第41話



 懐かしい夢を見た。地獄の始まり。この世の終わりを実感し始めた、あの頃。

 パンデミックが本格化し、都心から離れた学校にまでゾンビがやって来たあの時。周囲から押し寄せるゾンビに何とか抵抗しようと学校に立てこもり、最後は自分だけ逃げだしたあの時の記憶。

 生徒数名と学校を脱出した後は別の大きな避難場所を目指そうという意見を真っ向から否定し、隙間を縫うように確実な防衛圏であるトウキョウを目指すといった牧田リーダー。その道行の途中にあった出来事のうちの一つ。

 山間を走る国道から延びる脇道の先にぽつんとあった一軒家。躊躇うことなく入りこんだ牧田に続いて入れば、そこには荒らされた様子もなく比較的綺麗な状態の室内に、食いつくされた保存食の類があった。


―――『何かが隠れてるかもしれん。上は俺が見る』


 そう言って2階を探索していた牧田が戻るまで、他のメンツは発見した賞味期限切れの缶詰を前に真剣な顔で話し合っていた。結局食べたが、物凄く微妙な味だったのを覚えている。

 戻ってきた牧田が、上には何もない、俺は納屋を見てくると言って出て行った後、誰かがこう言い出した。


―――『上に何があったと思う?』


 もう名前は思い出せないが、男子生徒だったはずだ。何もなかったんじゃない? そんな言葉を遮ってこう言った。


―――『何かがあっても、それを正直に言う必要があいつにあるか?』


 ない。みんなそう思ったはずだ。私もそう思った。だからきっとありもしない話をすることになったのだと思う。


―――『物資を独り占めしてるんじゃないか』


 それはない。そう思っても、彼一人が。こんな状況で進路の選定、倫理観無視の家宅捜索、場合によっては人だったものを何の躊躇いもなく処理しても、彼の表情に大きな変化は見られなかった。圧倒的に余裕があった。否定する要素が無かった。

 よくよく考えれば彼が食事している姿を見たことが無かったりと、裏付けとなるものもあった。常識で考えれば断食している状態であんなに元気でいられるはずがないのだと、自らを正当化して。

 二階にあったのは鼻が壊れたのかと思うような悪臭と、カーテンレールから吊られた電源コードと布団のふくらみに突き立つ木製の柄。殺人現場か自殺の現場か分からないこの様子を見て、一斉にパニックになる私たちと玄関で待ち構えていた牧田の温度差はひどいものだった。


―――『何もないって言ったろ』


 こちらを咎めるような視線。善意のものかどうかはわからない。後になってリーダーの性格を考えれば、死体ごときで騒いでんじゃねえよ、とでも言いたげだったかもしれない。ただ、本当につまらなそうに言っていたのが印象的だった。

 言い争いは生まれそうだったが、それすらまともに相手にしようとしなかった。時間と体力の無駄だと取り合いもしなかった。そこから徐々に溝が出来ていったと思う。牧田を信じるか、それとも信じないか。

 牧田は特に多くを語らなかった。その行動で示し続けた。そしてそれを信じきれなかった者から、一人ずつ減っていった。それも仕方ないだろう。ゾンビはともかく、人間に刃を向けたのでは話が違うのだから。


 繋がるように、もしくは切り替わるように場面が移動する。映画の場面転換のように浮かび上がったのは生存者のグループと合流した時のことだ。

 学生だけの私達を見て途中まで同道しようという数名の大人と合流したのだ。合流と言っても、牧田は聞こえるように舌打ちをしてにべもなく断ったのだが、あちらがついて来たのだ。

 場所はどのあたりだったか。県境を一つ越えたあたりだった気がする。私はこの頃には比較的牧田を信用していたし、どちらかと言えば牧田とそのほかのメンバーの潤滑剤の役割をかって出ていた気がする。

 ともあれ、友好的な大人の生存者グループは柔和な態度でなにくれとなく世話を焼こうとしていた。男性3名に女性1人で全員が20代から30代くらいにみえる相手に対して集団内で徐々に意見が分かれるようになった。

 夕暮れになり一時拠点として選んだ郊外のオフィスで、大人4人を締めだした牧田はこう言った。


―――『あいつらは何者だと思う? 何の得にもならないガキの世話をして何を得ようとしている?』


 この頃まではまだ良心や善意というものがどれだけ尊いものかある意味信用しているメンバーが多かった時だ。なんなら牧田に対する信用などもある中で、牧田の行動は自分勝手に映り、初めて会った大人の言葉は素晴らしいものに見えるし、聞こえる。


―――『交代で休んでおけ。今夜は忙しくなるぞ。少なくともあの手のやつらは所属が分かるまでは注意することだ』


 そう言ってオフィスの窓際に陣取り、カーテンの隙間から外を監視する仕事に勤しむ牧田はそれ以上何かを口にすることはなかった。

 めいめいに休憩をとる中、私は牧田の隣で話を聞いた。


―――『あの人たち、信用できないの?』

―――『信用できる理由はなんだ』


 逆に聞かれて、答えに詰まった。相手が大人だから、女性もいたから、施しではなく仕事と物資の等価交換だから。頭に浮かぶのはそれくらい。それを聞いた牧田は片側の口角を吊り上げる。


―――『いろいろ指摘してもいいが、結局はこれに尽きる』

―――『だからなんだ。そもそも4人で動きながらあいつらは自分たちの目的を話していないだろう。俺たちみたいな生存者に声をかけるならポイントを絞った方が効率がいい。そもそも4人だけで行動してるいい大人が車も無いのにそのへんを探索? 都会じゃねえんだ、トレインするくらいの余裕はある。どう考えてもある程度の集団の下っ端か、それをやらなければならない理由があるのか。まだ外にいるのは何でなんだろうな? ああ、うん。やっぱ連絡してるな。居場所がバレたぞ』

―――『来るぞ、人が。選べ、お前ら。未来を選ぶ側に回るか、選ばされる側に甘んじるか』


 他のドアや窓から様子を伺い、やがて牧田は全員に聞こえるようにこう言った。


―――『今から丁度5分後に裏口から出て真っ直ぐ、突き当りにある家に移動しろ。さっきのやつらと一緒にいたいなら止めない』


 そう言ってさっさと出て行った牧田。残っていた者たちで喧々諤々の話し合いという言葉のキャットファイトが行われる中、私が荷物をまとめて腕時計で時間を計っているのを見た一人が半ば自棄になったような口調で私に食って掛かった。私の答えはシンプルなものだった。


―――『知らない大人についてゆくなって教えられなかった?』


 牧田の言動はともかく、この言葉に尽きるなと思った。牧田は聞かれたことはある程度答える。単純に聞かれなかったから言わなかったというだけで。そしてそういう空気をあえてつくっているのではないかと思ったのもこの時だ。明確に選べ、なんて迫ったのは数えるくらい。その初めの1回がこの時。私は選んだ。

 そうして、徐々に夢なんだと気付く。当時の私はこんなにも牧田を信用していなかったはずだから。几帳面に腕時計を確認して、時間が来た。私は裏口のドアに手をかける。

 この先のことも覚えている。この後に牧田が何をしたのかも知っている。見張りを潰して、集まって来た連中を強請って相手のアジトから物資を回収してきたのだ。そうなるという確信と共にドアを開け、その明るさに目を閉じ、ゆっくりと自分が浮き上がる。意識が浮き上がって、そうして自分が何者なのかを思い出し、何をしていたのか思い出して。




「お、起きたか」

「ま……リーダー」

「はい、おはよう」


 一瞬目が細まったのは私に対する牽制だろうか。寝起きなので許してほしいなあ。そういえば、私は演習場にいたはず。ゾンビを引きつけて、建物に立てこもって、顔とか鼻よりも足を痛めたことで機動力が削がれて部屋に閉じこもったまでは覚えている。

 見上げる天井は丸い蛍光灯。明るいからいまいちピンと来ないけど、今はどうなっているんだろう。


「今日のお仕事は完了。全員無事。大型もきっちり仕留めて万々歳ですね」


 ニコッっという表現がピタリとはまりそうなリーダーの笑顔に吹き出しそうになる。そんなこと欠片も思ってないくせに。多分、リーダーの予想の最低値下回ったんじゃないかなあ。バックアップ自体はトミハラまでのはず。そういうことが出来るとは言ってもあくまでバックアップに留めておきたかったんだと思う。サムライ君がいたにしても、私は完全にミスってるからなあ。

 まあミスしたこと自体は多分何の問題にもならないんだけど、多分私は誰かに助けてもらってるはず。少なくとも扉の前に溜まっていたゾンビを処理した誰かがいるはずなんだけど。


「あ、中谷里さん起きたんですね」

「ええ、今しがた。私は一旦席を外すので」

「ええ、分かりました」


 ああ、行っちゃった。八木さんはバケツを持ってきていた。多分桶のようなものの代わりだと思うんだけど、水入れすぎてません? 水音が大きい気がするんですけど。

 八木さんに体を拭いてもらいながら現状を改めて確認する。八木さんがいるのだからここはニッカワの拠点だ。まあ部屋も見たことあるし、ついでに窓から外を見れば何となく日は沈んでいるんだなという事も分かる。小屋姉妹は全員がリーダーの検診を受けて全員問題なしでアジトへ戻って行ったらしい。まなちゃんの様子が変だったらしいけど、それは流石にわからない。私のことで心配かけたのだとしたら申し訳ないなあ。

 他には今回回収した品などがあるらしいが、特にめぼしいものはなかったとの事。男物の上着やナイフなどの携帯できる小型の武器類、生活雑貨等がメインらしい。

 流石に接近戦は鍛え直さないとダメかなあ。近接格闘術なんて昔少し習ったくらいで肌に合わなくてすぐにやめたけど。リーダーか錦に相談かなあ。

 着替えを終えると八木さんとリーダーが再び入れ替わる。


「噛み跡なんかは特になし。他に自覚症状は?」

「ないかな。ねえリーダー」

「なんだ?」


 ふふ。今は研究者モードが抜けきってないからか、いつも通りなのに少しだけ声色が優しい。珍しい状態につい笑みを浮かべたまま口を開いてしまう。


「強化薬、頂戴?」


 返答は無言。さらさらとメモを書き、それが終わるとこちらに向き直る。いつものリーダーの表情。


「是非は問わん。欲しいならやる。だが理由は聞いておく」

「もうちょっと頑張りたいなあって」


 昔を思い出したというのもある。リーダーの指示で放つ砲台役。それでいいと思っていたけど、それじゃあダメな時が来た。こっちに来てからは少しずつ自己判断でやって来たけど、私も千聖ちゃんほどじゃなくても覚悟を決める時が来たのかもしれない、と。


「そうか」

「うん」


 私は私の意志で、一歩前に出ることにした。千聖ちゃんはリーダーにべったり。マーキングするペットのような距離感。でもそれは千聖ちゃんが自分で選んだことだから。私はずっとリーダーの裾を掴みながら、リーダーの影を追うようにしてここまで来た。それが確実で、それで十分だったから。


「……少し待て。時期が悪い」

「いつくらいになりそう?」

「別に時間がかかるもんでもないが、余裕を持ちたい。2,3週間後を予定としておこう」

「りょうかい」


 きっと、これは踏みだしちゃいけない一歩。それでも、多分、きっと間違いじゃない。立場や役割は変わるかもしれないけど。

 一区切りついた気がして安心したのか、私のお腹が空腹の声を鳴らした。何の意図もなくリーダーと目を合わせてしまう。

 その困ったような苦笑いの表情がトウキョウの研究所時代を思い出させて、少しだけあの都会が懐かしく思えた。


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