


「保留だって」

「保留? そんな余裕あんの? 新人ニュービー手玉に取るのにそう時間はかからないでしょ」

「そうね。まあ、そのうち出ていくでしょ」

「……出て行けるの?」

「さあ?」


 そう言いながら小屋妹は顎をしゃくる。その先にいるのは片平兄妹。


「康史郎と霧瀬は将来的に地元のナゴヤに行きたいみたいで。ここで使い潰されるわけにはいかないでしょうから」

「だそうよ?」


 ふーん。まあそこまでわかっているのであれば私から言うべきことは何もない。まあここでしばらく頑張って偉くなってからでもいいんじゃないかと考えて、それが難しいと結論を出すまでに時間はかからなかった。

 ゾンビ研究所に所属していた時代で軍人という人間たちがどういう連中かは見てきたつもりだ。私からすれば生きていくのに必要のない連中だと思う。数があるのは利点だし、組織的な動きが出来るというのも有益な特徴だ。国の組織だから補給などの運営に関しては一番確実だとも思う。しかし上がダメだ。

 軍の戦闘員の中には装備に頼らずに戦闘技術が優れている者もいたし、顔見知りの元スカベンジャーもいた。個人で見れば軍属かそうでないかは些細な問題だと思う。しかし軍の上層部は政治家や闇商人なんかの非合法な手段に手を染めている人間と関わりのある者も多く、まわりまわって群狼に恨みを募らせている奴らの多いこと。リーダーはいちいち相手にしないし、基本的には無視して踏み倒している。その方が効果的だからと。

 リーダーの考えには賛成できるし、私も異存はないのだがそれはそれとして鬱陶しいのは間違いない。あの新人がどんな判断をするにせよ、こっちに問題を丸投げしてきたことには少しだけイラっとしている。


「あっそ」

「冷たいねえ」

「別にアイツらだけの話じゃないでしょ」


 正直どうでもいい。どうでもいいが、センダイここ以外の情報を集める手段として中央に戻る可能性のある人間と、それと一緒に動くように仕向けるという目的のために、私は片平兄妹から避けられる立ち位置にあるべきだと思ってもいる。


「資料は?」

「彩ちゃん」

「一応私が持ってます」

「焼けば?」

「それは……」


 ちらりと小屋妹を見ればどこか面白そうに私を見ていた。恐らく小屋姉妹でもそういう結論は出していたはずだ。

 。これは既にそういう話になっているのだ。


「まあ彼ら次第だけど、飼い殺しにされたりはしないでしょ」

「軍はともかく動物園でやらかしてるから死にそうな目には合わされるはず」


 小屋妹はあの新人知ってるんだっけ。まあ軍曹がいるんだから何とかするとは思うんだけどそれがいつになるか、かな。


「もしかして、康史郎って相当ヤバいんですか?」

「さあ? 立場的には彼ほど目障りな人間はいないんじゃないかしら」

「このパンデミックが落ち着いたタイミングで新人が生きていれば中央が出張ってくる可能性を考えると面倒な存在」

「とはいえ広告塔としては効果的で戦力としても申し分ないから上手く利用したいでしょうし」

「軍と行政で考えが対立しそうだけど、そこを中央の代表がどう判断するかによる」

「……ってことはつまり?」

「中央からの帰還命令を出してトウキョウに帰還する、あたりが現実的かなあ」

「行政側は中央からの譲歩を引き出せるかもしれないけど、軍はただで返すわけにはいかない。少なくとも成果は置いて行ってもらわないとメンツが立たない」

「サムライ君を置いておきたいのは軍。現状での文民統制は不適格。一時的にでも軍事政権に移行し現状の打破を狙う、って考えの人は割といるわよ? 損耗率っていうか、軍人の死亡率なんかを考えるとそう言いたくなるのも分かるんだけどね」

「おおぅ、難しい話してる」

「政治家の考えと軍人の考え、どっちをメインでやる? ゾンビを全滅させるなら軍人が主導した方が良くない? っていうのがあるって話」

「なるほど」


 たかが新人一人と侮るなかれ。報道機関が弱体化している昨今においてはあの手この手で情報の流布が行われる。その中でも信用度であれば行政の発行する紙切れより実体験の伴った一般市民の話の方が影響力がある。ゾンビという脅威に対して多くの人間が共通した感覚を持っているが故に、身近な立場、環境にあった者のほうがリアリティを伴ったものになるのは当然のことだ。


「実際どっちがいいんすか?」

「どうだろうね。結局最後は誰が得をするかの違いだろうし」

「一番まずいのは研究所」

「研究所ですか?」

「ゾンビ薬もそうだけど、軍事転用されると情勢が一変する。そもそもアメリカは

「……はい?」

「元々ただの感染症からゾンビパンデミックっていう見方になったのは、アメリカのジャーナリストがゾンビの軍事転用実験を切り抜いたからなんだよね。もうだいぶ前の話だから二人は知らないかもだけど」

「そうだったんですか!?」


 実は私も知らなかったことだが、研究所の資料の一つとしてその新聞が残っていた。何よりマックスが面白そうに読んでいたのが印象的だった。理解や納得、そう言った印象を受ける笑みだった。


「その内アメリカが軍を派遣してゾンビ殲滅に動くかもね」

「この国のですか?」

「そう。東の拠点となりえるからね」

「パンデミック後も見据えてってことですか」

「それもある。ていうかもう既に来ててもおかしくないのよ、時間的には」


 日本はパンデミックから約10年経っている。対してアメリカは15年前にはゾンビの存在を確認していたという話だ。アメリカ本土にもゾンビはまだいるらしいが、日本ほど追い込まれていない。というか、そもそもゾンビに対して未だに抵抗できている国というのが少ない。国土や人口を考えばこの国が抵抗できているのが例外らしい。マックスが言ってた。

 一番酷いのは南米とヨーロッパ。アフリカは動物への感染が見られてから一気に壊滅的な被害を受けたらしい。対してアジア諸国はばらつきがある。西は既に無くなった国も多い。中央は情報が少ないがあまり多くないとか国ごと壊滅したとか不透明。東南アジアは被害甚大だが持ちこたえている。収束を宣言した国もあった気がするが、本当かどうかはわからない。

 この情報も最近更新していないから暇を見つけて錦に聞いておいた方が、いややっぱいいや。マックスに聞こう。必要なら更新してるでしょ。


「え、じゃあ、トウキョウに行かないって言ったのはそれが理由ですか?」

「一つではあるわね。後ろ盾がないってこういう時、何されるかもわかんないじゃない?」

「そもそもあの結晶の解析が一番進んでるのはトウキョウの研究所であるのは間違いない。飼い殺しにされたくないのならさっさと資料持ってトウキョウに戻ればいい」

「なるほど……」

「そうしてくれれば私達はしばらくセンダイでのんびりできるからねえ」

「自衛できるなら関わらないほうがいい。予防薬って言いながら強化薬打たれる、なんて未来もあり得る」

「……先生は、いいんですか」

「ん? リーダーの研究のこと?」

「はい」

「あの研究も、元は中央の久間先生の研究内容」

「久間楠ツツジ教授。ゾンビ研究の第一人者ね」

「その人に持って行け、と。え、愛美さんが知ってる人なんですか?」

「有名だもの。センダイに中央の隊員が来るって話が出た時、久間楠教授の研究資料も持ち込まれたって」

「研究所間で情報共有してるんだけど、公に出来ないことも多い。調とか」

「研究所の多くが行政に従ってるのはそのあたりを上手く処理するようにしてもらいたいっていうのもあるかもね」


 いちゃもん付けられるけど研究成果を渡せば不問にしてやる、現状はそんな関係だろう。

 というか思わず久間先生なんて知ってるみたいに言っちゃったけど、この二人、私とつる、マックスがトウキョウで活動してたって知らないんだっけ。元研究者であることは明かしてるけど、センダイの研究施設にいたと思っているはずだ。


「じゃあ康史郎たちは結局トウキョウに行くことになるんですか」

「多分ね。物資足りて無ければ融通するくらいはしてもいいんだけど」


 小屋妹の言葉に何かを考えこむ片平兄。ようやくうちに慣れてきたけど、父親の後を追うならこのタイミングだと気付いたかな。少人数で男女比も差が出ない男女のペア。出て行くときは犬を対価にしていたことを思い出して、マックスに土下座していくかな? となれば無断で出ていくってことはないか。足はあるだろうし、あの軍曹なら多分新人を送り出すだろう。恩を売ってセンダイ以外の情報を集めようとするマックスの策がヒットしそうな予感を胸に、私は冷たくなったお茶を啜った。


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