第40話



「ただいま戻りました」

「あ、先生。おかえりなさい」


 ニッカワに戻って来た俺を出迎えたのはエプロン姿の八木だ。随分と板についた様子で帰宅を迎えられたが、一応今は状況的にそんなに余裕がない。


「どうやら中谷里が負傷したようで、戻り次第治療に移ります」

「中谷里さんが? 容体とかは」

「処置済みらしく命に別状があるようには見られない、とのことです」

「そうですか……」


あからさまにほっとした様子を見せる八木に随分仲良くなったものだと思う。中谷里も優しいやつかと言えば別にそうでもない。あくまで比較的常識的に見えるというだけでアイツも実際は荒野の如きドライさを持っている。千聖使って二択迫ったんだからそれなりに渇いた関係かと思ったけど、まあどちらも大人だったという事かな。


「何か用意するものとかは」

「特には。あ、いえ、綺麗な乾いた布、タオルを数枚ほど用意していただければ」


 実際は使わないが。一応採血くらいはするが予防薬のおかげで感染はしていないだろうし、なんなら。というか、バックアップしたのは事実だ。

 ボス出現時に中谷里がアクシデントで落下したから何してんだと思いつつ、ボスの砲撃くらいはと思い、即座に砲台を破壊しその場を離れた。後は様子を見ながら近づいて来た小屋姉とボスの戦闘時に麻痺やサイコキネシスの暴発を利用し援護していたのだが、思った以上に小屋姉の戦闘力が上がっていて驚いた。

 表皮の変質が小屋姉の感染後の変異の特徴かと思っていたが、アレ隠してたっぽいな。出力自体は平均的なものに収まっているが、肉体の反応速度や表皮の性質が一段以上上がっているように見えた。

 そうこうしているうちに小屋姉に援軍が到着し、中谷里の様子でも見に行ってみれば、意外と追い込まれていて驚いた。どうやら落下時に足を痛めていたのもあって少しずつ移動距離が減って最後は立てこもり状態だった。中谷里を眠らせてから治療し処置をしたのちに戻ってみればボスゾンビをスタンさせていた。

 中谷里から片平兄に渡っていた特殊ボルトはゾンビの特異結晶を数種混ぜ合わせた薬剤で、効果としては変異結晶や特異結晶を持つ相手に対する拒絶反応を起こすものになっている。

 今回の相手は特異結晶を持つゾンビだったが、生存力の基幹となっている特異結晶の感応現象が同一体内で起こると他の結晶を異物と判断し、少なくとも活動を停止させる効果がある。場合によっては自己崩壊を起こし、ただのサンドバッグ状態にだってなるものなのだが、効きはそこそこくらいだった。半端なゾンビなら自己崩壊、つまりは脳内にある結晶が破砕されるような仕組みだったんだけどなあ。まあそれだけ特異結晶というのは願い呪いが強いのだろう。

 それをピストルクロスボウ用にしたってことは自分で改造したのか。もしくは中谷里が先を読んでこうしたのか。アイツも全部撃ちきったみたいだったしなあ。

 場面を戻し、さっさと仕留めればいいものの、なかなかとどめを刺さずにいたのだから俺も全力でボスゾンビに麻痺や睡眠をかけ続けていたのだが、まあ残念過ぎる第二ラウンドの始まりだった。

 お粗末すぎるだろうと愚痴りながら、飛ばされた小屋姉が空中にいる間から復元の魔法を使って治癒していた。案の定ぴんぴんしている自分に少しだけ不思議に思いながら、最後は機銃を持ち出して戦っていた。らしいといえばらしいがここでそれ官給品ぶっパするのかとひやひやしていた。

 最終的にとどめは持って行っていたが、形としては主人公とヒロイン、それに片平兄妹と原作を踏襲した形となった。いろいろと思うところはあるけど、最後は主人公がボスゾンビの遺体から特異結晶を持って行った様子が確認できたので一先ずは無事にセンダイでのイベントの山場を越えることが出来たと言えよう。

 残すイベントはセンダイ脱出までの一通りのものだが、ここからは特に手出しできるようなことも、手を出す必要があるものも無い。


 それはつまり主人公がいなくなったこのセンダイマップで何かしらの変化が起こらないかの観測をする必要が出るという事だ。

 センダイに来てから不思議なほどに予想した情報が取れないことが多い。それこそ最初に起こると思っていたカマフサダムの奪還作戦なんかは全く情報が出なかった。どこかのタイミングで更新が入り、実際の行動をすっ飛ばして結果だけ出力されたような。それと同じことがこの後起こるのではないかと戦々恐々としている。

 とはいえ、主人公が踏むべきイベントは、防衛部隊本部での報告、大学病院での特異結晶の報告と同時にトウキョウのゾンビ研究所トップの久万楠女史の話を聞き、研究内容と実験の実情、強制外交回避のためなどいろいろと主人公が情報過多になり一時離脱するシーンを挟んで、ゾンビ研究所の久万楠女史に会いにセンダイを脱出するシーンに繋がる。主人公が倒れたというタイミングで動き出すセンダイの軍の上層部もアレだが、それを邪魔するために取引する軍曹と行政もまた後先考えないというか。

 ともあれこうなればしめたもの。更新された状況にもよるが以降はスカベンジャーに割く時間などないだろう。軍としてはトミハラやシカマの後処理もあるし、行政は海側より大きな交渉相手はいない。トウキョウから来た防衛隊員はしばらくは行政執行部にこき使われる。まあ病院に詰められると面倒ではあるが何とかなる。


 いろいろ考えてはいたが、まずは情報の入手が先だ。そのために作業予定の詰まっている印東をアジトに詰めさせているのだから。

 この地に来てから数か月だがどうにも周囲の動きが鈍い気がしてならない。かと思えば環境が一瞬にして激変するのだからゲームの世界というのは恐ろしい。しかも現実から意図しない部分でゲームの仕様になるものだからこちらも整理するのが大変だ。

 そんな中で特異結晶を手に入れた主人公が戻れば軍はもちろん研究所となっている病院へそれを持ち込むことで必然的に町に報告が上がるし、場合によっては結晶に反応する例外なんかも見つけられるだろう。

 

 ゲームのようにセーブやロードアンドリセットが出来るわけでもない。ただようやくこの世界の仕組みがわかってきたような気がする。現実として存在しているはずなのに、この世界はどうも主人公以外の重要度や優先度といったものが明確に低く設定されているような感覚。主人公とういうよりはシナリオが滞りなく進める以外のことがどうにも鈍い印象がある。

 情報を重要視するのは俺たちだけではない。それこそ情報機関や諜報機関といったものが当たり前のように存在しているのに、その動きの遅いこと。ゾンビが跋扈する世界観であってもそういった機関が全滅するというようなことは考え辛い。一時的な人手不足や慢性的な資材不足で動きが鈍ることはあるだろうが、それにしてもこちらに関するアクションが一切無い。情報を精査するのに2,3か月かけている程度ならそもそも相手にならない。

 とはいえ相手を見くびって足元をすくわれるようなことは避けるべきであり、トウキョウのゾンビ研究所に人員を忍ばせるくらいは出来るのがこの国の情報機関だ。それこそ何でも屋の人員や、BDFバイオ燃料売りのおっさんが諜報員だったとしてもおかしくない。それなのに小屋妹の話では尾行や発信機をつけられたなんて類の話も無い。チェックをサボっているわけでもないし、現状、悪く見ても俺たちは泳がされているという可能性が欠片程度にあるくらい。

 一応欺瞞工作はしてきたがそれにしたって遅すぎる。情報収集は以前から続けてきたことだが、だからこその酒類の流通などの視線誘導でもあるというのに。致命的な事態を避けるための情報収集に秀でた人員が多いというのに。

 まるで俺たちという存在が見えていないかのように。それよりもするべきことがあって脇にでも置かれているかのように。俺のいる世界が薄い膜どころか壁に遮られているかのような隔たりを感じる。

 挑発か。静観か。結局のところ同時にやってそのどれもにかからないというのは明らかにおかしい。人か、世界か。あるいはその両方なのか。離れ業というか頭の隅にある考えでは内通者という考えもあるが、これは無いだろう。

 トウキョウから来た連中は疑ってない。というか俺がよく知る人物には疑ったところで時間の無駄だし、

 八木はそもそも御尋ね者になっている。心中するつもりなら有効かもしれんが、それなら中谷里と千聖が試した時点で底が見えているだろう。

 石田は別の意味で重要な観察対象ではあるが現状を見るに可能性は皆無と言えるだろう。

 片平兄妹はそもそも俺たちを知らない。山奥で引きこもっていた世間知らずに核心に触れる機会はなかったはずだ。

 身内は信用しすぎるのも疑心暗鬼になるのもいい結果を生まない。対処できる。それだけわかっていればいいだろう。


 あと一か月も経たないうちに変化が現れるだろう。繰り返すが、先ずは情報を得ることが先だ。あ、いや。今日のところは中谷里の治療に専念するのが自然か。さて、彼女はどんな選択をするだろうか。


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