第42話



 シカマの地下研究施設にあったのはアメリカ本土にあったゾンビ研究資料の一部と、ゾンビ化現象のメカニズムの一部を応用した強化人間を生み出す研究の資料で、恐らく一番必要とされているのは地下施設で行われていた実験結果の報告書や実験結果をまとめたものだろう。データベースは一部が物理的に破壊されており、吸い出したデータも半分以上が破損したデータとなっていたらしい。

 疲労困憊で戻って来た僕たちはその日のうちに軍曹に報告を上げ、広瀬少佐へも同様の報告と資料の提出をした翌日、待機命令を受けた隊員たちと共に大学病院で検診を受けることとなった。


 何度か顔を出している病院だが数名の顔見知りがいる程度だった。何度か話をしているのは八木さんの件で話をしていたゾンビ化動物を研究していた研究員だろうか。


「これは……」


 検診の後に僕が出したあるものに、研究員は瞠目した。


「大型ゾンビの頭部にあったものです」

「トウキョウの研究所からの資料には変異結晶と記されているものだが……これは……」


 研究員の話を聞くと、それはゾンビ化患者に見られる特徴の一つで、感染後脳内に生成される構成成分不明の何か、らしい。


「どうやらこの結晶がゾンビ患者を動かしているらしい。俄かには信じがたいが、どうやら自己増殖し生き物に寄生するあたり、菌類のような性質もあるらようだね」

「この結晶を破壊すれば患者は助かるという事ですか?」

「いや、トウキョウの研究結果ではそういう事ではないらしい」


 曰く、感染後数時間で生成が開始され、早ければ2日、遅くても1週間かからず発症するらしい。感染した患者のサンプルケースが少ないので、ゾンビ化した者が人に戻ったケースはない、という事しかわからないようだ。


「つまり、感染後かつ発症前に結晶を破壊すれば……」

「可能性はあると言われているが、開頭手術というのは簡単ではないし、特殊な音波や放射線による破壊は効果が薄かったと書かれているね」


 それはつまり、感染したら長くは生きられない。文字通りの死の病である、と。


「一応その結晶の自己肥大効果を可能な限り遅くする、遅延薬の製造方法はわかっているんだが、現状では十分な数を行き渡らせるのは難しい。そもそもトウキョウの研究所ほど設備や人員が十分な数確保できているわけではないのでね。正直、君の持っている結晶の研究もしたいが、うちでは腐らせる結果にしかならないと思う。トウキョウの研究員がいればもう少し話は違ったんだろうが……」


 研究員として赴任するはずだった河鹿先生を思い出した。思い出した、なんて言ってはいるが実際は頭の隅にいつもあった。ここに来るまでに僕たちが犠牲にした人員の一人。

 軍や武力組織に所属した経歴も無いはずなのに、僅か数年でトウキョウの東部から中央部にかけて生存圏を確保した凄腕。その後ゾンビ研究所でゾンビ研究に尽力しつつ、パンデミックの起こった都市内で軍と協力し都市の安全確保に協力してきたらしい。

 彼の話は先輩隊員や、あの軍曹からも聞いたことがある。兎角、強かったと。軍属ではないからこそ、あれほどまでに派手に、自由に、理不尽に暴れまわっていたとも言っていた。倫理的に正しくなくとも、悪徳にしか御せない悪もある。そう言っていたのは誰だったか。

 少なくとも僕の知る河鹿先生は迷わない人だったように思う。仲間を信じきること。自分を信じきること。それが迷いの無い行動に繋がるのだと。


「この結晶って分けられませんか?」

「……割る、ということかい? おススメはしない。というか、何故そんなことを?」

「一部提供、というつもりだったんですが」

「ふむ。残りはどうするんだい?」

「分かるところに届けるのがいいんじゃないかな、と」


 もしかしたら、やってくれるかもしれない。僕と霧瀬が秘密裏に、勝手に託した実験に関する紙媒体の資料の一部が、の元にある。もしかしたら、それに対する抗議を受けるかもしれない。だが、運び屋である彼らならばあるいは。

 ふと、あのコンクリートに囲まれた忙しない街を思い出す。殺伐としつつどこか忙しい日々を過ごしていた日々が懐かしく思う。


 ゾンビの性質を利用した強化人間の製造計画。非人道的だと思っていた。こんなになってまでするべきことなのかと。しかしこうも思う。あれほどの強さがあったのなら、ゾンビをこの国から、何より両親が死に場所とした故郷の町も取り戻せるのではないのだろうか。


 診察室を出て一緒に来ていた霧瀬と合流する。彼女は彼女でセンダイの研究者とコンタクトをとっていた。他愛の無い世間話らしいが、センダイのゾンビ研究施設の今の進捗状況や運営に関する話をしてきたようだ。

 

「感染した家畜のネックは感染による可食部の劣化みたい。無害化するにしても単純に質が落ちすぎてるっていう問題もあるみたいね」

「まあ、死体が動いてるとなればなんとなくイメージは出来るけど。ステレオタイプがすぎるかな」

「話していた研究員もそう言ってたし、それが普通なんでしょうね。ただ食肉生産の分野に関しては養鶏がいいみたいね。話だけなら養豚も順調らしいけど」

「それ本当? 全然見ない気がするけど」

「裏で高額取引されてるみたい。食肉加工業者を取り込んだ畜産家がいて、輸送担当のスカベンジャーがいることも匂わせていたわ」

「どちらにしても顔を出すつもりでいたけど、そっちもあたってみようか」

「そうね、いろいろと聞きたいこともあるしね」




「で、何が聞きたいの?」


 何でも屋にいた小屋姉妹と彩ちゃんと一緒に個室を借りている。判君もいたが別件があるとの事でここにはいない。


「聞きたいことがあるのはそちらでは?」

「そう? こっちは特にはないわね。この前の件も契約内容は完遂されているし。それとも何か別の件かしら?」


 マウントの取り合いなのだが、まあ切り出し方から考えてもこちらからの依頼を受けるからさっさと言え感が強い。


「実は届け物をしてほしくて」

「何を何処に何時までに?」

「大したものではありません。これをトウキョウまで」

「無理ね」

「……どうしてもですか?」

「どうしても、よ。私達からすればメリットがない。仮に対価が必要だとしたらそれこそ片道走り切れる車を要求するわよ」


 流石に300㎞を超える輸送を受ける人間はいないか。それがいかに運び屋ポーターといえど流石に無理か。


「ちなみに気になっているのは何ですか?」

「距離、時間、危険度、費用、人員」


 愛美さん曰く、全て、らしい。単純に遠出することに対して情勢がはっきりしていない土地を渡り歩くこと自体は出来ても、物資の補給や回避すべき土地や道路、それらを調べつつ手間暇を考えればここで他の仕事を受けたほうが稼げる。仮にその調査をしようとしまいと実際その場所で起こる潜在的な危険地帯というものはある。通行料を払う事で時間短縮し危険を回避したとて、今度は苦労に見合うリターンが得られない。採算性が無ければやる必要性を感じない。仮に自分たちがこの仕事を受けたとして、5人で往復する価値がほとんどない。


「こんなかんじね」

「なるほど……」

「ちなみにその中身は?」

「これです」


 リュックに入ったケースの中身を空ける。覗き込んだ愛美さんと彩さんは緩く感嘆する。まあなんか綺麗な石くらいの反応だろうか。


「え、これどうするの? トウキョウの好事家にでも売るの?」

「いえ、これは」

「あら、変異結晶じゃない。この大きさだと特異結晶かしら?」


 部屋に入って来た女性に、女性の言葉に思わず視線を向けてしまう。

 和装に白衣はくいを羽織った女性だ。入ってくることに気が付かなかったが、いったい誰だろうか。

 気を抜きすぎていた僕らの間隙を埋めるようにその女性は自然な形で僕の隣に腰掛けた。奥には判君がいて彼の視線は小屋姉妹の方へ向いている。


「ここで見るのは久しぶりね。……あら、傷があるわね。これはあなたが?」

「えっと、この方は?」

「先生、自己紹介してください」

「あら? ああ、そう言えば忘れていたわね。私、神社庁所属の内科医、宮内よ」

「……神社庁の先生がゾンビ研究をなさっておいでで?」

「もちろん。というより各種研究機関との連携は欠かさないようにしているわ」

「そうでしたか。先ほど特異結晶、とおっしゃいましたが」

「そうよ? ゾンビの脳幹部に発生する結晶体、通称変異結晶が年月を経ることで肥大変化、ゾンビの肉体を大幅に作り変える原因とされている結晶体。逆説的に他とは違う特殊なゾンビはこの特異結晶を持つと言われているわ。特殊ゾンビ自体を特異体、もしくは特異ゾンビといって」

「はいストップ。とりあえずここに来た理由からどうぞ、先生」


 怒涛の解説に一瞬フリーズしてしまった。というか、ゾンビの研究機関でもこういった話は聞いていない。この人、詳しすぎないか? 研究機関との連携は欠かさないと言っていたし、となると僕の中ではトウキョウのゾンビ研究機関くらいしか思い当たる場所無いのだが。


「あら? そう? まあつるの健診に来たついでに寄っただけよ、他意はないわ」

「何でそんな分かりやすい嘘つくんです?」

「え、嘘なんですか?」

「つるの健診は嘘じゃないわよ? まあ本当の目的はあなたなのだけど」


 背筋を悪寒が走る。すっと細められた眼鏡の奥の瞳が僕を貫く。この見通すような視線はどこかで感じた記憶がある。それを想起する前に目の前の女性は畳みかけてきた。


「行政や軍に確保される前に一度コンタクトを取りたくて」

「はい?」

「あら? そうじゃなかったかしら?」

「情報の出どころが同じなら、多分そうですね」


 確保される、は少しおかしな言い回しだ。元々軍属である自分は立ち位置としては行政の側だ。即ち立ち位置が変わるようなことはない。今の言い方では他から手出しされないように置かれるような印象を受ける。


「え、康史郎捕まるんですか?」

「広告塔、治安維持、対特異体戦闘員、いくらでも使い道はあるように見えるけど? 所属は違うのでしょうけど」


 それはセンダイに置かれるという事だろうか。そういう事であれば、任務であれば従うのに吝かではない。いや、何か偉そうになってしまったけど、別にここで働くという事が嫌だという訳ではない。


「中央の隊員は小隊程度よね? ?」


 すっと心が落ち着くのを自覚する。それはつまり僕という人員をセンダイのために使い潰す、ということだろうか。

 考え方が飛躍しているとも思う。しかし、ここでの最初期と先輩隊員の発言を思い出す。

 マツシマには応援として行動可能な小隊、つまり僕らが出動した。なるほど、確かに先輩の発言通りに方面一つ丸ごと任されたわけだ。我ながらちょっと大変なことをしていたのだなと思う。それこそ、もう何人のゾンビを斬ったのか思い出せないくらいには切り捨てた。


「そりゃ使い潰すでしょ。残られても面倒だもの。影響力を持った人物を残してゆくほどセンダイの人間も間抜けではないわ。センダイに於いてこのパンデミックの収束に最も尽力したのが中央の人間である、なんて軍のメンツを潰してしまうじゃない? なら逃げられないように取り込むか、使い潰すかでしょ?」


 それは可能な限りの最悪を想定したケースでは。恐らく僕の表情を見たのだろう。目の前の医師を名乗る女性は艶やかな唇を震わせる。


「演習場に行ったらしいじゃない? 米軍との資料は確保した? ならその情報ごと消して、マツシマの英雄、散る! なんて見出しにした方が区切りがついてがいいんじゃないかと思ってね。恐らくゾンビをたくさん倒して変異結晶を手に入れたでしょうから、それを買取がてらこうして」

「ちょ、ちょっと待ってください! どこまでご存じなんですか?!」


 霧瀬が泡を食って詰め寄る。僕ごと押し倒しそうだが流石にそこまでひ弱ではないし、霧瀬の言葉は僕としても同意するものだ。


「シカマの演習場はパンデミック当時米軍が使用していたわ。その後周辺の自治体や寺社からの連絡がとれなくなったことからゾンビが溢れたことはわかっている。後はスカベンジャーの情報網にかかったものを精査してゆけば、彼女たちが演習場方面に軍関係者と向かったことはすぐにわかるもの。もっと言えばこの国より先にゾンビ被害のあったアメリカにおいて、わざわざ戦闘要員である軍の一部を寄越してまで訓練させるってあからさま過ぎるじゃない? そんな中でつるちゃんの健診を頼まれれば何かがあったことくらいは察するわ。兵装実験は自国で出来る。他国でなければリスク回避が出来ない。そう考えれば人工ゾンビやそれらを利用した生物兵器の研究かなあと予想していたんだけど」


 この人はどこまで知っているのだろうか。神社庁と言っていたが、確かにこの町の寺社の一部では炊き出しや困窮者支援などを行っているところもある。神社庁自体はこの国のいっそ文化や習慣と言っていいほどにまで慣れ親しんだ神道系をベースに、今は寺社と言っていたことから仏教系列も協力体制にあることが予想できる。神仏習合の進んだこの国にあっても組織としては別体系だった両者が手を組んだのは共に人の生き死に自然なまでに溶け込んでいるからなのだろうか。


「まあ何が言いたいかといえば、その特異結晶、中央に持って行かないなら私にくれない? 欠片でもいいのだけど」


 研究のために、という事なのだろう。更に言えばこの先生からすると僕らは今後会う機会の無くなる人間であるという事もある。


「……ちなみにですが対価は?」

「んー私の裁量になるけど……」


 選択肢というのはいつ、どこで、どんなふうに広がるのかわからない。ここで会ったのは良いことなのか悪いことなのか。それが分かるのはきっと、僕が死ぬ時なのかもしれない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る