第36話



 啖呵を切ったはいいが、実際目の前にするとその大きさに言葉を失う。とはいえどのくらい目の前のゾンビと対峙してきたのかわからないくらい、本人にとっては長い時間だったのがわかる疲弊ぶりを見せるのが小屋姉妹のお姉さん、瞳さんだ。

 その顔は汗と土埃に塗れながらも、額に張り付いた前髪の隙間から見せる双眸はぎらつきを隠せずにいる。幸い目に見える範囲に出血も無い。多少疲弊しているようだがそれでも出血など見える範囲でけがをした様子もなく大型ゾンビと対峙していた。

 いっそ異様ともいえるその場に臆面もなく突入し、刃を抜き放つ。

 じゃりっとした感触に金属をひっかくような音が鳴ったことで己の失策を悟り、すぐさま身を翻す。


「防刃装備着てる。露出してるところ狙って」

「おすすめはありますか」

「手首。流石に武器が持たない」


 こちらを一瞥し、すぐさま相見える。現状では僕に対する警戒は薄く、悪く言えば相手にされていない。まだあのくねくねに折れ曲がっている白い道路標識のポールの方がゾンビにとっては脅威なのだろう。


「瞳さーん、こっちは9本です」

「時間かけていいから全部当てて」

「了解ぃ」


 瞳さんの斜め後ろにいる判君の声が届く。僕と瞳さんの間、射線をかぶせないように気を付けよう。とは言っても胸より上を狙えば僕らの頭上を越えるサイズ感だから、多少無茶しても大丈夫かな?


「二人とも、まずかったら直ぐ引いてくれ。効果があるか分からんけど罠もあるんで」

「了解」

「わかった」


 3対1の状況ではあるが、焦らずに行こう。後方の援護射撃も今は体制を整えているらしい。霧瀬が来たら恐らく前衛2後衛2で対峙することになる。それまでにしっかりと整えておく必要がある。火力を集中することが出来れば、きっと倒しきれるはずだ。なにより、このゾンビがこの演習場の外で暴れるようなことがあってはならない。いくら周囲に人が少なくても、だ。

 最も近い集落はおそらくヨシオカ。スカベンジャーたちがそう簡単にやられるとは思わないけど、巻き込めば僕らはもちろん、センダイにいる軍曹の身だって危ういものになる。


「振り下ろし。横はダメ、しっかり距離とって」

「了か、いっ!」


 鋼材を振り下ろしたあと、ゾンビは体を無理矢理ひねって横なぎに繋げた。振り下ろしで出来た窪地を見るにすさまじい破壊であることが見て取れる。なによりこれを繰り返されると足場が不安定になる。

 ゾンビから目を離さないままに周囲を見れば、窪地がある地点が遠くから伸びてきている。なるほど、瞳さんは足場が悪くなりすぎる前に徐々に移動して不利にならないように立ちまわっていたようだ。

 こちらへの横薙ぎの後、後ろを向いたゾンビの足元に瞳さんが踏み込んだ。そうして折れ曲がった鉄パイプバットで膝を砕く勢いでフルスイング。ゴォンと鉄パイプが響く音が間近で鳴り響くが、ゾンビは小動もしない。


「膝は集中させてるから、その内動きを止められるはず」

「分かりました」


 分かりましたとは言ったが、足を覆う装備の硬さは先ほど理解した。手首を狙っているがどうしたって位置が悪い。僕もいっそ膝を狙い、体勢を崩したところで狙いを変えるべきだろうか。打撃なら鞘や峰で打った方がいいか? まずは防刃装備の強度をはかるべきだろうか? 切り傷が付けられれば、そこを中心に足の腱や筋肉を切断することで機動力は大きく削げるはずだ。

 鋼材を振り回す大型ゾンビに対し、ヒットアンドアウェイを繰り返す僕たち。瞳さんは時折ゾンビの振り下ろしをあの捻くれた鉄パイプで受け流し、爆発する地面も気にせずにカウンター気味に膝を打ち抜く。そうして、最初のチャンスがやって来た。


 何度目かの瞳さんのフルスイングにゾンビが痛がるようなそぶりを見せた。その後膝を曲げてうずくまったのだ。


「頭あけてくれ!」


 とっさに首元に刀を振ろうとした僕を咎めたのは背後から狙いを定めていた判君だ。


「そっちはどう?」

「手ごたえはあります。もう少しやらせてください」

「いいよ。っていうか今やれば?」


 それもその通りだと、脇に回った瞬間、しゅっと何かが風を切る音。ぐじゅり、と視界の端で何かが肉に突き刺さった光景。判君の放ったボルトが狙い過たずにゾンビの頭部に突き刺さり、そして。


「オ゙オ゙オ゙オ゙ォォォォオオォォォォオ゙オ゙オ゙オ゙―――」


 体の奥にずしんと響くような低音の、しかしそれは確かな厚みでもって僕たちの体を打ち据えた。その物理的な圧に、音という振動に思わず地べたを転がる。

 両手を耳に当て目線だけでゾンビを見上げれば、空に向かって咆哮を上げている。そしてそれと対峙するようにして、鉄パイプを地面に突き刺し、その痩身を支えている瞳さんの姿があった。翻る上着と長い髪が咆哮の勢いを物語っているが、目を細めじっと見上げる瞳さんの姿に強い衝撃を受けた。

 スカベンジャーの中でも細身で不健康なまでに白い肌の彼女の鋭い視線。鉄パイプで支えられているとはいえ、足を開きどっしりと大地に構える彼女の覚悟が見えた。仲間のために、姉妹のために、自分のために何もかもを背負った重さだろうか。そこに間違いなく強さがあった。

 地べたに転がされた自分が見上げるこの人は、いったい何者だ。そんな疑問が頭に浮かぶが、今重要なのはそんなことでは無い。

 何をしている康史郎。お前がすべきはただ見上げるだけか。あの人すげえ、なんて言っている場合か。何のためにここまで来た。何のためにこのゾンビに対峙すると決めた。突然すべてを奪われた力無き人の嘆きを忘れたか。お前を送り出した両親の顔を忘れたか。あの先生の言葉を思い出せ。

 何が間違っているとか、何が正しいかとか、そんなものは後で考えろ。今すべきはとてもシンプルなことだ。


 ゾンビの咆哮が絶え、直立した状態からまっすぐ後ろへ倒れこんだ。大型ゾンビの呻き声とびくびくと脈打つ体に、鉄パイプを引き抜いた瞳さんは大上段まで持ち上げ、振り下ろした。

 相変わらず狙いは片方の膝だ。僕もすぐに立ち上がり刀を構えて振り上げる。呼吸を整え振り下ろすと、確かに何かを切った感触があった。

 僕たちの攻撃に対して地面に横になったまま暴れていたゾンビは、うつ伏せの状態からゆっくりとこちらを見上げ、左右を見渡し目的の存在を見つけた。


「あ、やっぱ俺か」


 ガチャンという音と共に余裕のある声色の判君だったが、浮かべた不敵な笑みがひきつっている。

 先ほどの攻撃でようやく膝を破壊し機動力を奪う目途が建てられたところだ。瞳さんの方は有効打を与えられたようではあるが、破壊までには至っていないように見える。

 直ぐに刀を構えなおし、先ほど傷を受けたところに刃を突き立てようとして、視界に影が差した。ぶわりと総毛だつ。あとはただの直感だった。

 狙いをつけずに放った突きに合わせて前に転がり、大型ゾンビの足と足の間を抜ける。その瞬間背後に車一台ならぺしゃんこにできそうなプレス機の如き振り卸しの余波を背中に感じて振り返れば先ほどまで自分がいた位置に手をついたゾンビがゆっくりとこちらに振り返った。

 体制が不十分なままゆっくりと立とうとして襟首を引かれて体が浮く。瞳さんが引っ張り上げた勢いのまま、僕を放り投げた。


「助かりました!」

「気を付けて」


 それだけ言って、立ち位置を交換するように瞳さんはゾンビを引きつけながらゆっくりと回り込む。

 大型ゾンビが持っていた鋼材は、先ほどのダウン時に地面に転がっている。面倒なことになる前に手の届かないところにけり出すべきかと思うが、その大きさ故にどうしても運ぶ必要があると思う。いや、気付くまで放置しておくべきか。

 目の前でゆらゆらと鉄パイプを振ってゾンビの視線を引きつけていた瞳さんだったが、ゾンビの思いもよらぬ行動に、僕らは不意を突かれた。

 瞳さんが引きつけるために振っていた鉄パイプを掴んだのだ。思い切り腕を振って鉄パイプを奪ったゾンビに、瞳さんも反応が追いつかず、まずいと思って声を上げる前に、ゾンビの視線は瞳さんから外れた。もちろん僕にも向いていない。振りかぶったゾンビの視線の先を追って、思わず声を上げた。


「判くん!」

「よけて!」


 ごう、と大気を押しつぶすように振られた腕から鉄パイプは白い軌跡を描きながら後方へ飛び。


「こわっ! やーい、へたくそー」


 判君のいた位置から数メートル離れた位置に着弾したかと思えば、思ったより余裕のある判君の反応に苦笑いを浮かべる。

 とはいえ笑ってばかりもいられない。今瞳さんの手元には得物が無い。ゾンビの注意を引きつけるのは僕の仕事だ。

 一つ息を入れて、吐き出すと共に刃を滑らせる。立ち止まって強く振る必要は無い。


「おおおぉっ!」


 足元で五月蝿くしておき、隙を見て開いた傷に突きを打ち込めばいい。

 足元にいるこちらに対して腕を振って振り払おうとしているが、そうはさせない。大きさはともかくその形は人間だ。膝を曲げて体勢を低くすれば足を大きく動かすことはできない。かといって腰を折ってしまえば、それは頭を下げることになる。頭を下げれば結局こうなる。


「オオオァァァァッ!」


 判君がしっかりとヘッドショットをきめてくれる。僕がゾンビの足元で稼いだ時間は瞳さんの戦線復帰までの時間を稼ぎ、助走をつけてポールを振り回しながらゾンビの膝を打ち据えることとなった。

 崩れ落ちたゾンビ。膝は地面にあるが膝裏ががら空きだ。体ごと突っ込んで深く突き刺す。肉を貫く感触を得るが、その肉質はやはり硬い。その筋肉の蠕動を感じ取ってしっかりと握った刀を体ごと回して引き裂く。ざくりと太い繊維質を割き、どす黒い血液の飛沫が視界の端を舞う。

 他の二人はと首をひねれば、たん、たんと何かを蹴り上げる音。ふと視界の端に長い髪が靡くのが見える。鉄パイプを持って高く飛びあがった瞳さんの背中が見える。

 声を上げる暇もなかった。くるりと空中で身をひねり、ぐるりと回転し鉄パイプを上段に構えたかと思えば、その真下にはうずくまっていたゾンビの後頭部がある位置。

 振り下ろされた鉄パイプが瞳さんの体を持ち上げ、一瞬空中で滞空する。今日一番の打撃音で打ち据えた頭部が地面に沈み、大型ゾンビはその動きを停止させた。


「やった……?」


 どのくらい経ったか分からない。たった数秒のようでもあるし、一瞬前のようでもある。正直、相手がゾンビとは思えないクリーチャー、モンスターとでも呼ぶべき相手だったからかどこか現実感がない。

 そろりと足音を消して近づいて来た判君は未だにクロスボウを構えている。


「おつかれー。瞳さんどうします? もう一発撃っときます?」

「うん」

「了解っす」


 どす、という音が無機質に響く。撃ちこまれたボルトは4本。1発目の反応から見ても効果は覿面だった。これ、うちでも扱えないだろうか。


「サムライくん」

「……はい?」


 尋ねようとして、声をかけられた。瞳さんの熱の無い眼が僕に刺さる。


「この首落とせる?」

「……必要なことですか、それは?」

「うん」

「うちで刃物使う人、いませんしね」


 確かに必要な措置だとは思う。介錯という意味ではそういったものも必要だと。とはいえ、単純に出来る出来ないの話もある。


「このゾンビの肉質考えると、正直刀でやりたくないんですが……」

「……」

「チェーンソーとか? いや、無理か。斧とかは?」

「一応車には載せてあると思うけど」


 そういえばと思い出す。時折視界に入っていたピックアップトラックと軍用車が見えなくなった。辺りを見回せば建物の陰に止まっていた2台のトラックが動き出したところだった。

 進路をこちらに向けてきているが、連絡はするべきか。


「こちら風間。大型ゾンビの活動の停止を確認しました」

『マジか! よくやった!』

「つきましては、処理するために大振りの刃物が欲しいってことなんですけど、斧ありましたよね?」

『あるある! とりあえずすぐにそっち行くから待っとけ!』

「了解」


 僕以外にも判君はトラックを待っていて、手を振っている。しかし瞳さんはその場から微動だにしなかった。じっとゾンビを見つめている。警戒している、というよりは見張っている感じ、だろうか。


「一応斧はあるみたいです」

「……首落とせる?」


 気にしているのはサイズ的な話だろうか。確かに常人の数倍の太さがあるこの首を落とすことは難しいだろう。とはいえ、あれだけに振り回して振り下ろした鉄パイプで殴られても大きく変形した様子もなく、なんなら鉄パイプの方が曲がっているようにも見える。


「どうなってるのかわかりませんけど、落とすこと自体は出来ると思います」

「そう……」


 どうしたのだろうか。少しだけ考え込み、通信機を取り出した瞳さんはそのまま要求を伝えた。


「機銃使うことになるかも」

『え? もう倒したんじゃないの?』

「わからない」


 わからない? ああ、いや、確かにそうなのだが。この状態で生きているというのは無理ではないだろうか。頭部にクロスボウのボルトがしっかりと刺さっており、そのうち数本が更に頭部内に入り込むような角度で地面に頭突きしていたのだ。特攻武器というのが具体的にどういった効果があるのかはわからないが、反応から見るに効果は抜群だった。

 僕は既にゾンビは倒したものだと思っていたが早合点だったのだろうか。


「康史郎!」


 補給を済ませた霧瀬が僕の分も含めた小銃2丁に、薙刀を持って近寄って来た。やや柄の長い斧も持っている。いつの間にかゾンビの正面にいた僕たちを挟むように車が寄ってきていた。


「ありがとう」

「ていうか、あんなの倒せるのね」

「まあ、今回は僕よりも……」

「全員離れて!」


 何がきっかけだったのか。それともただ倒せていなかっただけなのか。振り返った先では片手をついて今にも起き上がろうとしている大型ゾンビがいた。時折体を大きく振るわせて、しかし徐々にその体を持ち上げてゆく。体を起こし膝をついた。僕が刀を突き刺した方の足だ。

 浅かったかと思い直ぐに起き上がるのを阻止しようと駆け出し、しかし思いもよらない結果をもたらした。


「ダメ」


 鉄パイプが僕の前に翳されたことに気付き、そちらを見れば視線だけを向けこちらを掣肘する瞳さんがいて。

 その直後。膝をついた状態だというのに大地を薙ぎ払うかのような張り手が彼女の背後に迫っていて。


「瞳さん!」


 とっさに飛びのいた僕の代わりに、まるでピンポン玉のように吹き飛ぶ瞳さんを目の当たりにした。


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