第31話
胃が痛い。俺と妹がとある運び屋に世話になってから一月は経つが未だにこの生活には慣れない。山間の温泉地であるナルコのさらに奥でマタギをしていた親父に教わり狩りをしていた日々が懐かしい。親父が射手、俺とぽぽが
そんな俺でもこの集団はイかれてると思う。小屋さんとこの姉さん方は比較的まともだ。あくまで比較的だが。つるさんと千聖さんがやばい。なんていうか、本来人間が持つべき危機感とか、恐怖感とかを持っていないように思う。何度か物資回収やゾンビ狩りに付き合わされたが、どう考えても人間離れしているとしか思えなかった。鉈とナイフであんなに簡単に人の首は跳びませんて。ぽんぽんぽんぽんボールが跳ねるみたいに簡単にとばすもんだからやってみたら首な半ばでしっかり止まりましたよ?
それアーチェリー用の弓ですよね? コンパウンドボウっていうんすか。へえ。え、それそんな遠くから撃つんですか? 当たります? ああ、脳天にあてるんすね。いや、流石っす。銃は使わないんすか? ああ、そうすよね。銃弾は使い切りですもんね。矢は回収すれば使えますもんね。あ、矢は回収しときますんで。
女四人でどんなことをしているかと思えば武闘派集団も真っ青な巻き狩りだ。射手はつるさん、勢子は瞳さんと千聖さん、指揮は愛美さんだ。このメンツは勢子が強すぎる。ぽぽは鼻がいいから役立っているが、俺はポイントに罠を設置する以外は雑用くらいしかすることない。
『お兄ちゃんは良いよね、役に立てて』
妹にそう言われたが、ぽぽを従えてる分お前の方が価値が上だ、なんて話もした。
正直舐めていた部分もある。都会育ちが山育ちに体力で勝てるもんかよ、なんて。そんな自信は完膚なきまでにへし折られた。元々都会でゾンビ相手に戦い続けてきた人たちらしく、効率的にゾンビを排除する方法を知り尽くしていた。驚異的なのは千聖さんの速さと瞳さんの膂力だ。俺より頭一個以上低い二人がばったばったとゾンビを薙ぎ倒してゆく様を見ていると、いかに自分が弱いかを理解させられた。俺でこれなんだから、妹が抱える思いはさらに強いものだろう。そう思ったのだが、差ともいえないほどの違いを感じていた妹はもう開き直っていた。
千聖さんに剣を習ったり、車の整備なんかを担当している瞳さんの作業を手伝ったり。俺は俺でつるさんにピストルクロスボウというものの存在を教えられ、最近はそれを使うようにしている。拳銃に見合ったサイズのクロスボウがくっついたような見た目のそれは威力が低いなんて言われたが、獣を仕留めるのには十分だ。ただしトラバサミの方が有用という事でトラバサミの手入れは欠かさないようにもしているのだが。
トラバサミはニッカワに来てから使い始めたものだ。この集団の黒幕というか、リーダー、先生と呼ばれる男性から渡されたものになる。この先生はどうやらすごい先生らしく、試験管の中から動物や植物を生み出すことが出来るらしい。いわゆる遺伝子とかに詳しい人で、ゾンビの研究をしている人らしい。忌避薬や症状の遅延薬をつくっているらしく、これを聞いたとき、親父がこの先生と会えていればと思わずにいられなかった。とはいえ、親父が出て行った理由なんて大体察しているし、そう簡単にくたばるような親父でもない。親父を見つけたら、此処に戻ってきたい。親父であれば狩りの腕は間違いないし、豪胆な強面の男一人いるだけでも、多分プラスになるはず。
先生に相談したらここのことを口止めしたうえで、可能な限りの状況を伝えてくれれば薬は用意するし、伝手もあるのでまずは話をするべきだと言われた。正直親父はまだ見つかっていないし、出て行った理由はこちらが察しただけで親父が何か言っていたわけではない。だからと言って投げ出すことなんて出来ない。元父だろうが関係ない。血のつながった親子なんだから。俺は一人でも親父を追いかけて、戻ってくる。それで、また親子で暮らす。それを叶える手段が整ってきているんだ。手をこまねいてなんていられるか。
そう思ってはいるものの、まあこんな手伝い仕事に駆り出されては緊張するというものだ。
以前一緒に仕事をこなした軍の男、俺と同年代くらいの男女と一緒にシカマの演習場に突入し、ゾンビから逃げるように建物に入ったところだ。俺と妹を乗せてきた小屋姉妹の運転するトラックとつるさん、軍の車両に乗って来た運転手と同僚の軍人さん3人くらいは敷地を爆走してゾンビをつっている。調査する場所の目安はついていたが、敷地内にいる膨大な数のゾンビに対処する方法として、トラックで引き撃ちするらしい。力業だろうが何だろうが、まああの3人なら問題ないだろ。
俺以外には彩とぽぽ。軍のしたっぱと言っていた康史郎と霧瀬。一応その上官らしい
「俺たちまで中に入って大丈夫すか?」
「ん? ああ、構わない。というか流石に施設内で固まって動くには狭いからな。俺は退路の確保をするためにここを基準に動くことにする」
「じゃあ自分たちが探索するという事ですか」
「ああ。風間、笹美しっかりな」
「了解」
ここでのメインは彼ら軍人だ。故に口を出すという事はしないが、いいのだろうか。
合羽を置いて1階を探索中に聞いてみた。ぽぽが反応しないからという訳では無いが、この周辺は少し鼻が利きにくいようで困っているようなので、ある程度距離を取ったタイミングでのことだ。
「いいのか、一人で」
「大丈夫だと思う。合羽さんはパンデミック初期から防衛隊の任務に参加していた人だから」
俺と康史郎が話し始めたからか、彩が近づいて話しかけてきた。ぽぽは部屋の中でふんふんと鼻を鳴らしている。
「トウキョウから来たんでしたっけ?」
「ええ。ただ僕も霧瀬も元々はナゴヤにいたんですけどね」
「なんで軍に? しかもこんな離れたところに」
「3,4年前にナゴヤが落ちたんですよ。僕も霧瀬もその時の避難船でトウキョウに」
「そう、か。なんか悪いな」
「いいえ、そういう人はたくさんいますから。僕らに限った話ではありませんよ」
だからと言っても、少し無神経だと反省する。そうか。俺たちみたいに静かに暮らせていたわけではなさそうだ。
元々国内でゾンビが現われはじめた時、俺と彩は10歳前後だった。当時は母親の元で暮らしていた。ゾンビ感染者が出始めた時期は覚えていないが、少なくともしばらくはニュースを見て怖いね、なんて言いながら対岸の火事を眺めていたような記憶がある。
国内に広がる感染の波が押し寄せてきた時には遅かった。徐々に町に不穏な空気が流れ始め、外出を控え始めた人々。母や祖父母もだんだんと余裕がなくなっていった。そして少しずつ見慣れたものが減ってゆく。近所の家からは人気が消え、遠くで事故の音が響き、鳴りやまないサイレンと夜も燃え続ける炎を窓から眺めた記憶がある。
最初にいなくなったのは祖父だ。食料を探しに行くと言って家を出たっきり、戻ることはなかった。母も祖母も、彩のおじいちゃんはという質問に泣きそうな顔でもう少しで戻ると言っていた。俺はもちろん、もしかしたら彩も分かっていたのかもしれない。
そうしたある日、久々に食事が用意されていた。レトルトのカレーだった。当時は空腹に耐えかねて食事するのに夢中だったが、どこから、どうやって、誰が調達したのか。それを考えるべきだったのだろう。
ある日祖母が布団から起きなくなった。死んでいたわけでは無いが、どうしても元気が出ないと言っていた。当然だろう。母も祖母も食料を俺と彩に優先的に与えていた。母は少しは食べていたようだが、祖母は全くと言っていいほど食べていなかったのだろう。
間もなく祖母が起きなくなった。眠っているのか死んでいるのか判断がつかなかったが、母はゆっくり寝かせてあげようと言って俺と彩を遠ざけた。そして、終わりの日が来た。
目覚めは何かを叩く音だった。俺は彩を起こし、音の出どころへ向かう。どうやら玄関から音が鳴っているようで、俺は縁側のある居間のガラス戸から正体を見ようとカーテンの隙間から覗き込んだ。
見たことのある上着に、白い頭髪に、全身に塗された血化粧が黒く彩っていたが、まぎれもなく祖父だった。言葉にならない音を発しながらふらつく足で体を振り回しながらドアを殴っていた。叩く、なんて生易しいものではなかった。
目が合った。全身が固まるのがわかった。心臓が強く脈打ち、かーっと血が頭の方に登ってきて、喉の奥で止まる。視界が徐々にぼやけてくるのがわかる。頭は冷えているのに喉の奥から声にならない呼気が洩れ、全身が麻痺したように硬直し。倒れそうになるその直前に足が勝手に後ろに下がった。自覚はなかったがカーテンを握っていた手は強く閉じられていて、大して開いてもいないカーテンを思いっきり閉めてしまった後に、自分の失策を直感した。
そうして家の前にいたゾンビがガラスを叩く音に変わり、後ろへ駆け出そうとしたとき決壊した。ドアの隙間からこちらを伺っていた彩の悲鳴に、倒れこんできたゾンビの顔がゆっくりと向いて。彩がいた場所から何かが落ちる音がした。俺は彩が倒れたと感覚的に理解し、直ぐにドアを閉じて目の前のゾンビに話しかけた。何を話していたかはもう覚えていない。俺はキッチンの中心にあるテーブルを使ってゾンビとチェイスをして時間を稼ぎ、起きてきた母親によって祖父は倒れた。そのはずだった。
何があったのかは詳しくはわからない。ただ母は祖父を弔おうとしていたのかもしれない。足から血を流している母を見た時、それに失敗したのだと理解した。母親を襲おうとしていた祖父の頭部が爆ぜたのはその時だった。
父との再会は最悪と言っていいほどだったが、母が俺と彩を父に託したというのはわかった。彩は気を失ったままで今日、ここまで生きてきたはずだ。祖父の頭がとぶ光景なんて覚えていたら、今のような性格でいられただろうか。
その後はナルコの山奥で狩りを教わりながら暮らしてきた。小屋というには立派な、家というには少々小さな家屋ではあったが、あの距離感は嫌いじゃない。毎朝の水汲みは大変だったが山の幸が豊富で食事には困らなかった。俺と彩は10代のほぼ全てをそんな環境で過ごした。
ゾンビは極わずかしかおらず、ぽぽの警戒と俺の罠による後方の安全確保、会話の音による誘引の効果でこの施設内のゾンビは一掃できたと思う。
建物内を粗方調べ終えるタイミングでこちらの身の上を語った。康史郎と霧瀬も時期や場所こそ違えど同じような経験をしてきたらしい。
不思議なシンパシーを感じつつ、最上階の廊下から隣の建物を見下ろした。
「……なあ、10年で建物に大穴なんて開くのか?」
隣の建物の2階部分に大穴が空いている。あれ、建物の入り口を塞いでないか?
「……開かないけど、じゃあどうしてってことになるよね?」
「何かしらの攻撃で破壊された、とか?」
「この建物は終わりだろ? 一回戻って今度は隣に行ってみればいいんじゃないか?」
「そうしようか」
お互いの過去を話したからか、少しだけ打ち解けたような印象がある。彩は霧瀬と随分仲良くなっているようだし、もしかしたら姉のように思っているのかもしれない。今もポポを挟んで話をしている。
庁舎の1階、合羽に報告をしそのまま奥へ進む。奥の建物へ続く扉があるが外へ押し開こうとしてもびくともしない。結局二つ隣の窓をから外へ出ることに。
「ワンッ!」
「ん?」
ぽぽが吠えた。なんだろうか。ゾンビが出た時の反応ではない。窓枠の匂いを嗅いでこちらを振り向き。また窓枠に。しっぽがぶんぶん振れているから何かしら好ましい臭いだったのだろうか。自慢では無いが、俺も人間にしては鼻が利く方だ。とはいえこの演習場を満たす腐敗臭に既に鼻が馬鹿になっている現状では違和感というものを感じることは出来ない。彩も判断に迷った末、ここからなら出れるというぽぽのアドバイスだと受け取り、外へ出て庁舎の隊舎側出入り口前の瓦礫を避けて、隊舎に向かうことになった。
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