第30話


 ニッカワでは穏やかな時間が流れている。動物たちの世話をしつつ石田さんの面倒を見ながら畑仕事をするだけの生活だが、私の心は満たされていた。こんな平和はいつぶりだろう。しがらみも無い、危険もない、ただただのんびりとした時間だ。

 石田さんも日常のことはある程度自分でこなすようになり、最近では食事の準備も手伝ってくれる。ぽつりぽつりと会話もある。動物たちも一部の動物以外は頗る快調。最近は徐々に暑くなってきていることもあり、毛刈りが必要な動物たちのためにハサミが欲しいところだ。飼料はないので野菜くずや周辺に生えている草などがメインになるが今のところ問題は出ていない。

 時折先生が診てくださっているが動物に好かれるタイプの方で、彼の周囲にはいつも動物たちが群がっている。珍しいとも思うが種を問わずに惹きつける何かがあるのだろう。拠点から離れた場所で研究をしているので面と向かって話す機会は然程多くは無いが、それでも食事時には話をして様子を見ることを心掛けているように思う。最近はどうやら使える車両を手に入れたとの事でそれを移動に使うようにとのことだ。電気自動車なんてどこから持ってきたのか、とかそもそもまだ残っていたのかとも思うが、運転できるのであればという事でニッカワの拠点に置いてある。改造したら重くなって燃費悪くなったとは言っていたが、それでもとても頑丈な改造がされているように見える。


 朝食後、動物の世話を終えた私は周囲の土地の一部を耕して広げた畑の様子を見る。自生していた苗や救荒植物がある地点にはグミの木もあるので、此処には先生に懐いている野鳥たちの鳴き声がよく聞こえる。

 元々この地にいた野鳥たちはともかく、この地に来た動物たちも何故かすぐに慣れた。特に先生のいう事はよく聞く。正直先生に何かされた可能性も考えていたが、特に何もしていないらしい。順番に採血はしていると言っていたが、上手いものだ。どんな動物も注射をしたりするのは暴れたりするので大変だ。しかし先生は動物たちに声をかけながらさくっと採取する。動物たちも特に暴れたり吠えたり鳴いたりすることもない。そもそも遺伝子工学専攻と言っていたが、採決の手際が良いし、薬剤の処方もすると言っていたはずだから医療の知識もあるのだろう。実際研究所で覚えたと言っていたし。

 畑の畝にはイモ類や大根などが植えられており、後は植え付けを一緒に行った小屋瞳さんによると、よくわからないもの、らしい。私も詳しくは無いが、確か毒を持つものも多かったハズ。大丈夫なのか聞いたら、それは先生リーダーによる無毒化が行われた品種であり、遺伝子組み換え作物も一部実験栽培するのがこの畑という事らしい。

 正直一朝一夕で結果の出るものでは無いが、それは動物園で飼育員をしていた時でも同じことだし、なんなら成長過程を眺めつつ、衰え亡くなるまでのすべてを傍で見続けるハードさは植物の世話をしているときには感じられない。そういう意味では気楽なものだ。


 他に気になることと言えば片平兄妹くらいだろうか。本来は赤の他人のはずのこの二人だが、私は妙に気に入っているところがあると自覚している。一時期自分の子供と口に出したことが影響しているのか、ふとした拍子に気になるのだ。その片平兄妹はこの平穏を投げ出し、苦難の道へ進もうとしている。

 父である佐沼さんの跡を追おうとしている。小屋姉妹が言うには南方に行ったという事らしいが、それもあくまで多分ということらしい。

 センダイ南部は空港のある隣の島で攻略が完了している。センダイを中心に広がる平野部をゾンビの脅威から解放しようとすればさらにその南まで行く必要があるし、そういった人がいるところには行かないだろう。センダイに寄ったのも一時的に資金や物資を得るためだと本人が言っていた。更に言えば、佐沼さんは自らがゾンビと同じものになり子供たちを襲うことを厭い離れたのだ。そう簡単に手の届くところに行かないだろう。

 離れることを逃げることととらえれば行き止まりにはいかない。センダイで準備を整えた後は戻ってかち合うことを避け南進した。ここまではわかる。問題はその先だ。海沿いに行くのか内陸沿いに行くのか、それとも山を越えて西に行くのか。先生は言っていた。


『感染した結果、身近な人を襲いたくないというのはわかります。ですがそれは必ずゾンビになる、という思い込みによるものである可能性があります。もしゾンビにならず、そのまま小康状態を維持し続ければ考えが変わるかもしれません。また、この国からゾンビが駆逐され、治療法が出来た時、もしかしたら治療できるかもしれない。再び子供たちに会えるかもしれない。そういうふうに考え直すこともありますし、なんなら日々を過ごすうちにもしかしたら自分はゾンビにならないのではないかと考えが変わるかもしれません。誰もいないところで自死を選ぶならセンダイには来ないでしょう。人目を避けつつ、治療の当てを探してトウキョウ郊外、狩猟が出来そうな場所に雲隠れしている。案外、そんな可能性もあると思いますよ』


 私が佐沼さんと会った時には、確かに思い詰めているような表情は見えたが、すぐに死ぬかもしれないと思わせる表情は見なかった。気が変わったのかどうかはわからない。だが自分が残してきた子供たちのことに対して保険をかけるようなことをしていた以上、自身がどうなってもいいような備えをしていたのではないかと思う。

 そんな保険も残念ながら彼らの親を思う心には通じなかったらしい。親の心子知らずとはよく言ったものだと思う。それでもやはり二人のことを心配してしまうのは、私が勝手に思い入れているだけだろうか。それが無かったとしても、どうしても小屋姉妹や中谷里さん、いや、千聖ちゃんと比較してしまう。

 彼女は戦闘力特化とは言っていたが、それにしても手心がないというか。元々先生の元に集まったメンバーだから多少溝はあるにしても情け容赦がない。中谷里さんだって、笑顔で目の前の人間にデッドオアアライブの二者択一を迫るようなところあるし。まああの質問は二択じゃなかったのだけれど。


『貴女には二つの道があります。私を信じるか、自分自身を信じるか。あなたはどれを選びますか?』


 印象深い質問だった。中谷里さんか私か。後から聞いた話だが、これ、どちらを選んでも死んでたらしい。死ぬというのはもちろん形として。違ったのはその後のことだ。放逐されるか、迎え入れるか考えていたらしく、どちらか一方だけではだめで、自分の選択で相手を信じる必要があったらしい。

 答えは自分を信じて、貴方を信じることにする。状況に迫られて選ばされた回答では先が開けない。かといって独りよがりな選択で死ぬのであれば周りを巻き込むな。どちら、ではなくどれを、というところがポイントだったらしい。

 それとこれは中谷里さんにオフレコでと頼まれたのが、自身も同じ質問をされた経験があるというもの。この話があったから、私は先生と会った時に、中谷里さんが先生を信頼していても愛しているようには見えなかった原因だろう。恐らく先生が中谷里さんにした質問なのだろうから。

 吊り橋効果なんて都合のいいものはないんだなあ、なんて益体の無い考えが脳裏を過り、結局変わった集団だなんて思えるのは平和ボケしすぎだろうか。


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