第39話
センダイのゾンビ研究の中心地は大学病院が中心となって研究が進められている。場所は市街地中心部から少しだけ北西進んだ場所にある。現在は研究機関としての役割を果たすためか病院としての機能をかなり絞った状態で運営されており、ひっきりなしに人が訪ねてくるという場所ではない。
とはいえこの大学病院からほど近い場所にスカベンジャー集団が集まる場所があるのは偶然でもなんでもなく、非合法な手段、非合法な取引による初期研究が行われていた名残である。それを知る者は今ではほとんどいなくなっているものの、そういった私的に取引をするという関係性がこういった土地的な関係性を構築してきた。
スカベンジャーが求める武器、物資、食料、あるいは金銭や名誉、安寧などがある程度集まりやすくなっている。何でも自分たちのやりたいようにやる、なんてことが起きないのは都市部の采配と軍の都市防衛作戦が一定以上の成果を収めているからで、そんな統治側と自己裁量で活動するスカベンジャーが同じ生存区域内で共存しているというのはそれなりに珍しい出来事なのだ。
お互いに利用し合う関係といえばそうだが、その裏で上手く立ち回っているのがゾンビ研究機関だ。行政の都市サービスを受けつつ、軍事力の盾に隠れ、裏でスカベンジャーをパシらせる。
町の概要を説明し終えた私は、隣で黙りこくっている元同僚と目の前で穏やかに微笑む老爺に対する手ごたえの無さに溜息をつきたくなる。
金物屋に買い物に来たはずなのに、私が気まぐれに顔を出した時には一触即発の険悪な空気を醸し出していた二人をこの場に座らせることにも大分精神をすり減らしている。そもそもこの二人はそれなりに似ているくせに、決めた相手以外はすべて敵、みたいな極端な思考があると思う。
リーダーの元でその身を一つの刃としてひたすらに血肉をまき散らしてきた狂猫。紀谷千聖。
来歴こそ不明だが、信者の奥さんを複雑な心境で見守る時代錯誤の凄腕老剣士。本田佐平。
ここで出会ったのは良いことなのか悪いことなのか。一瞬考えて放り投げる。そういうのは全部リーダーに任せてしまえばいい。使えるものは使う。使えないものは捨てる。いつだってそうしてきたし、それで特に問題になったことも無い。ただまあ、このまま険悪な状態にあったとして、一番危険なのは間違いなく私なんだよなあ。
裏方仕事ばっかりしてきた医者が刃物使いの喧嘩を止めるのであれば言葉を尽くすしかない。二人とも、一応それなりに知った相手だ。
「まあそういう訳ですわ。この子が誰に言われてやっているかは知りませんけど、無暗矢鱈に刃物を振り回す狂人ではありませんよ」
「狂人はお前」
小さい声で言っても聞こえてるからな駄猫。誰のために骨を折っていると思っているのだろう。
「おつかい程度で浴びるほどの量ではあるまい。こびり付いてとれぬほどであれば、それはいっそ生業というものであろう」
「ええ。そうかも知れませんわね。とはいえ、それはお爺様も同じでしょう?」
「同じ穴の狢であると? これはしたり。切った張ったに善悪は些末事であったな」
呵呵と笑う老人を見て軽い笑みを浮かべるが、内心は冷や汗どころではない。善悪は些末事なんて答える人間がまともなものかよ。この世の中でそこまで決まりきった人間なんてそういない。大抵は理性と欲望の狭間で惑い、呵責に苛まれ続け、耐えられなくなったものから狂う。いや、この場に二人いたわ。
「とはいえ、その刃を預けるに足る人物が何を狙っているか等分かったものではあるまい」
これは少しだけ予想していた返し。剣を振るのに善悪など考えないと言っているくせに、その自覚すらなくただの暴力装置になっていないかという心配をするお人好しな部分。この老爺は少し鉄火場に長く居過ぎただけで、別にキリングマシンとなっているわけではないのだろう。
「言っていい?」
「私が言う。家族のため」
ちょっと意外。こういう返答も出来るのねこの子。離れた時間が長すぎたし、再会してからもコミュニケーションを積極的に取ってきたわけではないのでこういった変化が見れるのは私も少し楽しい。
「なるほど。これは確かに、同じ穴の狢というわけですな」
同じ理由ではないだろうけど、本田さんもその答えには得心がいったようだ。
元々、私と本田さんが知り合ったのは彼の奥様が信心深い方であり、以前からこのセンダイにある寺社へのお参りをしていたことがきっかけだ。
そもそもの話になるが、私が寺社の集団に取り入ったのは、それが一番手っ取り早かったからだ。今の世の中では医療の知識や技術があることを知っていても、それを適切に使える人物というのが、まあいない。私の場合は特にゾンビ研究に明るく、また研修医としての活動実績もある。これ自体ははっきり言って未だ半人前であると自覚してはいるが、少なくとも素人判断よりはましだという自負もある。
結局は普通に診察、対処、処方をするだけでも信仰というのは得られるのだ。私自身の知識と経験を反映し、後は少しだけ神様におべっかを使う。元々信心深い人はもちろん、信仰に興味が無くても私と私の所属する組織にはハードルが下がる。何よりメリットとデメリットを考えれば仲良くしておくに越したことはない。私が所属しているのが寺社であるというのも、敵対組織に対する壁として有効に働く側面を持つ。
人に寄り添い、人を支え、人を助ける、そんな絵に描いたようなものの象徴が寺社であり、そうなるように動かしてきた甲斐があるというものだ。そんな時に出会ったのが体調を崩した本田さんの奥様で、時折私の護衛を受けてくれた本田のお爺様だ。近く神社で医療診察会や往診をする際には守り手の一人となってくれていることからそれなりに関係の深い人なのだ。
私は直接は見たことは無いが、どうやらかなりの腕の冴えを持つ剣客らしく、凄腕だとは聞いていた。そしてどこかに所属することもなく奥様と二人、自宅や近くの寺社で静かに暮らしていたらしい。この情報を得たのも最近のことだ。どうやら本田夫妻は目立たぬように生きてきたらしい。それが奥様の御病気を機に表に出ざるを得なくなったという事だろう。
「私も家内を守るために剣を振っておる。実際に斬ったのは随分年を取ってからだったがのう」
「お子さんはいらっしゃるんですか?」
「いいえ。長いこと、家内と二人でのんびりしていたら、いつの間にやらこんな年になっていました」
「ふふ、素敵なご夫婦ですね」
「なに、わしも家内も細かいことを考えるのは苦手なだけでして」
「そうですか? お着物も綺麗ですし、髪も整えていらっしゃる。靴もピカピカ。奥様の内助の功が見えますよ」
「はっはっは、やはり女性というのは見る目があるものですな。ええ、ええ。ご賢察の通りで」
「やっぱり! そういえば、奥様と言えば。その後の調子はいかがですか?」
「朝は少し辛そうですが、日中は元気そのものです。その節はお世話になりました」
「お気になさらず。それが私の仕事ですから」
こうして話をしていても、普通なのだ。パンデミックが起こっているとは思えないくらいに穏和な態度。あくまで話を聞いただけだが、千聖がそこまで警戒していることが不思議に思えてしまう。とはいえ、そこは前と後ろの差だろうか。命の削り合いをしてきた者にしかわからない感性というものがあるのだろう。
千聖の警戒ぶりもそうだし、それにしては手の速い彼女が抑えているという事実もそうだが、本当にお互いに抑えてくれたようで助かった。奥様は古い田舎の女性で信心深いところはあれど、手先が器用なタイプみたいだし、細かいことに目が向くタイプと見える。
せっかく敵対を避けたのだから、彼と関係を深めて上手く協力関係を築きたいけど、どうかしら。千聖と敵対しないならネックはリーダーくらい? 私は表向き医者として活動しているし、リーダーも研究員としての面を持っている。どのあたりが琴線に触れるか、逆鱗になるか判断が難しいところだ。
「……剣」
「む?」
「ん? 何?」
「……剣が上手すぎる」
「私の腕が良いということかな? はっはっは、お嬢さんも私と同じだけ振れば、これと同じくらいは出来よう」
千聖がこの状態で初対面の人に話かけるって今まであったかしら? 殺す前に情報を抜くために話かけたりはあったと思うのだけど。リーダーの使ってるスカベンジャー姉妹が言うには、この狂猫も研究所勤めしてたって言うんだから、わからないものよね。まあそういうことならそっちの言葉遣いでもおかしくないと思うのだけど、そういうのは習わなかったのかしら?
「速いだけなら大したことない。でもアナタのは見えなかった」
「ふうむ……私がどう抜くか見えなかった、そういうことかな?」
こくりと頷く少女に、理解をあきらめた。圧縮言語に加えて感性の話をされたら私には何も言えないのだけど。特に私は運動能力皆無と言っていいくらいだし。自分で言うくらいには運動が苦手だ。動かし方を頭で理解しても、実際に体がイメージ通りに動かないし、やって見せたところで無意識に変化していることが多い。つるにはへっぴり腰さんとか言われたっけ。
「動けば多分私の方が早い。でも……」
「こちらの刃が届くのが先だろうな」
したり顔の老爺に、むすっとした表情の少女。何だこの会話。全然わからない。速さの格付けは出来てるのにファーストアタックは後攻がもらうってこと? 矛盾してるじゃない。
ここは先ほどの金物屋にほど近い居酒屋の個室だ。居酒屋と言っても酒や料理はほとんど出していない。専らここは対外組織との交渉の場に使われる場所で、時折それなりの規模のスカベンジャーによる会議や、小規模スカベンジャー同士の話し合いや交渉などが行われている。真昼間のこの時間では客はほとんどおらず、個室であることを踏まえてもガラス一枚隔てた外と内で別世界のような静けさをたたえている。
持っていた茶葉を使って自分で入れたお茶を啜る。そう言えば、今日はみんな忙しいのだったか。今回は千聖に付き合ったが、エンジニアは上手くやっているだろうか。ダミー拠点の整備や、ブラックマーケットと呼ばれる出所の怪しい雑品が山のように連なる商店街に行っているエンジニアに向けて独り言ちる。
「魚は殿様が、餅は乞食が。私は何を焼けばいいのかしら」
医療従事者なら患者の世話かしら。あるいはリーダーであれば。そんな考えは窓の向こう、ビルの隙間に見える青空に溶けて消えていった。
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