第35話



 隊舎の地下施設があった事にも驚きだが、その研究所からデータの吸出しを試みていた際に警備システムが起動した。正直そういったシステムが生きているとは思っておらずかなり焦ったが、特にゾンビが出てきたりするようなこともなく、散乱していた資料や残されていたデータを回収した。そんな一仕事終えて帰ろうとした僕たちに冷や水を浴びせたのは大地を揺るがすような轟音と衝撃だった。

 直ぐに合羽さんと合流し、演習場で仲間の元へ急ぐことにした。報告に耳を疑っていた僕らが見たものは身長が3メートルを超えるような筋骨隆々なゾンビに対して、その半分程度で細身の麗人が道路標識の付いた白い塗装の鉄パイプで殴り合っている場面だった。


「瞳さんだ。正面切って殴り合うの苦手って話じゃ……」


 ゾンビが持っているのは何かの部品と思われる鉄材で、タクトを振るように目の前の女性に叩きつけている。


「あれ相手に正面切って戦えるって何? え、どうなってんの?」

「一応周囲から援護射撃があるが、逸らすので精一杯って感じか」


 霧瀬の動揺っぷりにたいして合羽さんは冷静に状況を観察する。かくいう僕も、拮抗した現状に足を止めている。

 自分だったらどうするか。基本的に攻撃は大振りだ。当たらないように立ち回り、少しずつ削っていくほかないだろう。


「俺です。ええ。はい。……いいんすか? ああ、そういう」


 声がした方を見れば判君が通信機片手に連絡を取っていた。恐らくは遠くでゾンビを引き連れているトラックを運転している女性の方だと思うが。


「ええ。俺一応つるさんから特殊ボルト預かってますけど。……あー、はい。了解っす」

「なんて?」

「康史郎。お前らどうする? 俺は瞳さんの援護。まあやることやったら退いていいらしいけど」

「あのゾンビと戦っている方だよね? もちろん行くさ」

「ちょっと康史郎!」


 僕の判断に声を上げたのは霧瀬だ。


「これまで戦ったことのある動物型や人型とは違うのよ?」

「でも運び屋のお姉さんは戦ってるよね。僕らがここで退けるかい?」


 普通に考えれば距離を取って集中砲火するのが正しい判断なのかもしれない。しかし、それはダメだ。

 どれだけ優秀なスカベンジャーであっても、一般人を盾にして作戦を遂行するなんて。


「俺は笹美に賛成。言っちゃ悪いが、正面切って戦うような相手だとは思えない」


 そう言ったのは合羽さんだ。多分、言っていることは正しい。鉄パイプを巧みに操るあの女性によって大型ゾンビを引きつけることが出来ており、周囲はゾンビに砲火を集中することが出来ている。ただし、効果があるようには見えない。


「僕らにあのゾンビって倒せるんですかね? 小銃の火力を集中して、あのゾンビを倒せますかね?」

「……現状効果が見られないのは認める。とはいえ、だからと言ってお前が出る必要があるのか?」

「彼女は何故苦手な正面戦闘をしているんでしょうか。僕は恐らく、それが最善だからだと思います。僕が前について負担を減らせば、より効率的に攻撃を加えられるはずです」

「有効打を与えられなくても、手傷を追わせて追跡を邪魔して逃げることも出来る、か」


 それはない。そう口に出すことはできなかった。

 あの大型ゾンビに対して、おおよそ正体はつかめている。あれは先ほどの地下研究所で作られたゾンビの素材からできた改造人間の生れの果てだ。いっそ人造ゾンビといっていいものかもしれない。

 地下の研究資料にはゾンビに耐性を持つ兵士の養成や、ゾンビのもつ結晶を利用した強化人間を用いたパンデミック収束までの青写真が描かれた計画書も見つけた。発案者はアメリカの軍所属の研究者。改造施設に失敗した時のことを考えて国外で実験することを考慮した内容もあった。

 僕は愕然とした。こんなことがあっていいのだろうか。ゾンビを研究するのはいい、これは人類の未来に必要になるものだ。ゾンビ化し理性を失い人を襲うようになってしまったものに対し銃口を、刀を向けることに、僕は今更迷ったりはしない。なんなら、積極的に行うだろう。

 今を耐え忍ぶ人類のより良い明日のために、ゾンビ化した人々を切り捨てる覚悟はずっと昔にしたはずだった。ただ、これはどうだ。僕や霧瀬のように、明日の安寧を求めた人間を道具のように使うことは許されるだろうか。

 軍の矜持か。研究者の意地か。僕には理解できないことだが、この手段が有効だと判断してしまったのか。実験体の彼は、こうなることを含めてまでこの実験にその命を捧げたのであろうか。

 既に多くの元人間を切り捨ててきた僕に人道を語ることなどできないのかもしれない。しかし、僕は自分が間違っているとは思わない。僕らは人間として、人間の力で、この困難を打破し、多くの力なき人々を救いたいがために今日まで努力してきたのではないか。

 この実験も、もしかしたら有用であるのかもしれない。あのゾンビが理性を持ってゾンビを打倒すようなら僕もそう思えた。しかし結果は御覧の通りだ。結果論かもしれない。旧時代的な考えかもしれない。それでも僕は大型ゾンビを前にして逃げるという手段はとりたくなかった。

 防衛隊を志願するものは自らの遺書と共に、一つの約束事を誓わされる。それは仲間の介錯だ。ゾンビ化した者に対する慈悲であり、またゾンビ化した者にとっては救いと言われるもの。当時はいまいちピンと来なかったが、今は少しだけ理解できる。

 最大限好意的に解釈しても、自ら軍に志願し、実験台になることも了解したうえで、結果が人類の敵になるというものではあまりに彼が不憫だ。面識もなければ、恐らく所属も、出身地だって違うだろう。だからこそ同僚に対するけじめはきっちりつけるべきだと思う。


「いいえ。何としてもここで倒すべきです」

「……手段は?」


 ちらりと判君を見る。僕の視線を受けて判君がピストルクロスボウを掲げる。


「ゾンビ特攻武器は用意してありますんで。効果は保証しますが、倒せるかどうかは保証外っすね」

「……はあ。わかった。……こちら合羽、支援要員として風間を送る」


 了解は取った。一つ呼吸を入れて力を緩めれば、鞘を力強く握っていたことに気が付いた。

 ゾンビと相対する時の体の奥に宿る冷たさと、これまで見たことのないほどの巨体を持つ存在に対するちょっとした緊張感、そして名も知らぬ同僚への僅かな憐憫を抱えたまま、それらを一つ一つ飲み込むようにして呼吸を繰り返す。


「来たぜ。俺と彩、康史郎だけでいいのか?」

「……私も行くわ」

「それは却下だ」


 霧瀬が立ち上がるが、それは合羽さんに否定される。


「ですが!」

「まあ風間が行くといった時点で笹美がそう言いだすのはわかっていた。お前ら弾薬の補給してないだろ」


 あ。そういえば前もこんなことがあった。僕も霧瀬も、流石に気負い過ぎている。そんな僕たちを諫めるように、しかしそこに確かな温もりを持って合羽さんは送り出してくれるようだ。


「笹美は一旦補給も兼ねて車に戻れ。車の中で情報共有してから行け」

「はいっ!」

「全員ってことすかね?」

「頼めるかい?」

「まあ大丈夫だと思いますけど。連絡してあります?」

「そこは連絡しながらになっちゃうかな」


 動きは決めた。後はやるだけだ。迎えに来たトラックの荷台に乗り込んで、僕たちは戦場へ赴いた。

 僕たちなら、きっと出来るはずだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る