第17話



 待ち人来る。その間4日。意外と待った方かな。

 リーダーから指示をもらってから私と千聖ちゃんでアジトを占有する形にした。元々は裏町の端にある小屋姉妹の倉庫としている拠点で待ち伏せしていたが、リーダーが情報の裏取りをしたらしい。お酒を使ったのか暴力を使ったのかは定かではないけどそれで随分と動きやすくなったのは確か。片平兄妹預けておけるっていうのも楽でいい。

 小屋姉妹、具体的には瞳さんが片平兄妹と愛犬のたんぽぽのトップに立った。瞳さんはあまり口数が多くない方だけど料理上手で面倒見のいいお姉さんだ。ちょっと銃火器を偏愛するおかしな部分もあるけど、多分私たちの中で一番まともで、一番公平で、一番容赦がない。飴と鞭がうまいのだ。まな愛美ちゃんと千聖ちゃんが懐くのも無理はない。私も年の差以上のものを感じている。結婚なんて、考えたこともないしなあ。

 妹の彩ちゃんはよく懐いていた。お姉ちゃんが欲しかったみたいだけど、おかしいなあ。お姉ちゃん候補は他にもいたはずなんだけどなあ。それを伝えた時のやばって表情はちょっとだけ傷ついた。候補にすらなれていなかったようだ、残念。

 お兄さんの判くんはなんだか大変そう。群狼時代にいた男は天才肌のリーダー、オタクの錦、守銭奴のブランドとまともな人間がいなかったからか、薄着の女性陣とばったり会った時のあわてふためき様は新鮮だった。お風呂上り効果もあったからかな?


 小屋姉妹のアジトは西側の防衛線の傍。軍の防衛拠点からは少し距離があるし、町からはかなりの距離がある。ここまで来るなら普通は車だ。もしかしたら来ないかななんて思っていたけど普通に来たみたい。

 錦が情報室と呼んでいる部屋は屋上と2階にある。2階にあるのがアジトの監視システムがある部屋で、屋上が錦個人で使っている部屋になる。元々あったプレハブを修繕して使っている、錦専用の情報収集施設。私はスタッフルームとキッチンを往復している。このホテルはキッチンが充実していて水回りには困らない。火力こそ電気調理器を導入しているけど冷蔵庫も使える状態であったが、小屋姉妹によると掃除が大変だったとの事。ここは瞳さんがいつもいるが今は私が待機部屋代わりに使わせてもらっている。


 錦から不審車両の報告。トラックみたいでアジトの前につけたらしい。ゲート狭いからね。トラックとの事で一瞬身構えたが女一人が出てきたとの事。


「こんばんわ。夜遅くにごめんなさい」


 フロントで迎え入れた私に挨拶するのは八木さん。名前は佳音かのん。出身はホッカイドウ。動物看護の専門学校卒業後にタツノクチ動物園に勤務。錦はどこでこんな情報拾ってくるんだろう。

 というか八木さんの格好に少し驚く。何の変哲もないジャケットにナイトドレスというどうしてそうなったという格好だ。あ、脱いだ。流石に顔に出し過ぎたかな。


。こちらへどうぞ」


 館内ホールを抜けてエレベーターへ。扉とカゴの天井をぶち抜いて単管パイプで組んだ足場を登って2階へ上がり、千聖ちゃんが待っている部屋へ。表情が固まったのは見ないふりしておこう。


「……随分と手が込んでいるのね」

「女しかいませんからね」


 エレベーターのかごの中にあった血化粧は気付いたかな? 割と最近瞳さんが付けたものだけど。

 鍵を開けて部屋に入る。空き部屋を軽く掃除した場所だが、汚す可能性も考えてグレードは最低。部屋を占有するダブルベッドに脇にあるのはソファと小さなローテーブル。その上にあるのはデカンタに入ったウィスキーとグラス。氷もある。チェイサーの水はない。そしておつまみ。

 私が奥に、八木さんがドアに近いローチェアに座る。確かに出入口は近いけどそこ引くドアだよ? 千聖ちゃんはどこだろ? 一番近い場所ならクローゼットの中だけど。


「どうぞ?」

「ありがとう」


 飲むんだ? それならリーダーがつくった鹿肉の燻製擬きが美味しいよ。私がつくった野菜スープは用意はしてあるけどどうせ食べないと思って持ってきてなかった。


「それで、今日はどうしました?」

「その前に一つ聞きたいのだけど」

「なんです?」

「判君と彩ちゃんは元気かしら?」

「ええ。一応、食べるのに困ってはいませんからね」

「景気のいい話で何よりだわ」


 笑ってるけど笑ってない。本当のことを言ってるとは思われていないだろう。彼女は他愛もない話を続ける。裏町で売れ筋の物。お互いが顔を知っている南で有名なスカベンジャーの悪癖。お互いの評判。グラスの中の氷が解けて、からんと音が鳴る。


 八木さんこの人と病院の研究者が繋がっているのは裏を取った。元々獣医だった人間が動物のゾンビ研究に切り替えたことで大学病院での研究に参加しているらしい。北部のスカベンジャーはヨシオカよりさらに北、ナルコから来てナカニイダにいた片平兄妹を拾ったらしい。売りに出されていた片平妹を買ったのが目の前の人だ。

 元々佐沼という彼らのお父さんと仕事をしていた八木さんはその男から聞いた子供の話を覚えていたのか、購入は即決だったそうだ。これはリーダーが裏を取った。お酒売りながらまた狩ったのかな?


「……ところで話があるのだけど」

「何です?」

「引き取ってほしいものがあるの」

「中身によります」


 取引の証拠かな? 私に渡したところで意味は無いはず。もらっちゃまずいものってなんだっけ。毒や爆発物ではないと思うんだけど。

 そもそも彼女が抱えるリスクは私たちにとってリスクとなりえないものが多い。

 センダイという都市に縛られない。これはリーダーが打ち出した最初の方針。面倒が増えて追われるようになる前にさっさと投げ出して逃げましょうっていうのが基本的な考え。


「車に乗せてきたわ。見たほうが早いもの」

「……そうですか。じゃあ」


 この部屋を出て1階へ降りる。今の私は手ぶらだ。ナイフ一振りくらいしか持っていない。銃はスタッフルームの入り口脇に立てかけてある。それは回収しないと。

 銃を回収しつつ裏口から千聖ちゃんが出て行くのを確認する。音もなく移動したからか八木さんが気付いた様子はない。

 玄関から出てゲートを抜けてトラックの荷台を覗き込む。近づいた時点で気付いたけど、正直何でという思いが強い。


「ここにいるのは私が個人的に保護してきた動物約20頭。この子達を助けてほしいの」


 以前の会話を思い出す。そう言えばこの人動物が好きで飼育員になったんだっけ。じゃあ今でも飼育員だったんだ。それを渡すという事は。


「飼育の難しい動物もいるけど、お願いできないかしら」

「対価は?」

「私にできることならなんでも」


 この人は諦めたんだ。私を見ていたのは動物に対する態度かな? 食料、資材とは見ないで動物として見ていた、とか?


「そもそも何で私なんですか?」

「独力で飼育可能な経済力や伝手を持っているのが一番の理由かしら」

「パトロンは役に立ちませんか」

「ジャッカルを黙っていたことに対してお叱りを受けたわ。もちろんそのほかの動物もね」

「ここにいる子たちは?」

「私が預かっていただけよ。柏木先生から引き受けた子もいるけどね」


 ジャッカルを把握していなかった? 意図的に黙っていたってことかな。動物に関する関心も知識も薄そうな人に怒られたのかな?

 柏木は病院の先生だ。元獣医で現在は大学病院でゾンビ研究をしていた人物。この流れも少し不思議だ。動物園にいた動物を放置して研究に舵をきったっていうこと? 八木さんがいるとしても、自分で診ることが出来ない以上手の施しようがないと思うけど。


「これ、引き受けたところで私たちが育てられるとは思っていませんよね? そもそも八木さんはどうされるんですか?」

「どうも何も、私はこれ以上この町にはいれないでしょうね」

「……え、ブローカーに黙って持ち逃げしてきたとかですか?」

「私が売買に絡んでいたことも知っていたのね」

「そこが一番謎でした。私と軍の彼らで情報に齟齬があるのに、何故あんなことを?」

「言ったでしょ? この町にいたくなかったの。なんなら軍で働くことも考えていたのだけど、難しいかもしれないわね」

「んー……ちょっと相談します」


 通信機を起動してトラックの荷台へ上がる。動物20頭。何が大変かって、犬猫や小動物が数頭混ざる以外に滅多に見ない動物もいる。見た目ですぐにわかるのはロバ。こっちのケージにはフクロウ? ミミズク? こっちの大きいのはヤギ? 2頭いるけど全然大きさが違う。へえ、肉用と乳用ねえ。あとは、え。レッサーパンダって絶滅危惧種とか言ってませんでした? こっちは? へえ、テンっていうんだ。こうして見るのは初めてかも。


「リーダー、八木さん来たよ」

『お疲れ、でどうなった?』

「動物引き取ってくれって」

『は?』

「20頭くらい。いろいろいるよ」

『……あー、八木さんはどうするか聞いてるか?』


 通信機を入れたままトラックの荷台から顔を出す。どの動物も大人しいけど薬かなんか使ってるのかな? 錦の情報では病院のオーダーを受けている製薬会社のほうから情報を抜いたと言っていた。見たことのない薬品名を調べたら動物用だと気付いたため八木さんの病院関係者を絞ることが出来たみたい。

 ちなみに製薬会社の方からは別の情報が出てきたらしく、芋づる式にやることが増えたのに錦は楽しそうだった。キャンピングカーはリーダーに丸投げしたらしい。


「八木さん。この後どうされるんです?」

「そう、ね。私も南に行こうかしら。佐沼さんのお子さんも何とかなったみたいだし」

「片平兄妹ですね。そう言えば何故あの二人をこちらに?」

「私の子供って言ってなかったかしら?」

「言ってましたっけ? というかそうなると八木さん中学生で出産してることになりません?」

「……年齢を公開した記憶はないのだけど」

「貴方の見込んだ通りの伝手の広さがあるので」


 老け込んだといえば失礼だろうか。少しだけ疲れが出ている気がする。疲れ切ってはいないように見えるのはその美貌故か。八木さんに言っていいのかはわからないが普段のほわほわした印象から大分美魔女とでもいうような妖艶さも感じる。それでも個人情報を抜かれていたことには驚いているようだが。いや、どちらかといえば諦めかな?


「町を離れるようです。南へいくとか」

『ふーん……元飼育員、使い潰さない理由はないな?』

「そうだけど」

『お前が信用できるなら連れてくると良い』

「リーダー決めて」

『お前が信用できるなら連れてくると良い』

「……」

『千聖いるんだからどうとでもなる』

「忘れてた」


「八木さん」

「話は決まった?」

「いいえ。とりあえず飲みましょう」

「はい?」

「お話ししましょう」


 お酒で口を滑らせるなんて初めてやるんだけど、大丈夫かな。


 大丈夫だった。私は舐める程度に飲んでいるが八木さんは結構な勢いで酒を呷っている。

 センダイという土地は市街地に川が流れており、大きな川と幅の広い国道によって生存圏の確保がスムーズに行われた。当時動物園で勤務していた八木さんも最初は何とかなるだろうと考えていたらしい。飼料を切り詰め、設備も丁寧に扱い、何とか危機が過ぎ去ってくれることを祈りながら。

 半年間は何とかなった。寿命で死んだ一部の動物以外は何とか食わせていくことが出来ていた。しかし半年ほどたった時、すぐそばのタツノクチ橋でテロ行為が起こった。当時動物園の警備を担っていた軍の一部と動物園のゲートに近い場所で被害が発生。人と動物に被害が出た。サル山はこの時に殲滅したらしい。

 これ以上は難しいと猛獣をはじめとする野に放たれたら危険な動物の殺処分が必要になる。しかしそれを止めたのが動物愛護団体、ひいては動物に価値を見出していた資産家や病院関係者だ。所謂オーナーとして資金や資材を都合することで動物たちを生かそうとした。

 愛護団体らしい活動で動物園をサポートしていたが、それでも徐々に資金は底をつく。物の値段が著しく上昇したためだ。飼料を買うのにも莫大な金銭が必要になる有様で、動物たちは徐々に弱っていき死んでゆく。そしてそれを見た職員も精神的に疲弊していった。

 そんな中で奇策を打ち出したのが当時獣医としてタツノクチ動物園に詰めていた柏木だ。彼は動物の面倒を見ることをしていたが先細りする未来を危惧し、今一番資金や人材、資材が投入されているゾンビ研究の起点となっている大学病院への売り込みを始めた。

 その動きに一番動揺したのは動物園の職員たちだ。唯一では無いが動物たちのために働いていた柏木が移籍したことで動物園内で派閥が出来た。動物開放派と動物園維持派だ。

 この時点では動物園にいる生産性、将来性のある動物は比較的手厚く保護されていた。しかしそれ以外の動物で数がいるような動物は市や軍に供出されていた。モルモットやウサギなどは早い段階で数を減らしていたし、なんなら雁などは相当数いたはずなのに最後には10羽を切っていた。

 そんな動物の扱いに差が出ているからか、職員同士でも徐々に溝が出来てくる。ある時、職員が自分の担当動物を自分で引き取ると言い出したことがあった。県内の牧場に成育の拠点を移すことで動物園に負担をかけずに成育できるはずだという意見だ。しかし、それが他の職員に伝わり、動物のオーナーの元へ。

 動物の買い取り額は膨大だったがその人は自宅を質に入れたらしい。そうして運び屋を雇って県内を移動しようとして、事故に遭ったそうだ。そしてその流れはしばらく続いた。動物を救おうとする人間に、それを阻止する人間。オーナーという出資者を無くすことを恐れる保守派に、動物を守るために外に出すという事を目指す進出派。行方不明になる動物と人。そんな殺伐とした関係を嫌い仕事を放棄して姿を眩ませた人もいる。

 八木はそんな中柏木と早期に連絡を取り合い研究動物の供出とそれによる謝礼によって動物園を維持し続けることを選んだ。本人はどっちつかずであったとは言っていたが、その結果こうして生きているのだから判断は間違っていなかったし、運が良かったと言っていた。


 時が経ち残された動物たちも限られた数になる。それ以上に飼育員はほとんど残っていなかった。以前の上司までも消えて、残るのは八木と金沢含む数名の飼育員、柏木などの獣医が動物園の維持に動いていたが、彼らはもう動物の為だけに生きてゆくことは出来なくなっていた。手元には何も残っていなかったのだ。

 八木はまだよかった方だろう。その美貌に金を払う人間は多かった。動物の生活も自分の生活も俯瞰していたと語る八木はその頃にはもう生きる意味を見失っていたという。夜はお金を稼いで、昼は物資を買って、動物の世話をして過ごす。

 以前はロバの世話をしていた金沢は既存の動物たちの価値を高めようと独自に研究していたらしい。残っていた動物などを実験動物としていたようだが、あまり思い出したくないとのこと。

 まあ、研究所にいた私からすれば、ゾンビの残り物を使っていたのだろうと推測できる。餌として使っていた場面でも見たのかな。


 年が進むにつれ働いても働いても得られる物資や金銭は減る一方だった。仕方なく仕事を増やして隔日で動物の世話をするようになる。物資が手に入らないときには運び屋や危険なスカベンジャーに渡りをつけたこともあった。そんな状況を見かねて病院の物資を横流ししていたのが柏木だ。柏木が物資と資金を配給し、何でも屋である程度信頼できる物資の調達先を得た時に出会ったのが佐沼という元猟師だという。

 佐沼は小遣い稼ぎにセンダイに寄ったと言っていた。しかし気づけば数か月と、共に動物たちの世話をすることになったそうだ。その際、自分は感染者であり子供たちには辛く厳しく貧しくあっても生きていてほしいという親の願いを聞く。

 八木は申し訳なく思ったそうだ。自分の両親もそうだが、何よりこれまで世話をしてきた動物たちに。それからは移譲先を探しながら相手の人となりを知りつつ、動物に対する思いを調べようと定期観察業務を依頼したそうだ。動物園であれば人の少ない状態で目の前の動物たちにどんな反応を見せるか分かるから、と。

 そうして中里を見つけ情報を精査して、かなり太い資金源に多様な伝手を持ち、しかし政府や資産家などの紐付きではないと判断してここに来たらしい。


「ジャッカルの件は?」

「金沢さんは動物から採血をしていました。一度檻から移動させたとしても、すぐに戻ってくることも多かったので」

「片平兄妹は?」

「佐沼さんの願いをかなえるにはどうすればいいか考えたら、信頼できる人に、出来れば女性に預けたほうがいいですから」

「私達見てそれを判断したんですか?」

「ええ。少なくともスカベンジャーとして先行きに不安がある人間には見えませんでした」


 人を見てるねえ。流石飼育員。観察力に長けている。

 何でも屋に入り浸る人間は少なくとも殺しが出来る人間だ。仕事を選ばないし、仕事を選ぶ側。運び屋ならそういった連中が集まる場所がある。所謂何でもありな連中が揃うのだ。そんな中でも私たちは官民ゾンビにサイコパスと経験豊富な運び屋兼スカベンジャーだ。無駄な争いはしないし、リーダーと錦が現役のうちは何でもやるだろう。

 小屋姉妹に比べれば、私も多くのゾンビや人間を射抜いて来た。人体の急所、脳天、眉間、人中、喉、こめかみ、膝と射線をあけてくれれば思った通りにあてられる自信がある。銃は対象を壊しちゃうときがあるから、やっぱりクロスボウの方が好きかな。まあ、えものの選好みはしない主義だ。


「あの動物たちは? ブローカーに黙ってと聞いていますが」

「ほとんどがスカベンジャーへの対価です。防衛隊への報告書は誤魔化していますので問題ありません」

「一番の敵は?」

「愛護団体の方々でしょうか? トラの毛皮が傷ついていることで烈火のごとく怒り狂っていました」

「商品の価値を勝手に下げたからってことですか」

「そういうことになりますね」


 愛護団体ねえ。どこまでの権力があるのか。愛護団体に兼任所属しているという理由だとは思うが。ただの金持ちが動物を守るために愛護団体に所属していると言われたほうが不自然だ。何かしらの収入源があって動物に価値があると思っている。そういう人間がいるのだろう。

 そういう人間が八木さんを始末しただけで満足してくれるかな? まあするでしょ。副業程度に本気になったら足を掬われるのが今の世の中だ。


「お叱りを受けたって言ってましたけど、都市外追放ですか」

「そうですね。近いうちに私の家に強制捜査が入るでしょう」

「そっちに融通利くタイプの人でしたか」

「ええ。ですのでこの格好なんです」


 バレないように出てきたってことだろう。恐らくトラックと中身もそうだ。となればここで決めないといけない。さて、少しだけお手伝いしてもらおうかな。


「最後に聞きますね」

「はい? はい」


 すっと音もなく出てきた千聖ちゃんが大鉈二本を八木さんの首に添える。今のセリフが合図だったが、流石千聖ちゃん。すぐに反応してくれた。そう感心する私の感情とは裏腹に千聖ちゃんの視線は冷たい。待たせすぎたね。ごめんね。

 冷たく固い、動くなというセリフは私に対するモノではないと分かっていてもぞっとする。わずかにこすれ合う刃物の音が恐怖心を煽ると彼女は知っている。長い方の切っ先が相手に見えるようにするのも彼女なりのコツなのだろう。

 ナイトドレスを着た八木さんはローチェアに体を預けていたからか首元に添えられたその状態から動くのは難しい。顔が強張り、一気に酔いがさめたようにも見える。


「ごめんね八木さん。回答次第じゃここでお別れ。理解してね?」

「……わかったわ」

「ふふ、そんなに怖がらないで」


 いつだったかもこんなことをしたような気がする。誰にだっけ? 脳裏に過る薄汚れた記憶のかけらがちらつく。


「貴女には二つの道があります。私を信じるか、自分自身を信じるか。あなたはどれを選びますか?」




 翌朝。センダイ市街地にあるアパートの一室から消えた女性を捜索していた警察組織の一部を含む捜索隊は、軍からの連絡によって目的の人物を発見した。

 発見した場所は市街地西部の元葬祭会館。現在では使われていない会場だが、見覚えのない車を発見した同市内の善意の協力者が最寄りの軍に連絡し、会場内にいる女性を発見。女性はゾンビ化しており、車の回収と共に葬祭会館内を捜索していた隊員に射殺されたとの事。また周囲には白骨化した骨が多数あり、人間のもの以外の骨と、車両内にあった檻や残留物から、彼女が隠していた動物類のものと推測される。

 車両は北部を活動拠点とする物資回収集団の物で、昨晩までは確実にあったと証言している。また、彼女が住んでいた部屋の周囲に住む人間は彼女が部屋で動物を飼育していた様子はなかったと証言していることから、動物園から持ち出したものだとほぼ断定した。

 女性は裏町にある食事店で勤務していたが、数日前に退職願を出していた。また彼女の交友関係にあった大学病院関係者の証言では、彼女が持ち出したとされる動物のうち数頭はとっくに寿命を迎えてもおかしくなく、また飼料、薬品不足により病気がちであったとされている。

 車両内にあった遺書から、彼女は自身が面倒を見ていた動物のうち病気の個体、寿命の個体と共に自殺したとみられる。今後は数日前に調査任務に同行した中央防衛隊の隊員、センダイ防衛隊タツノクチ動物園前警備隊の面々からの聞き取りを予定している。


 これが錦の得た連絡履歴らしい。

 昨晩中谷里から連絡を受けた俺は小屋姉妹と片平兄妹を置いてトラックを借りて小道具集めに奔走した。先ずはクマガネでゾンビを集めて薪集めをする。そこから小屋姉妹のアジトに行くためには軍の監視する道を遡らなければならない。もちろん魔法を全開にしてスルーしたとも。一人だと何でもできるな。

 葬祭会館に遺体を置き、小屋姉妹のアジトに来れば泥酔のいい年した女二人とややお眠の千聖がいた。千聖に中谷里を任せつつ俺は一人で動物たちをトラックに乗せ換える。暗さにものを言わせてサイコキネシスで慎重に、かつ迅速に載せ替え完了した後はあらかじめ契約の魔法で大人しくするように言い聞かせる。調子の悪いものや腹を空かせたものには魔法で対応。すべての動物が大人しくなったのを確認した後、八木のドレスを剥いた。薪に巻き付けるためだ。

 葬祭会館で適当なゾンビを灰にし、八木に見立てたゾンビを倒しておく。遺体の細工は後だ。動物の骨は野生動物を狩った際に残った骨を流用する。後は彼女が持っていた遺書を拝借し用済みとなった車を転がして葬祭会館へ。

 あらかじめ設置していたアンカーを辿って小屋姉妹のアジトまで戻り泥酔連中とお眠のちびっこを眠らせてカメラ越しに印東に別れを告げてニッカワにむけて出発。今日は印東一人になるためサービスで人避けの魔法を使っておく。

 ニッカワに帰ってきてもやることはある。動物用の厩舎がないのだが、使われていない建物を利用し開放できる動物は一旦開放。深夜なのに小屋姉妹と片平兄妹には悪いことをした。必要のない檻を回収して再び葬祭会館へ。ゾンビを八木のサイズに加工して、檻やケージを設置し直して完了。

 トラックで帰ってきた時には小屋姉が手酌で酒を飲んでいた。俺を待っていたらしい。少し話をしただけだが、一気に増えた負担をどうするのかという話。もちろん利用するとも。特に乳用種のヤギは最優先だ。牛乳とは成分が違う山羊の乳は犬猫の母乳に近い。哺乳類のクローニングによる問題点が一気に解決できる一手だ。飼育員はこれからこき使われるので覚悟してほしい。

 蒸留所の数多ある発酵槽もすべて埋まるのに時間はかからないだろう。クローニングに必要なのは当然だが、数が必要になる家畜たちを増やすのに必要だし、なんなら糖化槽を流用してもいい。

 とはいえ小屋姉の懸念は理解する。当面の食料などは確かに心配になるかもしれない。とはいえ現実的に対応手段は限られている。釣りか採取が足がつかず気軽。略奪は後に響くのでできれば避けたい。大量に購入して変に気取られても面倒だ。という訳で、俺はマザーを用いたクローニングを行いつつ、西へ遠征することになると思う。この場合はNシステムの対処と距離を考慮する必要がある。海側に行かないのは単純にどこに行っても人が多いのが問題点だ。

 それらをふまえて足を用意する必要があると俺は伝える。ついでに今は印東が一人でいるから明日は早めに行くように伝えておく。八木に関してはこちらで受け持つから中谷里と千聖、片平兄妹を連れてゆくように、と。一瞬間があったが特に何かをするわけではない。強めに暗示を入れるだけだ。それからクローニングに関してもある程度開示し、世話に必要なものも参考にしたい。

 小屋姉とは結局1時間程度話しただろうか。俺が個室に戻り時間を確認したときは午前3時を迎えるところだった。




 「先生は、これまでどのくらいの命を奪ってきたんですか」


 起きてきた八木と顔合わせをし、自己紹介を終えて軽く現状を話し終えた後の彼女の最初の質問。咎めるような意図ではなく、純粋な疑問だろう。自らの現状と比較した時、中谷里と千聖の動きは、彼女の中の俺たち、小屋姉妹も含めた集団の不可思議さに思い至ったのだろう。


「さあ。ここに来るまで数えきれないほど、とだけ」

「彼女たちもですか?」

「自分ほどではありませんがね」


 拠点脇の薪やプレハブ小屋が置いてあるスペースに、切り出した原木と木製のパレットで作った一時的な飼育スペースを用意した。連れてきた動物のほとんどがこのスペースにいるが俺が契約している以上は基本的に喧嘩もしないし、脱走もない。脱走したとしても戻ってくるように言えば戻ってくる。

 八木は動物たちの様子を見ながら草を食む姿に笑みをこぼす。ここは一時的ではあるが裏手にはニッカワ川があり水を供給するのに都合のいい場所だ。今までは自分一人分くらいだったので後回しにしていたが、本格的に水の供給を考える必要がある。

 排水に関してだがここは農地が多く、また一部団地専用の排水処理施設もあるが、基本的にこういった農村部の閑散とした場所では各家庭に浄化槽が置かれている。微生物などで浄化を行うのは下水処理施設としては変わらないし、改めて家々をめぐり消毒剤は回収してきたので排水は問題ない。

 この地域で施設として処理が必要なのは二つの団地だ。橋を渡った先の団地に、もう一つは最近判明したが別荘団地、というらしい。学校東、ニッカワ川を北に置いた区画だ。そのどちらにも汚水処理施設がある。動かしてはいないが、まあそういったものがあるという事は改めて頭に入れておく。


「私は何をすれば?」

「もちろん、動物の世話です。まあここにいるすべての動物からサンプルの採取はさせてもらいますけどね」

「そう、ですか。先生はサンプルを用いて何を?」

「クローニングです。クローン体を生成します」

「……」

「信じられませんか? 先ほど鶏とヒナイヂドリを見せたと思いますが」

「そうですが……あのヒナイヂドリって名前はどうにかなりませんか」

「千聖に相談してください」


 大きなため息をつく八木。千聖も随分と嫌われたものだ。あの大鉈、所詮大鉈だから斬るってよりぶっ千切るって感じで使ってるんだよな、あいつ。もう片方、たしか利き手ではない方には切れ味重視の調整を施して引っ掛からないようにしていたはずだ。


「まあ、今までとやることは変わりません。環境は調整する必要がありますが、ここで動物たちを育ててください」

「育ててくださいって……」


 まあ確かに俺の前に整列している数頭、俺の肩に止まっている野鳥数羽。契約の魔法を使った動物たちが俺の傍でたむろしている。ぴーぴーキャンキャン頭に多くの意志と感情が響くがそれらを無視して八木に微笑む。アルカイックスマイルと指摘されない程度に目元と口角を意識して微笑んだ甲斐があったのか、八木は一つ息をつくと俺に向き直る。


「承りました。因みにこの子達が病気になった際にはどうします?」

「投薬もありますが、基本は私の培養しているナノマシン薬液の注射になります」

「ナノマシン、ですか?」

「元々はゾンビ症抑制薬ですが、ナノマシン調整用の装置を手に入れたので不死の病とかでなければ病原菌に対するワクチンを自己生成、それらを注射する形になります」

「はあ」


 これはわかってないな? というか、そんなことが出来るのかという意味の、はあだろうか。まあ特にそのあたりを理解してもらおうとは思ってない。とはいえ作業が滞るようなことがあっても困る。さっさと強めの暗示を叩きつけるに限るな。


「私はこれから各動物のデータを収集し研究しますので、

「ええ、そういう役割分担だものね。分かったわ」


 新たな仲間がゲームに登場するキャラクターなのは想定外だったが、考えたことが無いわけではなかった。とはいえ彼女の存在は俺にとって鬼札となりえるものだ。基本的にニッカワに滞在し動物の世話を任せられるのであれば単純に負担が分散されて俺の手が空く。

 さて、主人公はこれからしばらくはセンダイの町でクエストをこなす必要がある。シカマには現在進行形で手を打っている。後は片平兄妹か。

 小屋姉妹と千聖、中谷里、印東、片平兄妹はセンダイで動く。八木は動物の世話。ここらである程度食料を安定的に供給する仕組みを整えるべきか。

 日中は研究に時間を割きつつ、夜は酒を売りさばくというサイクルだ。マザーを用いた強化薬に必要なのは変異結晶と特異結晶。特異結晶は当てがないのでしばらくは放置だ。変異結晶だけで進められる範疇で研究を進める必要がある。

 同時に生活に必要な動物のクローニング。今いるヤギは調子を崩していたが魔法による回復で調子を戻しつつある。ただヤギ乳は搾乳に気を使わないとクセが強い。そっちのシステムも用意するべきか? なんか結構な量らしいが。ついでに言えば齢を重ねている部分もある。ヤギは急ぎ。次いで鶏、牛。馬いるかなあ? ロバもいるがそちらの方が使いやすいか? それともゲノム操作で馬とロバの交雑を狙うか? ラバとケッティだったか。繁殖機能が無いのは売り物としてもありだが、流石にそれをやるのは目立ちすぎる。拠点で使う用だな。

 食料の安定供給においては、植物の遺伝子組み換えは元々出来たことだ。そこから自家栽培するというのが最低ラインだろう。ただこれ蒸留所とは別に温室つくる必要があるだろうし、そんな設備を建てていいものかという考えもある。単純にこの地を富ませれば必ず厄介事が舞い込んでくると思い込んでいる俺の思考も問題といえば問題か。

 とはいえ今回八木に目をつけられた中谷里、そして主人公にも顔を覚えられているだろう。少なくとも彼のストーリーイベントにキャラクターとして登場したという事実をどう解釈するべきか。

 俺は現実主義者でもなければ理想主義者でもない。この世界が俺にとっての現実だとしても、この世界がゲームのシナリオに沿っているのは否定できない真実だ。そして俺は決して主人公という器ではないことを自覚している。つまりは主人公の判断次第で何かに吸い寄せられるように再び彼の元に行かねばならないことを危惧している。だからこそ最初に死んでおいたというのに。最初に死んだ仲間が実は生きていて主人公の危機を救う? そういう展開も世の中にはあるかもしれないが、この世界では無しにして頂きたい。

 現状で特異個体であれば無理なく倒せる。これが特異覚醒個体となると難易度が急上昇する。なりふり構っていられないようになるのだ。だからこそ俺の魔法という能力を段階的に開示する手段として強化薬が必要になるのだ。実際に強化薬を試すのであれば自分の体でというのは前々から考えていたが。

 いや、まて。死んでも死なない抗体保持者の女がいたな。

 絶対にバレない場所で、アイツを生かして強化薬の研究を進めるか? 悪魔に魂を売ったと思っていたが、俺にはまだ覚悟が足りなかったようだ。

 バレるとすれば東からだ。ここから山を登った先の観光ホテルが並んでいる一角を押さえるべきか? ホテルなら個室の浴槽も沢山あるな。まあ浴槽だけで水が出るという事は無いのだろうが。ゾンビが出て防衛隊の一部が帰らなかったという場所、サクナミ。ここは暇を見て行ってみよう。確か渓流釣りの場所もあったはずだ。ホテルでゾンビ狩り。隠れた研究施設。オマケとなったが川魚の確保。

 どうあってもまともな未来になる気がせず、それでも俺は目に見えない敵ゲームの展開におびえながら、明日を見ていたのだった。

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