第22話
深夜の運転は俺がすることになる。暗いのにゴーグルして見えるの、なんて質問は既に声色を再現できる程度には聞いている。小屋姉妹のアジトに前のりしていたドクターとトレーラーを回収して、俺たちは一路北へ向かっていた。
助手席には小屋妹を寝かせて、後ろには小屋姉、ドクター、印東が。荷台には千聖がスタンバイしている。千聖はアジト内を使って片平兄妹と鬼ごっことかくれんぼを合わせたような訓練をしていたらしいが、及第点は犬のたんぽぽくらいにしかあげられない、とのことで今回は何故か気合が入っている。アイツもストレスたまってたんだなあ。
「ねえ、リーダー。これが終わったらちょっと視力検査しましょう?」
「見んなドクター。リーダーはこれがデフォだぞ」
夜目が利くので明かりはいらないし、国道沿いは街灯そのものが太陽光パネルで電力を賄っているものもあり、然程暗くない場所だってあるんだけどな。まあその国道を脇目に裏街道や細道を使っているので気が気じゃないというのは理解はする。しかし高速道路の入り口は軍が抑えてるし、俺が運転しているときは高速道路は基本的に使えない。今回はセンダイ北部のイズミあたりから国道4号に近い道を選んで北上し、団地内から別の団地を繋ぐ県道を走ってヨシオカの南で国道を横断する。
センダイはイズミの北、トミヤの北部の国道4号線と、遠くに見える高速道路の周囲は田園地帯跡が広がって見晴らしがいい。ただし、見晴らしがいいのは国道からのみで、高速道路には一部風雪避けの高い壁で囲まれていてどちらからも見通すことはできない。しかしタイワインターの近くになるとその壁もなくなるためこの辺りから注意が必要な場所になる。
ヨシオカの連中が気にしているのは町の人間以外の存在だ。相手が誰であれアポイントメントもなく縄張りに入る相手には注意や警戒、警告になんなら威嚇、自衛という名の先制攻撃があっても不思議ではない。
徐々にかけていた睡眠の魔法の効果が出始めたあたりから車から出る音や車そのものを薄くしている。千聖は季節外れのコートをまとっていたので多分大丈夫。残念ながらそのまま荷物として運ばれてくれ。
国道を横断し、高速道路の下を通過して後は北上するだけとなった今、この車から出る音はほとんどなく、遠目に見ても夜闇に紛れていて見つからないはずだ。そう思っていたが、残念ながら見事な月明かり。久々に全力の隠蔽魔法セットでさっさと北上する。
タイワに入り、高速道路を左手に見て橋を二つ渡り、農地跡を突っ切って山間にぽつんと伸びる細い道を駆け上がる。学校跡の敷地に入るには車両止めを排除する必要があるが、そのロックも南京錠という脆弱さだ。静かに車から降り車両止めを外して、千聖を起こす。
「……おい」
「! ごめん寝てた」
「別にいい。俺は一応ここ見てくるから、お前はここ見張ってろ」
「了解。……え、みんな寝てる?」
「おう。一応道は選んだが、あんまり気を抜きすぎるな。中のやつ起こして警戒させとけ」
言うが早いか、俺はさっさと校舎内に侵入し、片っ端から部屋の扉を開けてゆく。この2階建ての校舎は既に全て確認してあるし、到着前から探知範囲に反応が無いことは理解していたから、必要なのはとりあえず確認したという証明くらいだ。
校舎内に入ってからは北の端にチラチラと反応がある。ゾンビが多く人間は思ったより少ない印象。とはいえ数はここ最近ではかなり多い方だ。
ざっと確認し校舎2階のベランダに出てみればトラックから降りた面々が思い思いに準備をしていた。運転席は小屋妹か? 俺はライトをつけて確保したというサインを送る。程なく千聖から了解のサインが帰ってくると車は学校跡敷地内に入って来た。
俺が合流する頃には千聖が単独で体育館を確認していた。
「随分疲れてんな。印東もあんまり根を詰めんなよ」
「悪い、リーダー」
「ごめんなさい」
小屋姉と印東の二人で謝罪するが、俺は特に反応を返すことはない。後ろめたさを隠すために、体育館に目を向け、車に目を向け、そしてドクターが寝ているのを確認する。
「ここから工場までは目と鼻の先だ。俺が先に行くから、お前らは安全が確保されてから来い」
「オッケー。先にドローンで入口あたり見とこうか?」
「頼んだ。小屋姉、校舎の2階と屋上使え。階段一つしかないから守りやすい。それまでは休んでいていい」
「わかった」
「千聖」
「なに」
体育館の確認を終え出てきた千聖にも声をかける。コイツと先行してもいいが、流石に後衛二人の面倒まで小屋姉に押し付けるつもりはない。
「守りは小屋姉に任せて何かあった時のために控えておけ」
「……了解」
「じゃあ任せた。一時間後に連絡する」
そうして俺は月明かりの下、ゾンビの反応がある方向へ駆け出した。
セントラルエネルギーは谷を挟んだ向こう側にあるが、丁度団地内を抜けるような幅の広い道にアクセスしやすい位置にあるため、徒でも直ぐにたどり着くことが出来た。通りからやや離れた位置から今は雑木林に紛れて近づいている。
『南側に手前と遠くの二か所の入り口あり。歩行者用入口も複数あるからどこからでも入れそう』
「見張りもいないか」
『南側はいないね。これから東側チェックする』
「南側手前から行く。後の報告はこちらからだ」
『了解』
高台にある工場を見上げているのに余裕で見上げられるほどの高さにあるほどの大きな工場。この建屋があと5つあるというのだからどれだけ大きい工場なのか。
探知の魔法には少数のゾンビ反応。隣の建屋にも少数。ゾンビや人がいるのはさらに奥の建物なのだろう。ショートジャンプと姿隠しの魔法で一気に近づく。工場敷地内に入った俺は凡その配置を理解した。
事前に小屋妹とドクターの情報から一番奥、北東にあるのが第1工場、南に並んでいるのが第2、第3工場。その3つの工場の1.5倍ほどの大きさで出来たのが中央の第4、第5工場。そして同等の規模の第6工場が一番西にある。ゾンビと人間は一番奥の第1工場に集中しており、どうやらここにいたスカベンジャーの集団は大幅に数を減らして閉じ込められている状況のようだ。
工場勤務者の為か北西と東側に大きな駐車場があり、こちらにはトラックはほとんどないことからスカベンジャーは恐らく西から回り込んでいったのだろう。こうして俺たちみたいな集団が来ても先手を取るためならわかるが、そもそも工場の制圧の時点でしくじったようだ。
まずは一番新しい工場である第6工場に潜入する。外階段がついており、高さは地上5階建てほどの高さでかなり大きい。まあまずはゾンビがいる場所に向かって行こう。
外階段から4階へ。大小の部屋にいたゾンビを風の魔法を使って派手に解体し、処理してゆく。トイレの個室にいたゾンビは念動力の暴発で壁の染みになった。フロアを突き抜けて設置されている、工場設備が見下ろせるスペースまでくると、上から残りのゾンビに狙いを定めて首を飛ばしてゆく。
ゾンビの数が少なかったことは良いことだが、工場自体が広くて単純に時間がかかる。施設内でもショートジャンプで移動しているが、細かい廊下の先や事務所、監視室、会議室など意外と細々としたスペースも多い。
「俺だ」
『お疲れ様。どんな感じ?』
「第6工場制圧。次は第5だ。ここが終わったら回収開始してくれ」
『はっや。え、あんまりゾンビいなかった?』
「集まっているのは恐らく最奥の第1だろう。せいぜい2,30しか相手してない」
『さっすが。了解、準備しておくね』
「ああ、頼んだ。また連絡する」
工場内の見分は後だ。俺の仕事は安全確保。先ずはゾンビや俺の邪魔をする者を排除してゆく。
久々の感覚に血が熱くなるのを感じる。しかし頭や手足はどんどん冷え切ってゆく感覚。ゾンビを相手に生きてゆくためにがむしゃらだった時代。それに似た感覚。やるべきことは只々シンプルに。俺は探知を情報をもとに隣の工場へ向かうことにした。
同じように第5工場を制圧し、更に隣の第3、第2工場を制圧したことで南側の安全を確保した。第3工場が終わった段階で残っていた全員が回収に来た。どうやら第6工場で生産されていたものは比較的新しい型のリチウムイオン電池だったらしく、印東が型番を確認したところ小屋姉妹は少しだけ残念そうにしていたが、使えそうなものを回収することは変わらないようだ。パッケージング前なら比較的容易に転用可能らしく、これはこれで使い道があるらしい。
第2工場制圧中に来たのはドクターだ。起こさなかったことをなじられたが年のことを言ったら何故か変に興奮していた。変態か? 変態だった。とはいえ、第2工場もほぼ制圧完了間際で、特に大した負担にもならないのがわかっていたことから、話しながら作業していた。
「スカベンジャーみたいなゾンビが混ざって来たな」
『東で一番って話だったんだけどぉ』
「残念ながら数が足りなかったみたいだな」
風をまとわせたナイフを振りぬく。最近はこの風のナイフも瞬間的に伸ばすようにして飛ばしたりしても、周囲の壁に傷をつけずにゾンビをなで斬ることが出来るようになった。出力を細かく変えているがきっちりゾンビを仕留められる威力は保っている。
ドクターには流石にゾンビのいない場所にいてもらっている。直接話そうとすれば声を張らなければならないため通信機越しに軽口を叩きあう。
『あ、トラック確保したみたいよぉ。ポーターのお姉さんが第6に向かったわ』
「いいね。どうするって?」
『私が運転かしら。町との交渉材料になるかもしれないからね』
「まあ俺たちは自前のトラックに運び込む分で事足りる、か?」
『さあ? そこはポーターのお嬢さんの判断かしら?』
「そうだな。基本的には」
探知で端から端まで、隠れていようともその姿を見逃すことはない。しかし距離があって面倒くさい。パッと思いつき探知でドクターの視界の外にあることを確認して、ゾンビを飛ばす。
アンカーを設定して工場設備の天井に突き刺す。ゾンビにかける魔法はお試し版の転移魔法。構成物質を分解して転送するやり方。解析、分解、転送、構築、結合を重ねた魔法。失敗。バラバラになった赤い粉がアンカー付近から降り注ぐ。これアレだなあ。転送までは出来ても構築の段階で失敗してるっぽい。構築と結合を逆にするべきか? あ、待てよ。分解の時点でどこまで分解してるかにもよるか? 反応させないと再構築できないのかもしれない。やはり最小単位に分解はやりすぎだったのかもしれない。とはいえ中途半端にしてはそれこそバラバラ死体しかできる気がしないのだが。
『ここのバッテリー類は、やっぱり施設用かしら』
「そうかもな」
この工場で生産されているものの中にはもっと優秀なバッテリーがあるという噂があった。小屋妹やドクターの反応からそれはまだ見つかっていないことは明らかだ。ここにあるのは近くの自動車工場で生産されているハイブリッド車のバッテリーで、やはり俺たちが求める電気自動車の能力には届いていない。まあそれはそれで使い出があるはずだと回収してはいるのだが。
「終わったぞ」
『……本当に早いわね。今回は何体くらい?』
「変わらず2,30。おい銀花。ここにいたゾンビはほんとに100か?」
『そのはずよ』
ドクターが読み違えたか、周辺の工場から集まって来たか。もしくはこの周辺でマップが存在しているのかはわからないが、残りのゾンビは第4と第1工場にいる150ほどの反応。既に100を超えたゾンビを処理しているのに、まだそれだけいる。更にこれから荷物が来ることになる。
『リーダーのこと応援しているわ』
「いいから千聖呼んで来い。お前のおもりをさせる」
『えー』
「小屋妹。千聖をこっちに寄越せ。その間は一旦回収から離れるか工場封鎖して作業しろ」
『はーい、千聖ちゃーん。あ、今どこ?』
「数が少ない第4から行く。第5の北で待ってるように言っておけ」
『了解』
一応これで良し。千聖を直接戦力に数えることは無いが少なくとも背後を気にする必要が無いのであれば簡単だ。
『だからリーダーって好き』
「お前の敵は多分お前に一番近いところにいるぞ」
お前の前か横か後ろかは知らんがな。気をつけろよ? 気づかないうちに刃物抜いてこちらに翳してくるようなやつだからな。
『第5北到着』
「いや、はえーよ。待ってろ、今行く」
楽しみが待ちきれない子供のような行動だ。まあそれほどやる気に満ちているならある程度好きに動いてもらって構わないが、何があるか分からん。建物を出て回りこんでその場についてみれば、ネコ科の動物が爪を研ぐように二刀を手持無沙汰に玩ぶ少女がそこにいた。
この第4工場は工場全体の新たな事務所が併設されているようで、エントランスエリアに芝生の庭園がある綺麗なエリアだ。第五工場の陰から見ているが音もなく駆けてゆくリーダーはあっという間に建物までたどり着き、工場建屋沿いに移動をしていた。
そもそもまだ2時間経っていない。せいぜい1時間くらいだ。車で寝ている間にどんどん進めていくあたり本当に昔と変わらない。
気が付いたらすべて終えている。邪魔を排除し必要なモノを漁って帰る。基本的に戦闘班と呼ばれていた連中は荷物を運んだりはしなかったが、やったとしても片手で収まる程度の荷物運びしかしていない。特にリーダーが一人で制圧した後何かは、血飛沫で汚れた室内を漁る羽目になるので回収班は大変だっただろう。医者は私くらいだったので基本的にはアジトにいたがそれでも回収の手伝いくらいはしていた。
初めて見た時は自分の目を疑った。リーダー、キャット、アーチャー。特にこの三人は常軌を逸していたと思う。ナイフ1本でサクサク解体するリーダーに、ザクとかブチュとか破壊音を響かせるキャット、言葉もなく脳天を射抜くアーチャー。仕事で言えば観測しているエンジニアも前線バックアップ役として大量の情報を同時並行処理する鬼才。
彼らのゾンビ掃討後に資材回収をする傍らで、ゾンビの解剖や調査を行った。結晶や細胞の研究などが私の仕事でもあるが、遺体から見える情報は彼の異常性を如実に表現していた。
ほぼすべてのゾンビをナイフでバッタバッタを切り崩す彼のナイフ捌きは、敵に一切の抵抗を許さない。傷口がなめらかすぎて抵抗の痕跡が一切見えないのだ。拠れたり千切れたりつぶれたりした痕跡がない。全て切断されていた。遠目に見ても乱雑に振るっているようにしか見えないナイフも、彼が扱うと名刀のようにすべてを切り裂いてゆくのだ。
ナイフを検分したこともあるが、手入れされているだけで別段変わったところのない7寸の鍛造ナイフ。いや、使ったあとも傷や刃こぼれが無いというのはよほど刃物を扱う腕が良いのだろう。
こちらから見えるトラックなどの搬入口ではなく、関係者用の入り口をいじったかと思えばドアを開けて中に入って行った。近づこうとすれば襟首を掴まれる。
「勝手に動くな」
底冷えするような固い声でキャットが言う。この子はリーダーの狂信者だ。人のことを変態と言っておきながら、リーダーのいう事は絶対だと思っているような、傲慢にも見える幼さが垣間見える。猫というか犬。それも番犬であり忠犬。そんなところを揶揄うのが好きでいつも絡んでいたっけ。
「はぁい」
大人しく後ろ歩きで戻る。ああ、早く見たいなあ。あの人間という形に押し込められたナニカを。
いつのことだったか。アジトで休憩しながらブランドと話をしているときだったか。あれ、エンジニアだっけ。ともかくアジトで聞いたリーダーの噂。曰く、圧倒的な殺人力をもつリーダーはプロだったのでは、という話が出た。その話では、リーダーの異常性が語られていた。曰く、廊下を走らず壁を蹴ってゾンビを奇襲し首を折る。曰くナイフを投げて喉に差し込み、そのナイフの柄を蹴ってゾンビを壁に縫い付ける。曰く一呼吸のうちにゾンビ5体を細切れにする、等々。とても人間業とは思えない数々の噂。
ある時衣料品の回収に向かった私たちを出迎えたのは、細切れの遺体と赤い血の海の中に佇むリーダー。あまりの凄惨な光景に立ち止まる回収班を前にリーダーは裏から回ってこいと指示を出した。私も行くべきだったのだろうが、わずかに見えたゴーグル越しのその瞳に魅入られた。深紅の世界に返り血一滴も無い状態でこちらを値踏みする死神の眼光。きっと何らかの光の反射。勘違いのはずなのに、その状況が思い違いを許さない程の説得力を持っていて。
『いいぞ。入ってすぐの階段を上がれ』
過ぎた時間はほんの少し。聞こえた物音は僅か。キャットの後を追い工場建屋の中へ。工場内には非常灯とわずかに灯る間接照明。大きな扉の奥から聞こえる喧騒を脇目に階段を静かに駆け上がるキャット。駆けては止まり、駆けては止まりを繰り返し、扉を開けた先には4階層をぶち抜いた工場を見下ろす見学通路。工場のラインの隙間に差す月明かりと僅かな照明、怒号と苦悶の叫びが織りなす絶唱はトウキョウの病院にいた絶望の地を思い出す。
研修医としてトウキョウのセタガヤにある病院の研修医として勤めていた時期が、私にとってのパンデミックに当たる。ここは臨床研修するにはいろんな意味で優れた医療機関であったため、単純に日々充実した時を過ごしていた。もちろん海外で盛んになっていたゾンビ症も、当時は統合失調症だとか高次脳機能障害だと言われていたが、ある時を境にゾンビ症で統一されることになった。元々は地方紙の一面を飾ったもの、それを取り上げた医師からカンファレンスが行われ徐々に知られていった。私はといえば、この病院が元々実績を上げていたとある内視鏡手術の研究センターで研究にハマっていたこともある。変な言い方だが、内視鏡というものは素晴らしいものだ。生きた人間の見えないところを目視できる、状態を観察できる道具だ。結果として死ななければいい、治療はするが何より施術しているときが一番楽しいと思える人間だった。そんな私の生活は簡単には変わらなかった。
パンデミック後患者以外にも人が押し寄せてきて防衛手段を講じる最中、院内に入り込んだ一部の感染者から感染爆発が起こり、病院内を血風吹き荒ぶ赫灼たる血池地獄として、それまで温和であった医師や看護師同士で裏を探り合い、いるかもわからない犯人捜しを始める始末。そんな中でも私はいつも通り。院内の安全確保のための罠を用いてゾンビ症患者を捕獲して、僅かな医師と共に研究をしていた。不思議であった。死んでいるのに生きている。生きているのに人とは言い難い。それを何というべきか。そんな状態で現れた目元をゴーグルで覆った殺意の塊。
暗闇の中で躍動する狼が獲物を喰らい尽くすまでの一部始終を見ながら、自分の鼓動が高鳴るのを感じる。無慈悲に、理不尽に輝く光線が人の形をしたものを断ち切る。残心など不要、そう言いたげに袈裟に振り下ろしたナイフと一緒にくるりと回った体から風を切る音がしたかと思えば、分かたれた半身が周囲を巻き込み跳んでゆく。悲鳴と怒号、恐怖と怒りと本能の唸り声が響くこの工場内にあって、狼は何一つ返すことなく、ただ爪を、牙を剥く。
僅かに何かを切り裂く音に、時折聞こえるラインの機械がぶつかる音。最初はやれ、殺せ、囲め、捕まえろなんて言っていた言葉が、今は命乞いしか聞こえない。機械の陰になっている場所から聞こえる鼻を啜る音が聞こえたかと思えば、それもすぐに聞こえなくなる。周囲から生き物の音が消えた。
隣のキャットの手は既に手すりに添えられていて、その目もどこかタペタムによって返された光のように煌々としていた。彼女は賢い猫だ。好奇心では死なないだろう。
『終わったぞ』
「了解」
「見てたよぉ」
ああ、やはりこの場には余計なものが存在しない。死神が振るう鎌は等しく命を奪い、出血を強いる。人は殺されたら、死んだら、死ななければならない。ゾンビという得体の知れないものは、私は命とは言えないと断言したい。もちろん多少の違いはある。それこそ感染者であってもゾンビ症に打ち勝ち、人のままであった、人間を続けている者もいる。それは人間の、生命の勝利だ。強大な敵を打倒し、生き残った文字通りの生存者であり、英雄だ。
ああ、目の前にその中でも一等輝く神秘がある。人間の可能性という階段を何歩も進んだ勝者がいる。彼はどんな輝きをしているのだろう。彼はどんな赤をしているのだろう。ああ、見たいなあ。
残った一番奥の第1工場。一応私も気を付けてはいるけど、マックスが取りこぼすってことはまずない。こういう時のマックスは本当に容赦ないから。
『待てっ! 俺たちは引く!』
さっきの工場は人間とゾンビが同じ場所にいた。もしかしたら第4工場の探索を始めようとしていたのかもしれない。ここに来て間もないのかも。銃火器なんかは無し、せいぜいが鉈や斧、手製の武器くらい。回収する必要は無い。
第4工場から移動しようとしたときに聞こえたのは、多分第1工場にいたスカベンジャーの声。少し遠かったけどちゃんと聞こえた。
「何か言った?」
最近マックスは外の人間をよく招いている。八木はわかる。動物の専門家でこれから必要になる家畜の世話をするにはうってつけの人物。明らかに私のことを避けていたけど、仲良くする姿勢が見えたので私も会話には応じるようにしている。
石田はよくわかんない。どこにでもいそうで、浮世離れした印象。どこか現実感が無いというか、人間らしくないというか。マックスは家で飼ってるペットくらいに思っておけって言ってたけど、流石にどうなの。でも八木が世話してるしある意味あってる、のかな?
片平兄妹を私たちの代わりに軍に置く、マックスはそう言ってた。それなら軍ではなく病院では、という私の疑問にマックスはこういった。風間君の味方として置いておく、らしい。それはトウキョウの軍に所属させるという事じゃないの? ああ、だから軍なのか。とはいえ、センダイで軍に所属させるとなった時に、トウキョウの中央防衛隊に所属させるのは難しいと思うんだけど。時期が来れば分かると言っていたけど、マックスが言うならそうなのだろう。
トウキョウでスカベンジ活動していた時にもこんなことがあった。群狼が拡大し多くの支配領域を持っていた時、マックスは土地の維持にこだわらなかった。人がいれば、そこに何かがあると他の人間が寄ってくる。適当に警戒しておけば、そこを奪おうとする集団が来ると。そいつらの持っている物資を強制的に奪うために雑に空けているし、どうせ売ることになるから適当に掃除しておくだけでいい、なんて言って拡大した版図は手つかずにしていた。防壁が出来る前の防衛圏内部に伝手をつくって、防壁が出来た後のことも予想して。
結果としては3年くらいで壁内での生活に移行した。しかも研究所所属という隠れ蓑を選んで。肩の荷が下りたと言っていたけど、私とつる、錦はマックスと一緒にいることを選んだ。皆理由は同じだと思う。彼が一番正確な未来を知っているから。食べ物も医療品も衣服や寒さをしのぐものも、足りないものがなかった。情報系はブランドがまとめていたが、元々はマックスが開拓した人脈を利用していた。機械類も、調整や整備は錦の仕事だったけど調達してきたのはほとんどマックスだ。つるが言うには、元々持ってたクロスボウもマックスから預かったもので、それを今でも使っている。
マックスは割と勝手だし、考えてることは聞かれないと明かさないけど、それでも見捨てたりしたことはない。マックスが群狼を解体する時だって、マックス以外のメンツは悲喜交々の賛否両論だった。研究所と軍に別れたけど、それ以外の道を選んだ奴だっている。それこそマックスが壁内での伝手を頼って確保した住処や仕事に頼らず、壁外のメトロ跡で生活するスラム集団に合流した人間。トウキョウを離れ田舎へ向かって行った人間もいる。そいつらにもマックスは支援をしていた。組織のトップとして当然、なんて言ってたけど別にそこまでする必要は無かったと思う。
でも、それでいいと思う。私たちが取るに足らない存在だとしても、マックスは気にしない。マックスがホントに困ってる時なんてあっただろうか。割と何とかしているし、何とでもすると思う。そもそも多分マックスは今まで本気を出したことなんてないと思う。いつだって余裕で、いつだって不敵だった。
だからきっと、これも大丈夫。
エンジンの起動音。金属をかき鳴らすその音の正体はきっとチェーンソー。まだ扉越しでマックスからの連絡はないけど、それもどうせすぐに終わる。
一番近い扉から音もなく中に入る。最初に感じたのは濃密な血の匂い。扉から差し込んだ明かりが深い黒の正体が血飛沫であることを教えてくれる。先ほどの工場に比べて規模が小さいのか、入った場所は小さな扉と大きな観音扉が対面する廊下の端。そこに転がる死体と、観音扉に続く血痕。
左側の製造ラインのある方向から今も争っている音が聞こえる。右側は恐らく事務所スペースなのだろうが、そちらから音は無く、人の気配も感じない。後ろからついてくるドクターの気配を感じつつ工場へ続く階段を見つけ、そこを警戒しながら上がってゆく。上からの強襲なんて当たり前でマックスが気にしていないはずがないのだが、私が警戒しなくていい理由にはならない。
二階層を使った製造、搬入出を兼ねたスペースで斬り合う二人組が見える。この建屋は明かりがついているので様子が確認しやすい。パイプで組まれた2階通路のフェンスに架かる看板越しに確認すれば、工場の中心で斬り合うマックスとスカベンジャーの男。その周囲に寄ってくるゾンビの首をついでに飛ばしながら、マックスはナイフでチェーンソーと斬り合っている。
「うっふ、うふふふふふっ」
気持ちの笑い声は無視してあの二人を見るが、マックスは相手を泳がしている。チェーンソーとナイフで打ち合うとか何してるのかと思ったけど、あれゾンビを引きつけるためにやってるのか。別に得物をぶつけ合う必要は無いはずだけど、周囲のゾンビの首を斬り飛ばすために背後を向けたマックスに切りかかる男のチェーンソーに、無造作に腕を振るうようにしてチェーンソーを叩くマックス。今完全に見てなかったよね? なんでわかるの?
男の方も自分の周りにいるゾンビにチェーンソーを振り回しているが、マックスはそれには反応していない。四肢が飛び赤い噴水のアーチが飛び交っているのに、マックスは全くと言っていいほど汚れていない。マックスの目元はゴーグルに覆われていて、彼がどこの何を見ているかは窺い知れない。
ふとマックスが深く踏み込んだ。ゾンビの陰に隠れてその姿が掻き消える。普通のゾンビにやられるなんて思わない。チェーンソーの男もゾンビを斬り倒しながら先ほどまでマックスのいた方向を警戒している。
ふとゾンビの山が崩れる。多分足を斬り崩したのだろう。そこにぽつんと立つゾンビだけが、空気の読めない観客のように棒立ちで。その背後にいつの間にか現れたマックスが足を上げると、そのゾンビをチェーンソーの男に向かって蹴り飛ばした。
男も警戒していたのだろう。人の形をした肉塊が飛んできたというのに冷静にチェーンソーを振りかざし両断する。だからこそ、その眉間を目指して飛んできたナイフを躱す術はなかった。頭部を貫き、仰向けに倒れる男の傍にはチェーンソーの駆動音しか残っていなかった。
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