第15話



 僕は今、センダイの市街地南西、山の頂上付近にある動物園に来ていた。

 僕らはマツシマ基地での作戦後、センダイに帰還し数日ずつ間隔をあけて検診を受けていた。作戦後にはゾンビへの感染や怪我の有無や治療をするために数日の隔離期間が設けられている。僕らは幸い大きな怪我をした者もおらず、また感染した者もいないためしばらくはまた訓練に明け暮れる日々に戻るはずだった。


「動物園ですか?」


 トウホクの大きな病院の一室。検査を受けた後にとある研究員に頼まれたことがある。元々パンデミック後は封鎖して中にいる動物が町の中に出ないようにするために警備を固めていたタツノクチ動物園がある。犬や猫のゾンビを知っている者なら何故感染の恐れがある動物類、しかも猛獣などもいる動物園の動物を処分しなかったのかと思うが、立地上の関係とある出来事が大きくかかわっていた。

 タツノクチ動物園の近くにはタツノクチ橋という都市部との間にある渓谷を渡す橋がある。そしてその手前には遊園地があるのだが、パンデミック後しばらくしてここがレジスタンス集団の集まる場所になった。

 元々は避難地として一時的に人が集まる場所になっていたがタツノクチ橋の向こう側、センダイ城が避難地として開放されるとタツノクチ橋に検問が設置された。これ自体は何も問題なかったが、それ以降遊園地跡にいた数名が感染したらしい。あくまでらしいというだけであり、騒ぎは起こったもののその時点ではゾンビはいなかったとされている。

 それでもタツノクチ橋を境に街側と遊園地側で徐々に対立するようになり、それはいつしか遊園地側にいた人々の暴徒化を招く。レジスタンスの拠点と化した遊園地は要塞化が進むがその対応を任されたのが動物園に派遣されていた部隊だ。この部隊は検問を敷いていた部隊の分隊で少人数の割に日々やってくる人々の相手に忙殺されていた。動物園は警戒を厳にしなければ内からも外からも出入りしようとする存在がいる。動物園前にある地下鉄の路線はタツノクチ橋とは別の橋が架かっておりセンダイ市街地へ行く別路にもなっているためその警備も必要だった。

 隊員は後から増員されたがパンデミック後の不安や混乱から警備中の隊員に絡んでくる市民もまた多く、しかしそんな人と関わっている姿を見て不安になったのはレジスタンス集団だ。彼らは軍が自分たちを武力制圧するつもりだと思ったらしく、パンデミックからおよそ半年ほど経ったタイミングでレジスタンス集団がタツノクチ橋の防衛隊へと襲い掛かり、結果としてタツノクチ橋が崩落した。都市からの増援を絶ち動物園側の敵を殲滅した後地下鉄路線を使って町へと渡るつもりだったらしい。町に渡って何をするつもりだったのかは誰にもわからない。既にそのレジスタンス集団は壊滅したらしいからだ。話によると感染爆発が起こって自壊したのではとのことだ。

 話は徐々に核心へ。ここを守っていた防衛隊員達だが今もその任務が続いているらしい。元々動物たちを殺処分する意見、理由は様々だが保護する意見は今でも議論されており、一部を食料供給のための家畜資産として運用することで合意。元動物園職員や動物愛護団体は一部動物たちの保護業務を負うことで今まで動物園の動物は僅かな数が生き残っている。生き残っているというのは弊害があるが、一般では貴重な動物たちで食用には向かない動物たちを保護しているのだという。


「実際はほとんどの動物がゾンビ化しているらしいね。野鳥の類を退けるのが遅れたんだ」

「わかりました。それで、それを僕に話したという事は何かあるんですよね」

「察しが良くて助かる。頼みたいのは動物たちのサンプルの回収だ」


 研究員が言うにはこれまで折を見てサンプルを回収して実験を繰り返してきたらしい。詳しく聞くことはしない。ただ一つ確認したいことがあった。


「それは市民が生きるために必要なことですか?」

「ゾンビ化動物の無害化やゾンビ症への抵抗力を強めるといった実験だからね。食料自給率に寄与するものだと自負しているよ」

「失礼しました。ならばその依頼、お受けします」

「助かるよ」


 そう言って渡されたメモには店の場所と八木という名前。顔を見れば目の前の研究員は頷く。


「元動物園飼育員で、いまは動物園での定期観察の仕事を受けている人だ。少し前まで猟師の人が彼女を手伝ってくれていたんだ」

「……感染しましたか?」

「いや、齢だからと断られたみたいでね」

「そうでしたか。わかりました。ここへ行けば?」

「ああ、いるはずだ。詳しい話は彼女に聞いてほしい」

「分かりました。ではまた」

「はい、お大事に」


 場所はここからほど近い場所にあるビルだ。

 同じフロアで既に待っていた霧瀬と合流してこれからのことを話す。


「流石に軍曹には話通したんでしょうね?」

「これから話す」

「ちょっと」


 数日前のマツシマの作戦を終えて帰還した僕たちは多くの人に迎え入れられた。僕たちが迎え入れられたことよりも、その笑顔を守れたことが何よりうれしかった。未熟である自覚はある。それでもこれが僕の使命だったのだと強く自覚した。

 今回の任務はこの町の状況を考えればそういった物とは違う、もっと根本的な部分。ゾンビという目に見える脅威ではなく、いずれ訪れる食糧難、今が豊かであるとは言えないが今より豊かになるために必要なことであることだ。


「……という訳なんですが」

『はあ……分かった。少し待て、話からするとセンダイの管轄だ。こちらで話を通しておく』

「すいません、ありがとうございます」

『いや、いい。マツシマに力を貸した。次はセンダイと共同で任務にあたり、相互理解に努めるのも悪いことでは無い』

「……なるほど」

『とはいえ、マツシマから移動してきた民間人によって我らの噂が広まっている。本格的に軋轢を生む前のいい機会となるだろう』

「そんなことになっていたんですか?」

『ああ、特に風間、お前だ。刀は目立つ。隠せとは言わないが、安易に抜くなよ』

「心得ています」

『それならいい。詳細を詰めたらまた連絡しろ』

「了解です。では」


 一応上官の承認は取った。霧瀬もそれを察して溜息を付きながらも僕についてくることにしたようだ。

 マツシマで使った刀はそのまま譲り受けた。弾薬は基本的に限られている。刀があれば小銃の火力で面制圧するより足止めに使ったほうがいいという結論に至った。霧瀬も薙刀や槍を扱うのはどうかと提案してみたが、僕が刀をメインに使うなら私がその分牽制や後方からの援護に集中した方がいいのでは、という意見も納得できるものだった。後から聞いた話では薙刀なんてどこにでもあるものじゃないのだからもし手に入ったら考えるとの事。いちいちその通りだと思う。

 僕たちの住処はセンダイの初期防衛線の近くにある駐屯地の隊舎ではなく、センダイ駅にほど近い場所にあるマンションが割り当てられている。センダイ駅の東側は防衛隊の影響が強い区域で防衛隊が抱える病院も東にある。しかし僕らトウキョウの防衛隊はゾンビ研究所の伝手があり、ゾンビに関することだからとトウホクのゾンビ研究の中心である大学病院に健診に来ている。センダイの防衛隊の拠点で万が一にも感染が広まるのを懸念してのことだとは思うが、少しだけ思うところがあるのも事実だ。

 こうしてセンダイの西側に来ることもあまり多くはない。東側は整然とした、どこか物寂しい静かな町並み。しかし西側はどこか混然としていて雑多で五月蝿くて活気があった。運び屋らしき車が何度か往復しており、病院からほど近い通りには車両が路上に止められている。市街地中心部にもこういった賑やかさはあるが、ここはどこか雑でほんの少し危ない香りもする。

 すれ違う人々の纏う雰囲気がこれまで見てきた守るべき市民の姿ではなく、さりとてスラムのような絶望感があるわけでもない。敵対しているわけでは無いが防衛都市内に独立した自治組織が共存しているとこんな感じになるのではないかといった不思議な二律背反を体現していた。

 自分と霧瀬だけが孤立しているような感覚すらある。研究員の指定した店に入ると、確かに自分たちが場違いであるというのがわかる。身ぎれいで若い自分たちに対して顔に深いしわが刻まれた髭の豊かな壮年や太っているわけでは無いが線が太い男、そのほとんどが多かれ少なかれ貫禄という目には見えない圧を持ってこちらを観察していた。

 僕は入る場所を間違えたかと思いつつ、受付となるカウンターへ声をかける。


「八木という女性の依頼を受けに来た」

「八木? あそこだ、今こっちに背中を向けて話してるやつ。動物園か」

「ええ、そうです。紹介は大学病院から」

「へえ」


 ニヤリと口を歪めた男に僕は失策を悟った。恐らく自分たちの所属を悟られた気がする。一発でわかるわけではないと思うが。


「身ぎれいな若い男女、ここらじゃ見ない顔、大学病院の伝手を持ってきた刀使い。アンタ、マツシマで噂になってる都会から来た奴だろ?」


 少し驚いた。そしてその表情もしっかり見られた。目の前の男は声を殺して笑うが、僕はどこか得体の知れなさを感じている。胃がキュッと収縮するような感覚といえばいいだろうか。それすら感じ取ったのか目の前の男は悪い悪いと言いながら笑みを抑えていない。


「随分素直だなお坊ちゃん、そんなんじゃあ取られるもん取られて足を掬われるぜ?」


 ここにいる人間たちからすれば言葉通りの存在なのだろう。嘲笑する感じでは無いがどこか空気が弛緩したような印象を受ける。

 きっとこんな状況になってからも自分たちの力で生きてきたのだろう。その自信と強かさを確かに感じる。こういった人はきっと今まで僕が知らなかっただけでトウキョウにもいたのだろう。政府が、僕たち防衛隊が取りこぼした、見て見ぬふりをしてきた存在の中に、自ら立ち上がることを選んだ強い人たちが。


「楽しそうね? なにかあった?」

「おう、八木。この二人がお前さんに用があるらしい」


 ワークパンツにデニムのシャツ、その上から黄色のベストを着た穏やかな女性。それより目を引くのは肩口から見える銃口。狙撃銃を背負った女性だった。


「私? なにかしら?」

「調査任務だろ? 中里と話ついたんじゃないのか?」

「先約があるって断られちゃった」

「じゃあ丁度いいじゃねえか。なあ?」


 どうやら目の前の女性が八木と呼ばれる女性で、目的の人物のようだ。僕は自己紹介をしようとして、必要最低限にとどめる。


「風間です。病院の先生からの紹介で来ました」

「ああ、そうだったの。丁度良かったわ。前回受けてくれた子に断られちゃって」

「詳細はこちらで伺えと」

「いいわ、こっちよ」


 くるりと振り向いて、来た道を戻って空いた席へ向かう八木さん。背中には狩猟用のライフル銃だろうか。こういったものも持っているのか。刀を佩いている自分が言えることでは無いが随分と物騒だ。

 ちらりと見れば男だらけの一角に、女性3人が座るテーブルがあった。同じテーブルについていた人への視線がそれて、一瞬目が合う。すぐに逸らすと後ろからは早く行けの合図。え、何で?

 振り返れば霧瀬の細まった視線から感じる冷気に疑問が浮かぶが、一先ずは八木さんの元へ。ああ、そうか。霧瀬の紹介を省いたのだった。それ自体は故意なのだが伝わっていなかったか。


 八木さんとの話はすぐに終わった。動物園への定期監視業務だ。その際状態が悪い個体や危険な状態の個体は殺処分することになる。個人が所有する火器を持参して動物園を回るだけだという。僕が病院から指定されたサンプル採取の話をすると数体の動物と、数体の血液サンプルの取得をするとの事。ケージの用意だけで事足りるものもあるが、場合によっては車で運ぶ必要があるので車両の手配をしておくこと、そして実行日などの話をして解散することになった。

 軍曹に報告後、僕には訓練以外に動物園の警備任務に就いていたセンダイ防衛隊の隊員に話を聞いたり、霧瀬以外の参加人員について相談したりして時間を過ごした。当日は高機動車一台とケージ等を運ぶための台車、霧瀬は再び刺又を持って行くことになったためか、長物を振っているところを見た。


 当日はセンダイ防衛隊の元動物園監視業務をしていた壮年の隊員に送られて動物園へとやってきた。八木さんとは現地集合で僕と霧瀬以外にはセンダイ防衛隊の隊員が数名、物資の配給や交代人員を送り届けるらしい。

 話はマツシマでの作戦のことが話題となった。特に大したことは言っていない。目の前のすべてを切り捨てる以上、仲間や上官、命令を信じきることだけを

考えて刀を振っていただけだ。謙遜と受け取ったかはわからないが、それが出来れば一人前だと太鼓判を押してくれた。全く知らない相手から言われても何の意味もないがと言って呵々大笑していた壮年隊員だったが、後から別の隊員に聞いたところパンデミック初期から数年以上現場で指示をしていた歴戦の兵であると教えられた。今ではにっこりとした笑顔が印象的な壮年だったが、以前は鬼の越路こえみちと呼ばれた鬼軍曹だったらしい。

 そのセンダイの防衛隊員とは上官に対する平隊員あるあるなどで盛り上がってつい話し込んでしまった。やや年上の向山むかいやまさん。休みが合えば飯でもどうだと誘って頂いた。こういうのは初めてで、今から少しだけ楽しみだ。


 八木さんと動物園内に入る。僕と霧瀬の二人で、センダイ防衛隊の人員は入口ゲート近辺を抑えている。動物園全体を覆うフェンスは返しや有刺鉄線こそついているもののそれを容易く超えてくるような動物が多いため、そういった動物に対処するために外側に控えているのだ。もちろん動物園が元々備えていたゲートもありその周囲を囲む高いフェンスとの間で待機しているのだ。

 例えば猿だが、此処にいた猿はゾンビ化していたらしく、既にサル山に動物の影はない。その隣の熊のスペースは大人しい。一頭しかいないが定期的に餌を供給することで何とかなっているらしい。時折麻酔銃で眠らせた後は調査のために採血を行い健康状態をチェックするとの事。

 いろいろと説明を受けるが千葉さんが肩に抱えていた麻酔銃を構えなおした。ここから先は猛獣舎があるので一応注意するようにとの事。外から見える範囲では何もいない。八木さんに続いてゆくとバックヤードに案内された。

 二重のフェンスの中にいるトラが二頭だけ。元々いたホッキョクグマとライオンは遺体から調べた結果病死したらしい。それぞれ離れた場所にいる二頭だが、不気味なほどおとなしい。これが忙しなくうろうろと動き回ったり、2重のフェンスで閉じられた檻に攻撃していたら要注意とのこと。今回はスルーしてゆくそうだ。


 一度出入り口付近まで戻り、今度は中央広場へ向かうために細い斜面を登る。ここまで歩いて思ったのが、此処はとにかく視界が悪い。木々に遮られていて見通しがききづらい。僕に何ができるのかとも考えたが、ケージを運ぶだけでもいいか。そもそも何故ここまで何もない状態であるのに、わざわざ狙撃銃を持っているのか。火器携行が条件になっているのか。僕はその理由を全く考えていなかった。


「この触れ合い広場にある建物には小動物や身近な鳥類がいるわ」


 広場一帯を囲むような建物を前に八木さんは説明している。奥を見れば視界が開けていて窪地に網がかけられた展示スペースがあり、順路を挟んでその隣には何やら白い建物がある。案内板にはアフリカゾーンだった気がするが今は何の気配も感じない。

 建物の脇、扉を開けて進む八木さんの後を追う。建物内に入った瞬間、鼻腔を満たす獣臭さと、糞尿の匂い、だろうか。鼻と口を押えてしまう。片側は広場を臨むガラス窓、もう片方がフェンスと半透明のボードで遮られた飼育スペースとなっている。ただし、草木や止まり木、水飲み場や餌箱がある程度でそこにいたであろう形跡が残るだけだ。


「今いるのはオウムやインコの一部になります」


 スペースを飛ばしながら説明し、餌箱や水飲み場をチェックしながら進む八木さん。ここまでは何事もなく進んできている。病院の先生からはヤギや羊、イノシシなどがいればという事だったが、イノシシはいなかった。それらがいなかったら鳥類という話だった。


「八木さん、こちらにいた羊などは……」

「県北に移住したみたいです。担当者が飼育のために移したと聞いています」

「先ほど対州馬っていう飼育スペースがありましたけど」

対州馬たいしゅうばですね。日本の在来種なんですが絶滅が危惧されている種になります。そちらも合わせて移住したみたいですね」

「そうだったんですか」

「ええ。粗食に強く蹄も強い。小柄ですが種として温厚従順で飼いやすく体質も剛健。負担にも強くて100㎏くらいなら平気で乗せられます」

「すごいじゃないですか。でも、残念ですね」

「ええ、とても。元々減少傾向にあったのですが、近代化によって対州馬の役割が減って、近年まで保存会があったくらいです」

「へえ」


 動物が減って寂しくはあるが、こういったガイドを聞いていると懐かしい気持ちになる。気を抜いていたつもはないが、それでも少し楽しい気持ちになっていた。そこからほんのわずかに残っている爬虫類館を見て、戻ってくるルートでミヤギの県鳥である雁を取り扱っているゾーンへ。飼育こそしているものの、こちらは八木さんが少し複雑そうにしていた。

 最後にアフリカゾーンへ向かうその前に。


「アフリカゾーンはお気を付けください」

「はい。特に何に気を付ければいいですか?」

「ゾウとシマウマです」

「ゾウとシマウマ、ですか?」

「はい、その」


 八木さん曰く、他の動物は既にいないらしい。


「流石にこの状況でカバを維持するのは難しいです。キリンは寿命でした。サイやダチョウもいたんですが、その」

「どうしました?」

「いえ、サイも維持が難しくて」


 歯切れの悪くなる八木さんは足早に進み、動物園の端にある建物へ。

 ビジターセンターと呼ばれる場所は動物園の西口となる場所で、かつそこを塞ぐように建つゲートを兼ねた資料館の様なものだ。園内からはコの字型の開いた部分がこちらを迎えるようになっていて、この場所だけフェンスゲートと鉄骨で強化された足場が屋上まで伸びている。フェンスゲートを越え鉄骨の足場を屋上まで登れば周囲を一望できる絶景が広がっていた。真南に道路を挟んで隣接するビルの屋上には防衛隊員のテントがあり、ややあってそのテントから人が出てくる。


『こちら園前警備隊、異状ないか』

「園内調査員八木です。今のところ問題ありません」

『そいつは何より。何かあれば連絡してくれ』

「了解しました」


 僕らに手を振る隊員に手を振り返しながら、その背後に広がる景色を見る。山や丘は僅か、広大な平野部の広がるセンダイの地。この地の防衛隊が何故南部を広げようとしているのかを理解する。確かにこの広大な土地からゾンビを排することが出来れば随分と暮らしやすくなるのだろう。周囲は山間に囲まれて道が限られていて東側には入り組んだ湾が多い独特の地形をした沿岸が続いていて、漁もそうだが養殖も盛んだ。ホヤの見た目は確かにアレだったが、非常に美味だった。他にも沿岸では網を使った漁で今も比較的豊富な漁獲量を誇っている。


「では次に行きましょう。次が最後です」


 ビジターセンターから山側の道をまっすぐ進む。売店の裏を通り、ウサギ小屋跡を右手に裏へ裏へと進む。


「動物園の役割としましては、一般の方に動物たちを身近に感じて、知って頂く場ではあるのですが、実は他の役割もありまして」


 爬虫類館の裏だろうか。一段下がっていて、直接来るには先ほどの売店裏を通りウサギ小屋から分かれる順路外の道を通る必要があるようだ。白い厩舎のような建物がある。


「種の保存やそのための調査、研究を担うのも動物園の役割となっています。そしてここはそのための建物です」

「研究棟ということですか」

「ええ。そうなのですが、中には非展示、調査研究専用という形で飼育している動物たちもいるのです」

「危険な動物なんですか?」

「ある意味ではそうです」


 建物の扉を開けた瞬間に響く鳴き声。犬とも猫とも似つかぬ鳴き声。聞いたことのない何かを知らせるような遠吠え。僕には泣いているようにも聞こえた。


「ジャッカルです。キンイロジャッカルと言って、この動物園で約50年前に繁殖に成功した動物です。遺伝子的にはオオカミに近いイヌ科の動物です」


 通路を進んだ奥の檻にその動物はいた。忙しなく檻の中を歩き回り、しきりに鳴いている。何かを訴えかけているようにも感じる。


「……あれ?」

「どうしました?」


 僕の質問に答えず、周囲を見回した八木さんの表情は常の柔和なものから一目で尋常ではないと分かる表情になっている。困惑、焦燥。何かがあったのは間違いなさそうだ。


「八木さん!」

「少ないんです! 先週までにいたはずのジャッカルが減っています!」


 それはつまり。


「脱走ですか?」

「檻に変化はありませんでした。ですが鍵は保護団体と防衛隊で管理されています」

「そのうちの誰かが連れ出した、ということですか?」

「……可能性があるならこの動物園近辺にいる者以外の犯行だと思います。明らかに時期がおかしいです、わざわざ成体を狙う理由がありません」

「先週一緒に来られた方は?」

「……いえ、彼女は最後まで私と一緒にいましたから、それは違うかと」

「調査任務の日以降にここにきて持ち出した可能性はありませんか?」

「分かりません。ただ彼女たちは目立ちますし、もしそういった動きがあればすぐにわかるはずです」

「……一度戻って、その方に話を聞きに行きませんか?」


 霧瀬が一旦中止を提案する。僕も同意見だ。


「ジャッカルは特定動物とされていて、愛玩用に飼育することは法律で禁止されています、いえ、されていました」

「今の状況ではそうなりますか」

「ええ。この子は前の担当者が面倒見ていた最後の子で、この子の兄弟に当たる子がいなくなっています」

「そのジャッカルは人に懐くんですか?」

「担当者には懐いていました。ジャッカルは一雄一雌性があり、産んだ子供を含めて集団を形成する社会性を持ちます。そして先に産まれた子供は、次に生まれてきた子供の世話をする母のために子育てを手伝う習性があります」

「お世話をしていた飼育員に懐くというのはそういう事ですか」


 急ぎ研究棟を出るが、千葉さんはここでいったん落ち着くことにしたようだ。深呼吸をして、こちらに向き直る。


「こちらで防衛隊を通じて連絡しておきます」

「分かりました。調査任務は一旦中止でいいですか?」

「ええ。ですので、今度はそちらの要件を済ませましょう」

「助かりますが、いいんですか?」

「ええ。前回は少し大変でしたけど、今回はまだ1発も撃っていませんから」


 表情と雰囲気を柔和なものに戻して微笑む八木さんの案内で、僕たちはふれあい広場のオウムやインコの展示スペースへ戻ってくる。八木さんが選んだのは一羽のオウムだ。これが実験用の生体サンプルだろう。


「以前この子の血液サンプルをお渡ししましたので恐らくこの子かと。後はシマウマなのですが、先に荷物を減らしてしまいましょう」

「何か準備するんですか?」


 通信機で連絡していた八木さんに霧瀬が問いかける。


「先週まではほとんどの動物を外に出していたんですが、今は猛獣2頭が檻の中にいるのでケージや採血道具を持ってきてもらおうかと」

「トラが外にいるとダメなんですか?」

「外にいるとどうしても警戒されるんです。他の動物たちも音には敏感になっていまして。動物園全体で少し騒がしくなってしまいます」

「今は大丈夫なんですか?」

「人の声には特に反応しません。あとは金属音というか、檻を思わせる金属音が聞こえるとどうしてもだめみたいで」


 少しだけ違和感を感じる。金属音であればゲートの開閉やドアの開閉音も刺激してしまうという事ではないだろうか。


「そう言えば、針って生産されてるんですね」

「極少数ですけどね。数が限られているうえ使用順が決められているのでミスが出来ないんです」

「高価ですしね」

「ええ、一応病院からそういった道具も分けて頂いているので、以前に比べて楽になりましたが」

「以前はどうされていたんですか?」

「副業で狩りをしていました。ですので裏町の方が顔見知りが多いんです」


 なるほどと納得する。病院などの伝手があるのは他の人から見ても魅力的に映るだろう。霧瀬はどこか複雑な表情をしているが何かあったのだろうか。


「そういえば! 先ほど外に出していたと言っていましたけど、どうやって檻の中に入れるんですか?」

「麻酔銃です。ですが最近は以前ほど人の手が入っていません。半野生化して当てるのも一苦労です」

「麻酔銃があるとはいえ一人では難しいですよね? 外の隊員が手伝ってくれるんですか?」

「基本的には餌ですね。檻に入ってくれる子は」

「入らない子がいるんですね」

「ええ。その最たるものがシマウマだったんですが」

「え、シマウマなんですか?」


 意外な答えで驚く。


「はい。シマウマは他の動物、キリンやダチョウなんかと混群を形成しますが、人間にはほとんど懐かず、また攻撃的です。年を重ねると気性が荒くなるというのもあります」

「そうなんですか」

「ええ、ただ、その、先週の調査業務で1頭だけケガをしたというか」

「怪我ですか? 調査中のミスとかではなく?」

「その、外の柵を越えて来ようとした一頭の足を打ち抜いてしまって。その個体を守るように他のシマウマが守ってるんです」

「えーっと、麻酔銃で寝かせる、というのは?」

「持ち込んだ数では間に合いませんでした。撃たれて興奮していたシマウマもその周囲を囲むシマウマも狙っているのがわかると躱そうとしますから」

「こういっては何ですが、処分するしかないのでは?」

「シマウマは馴致や繁殖が期待されている動物なんです」

「え? そもそも人に懐かないのでは?」

「担当飼育員には懐いていたんです。それを知っていた人から頼まれているのもあるんですが、私としましても殺処分は避けたくて」


 少しだけ態度が揺らいでいた。嘘をついているというか僕らに言う必要のないことを上手く伝えようとして変な話の展開になっていないか?


「八木さん、動物園の定期観察業務って誰が発した命令なんですか?」

「動物保護団体、病院、それと市です」

「いくつか詳細がわからない動物がいましたが、それらはどうなったんですか?」

「……ダチョウは食用に、サイも食用でしたが、恐らくは観賞用か何かかと。他にも数頭が殺処分になりました」

「観賞用、ですか?」

「サイの角は売るところに売れば非常に高価な品物です。他にも牙や皮といったものになった子もいるかもしれません」

「そんなっ……」


 思わず閉口してしまう。生きるために家畜の命を利用してきた人類が言うべきではないかもしれない。それでも、今を生きるためにすべきことでは無いと言い切れる。少なくともゾンビに対して武力というもので対抗している自分にその行為に意味を見出せない。


「保護団体から要請などはないんですか? 警備の増員や監視機材の導入などは」

「動物園の動物はそのほとんどがそれなりに高価です。提言した人はもちろんいらっしゃいますが……」

「どうしました?」

「噂では、夜間警備員がいるそうなんです」

「夜間警備員?」

「ええ。防衛隊と裏町にそういう噂がありました。先週の里中さんもそうだったんですが……」

「どういう人なんです?」

「何でも屋で話をしていた女性です。彼女がいる集団はトラックを利用しているので」

「それで、どうでした?」

「狩猟用のライフル銃の腕が良いうえに、ジャッカルを見て欲しがっていたのですが、オスと知ると興味をなくしていました」

「……どう、なんでしょう」

「分かりません。どうも彼女たちには他にも仲間がいるようなのですがそこまでは分かりませんでした」

「怪しいですね」

「そうなんですが……彼女たちはここ1,2年はセンダイの各地で仕事をしていまして、今は西で活動しているらしいんです。他の人に利益を分配していると」

「利害調整ですか? 何のために?」

「見つけた物資はお酒だそうです。独占してトラブルにならないようにと」

「……動物やその素材なら一度きりだし、伝手もいろんなところにあるから売り捌ける、よね?」

「でも市や防衛隊、保護団体がここを管理しているんだ。利害調整してる連中がケンカを売るような真似をするか?」

「直接話した感じも、そういった印象は受けませんでした。受けませんでしたが……」

「確証がないから何とも言えない、か」


 まずはその里中という女性に当たってみるか? ジャッカルを欲しがったというのも気になる。


「それにしても遅いですね。ケージ」

「そう言えばそうですね。一度戻りますか」


 研究のためのサンプルの回収も問題だが、動物を利用して資金や資材の調達に利用していることを考えると、犯人の目的は何なのか。僕が考えてみてもそこから先が見えてこない。

 ふれあい広場を出て、木々の中の順路を逆行するように入口へ向かう。その時八木さんの通信機に連絡が入った。


『こちら園前防衛隊! 襲撃だ! トラックが突っ込むぞ! 退避いぃぃぃ!』

「えっ」


 それと同時に、金属同士を打ち付け引き摺り、破壊する音が響いた。あまりの衝撃に呆気にとられるが、すぐに再起動した八木さんを追って駆けだす。


「八木さん!」

「八木さん! 待って!」


 僕と霧瀬もその後を追って駆けだす。下り坂の順路からは南側のゲートを突破した一台のトラックが見えた。運転席に人影はない。坂を下りながらゲート正面に回り込む間に悲鳴が聞こえてくる。


『動物だ! 犬のような動物が出てきたぞ!』

『撃て!』

「待ってください! 先にゲートを!」


 銃撃の音にその弾丸が金属を打つ音が混じる。車に向かって発砲したのだろうが、動物の声は聞こえてこない。トラックの後方の道を回り込んでようやく正面入り口を臨む場所に回り込んできた僕たちが見たのは、トラックの荷台の奥で倒れる人の姿と、防衛隊の銃撃を軽々と避ける犬のような生き物。その姿は先ほど見たジャッカルと呼ばれる動物にそっくりだった。


「待ってください! ここは私が!」

「ダメだ! そいつは既に一人食ってる! 襲撃犯だがな!」


 荷台の奥に倒れる人物に目を向ける。どうやら男のようだが、あの男が襲撃犯なら、あのジャッカルは何なのだろうか。とはいえ、今は目の前の危機に対処する時間だ。


「八木さん下がってください、自分が出ます」

「康史郎! 引き付けお願い!」


 そう言って霧瀬が僕とは反対方向に回り込む動きをみせる。


「おいお前たち!」

「弾薬は有限です。それより入口は大丈夫ですか? 後続はありませんか?」

「ちっ! 車回せ! 入口を封鎖しろ! おい! そこの男はその動物で実践訓練すると言っていた! 様子が変だ! 気をつけろ!」


 霧瀬がゆっくりと右へ、僕が左で防衛隊の射線をあけながら取り囲む。鯉口を切って手首を返し切っ先を地面に向けてわずかに揺らす。ほんの僅かにこちらを気にするような動きを見せる。僅かな膠着状態、その戒めを解いたのは木の陰から麻酔銃を構えていた八木さんで、しかしその弾薬はジャッカルが鋭敏に反応してその射線から逃れた。ジャッカルが八木さんに反応し、僕はすぐに切っ先でコンクリートを擦り注意を引きつける。


「落ち着いて下さい」


 僕はこの場の全員に聞こえるようにゆっくりと、だがしっかりと声を響かせる。

 じりじり詰める僕と霧瀬に一段と姿勢を低くするジャッカル。来る。そう思ったが予想だにしない衝撃が走った。


「ウォォオオオオォォォ―――」


 想像より高く、長く、そして物理的に強い雄叫び。遠吠えなど比較にならない程の音響兵器と思えるような衝撃に全身を打ち据えられる。思わず瞳を閉じて耳を押さえてうずくまってしまう。鼓膜を貫通し脳を直接揺さぶられるような鳴き声に、怒りかそれとも悲しみか。そんな感情が籠った声。

 脳がその音を処理しきれずに意識が飛びそうになるのを辛うじてこらえて、それが落ち着いたと思い視線を戻せば目の前にいたジャッカルは消えていた。


「っつぅ、ジャッカルは……」


 周囲を見回し、視線の合った越路軍曹が指をさした。奥へ駆けてゆく姿を認識すると足音が聞こえたような気がする。しかしすぐに追うことも出来ずに、俺は霧瀬に駆け寄り声をかけ無事を確認した後に八木さんの元へ。


「八木さん、あのジャッカルは……」

「はい、飼育していたもう一頭のジャッカル、のはず、なんです」


 鳴き声というか、遠吠えだけであんなことが出来るはずがない。いや、鳴き声が大きい動物はいるのだろう。だがそんなものとは格段に違う何かであったと感じているし、八木さんの反応もそうだ。


「八木。この男は知っているか」


 軍曹が倒れていた男に近づき確認する。僕には見覚えが無いが、目を見開きその声は見開かれている。突然の死に何の心構えもなく飲み込まれたこの男は一体どんな目的があって、ここに来たのだろうか。


「……ああ。金沢さん、です。元飼育員の、ロバの。広場で、触れ合ったり、お客さんの対応とか……」


 声が震え今にも倒れそうな八木さんに、霧瀬が寄り添う。僕たちはこういう人たちをたくさん見てきた。悲惨だと思う。無残だと思う。人が死ぬのは悲しいし、つらいことなのは言うまでもないことだ。だがそれだけだ。

 話を聞くに知り合いのようで、きっと八木さんの記憶の中の彼は優しい人だったのだろう。あのジャッカルによって首をへし折られたようだ。

 

「ともかく後を追います」

「私たち二人で当たりますので」


 八木さんはショックで動けなさそうだ。ここは僕らで片をつける必要がある。少なくともあのジャッカルに関しては。とはいえ、そんな状況を見ているだけなんて人でもない。


「待て、今応援を呼ぶ。数が揃ってからでも遅くはない」

「遅くはないかもしれませんが、先程のジャッカル、逃げましたよ?」


 あの絶叫とも呼ぶべき遠吠えだけで僕たちを無力化したのはあのジャッカルも理解しただろう。その後僕たちを攻撃せずに引いたのは数的不利を理解してのことだと思う。単純に人が多くなったから逃げ出したというにはあまりにも余裕たっぷりだったのは気になるところではある。


「人が多いと逃げられるかもしれません」

「……そうかい。なら弾の補給ぐらいはしていけ、おい!」


 たっぷりと苦虫を嚙み潰した軍曹に弾薬の供給を受ける。部下の信の厚い軍曹殿のことだ、きっと帯同を申し出ようとして、防衛隊の部下や、襲撃犯の素姓、そしてより一層の警戒などの必要を考え残る判断をされたのだろう。もしかしたら防衛隊に怪我人が出たのかもしれない。

 弾薬の供給を受け、僕らがジャッカルの後を追おうとしたその時、彼女が立ち上がった。


「私も行きます。元はといえば私の仕事、私の責任です」

「……大丈夫ですか? あのジャッカルは、何か変です。明らかに一般的な動物の範疇から逸脱している気がします」

「それでも急に動物でなくなるという訳ではないでしょう。ここで動物に詳しいのは私です。数を揃えたら逃げられますし、此処に一番詳しいのは私です」


 先ほどとは違う強い眼差しを受け、僕は霧瀬を見る。霧瀬が頷くのをみて僕は決めた。


「分かりました。案内をお願いします。ですが前には出ないようにしてください」

「わかりました」

「俺たちはこっちのゲートを封鎖しておく。西側にも人を配するが期待はするな。それから連絡はこまめにしろ」

「了解」


 僕がセンダイに来て最も混乱した日と言ってもいい、動物園での一日がここから始まった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る