第27話
一応の謹慎期間を終えた僕たち中央防衛隊の面々はセンダイの防衛隊の面々との合同訓練やゾンビ研究所でのカンファレンス、市街地内にある裏町と呼ばれる場所での情報収集などをしつつ、久々となる作戦会議を行っていた。
「どうやら街からの要請で北部工業団地での第何次かわからん接収任務を行うらしい」
「接収? 稼働している工場があるんですか?」
「いや、やることはスカベンジャーと変わりないらしい」
「え? それじゃあほとんど残っていないのでは?」
「残っているからこちらにも話が来たのだし、残っている理由もあるのだろう」
「それってもしかして、かなりきつい任務じゃないですか?」
「以前に作戦を実行した時は変異体ゾンビに阻まれて断念したらしいが、今回は間口を広げるそうだ」
軍曹曰く、スカベンジャーとの合同任務らしい。正確には一部の大規模なスカベンジャー集団との情報交換や資材の融通、拾得物の購入などの措置が取られるらしいとのことだった。
センダイの軍からもたらされた情報をまとめたものには、センダイの北、タイワとオオヒラの境に広がるトミハラ自動車の製造工場を中心とした一帯にある物資を接収しようとして工場にいたゾンビに反撃を喰らい撤退した、とのことが記されていた。
自動車部品を回収しようという作戦なのは理解した。しかし、あの目敏いスカベンジャー集団がそれを易々と許すだろうか。一応、センダイの防衛隊の一部である南方方面部隊はスカベンジャーを従えている。その実績があるからスカベンジャーを傘下におさめることが出来ると踏んでのことだろうか。
「風間、笹美、どう思う」
「難しいかと」
「私も同意見です」
元々協調路線で活動してきた南方方面部隊と違い、センダイ北部はスカベンジャーの縄張りだ。話によればヨシオカという工業団地に近い土地にはスカベンジャー達の拠点が並んでいるという話も聞いたことがある。
「センダイ防衛隊の内部でもそういう見方が大勢を占めている。スカベンジャーの縄張りに横やりを入れに行くようなものだ、とな」
「上が躍起になっていて、前線が消極的ってことですか。これ上手くいきますかね?」
「難しいだろうな。風間、スカベンジャーたちの反応はわかるか?」
「俄かに活気づいていた印象はありました。防衛隊が参加することについては分かりません」
「……ふむ。誰か特定の相手はいるか? 情報の提供に協力してくれそうな相手だ」
市街地西側の裏町には僕と笹美が当たっていたし、他の先輩方も別の場所にある裏町を当たっていた。軍曹はセンダイ防衛隊との折衝をされているから除くとしても、考えられる相手がいるだろうか。
「こっちは難しいですね。南東のやつらなんですが、街と海側の両属とかで北のきの字も出ませんよ」
東側を当たっていた先輩がそう答える。そもそも東側は立場が難しい上にスカベンジャーとは名ばかりの組織の子飼いになっているものも多く、どちらかといえば取引現場のようになっているらしい。情報に対する見返りは情報で。そういう世界だと言ってコメントを終えた。
「一組あたってみます。規模は小さいですがやり手の運び屋がいます」
ちらりと霧瀬を見れば片眉を上げてこちらを見ていた。どんな感情だろう。本気かと聞かれているようでもあり、彼女たちかと疑問を呈されているようでもある。
彼女たちと直接話したこともあるが、どちらかといえば彼女たちに関する噂の方が、より強かさを感じるというか。小規模ならではの軽いフットワークに物資の調達も広範囲で行っており、同業とかち合っても上手く調整し、それでもしつこい連中はいつの間にか消えていた、なんて黒い噂もある。
とはいえ、そんな噂すら彼女たちが調整したのか、彼女たちを深く知る人間は少ない。小規模で、構成員はほぼ女性。武装も物資も取引先も豊富で彼女たちの悪い噂をあまり聞かない。
個人的には自分の拙い気持ちをぶつけてしまって気まずくはあるのだが、渡りをつけるくらいであれば何とかなるだろう。
そう思っていたのが数日前。
裏町の何でも屋で出会った彼女たちから僕と霧瀬にコンタクトがあった。スカベンジャー合同で北部の工業団地へのスカベンジが行われるため手を貸してくれないかと打診があったのだ。
彼女たちの話ではスカベンジャー達による独断専行らしいが街か防衛隊による扇動を受けてのことだろうとしっかり見抜かれていた。それにより思わぬところからも参加が予想されるため防衛隊に先んじて自動車工場へ潜入することにしたらしい。
この辺りのリスク管理は流石だと言えばいいのだろうか。物資回収というよりは状況の調査に留めるという考えが透けている。スカベンジャー合同ということから下手に奪い合うより被害を抑える方向で動くつもりとの事だ。僕と霧瀬は彼女たちの護衛として雇われたのだ。
この報告を受けた軍曹は僕たちにゴーサインを出した。彼女たちについて詳しく知らずとも、防衛隊の前哨基地としてヨシオカに治安維持の目的で派兵が行われるらしく、何かあればそこまで引いてくれば何とかしてやれる、との事だった。因みにヨシオカへの派兵は既に行われており僕たちよりも先に中央防衛隊より数名が組み込まれて先発している。
彼女たちから打診を受けて数日後には僕と霧瀬はトラックに揺られて北上していた。運転席と助手席には小屋姉妹。後部座席には霧瀬と以前出会った少女、彩ちゃんを僕と彩ちゃんのお兄さんである判君で挟む形だ。後部の荷台には中里さんとゲージに入った犬が。更にこのトラックには小型のキャンピングトレーラーが繋がっていて、思ったよりもずっとパワフルだ。トラックの後部座席の座り心地もよく、短い時間ではあったが霧瀬は彩ちゃんと随分仲良くなったようだ。
トラックはタイワインターで降りた。同じように抜け駆けするスカベンジャーたちの一応の合流地点がヨシオカ周辺らしく、僕らにとっても都合がいいのでヨシオカに到着しているであろう中央の防衛隊員と一度連絡を取ってみることにした。僕らの案内は片平兄妹と彩ちゃんが連れているたんぽぽという犬がしてくれるらしい。しっかりと躾けられているようで、リードを強くひかれている様子は一度も無かった。
「私達よりぽぽのほうが人気らしいので気を付けてくださいね」
話だけはきいていた。非常食として様々な動物が市場に流れていることを。そのなかでも犬というのは比較的メジャーな存在であり、赤身と値札だけの存在だけだったのにこうして目の前にいると、なんとも気まずさがあふれてくる。僕はまだ食べたことは無いが、それでも近い未来でそういう機会が訪れる可能性は十分にある。
「犬は鼻がいいから見張り役として有用ではあるんですけど、それよりもゾンビ化した時のデメリットの方が、ね」
野生の動物型のゾンビはトウキョウにいる時に見たことがある。あの時は隔壁の警備担当の先輩と一緒だったが、とても鮮やかな手並みだった。引き込んで紙一重で躱しながら傷を与える。鼻先を蹴り上げて喉を晒させ一閃した人もいた。落ち着いていればすぐにできるようになると言っていたが何年も対ゾンビの最前線に立ち続けているだけあって、人一倍肝が据わっている人たちが多いのが中央本部の防衛隊員だ。
犬は防衛隊に一部の災害救助犬がいた以外は大抵がゾンビとなったゾンビ犬の方が見慣れている、そういう人の方が多いと思う。犬に関わらず4つ足のゾンビ化した動物に対する対処法は生身で相対しないこと。長物や遠距離武器で距離を取って対処するなどが基本的な立ち回りになる。それに体術で対処するには相当の経験を積んでいないととても危険だ。
彩ちゃんの隣をとことこ歩くたんぽぽは彩ちゃんの傍を離れずに僕らについてきている。
ヨシオカを縦断する国道からヨシオカ市街地へ入る。実はヨシオカの西の端には防衛隊の駐屯地があったが、現在ではヨシオカを拠点とするスカベンジャーの拠点となっている。物資や資材は既になく、随分前に撤退しセンダイまで退いて再編されている。作戦失敗による撤退らしい。おそらくトミハラ自動車工場での作戦だと思う。撤退の可否や責任の有無についてはとやかく言うつもりはない。ここにスカベンジャーたちが拠点を維持できているのも彼らの作戦があったからだと言えるし、そうでもないとも言える。
僕たちは市街地に入って直進し、いくつか交差点を折れた場所にある地方銀行にたどり着いた。ここは最近になって移動したスカベンジャー集団がねぐらとしていた場所で、広い駐車場がある。とはいえ通りに面した場所はバリケードが張られている。裏口から元駐屯地へ行く道のみが整備されている状況で、銀行跡は休憩所代わりに使われているそうだ。
僕たちは駐車場に片平兄妹を残し店舗入り口からこちらを様子見していた隊員に合図を送る。ややあって見なれた隊員の顔を確認すると、僕らを迎え入れてくれた。
「よう、お疲れさん」
「いえ、これからですよ」
「それもそうか。こっちだ」
窓口には後から設置されたであろう金属の面格子がある。待合用に設置されていたであろうソファの類はバリケードとして窓際に配置されており、僕らは行員用のスペースの奥にあった扉に案内された。中には中央の防衛隊員である三名の隊員が揃っていた。その中にはケガから復帰した運転上手な先輩と軍曹と付き合いの長い二名の先輩がいた。
「お疲れさん、噂のスカベンジャーはどうよ」
「お疲れ様です。作戦自体は生存第一ですね。トラックやトレーラーで勘違いさせているのかもしれません」
「へえ。意外と安全策なのか」
「どうでしょう。潜入するようなので、もしかしたら既に工場内の状況を知っているのかもしれません」
「センダイにいたスカベンジャーだよな? それともこっちが知らないだけか?」
「街側はトミハラから施設の詳細もらってるだろ、さすがに」
「センダイのやつに問い合わせても返ってこないってことは、俺らが嫌われてんのか」
「作戦前のブリーフィングで説明するとか言ってたけどな」
じんわりと嫌厭感が部屋を満たす。中央防衛隊のセンダイの立場は微妙だ。政府の指示には従うが、此処でやって来たという自負がセンダイの防衛隊員にも、この地のスカベンジャーにもあるだろう。それを理解していない街側の人間が悪いのか、こんなことで主導権を争ってる僕らが愚かなのか。
「今回何を探すか聞いてるか?」
「いいえ」
「自動車のパーツもそうだが、電気自動車の部品がメインらしいぞ」
「そうなんですか?」
「中央への福利厚生らしい。ハイブリッド車を融通するとかなんとか。俺たちを分断したいんだろうさ」
「特に風間、お前だ」
「自分、ですか?」
「分かりやすい広告塔が欲しいんだよ。センダイの防衛隊幹部からすればお前の戦果を押し出すだけでスカベンジャーを纏められると思ってんだよ」
「難しいと思いますが」
「それがわかんないからこうなってるのさ。ただでさえ少ない人員しかいない俺たちを有耶無耶のままにセンダイに再編させたいんだよ」
「前から思っていたんですが、私達って中央の指令を実行するのであればトウホク最大規模のゾンビ研究所の指示を仰ぐべきなのでは?」
霧瀬の質問に先輩は苦笑いを浮かべる。要は指令のひとつであるセンダイの大学病院に協力しゾンビの研究を進めればいいのではないかという意見だ。
「各都市にあるゾンビ研究所のパトロンは大体が行政だ。本来都市を守る防衛圏の内にある施設だから、病院越しに都市の指示も聞く必要がある。もっと言えば俺たちは病院に資料を届けた時点でお役御免。指令に従うなら、トウホクの人民の安寧に尽力せよって命令に従わなくちゃならん。で、俺たちは防衛隊員だからどうしても補給がいる。じゃあその土地にいる防衛隊にお願いするしかないよな?」
「そうですね。ですが都市からの指示は聞く必要ありませんよね?」
「言い方次第なんだよ。トウキョウから来た中央防衛隊に予算を割く理由は無い。それは心苦しい。だからせめて少しでもここでの生活を応援するべく、車を支給する。ただしモノは自分でとりに行ってね、っていう。他の場所じゃ普通に一方面任されるとかあるそうだぞ?」
「えぇ?」
「正直、物資や資材の回収許可が行政から出されるってほとんどないぞ? 警察機構がほとんど機能していないから表向きは何ともなってないけど、行政がスカベンジャーに防衛隊を派兵してもおかしくないからな」
生きるために罪を犯している。そしてそれをあえて見逃している。それが行政側の言い分だ。しかし法治国家でこんなことが許されているくらいに、この国に限らず世界中で治安が乱れている。更にゾンビの被害に隠れているが、人間同士の争いがあるのを、僕は知っている。
「一応この町を中心に治安維持のために防衛隊を展開するってことになってはいるけど、本題は別だ」
「そうなんですか?」
「ああ。俺たちは情報収集部隊だけど、本来は別の場所を調べることになってる」
「別の場所ですか」
「ああ。センダイの防衛隊上層部にきな臭い動きがある。俺たちがお前たちのバックアップであることは間違いないけど、センダイの防衛隊の情報収集も俺たちの仕事だ」
「……なんか、不毛ですね」
溜息をこらえた霧瀬の発言がすべてだろう。そもそもこういうことをしないといけないと判断した軍曹の判断自体は疑うべくもない。ただし、この現状自体には少々疑問が残る。正体のわからない何者かの指先で背筋をなぞられるかのような不快感。直感といえばそれまでだが、どうしてかそれを無視する気にはどうしてもなれそうになかった。
「お仲間と話は出来た?」
合流地点でこちらを待っていた小屋姉妹の妹の方、愛美さんが口を開いた。
ヨシオカから国道を横断し自動車工場へ向かっている最中のことだ。思考の海に飛び込んでいた僕を引き戻す一言だった。
「ええ、まあ」
「そっか。とりあえず今回は西側から入るけど、判くんと彩ちゃん、つるちゃん連れて行ってね。私たちが先導、回収するから」
「危険があればぽぽが反応します」
「俺は罠とボウガンで足止めに専念しますんで」
「僕らが前衛ですね。わかりました」
これまでの打ち合わせ通り。改めて事実確認といったところだろうか。判君のボウガンとは所謂ピストルクロスボウとよばれるものだ。基本的にはサイズに応じた射程の短さと簡易性を両立したものだが小ささ故の低威力が問題といえば問題か。それも足止めに専念するというのであればあまり気にならないだろう。
「基本的には他のスカベンジャーに譲る感じでいいよー?」
「いいんですか?」
「うん。私たちは今回他のスカベンジャーに恩を売りに来てるようなもんだからね」
「恩、ですか? 物資はいいんですか?」
「今回一番売れるのは情報じゃないかなー。一時的なモノより、立場とか伝手とかコネとか、それこそ情報とかの方が有用だろうしねー」
「なるほど……」
今後を見越した行動に、スカベンジャーとは何かを突き付けられたような気さえする回答に思わず唸ってしまう。そして強く納得する。こういった強かさこそ彼女たちに感じたものだったのだ。
「
「ええと、まあ、はい」
「別に答えなくていいのに」
からからと笑う彼女の声が響く。弛緩した空気が流れる、作戦前とは思えない雰囲気だ。中里さんも気負いのない自然体でいたことから、元来これくらい余裕のある集まりなのだろう。
トラックは田園地帯跡を抜け、木々に囲まれた団地を尻目に丘の上の大通りに出る。片側二車線、見通しのいい通りの奥に工場のようなものが見えた。ようなものというのは敷地もそうだが建屋の規模や数が見たこともないほど多く広大であるからだ。
西口には既に車両によるバリケードが張られていて、その手前の交差点を囲むように大きなトラックが並んでいる。
ここに来るまでに路肩に駐車している車両に小屋姉妹が時折声をかけたり手を振ったりしていることから既に彼女たちの作戦は始まっているのかもしれない。
「あそこ。輸送センターっていうのがあるんだけど、オーダー車両の最終チェックする場所ね。他じゃ納整って言われたりしてるところ」
「あそこに行くんですか?」
「ノンノン。あそこは競争率高いしまずは退路を確保ね。敷地外周を北上して正面から行ってもいいし、ショールーム行ってもいいし」
情報を得るための伝手としてここまで来たが、そもそも今回は相手からの依頼だ。つまり報酬がある。情報のやり取りが必要になるという事を見透かされて具体的な報酬は無いかと思っていたが、そんなことはなかった。
「目的地は正面入り口ですか?」
「東以外ならどこでも、かな」
「東には何があるんですか?」
「さあ? 何かあるかもしれないし、何もないと思うけどね」
そういう情報があったという事だろうか。内容を吟味せず、とりあえず危険な場所には近寄らないということだろうか。
「東は前に失敗してる。行くとしても後から」
「まあそういう事だねー」
「なるほど、分かりました」
「ちなみに東には何があるんですか?」
「キルゾーン、かな」
興味本位だろう霧瀬の問いに間髪入れずに返って来た言葉には温度が無かった。この感じでは相当危険なのかもしれない。それと何があっても東のエリアには近づかないであろうと。
以前にもこの工場には防衛隊が接収作戦に入っていると聞く。そのうちの何回目かがその東エリアへの作戦だったのかもしれない。それを考えると防衛隊の人間としてはその状況を知っておきたいという考えも湧き出てくる。
そんな脳内とは対称的に車内の空気は冷え切っているような気がする。片平兄妹もどこか所在なげだ。霧瀬もどう反応していいか迷っているかのように見える。
「ま、何はともあれ偵察が先。場合によっては東にも行けるかもしれないしね」
西口を通過する。工場内に向かうトラックの列の一部となって工場内へ運ばれる。
思考を切り替える。僕は未だに大した人生経験もない赤子のような未熟者。僕に出来るのは、培ってきたのはゾンビを倒す技術だけ。すべきことは剣を振ることくらい。そして彼女たちとの信用を築き、情報を得て中央防衛隊の一員として市民の安寧に尽力すること。
彼女たちからの報酬でもある、センダイの情報ルートの紹介も僕らの働きにかかっているのだから。
敷地内北側にあるショールームはほとんど廃墟と化しており、そこに人がいたであろう形跡を残していた以外はゾンビの徘徊する場所となっていた。
敷地中央部、工場建屋の連なる場所は北西部が正門となる。そこに最も近い部分に数台のトラックが停まり、今も数名のスカベンジャーたちが盛んに出入りしている。
彼らは長物を用いて退路を確保していた部隊のようで、散発的に存在していたゾンビからトラックを守るために戦っていた。
工場周辺を回り込み、僕たちは敷地北側のショールーム跡をチェックすることで退路を確保し北側から探索を開始していた。搬入口や搬出口を避け関係者用入口から慎重に進んでいたが、工場施設内を戦闘しながら進んでいた他のスカベンジャー達を避けながら進み、管制室や運営事務所等を探索していた。
工場を北から南へ抜けた頃には凡そのスカベンジャー達は工場の中央部分まで入り込んでいるようで、僕たちが到達した工場の南部はがらんとしていた。もちろん人がいないというだけで、南の建屋の周辺、内部にはしっかりゾンビは存在していた。ここはどうやらボディの塗装工程を行う場所のようで、そのトンネルのような入口周辺にたむろしているゾンビたちを片付けたところだ。
塗装は塗料のプールに浸す工程の後、乾燥を繰り返すからか天井から流れてくるレールやアームがそこかしこにある。物陰にいるゾンビや何故かレールに引っ掛かっているゾンビなどもいて、たんぽぽにはすごく助けられている。
「分かってたけど、大変ね」
「ワンッ!」
霧瀬の言葉にそれな、とでも返すたんぽぽ。工場北から南に縦断してきたが、ルートとしてはレールを遡っているらしい。こちらは彩ちゃんを中継として進行しているが、時折休憩時間がとられていた。その間も頭上の連絡通路を走っている中里さんには悪い気もするが必要なことなのだろう。
とはいえ、恐らく何をしているのかは予想がつく。たんぽぽの嗅覚によるゾンビ探知以外に必要なこととして事前に挙げていたことでもある。
「ほんとに他の人と会わないな」
「まあ、万が一があるらしいので」
判君が言ったことが理由だ。万が一という前提はあるが、スカベンジャーと対峙する可能性があるということ。スカベンジャーの後ろは良いが、対面するのは避けるべきという方針がある。物資の獲得中にかち合おうものなら一触即発状態に移行する可能性があるというのが愛美さんの意見だ。
考えてみれば限られた物資を得るのに手を伸ばす者が多ければ争奪戦が繰り広げられるのは当たり前の話で、それは防衛隊にいた僕や霧瀬が知らない世界だ。いや、知ってはいても理解できなかった世界とでも言えばいいのか。分け合うという考えが存在しない熾烈な生存競争の中にいる人々に、僕たちを合わせて予想できない事態になることを避けたいという思いをひしひしと感じる。
「もうちょっとで抜けられるそうです」
「了解」
彩ちゃんが通信機片手に報告を伝えてくる。彼女は僕らの背後で中継役兼たんぽぽに指示を出す役割をしている。腰につけた大鉈は抜かれておらずそのままになっている。たんぽぽがこの班の囮となってくれている以外は、基本的に彼女の傍にいる。たんぽぽなら大丈夫といいながら下手に振り回すくらいなら盾にするのがせいぜい、と言われたらしい。彼女にそれを教えたのは小屋姉妹のお姉さん、瞳さんだろうか。
とはいえ僕らの進むペースに遅れたり、疲労困憊になってはいないことから体力的に問題無さそうではある。
建屋を抜けると工場南側の広い敷地の右手に巨大なビニールハウスが見えた。
「あそこが最後だそうです」
「ビニールハウス? 自動車工場で野菜でも育ててるの?」
「そうですよ?」
「えっ」
「えっ?」
まさかとおもったが本当にそうらしい。霧瀬の言葉に反応した彩ちゃんは当然、とでも言いたそうに返したが僕も正直驚きではある。
曰く、工場の排熱を再利用した野菜の栽培システムがあったらしい。現在では管理されていないのでどうなっているか分からないとの事だが、単純に素晴らしいシステムだと思う。もちろん現状に合わせて使うには多くの問題があるだろうがそれでもこういった人の営みに直結するようなものがあるとは思ってもいなかった。
連絡を受けた彩ちゃんに先導される形でビニールサウスの前まで来たが、これは本当にビニールハウスといっていいのか。まずはその大きさだ。奥が見通せない程の広さであり、高さも一軒家より高い。それが敷地奥まで連なっているのだ。
入り口前には小屋姉妹がトラックをつけて待っていた。荷台に何らかの機械部品が載っていることからある程度の収集は済ませたのだろう。
「お疲れさまー」
「お疲れ様です。あの、これは」
「野菜の栽培工場だね。まあ軍ならこういうのでもいいかなって」
「え、軍ですか?」
「そ。軍の立場上げるならこういうののほうが民意を得られるんじゃない? まあこのサイズの温室を維持する排熱量がある工場は無いでしょうけど」
「ですよね?」
「でも土地はあるでしょ? 自動化は無理でも、ビニールハウスの建設素材何かは今まであまり人気もなかったし、何より食料生産のために人を集められる。人とモノを集めるために動きやすくなるんじゃない?」
それはそうだ。そう、なのだが。何かが引っ掛かる。動きやすくなる、とはなんだろう。僕らの現状を知っているかのような言動に、背筋に怖気がはしる。
「何か知っているんですか?」
「何かって何?」
霧瀬も同じように思ったのだろう。つい口をついて出てきた言葉にも、愛美さんは笑顔で返す。
「軍が直接使わなくても、上手く使えば町に物申すくらいは許されるようになるでしょ。まあそこはそっちで上手くやってもらうとして……」
「愛美、オッケー」
「はーい。入口も開いたみたいだし、此処を探ったら一度引こうか」
「……了解」
僕らの今回の任務は護衛だ。だからこそ彼女たちの行方に口を出すようなことはしない。ただほんの少し、気持ちが悪い。尻が据わらないというか、得体の知れない不快感というか。それを感じていることへの罪悪感もセットで。
「ふふ、安心してよ。報酬はきっちり払うからさ」
こちらを振り返って柔らかな笑みを浮かべるのは天使か悪魔か。つなぎを愛用していて自分はひ弱だと主張する彼女こそ、何か得体の知れない存在のような。その瞳の奥にある考えは見透かせない。目の前の女性はただ口角を上げ目尻を下げている。
ふと遠くで大きな衝突音が聞こえたような気がした。音の方へ振り返ったところで何があったかはわからない。周りにいた同行者も僕と同じように振り返って様子をうかがっている。
「……あー、うん。聞こえた。……うん。分かったー。じゃあそういうことで」
愛美さんが通信機越しに話をしていた。辺りを見回して、ようやく気が付いた。中里さんがいない。工場を出る前までは同じ工場内にいたはずだ。
「周辺警戒中のつるちゃんから報告ー。内ゲバ始まりそうだから急ぐよー」
「内ゲバ? え、同士討ちというか、トラブルですか? 中里さん一人で大丈夫なんですか?」
「つるちゃんがってわけじゃないから。さ、急ぐよ。最悪入口を強行突破する必要があるかもしれないし」
いくよー、なんて声を上げながらビニールハウスに向かう彼女を見送って、それぞれが歩き出す。再び大きな衝突音が響く。先ほどと同じ方向だ。
正直今のメンツでは正面切って戦闘するのはかなり危険だ。逃げを打つのは賛成だ。賛成ではあるのだが。
どうにかできないだろうか。
この時の真相を知るのは今からずっと先のことだ。この時僕は、きっと話し合えば。交渉次第で何とかなるなんて考えていた。
今の状況でそんなことを言う人間なんて、いるはずがないのに。
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